第43話 歪みし理と『願い』
戦いの余韻も冷めやらぬマスタールームに、不意に、黄色い妖精が首を傾げた。
「――あれ? なんか、魔素の流れ、歪んでるかもー」
「――歪んでる?」
俺は、妖精の言葉に、警戒を強めた。
「うん……。なんか、変な感じ。……ちょっと、調べてみるー」
妖精が、静かに周囲へと意識を集中させる。ルピンやタラボーヤも、剣呑な空気を察し、油断なく構えを解かなかった。
しばらく調査を続けていると、広間の中心――先ほど霧散したはずの場所に、淡い光が集まり始めた。
「――な……! また、来るのか!」
ルピンが、棍を構え直す。
だが、その光の中から現れたのは、先ほどの狂気に歪んだ姿とは、まるで別人のような存在だった。
八枚の翼は、白銀に輝き、纏う気配には、荒々しさではなく、静かな威厳が宿っている。
「――待て。……戦意は、感じられない」
俺は、槍を構えながらも、静かに制した。
「――ようやく、正気に戻れたようだ」
その天使は、静かに、澄んだ声で語り始めた。
「――我が名は、シャスドラ。……かつて、この地の魔素の流れを守護する任を、主神より賜った者だ」
「――守護、だと?」
「うむ。……この西大陸北部は、巨大な魔素の脈と脈とが交差する、極めて特別な地。世界の理を支える、重要な結節点の一つだ」
シャスドラは、静かに続けた。
「我は、その交差点の歪みを調整し、魔素の流れを整える役目を負っていた。……だが」
その声に、僅かな苦渋が滲んだ。
「――長い年月の中で、調整に、失敗した。溢れる魔素を制御しきれず、逆に、我自身がその魔素に侵されていった」
「……それが、あの、狂気の正体か」
「左様。……侵された我は、本来の意思を失い、破壊衝動と悪意だけが、際限なく募っていった。……お主らに討たれたことで、一度、この身は完全に魔素と切り離された。ゆえに、こうして、本来の姿を取り戻すことができた」
シャスドラは、静かに頭を垂れた。
「――迷惑をかけた。詫びよう」
「――いや。……それより、今の状況は、どうなってる」
俺の問いに、シャスドラは、静かに首を振った。
「――我一人の力では、既に、この歪みを完全に正すことは叶わぬ。……だが」
その視線が、黄色い妖精へと向けられた。
「――精霊王の力があれば、応急の処置くらいは、あるいは」
「――ボクに、できる?」
「うむ。……この場に満ちる魔素の脈動に、直接干渉できるのは、貴殿のような規格外の存在だけだろう」
黄色い妖精は、静かに頷き、両手を広げた。
「――やってみるー」
淡い光が、広間全体を包み込んでいく。妖精の膨大な魔力が、乱れた魔素の流れへと、丁寧に、しかし力強く介入していった。
『――魔素干渉、開始』
数十分の後、妖精は、額に僅かな汗を滲ませながら、静かに手を下ろした。
「――ふぅ……。完全には無理だけど、しばらくは、暴走しないくらいには、抑えられたと思うー」
「――感謝する。……これで、当面の危機は、去ったはずだ」
シャスドラが、静かに頭を垂れた。
◇
「――一つ、提案がある」
それまで黙って様子を見ていたタラボーヤが、静かに口を開いた。
「――ディア殿。ここと、我がライオネルとの間にも、転移陣を置いてはもらえぬだろうか」
「――ライオネルとの間に?」
「うむ。……表向きは、この地の平和維持のため、我が国も、定期的に協力しよう、という体裁だ」
タラボーヤは、悪戯っぽく笑った。
「――だが、本音を言えば、俺は、ただ、時々こうして、虚獣狩りをしに来たいだけなのだがな」
「……随分と、正直な国王だな」
「くく、隠しても仕方あるまい」
俺は、静かに頷いた。
「――構わない。この地は、もとより、多国間で関わるべき土地だと考えていた」
◇
「――さて。……最後に、伝えておかねばならぬことがある」
シャスドラが、改めて、その表情を引き締めた。
「もし、あのまま、魔素の氾濫が続いていたら、どうなっていたか」
「……聞かせてくれ」
「――やがて、この西大陸そのものが、内側から爆発していただろう。……そして、その衝撃は、世界全体の魔素の流れを、根本から狂わせていたはずだ」
その言葉に、その場の全員が、息を呑んだ。
「魔素の流れが狂えば、世界中の大地が、次第に汚染されていく。……人も、魔族も、住めぬ土地が、際限なく広がっていったことだろう」
「――そこまでの規模だったのか……」
ルピンが、思わず呟いた。
「うむ。……お主らが、この危機を止めてくれたことに、心から感謝する」
シャスドラは、静かに、深く頭を垂れた。
戦いを終え、俺たちがダンジョンの外へと出ると、そこには、既に知らせを受けていたのであろう、多くのドラゴン族が集まっていた。
「――よくぞ、戻った!」
デェソンが、静かに、しかし確かな喜びを滲ませながら出迎えた。
「異変の元凶、討ち果たしたとのこと。……この地に住まう者として、深く感謝する」
その周囲には、様々な色鱗を持つ、数百のドラゴンたちが集っていた。
「――随分な、数だな」
俺が呟くと、デェソンは静かに頷いた。
「この西大陸には、およそ三百のドラゴン族が住まう。……そして、他の種族は、ほとんどおらぬ」
「ほとんど、ということは」
「――唯一、南の火山に、不死鳥――モーチという者が、巣を構えておる」
俺は、静かにその名を胸に刻んだ。
◇
歓待の宴が催される中、デェソンは、改めて、俺たちに向き直った。
「――ディア殿。折り入って、相談したいことがある」
「――なんだろうか」
「我らドラゴン族には、あのようなダンジョンの管理は、到底できぬ。……そして、この地には、あの他にも、いくつかのダンジョンが存在する。いずれも、同様に、我らの手には負えぬ」
デェソンは、静かに続けた。
「――貴殿らと共に旅をしてきた、あの氷雪の竜――べべを見ていて、思うところがあった」
その視線が、静かにべべへと向けられる。
「外の世界で育ち、様々な種族と共に、力を積み重ねてきた者。……このような形も、あるのだな、と」
「――デェソン殿」
「――ディア殿。この地で、我らと、共存する道は、ないだろうか」
俺は、静かに、その言葉の重みを受け止めた。
「――無論、我らだけで決められることではない。……そのためにも、南の不死鳥、モーチとも、一度、話をせねばなるまい」
デェソンの言葉に、俺は、静かに頷いた。
「――分かった。……いずれ、共に、モーチの元へ向かおう」
こうして、西大陸を巡る旅は、新たな局面へと向かい始めていた。




