第41話 西大陸と『予兆』
ある夜、魔王城の一室で、リアーナが不意に眉をひそめた。
「――なんだ、この気配は」
『予知』のスキルが、微かな、しかし確かな違和感を捉えていた。
「西だ。……西の方角から、何か、良からぬものの気配がする」
「西、ですか」
俺は、静かに問い返した。
「これまで、魔族も人族も、西の大陸に足を踏み入れた記録はない。……だが、我ら魔族の間では、古くから”伝説が住まう地”として伝えられてきた」
リアーナは、静かに地図を広げた。
「西大陸は、その手前に立ちはだかる”魔の海域”が、これまで誰の到達も阻んできた」
「魔の海域、ですか」
「巨大な海獣が跋扈し、鋭い岩礁が船を寄せ付けず、季節を問わず突然の津波が襲う。……加えて、古来からの言い伝えも相まって、船で渡ろうという者自体、これまでいなかった」
俺は、静かに頷いた。
「――ですが、俺には、飛行の手段があります」
「うむ。……ディア、お主とべべになら、あるいは」
「調査に、行かせてください」
リアーナは、暫し考えた後、静かに頷いた。
「――アリマン様には、私から伝えておく。予知による警告だ、無視するわけにもいかん」
◇
出立の準備は、迅速に進められた。
「――ちょうどよいタイミングで完成したみたいね」
ノノが、得意げに、小さな水晶のような装置を掲げた。
「魔術師としての研究の合間に、転移陣を作ってたの。……まだ試作段階だけど、緊急時の連絡や、少量の物資輸送になら使えるはず」
「――随分と、便利なものを作ったな」
「でしょ? 常世の塔で置いてあった転移陣や移動のアイテムを直接見れたのが大きかったわ。おかげでイメージはつきやすかったの。魔王城にある転移陣は固定されてるけど、もう片方は持ち運びして設置できるようになってるわ。……役に立つといいけど」
俺は、そのサンプルと、道中の食糧を丁寧に荷にまとめた。
「――べべ、頼めるか」
「無論だ」
べべが、静かに翼を広げた。産まれたばかりは可愛かった見た目も、あっという間にディアと同じくらいの大きさに成長しており、その体躯は逞しさを増している。
「長旅になる。……交代で、互いを乗せながら飛ぼう」
「ああ、頼む」
こうして、俺とべべは、魔王城を発ち、西の海――誰も渡ったことのない、未知の空路へと飛び立った。
◇
海上を飛び続ける旅は、想像以上に過酷だった。
「――下、見てみろ」
べべの声に、俺は眼下を見下ろした。
巨大な影が、波間を悠然と泳いでいる。ウミタと同種、あるいはそれ以上の規模を持つ海獣たちが、幾つも潜んでいるのが分かった。
「――これは、確かに、船じゃ渡れないな」
「ああ。……我らも、あまり高度を落とさぬ方がいい」
時折、突風や、突発的な高波が海面から立ち昇ることもあった。
「――これが、“言い伝え”の正体か」
「自然の脅威そのものが、結界のように機能している、というわけだ」
俺とべべは、交代で互いを休ませながら、慎重に、しかし着実に、飛行を続けた。
「――なあ、べべ」
夜、雲の上で羽を休めながら、俺はふと尋ねた。
「お前は、外の世界に出てきて、後悔はないか」
「――ないな」
べべは、即答した。
「数千年、あの塔の中で、ただ孤独に過ごしてきた。……こうして、空を飛び、様々なものを見て、共に戦う仲間がいる。それだけで、我にとっては、十分すぎるほどの恩恵だ」
「――そうか」
「――貴殿こそ、どうなのだ。……その、リアーナとやらに対する想い、まだ、拗らせておるのか」
「――な……! 唐突だな、おい」
「隠れておらんぞ、お主は。あの女傑を目で追う視線、我でも気づく」
俺は、思わず言葉に詰まった。
「……分からない。だが、今は、それどころじゃない」
「まあいい。この旅が終わったら、じっくり聞かせてもらおう」
べべは、そう言って、悪戯っぽく笑った。
◇
一週間の飛行を経て、俺たちは、ついに西の大陸の海岸線を捉えた。
「――着いた、か」
眼下に広がるのは、鬱蒼とした森と、切り立った山岳地帯だった。空気そのものが、中央大陸とは明らかに異なる、禍々しい重みを帯びている。
「――この気配」
べべが、僅かに緊張した声を漏らした。
「――竜、が多いな。しかも、相当な、格の者たちだ」
俺たちが着陸し、慎重に周囲を調査し始めた、その直後だった。
――ゴアアアアアアアアッ……!!
大気を震わせる咆哮が、山々にこだました。
「――何者だ、この地に足を踏み入れたのは」
低く、重々しい声が、頭上から響いた。
見上げると、そこには、これまで見たどの竜よりも巨大な、金色の鱗を纏うドラゴンが、悠然と空を舞っていた。
「――我は、ドラゴンロード、デェソン。この地に住まう竜族の長である」
その威圧感だけで、空気そのものが押し潰されるようだった。
「――俺は、ディア。中央大陸、魔王国の使いだ」
俺は、努めて冷静に名乗った。
「魔王アリマン様の下、四大守護者を務めている。……こちらは、氷雪の血を引く、べべ」
「――魔王の、使いか」
デェソンの目が、僅かに細まった。
「何用あって、この地に」
「我らが真祖――リアーナ様の『予知』が、この西の地から、良からぬ異変の兆候を感じ取った。……その真偽を確かめに、参上した」
「――ふん」
デェソンは、興味なさげに鼻を鳴らした。
「異変、というならば、確かに、心当たりがないでもない。……だが、それを、貴様らに話す義理はない」
「――力なき者に、我が地を語る価値なし。そういうことか」
俺は、静かに問うた。
「――理解が早いな。……その通りだ」
デェソンの傍らに、一回り小柄な、しかし鋭い眼光を持つ若い竜が、静かに舞い降りた。
「――父上。この者たち、我が相手いたしましょう」
「――ライト、お前がか」
「若手の中でも、最も力をつけている自負がございます。……もし、この者たちが、我が地に立つに値する力を持たぬというなら、この場で退けるべきかと」
デェソンは、暫し考えた後、静かに頷いた。
「――よかろう。……そちらの、氷雪の竜よ」
デェソンの視線が、べべへと向けられた。
「我が息子、ライトと、空にて雌雄を決せよ。……勝てば、貴様らの話、聞いてやろう」
「――受けて立とう」
べべは、静かに、しかし確かな闘志を宿しながら、前へと進み出た。
◇
空へと舞い上がった二頭の竜は、瞬く間に激突した。
「――行くぞ!」
ライトドラゴンが、鋭い爪を振るいながら、猛烈な速度で突撃する。
「――遅い」
べべは、最小限の動きでそれを躱し、鋭い反撃を叩き込んだ。
「な……!?」
「――我を、誰だと思っている」
べべの氷雪の理は、数千年の孤独の中で研ぎ澄まされ、さらにこの旅の中で、幾多の激戦を経て磨かれ続けてきたものだった。
「『氷結槍雨』――!」
無数の氷の礫が、ライトドラゴンへと降り注ぐ。
「ぐ、ぐぅ……!」
「まだだ――」
続けて放たれたドラゴンブレスが、冷気の奔流となって、ライトドラゴンの動きを完全に封じた。
「――終わりだ」
べべの一撃が、ライトドラゴンの体を、地上へと叩き落とした。
――ドガァァンッ!!
「……参り、ました……」
地に伏したライトドラゴンが、静かに、しかし清々しい声で呟いた。
◇
「――見事だ」
デェソンが、静かに、しかし確かな感嘆の声を漏らした。
「我が息子を、これほどまであっさりと下すとはな。……その氷雪の血、只者ではないと見た」
「――我は、常世の塔にて、長き年月を過ごした氷雪龍。……今は、ディア殿と共に、旅をする身だ」
「常世の塔、だと……。あの、誘惑の天使が統べる、封印の地か」
デェソンは、僅かに目を見開いた後、静かに頭を垂れた。
「――力を示した者の言葉には、耳を傾けよう。……ディアとやら、そして、べべ。改めて、話を聞こうではないか」
こうして、俺たちは、ようやく、竜の長――デェソンとの、対話の席へと着くことができた。




