第4話 最弱からの『進化』
洞窟の暗闇の中、俺の全身から漆黒の魔力が暴風のように溢れ出す。
体が、骨が、肉が、激しい熱を帯びて再構築されていく。
ひょろひょろで小さかったインプの体が引き締まり、しなやかで強靭な筋肉を纏った「人型」へと変化していく。頭部からは鋭く滑らかな二本の角が伸び、背の羽も力強く生まれ変わった。
『――種族【インプ】から【デーモン】への進化が完了しました』
『――種族特性の上昇。ステータスが大幅に強化されました』
ふっと熱が引き、俺は自分の大きな手を握り締めた。
視界の位置が段違いに高い。全身に満ち満ちているのは、以前の自分とは比べ物にならない圧倒的な「魔力」と「腕力」だ。
「これが……【デーモン(中級悪魔)】……!」
最弱の虫ケラだった俺が、ついに中級悪魔の域へと足を踏み入れた。
さらに『勇者』スキルの絶大な補正も相まって、現在の俺のスペックは一般的なデーモンすら遥かに凌駕している。
だが、俺は浮かれなかった。
俺は進化した体で、まず「スライム農場」の完全自動化をさらに押し進めた。
水車シュレッダーの耐久性を強化し、自動でスライムが誘引・殺傷され続けるパーフェクトな永久機関。そして――俺は洞窟の入口を巨大な岩で固く「封鎖」した。
外部からの侵入を完璧に防ぎ、この先放置しても、俺がどこに居ようと『仕掛け(罠)』の所有者である俺に、半永久的に経験値と熟練度がチャリンチャリンと入り続けるシステムを完成させたのだ。
「……よし。これで準備は完了だ」
俺は洞窟の外へと出た。
◇
森を探索し始めた俺は、すぐにこの地域の「噂」を耳にすることになった。
森に住まう下級の魔物たちが、恐々と言い合っていたのだ。
「この森の主……ハイオークの『ルピン』様に逆らうな……」
「あの御方は、代々受け継がれた伝説のスキルを持っている……」
ハイオークのルピン。
この大森林を統べる、集落の頭領だという。
現在、俺の能力がどれほど通用するのか。「力試し」をするには格好の相手だった。俺は噂を頼りに、ルピンの縄張りへと足を踏み入れた。
やがて、鬱蒼とした森の開けた場所で、俺は「それ」と対峙した。
二メートルを軽く超える巨躯。鋼のように鍛え上げられた褐色の肉体。
重厚な威圧感を放つハイオーク――ルピンだ。
「ほう……見慣れぬデーモンだな。私の縄張りに何の用だ?」
ルピンは低い声で問いかけてきた。その瞳には、荒々しさの中にも確かな知性と武人のような風格が漂っている。
勇者の知恵が、瞬時にルピンの持つ「スキルの理」を読み解いた。
この世界におけるスキルの獲得経路は主に四つ。
一つ、死に際に奪い取る『死因による略奪』。
二つ、古代のスクロール等による『アイテム獲得』。
三つ、血のにじむような『修練による習得』。
そして、極稀に起こる『神からの賜り物』。
だが、ルピンの持つ力は、そのどれでもない第五の経路――**『親から子孫へのスキル継承』**によるものだった。
彼の血統は何世代にもわたる戦いと鍛錬を重ね、強力なスキルを血に刻み、子孫へと引き継いできた名門なのだ。
ルピンが宿す先天性スキルは『怪力』と『自己回復』。
そして後天的に継承された『リーダーシップ』と『棒術』。
長年の戦いと血統によって鍛え抜かれた、まさに「生粋の戦士」だった。
「俺はディア。お前の力を確かめに来た。この森の縄張りを賭けて、勝負してくれ」
「ハッ、威勢のいい小僧だ。いいだろう、正々堂々、縄張りを賭けて勝負だ!」
ルピンは大樹のような巨大な丸太の棒を構え、ニヤリと笑った。
◇
――ドカァァァンッッ!!!
森に重苦しい衝撃音が響き渡る。
「ガハッ……!?」
俺の体が、弾丸のような勢いで吹き飛ばされ、太い大木を二本薙ぎ払って泥に転がった。
口から鮮血が噴き出す。
(速い……! そして、間合いの取り方が異次元だ……!!)
俺は手にした棍棒を構え直すが、ルピンは俺の視線や体のわずかな揺らぎから次の動きを完璧に読み取り、スキのない間合いで詰め寄ってくる。
ステータスや魔力は、今の俺の方が上かもしれない。
だが――決定的な差があった。
俺はこの一年間、ずっと洞窟の中で作業をこなしてきただけで、「命を懸けた生身の対人戦(実戦)」を一度も経験していなかったのだ。
どんなに筋トレをしてスペックを上げても、実戦経験がゼロなら、修羅場をくぐり抜けてきた熟練の戦士には手も足も出ない。攻撃の間合い、殺気の読み合い、間の詰め方……その全てで俺はルピンに翻弄されていた。
『スリップ』を発動させようにも、相手の絶え間ない連撃に押され、スキルを狙う余裕すら作れない。
「終わりだ、ディア!!」
頭上から振り下ろされる、絶望的な一撃。
俺は棍棒で受け止めるのが精一杯だった。
バキィッ!!
自慢の棍棒が粉々に砕け散り、俺の体は地面へと叩きつけられた。
視界がグラグラと揺れ、全身の骨が悲鳴を上げている。
「ふむ……良い目だ、小僧。ただのデーモンではないな。だが、実戦経験が足りん。今の貴様では私には勝てん」
ルピンは丸太を肩に担ぎ、見下ろすように笑った。
殺気はない。そこにあったのは、強者ゆえの余裕と、自分に挑んきた若い悪魔に対するどこか微笑ましいような視線だった。
「縄張りは渡さん。だが……命まで取るとは言っておらん。強くなったら、また来い。いつでも相手になってやる」
背を向けて去っていくハイオークの背中を、俺は悔しさに歯を喰いしばりながら見つめることしかできなかった。
一年間の篭城レベリングを経て、デーモンへ進化し、最強の『勇者』スキルを持ったはずの俺。
その俺が――実戦不足ゆえに、完全に敗北した。
土の味を噛み締めながら、ディアの胸に、新たな激しい闘志の火が燃え上がっていた。




