第3話 高嶺の花と『レベリング』
「……今日から、おぬしは『ディア』だ」
その言葉とともに額から流れ込んできた膨大な魔力と温もりが、ゆっくりと全身に馴染んでいく。
視界が少し高くなり、全身の関節に満ちる力が一回り跳ね上がった感覚があった。
「ふふ、良い顔になったな、ディア」
リアーナは満足そうに微笑むと、黒いローブの裾を翻した。
去り際、彼女は洞窟の出口で振り返り、どこか愛おしそうに、そして厳しく俺に言い放った。
「よいか、ディア。当面はこの洞窟から出るな。いま、ルナーラ村の周辺には私を追ってきた最悪の『S級冒険者』がうろついている。……安心しろ、あやつらは私が引きつけてやる」
「え……?」
言うや否や、リアーナは洞窟の外へと出ると、夜空に向けて膨大な漆黒の魔力を爆発させた。
周囲の森が一瞬でざわめき、遠くから強力な気配(S級冒険者)たちが一斉にこちらへ警戒を強めるのが分かった。
「ククッ……追ってこい、人間ども! 魔王城へとな!」
リアーナはあえて派手に、目立つように空へと舞い上がった。
追っ手を自分に引きつけ、この洞窟と俺から目を逸らさせるための、命がけの離脱。
「……私がいる場所は、魔界の頂――魔王城だ。……インプのままでは到底来られる場所ではない。もし私に追いつきたいのなら、この狭い洞窟の中で知恵を絞り、血を吐く思いで『進化』を目指すがいい!」
夜空に響く彼女の声を最後に、気配は遠くへと消えていった。
月光に照らされる空を、俺は口を開けたまま見送っていた。
……胸の奥が、熱い。
追っ手を引き連れて去っていった彼女の優しさと、圧倒的な強さ。
(……追いつきたい)
あの美しく、強い存在の隣に立ちたい。
リアーナが派手に惹きつけてくれたおかげで、ルナーラ村に集まっていたS級冒険者たちは、それから一週間ほどで彼女の痕跡を追って村から離れていった。
だが、俺は焦って外には出なかった。
この狭い洞窟の中で、誰にも知られずに強くなる。リアーナに胸を張って会いに行けるくらい、圧倒的になるまでは――。
◇
「よし……外に出ず、誰にも見つからずに効率よく熟練度を稼ぐ仕組みを作る」
俺は洞窟の中で静かに腕を組んだ。
勇者スキルからもたらされた高い知恵が、凄まじい速度で頭脳を回転させる。
ターゲットは、洞窟の湿地帯に生息する『スライム』だ。
スライムは『切断されると分裂して増殖する』という習性がある。さらに観察を進めると、肉などの餌を与えずとも、洞窟の奥から湧き出る『湧き水』に含まれる微小な魔力を吸収するだけで、勝手に増殖を繰り返すことが分かった。
水さえあれば、無限に増える。ならば――。
1. 無限増殖用水路:湧き水を洞窟の傾斜に沿って引き込み、水路を作る。水を得たスライムは自然発生的に増殖し、キャパオーバーを起こして水流に乗って下層へ流れていく。
2. 自動切断&水車シュレッダー:水路の末端に、鋭く削った木刃の網と、水流で永久に回転し続ける『木の歯車』を設置。流れてきたスライムは網で自動切断されて爆発的に増え、そのまま歯車に巻き込まれて核を打ち砕かれ消滅する。
スライムが増えれば増えるほど水流のキャパが圧迫され、より多くのスライムが歯車へ送り込まれる――全自動ネズミ算式レベリングシステムの完成だ。
さらに俺は、ただ寝て待つこともしなかった。
水車の手前にあえて小さな抜け道を一箇所だけ作り、全自動ルートから溢れ出たスライムが洞窟内に漏れ出るようにしたのだ。
手には、洞窟内で拾った頑丈な『棍棒』。
「ハッ、フッ、ハッ――!!」
全自動で経験値と【仕掛け(罠)】の熟練度がチャリンチャリンと入り続ける傍ら、俺は洞窟内を徘徊し、溢れ出てきたスライムを棍棒で叩き潰し続けた。
打撃のインパクトの瞬間に全筋力を集中させ、最小限の動線で最大の破壊力を生み出す。
自作の『スリップ』で体制を崩させ、間髪入れずに棍棒を叩き込む。
手動と自動。二つの極限的なレベリングが、暗闇の中で組み合わさった。
◇
――そして、一年が過ぎた。
外の季節が四季を巡る間、俺は極力洞窟から出なかった。
ただひたすらに湧き水を調整し、壊れた歯車を直し、暗闇の中で棍棒を振り続け、スライムを殺し続けた。
最弱の雑魚モンスターであるインプが、一年間、不眠不休で膨大な経験値と熟練度を貪り続けたのだ。
数ヶ月が経った頃、バツンッ! と頭の中で何かが弾ける壮大な音が響いた。
『――熟練度が限界値を突破しました』
『――【仕掛け(罠)】の熟練度が極限に達しました』
続いて数ヶ月後…
『――【棒術】の熟練度が限界に達しました』
『――【スリップ】のレベルが極限まで上昇しました』
そして一年経った頃…
『――蓄積された経験値が規定値を大幅に超越しています』
『――種族【インプ】の進化基準を満たしました』
一年間、殆ど光を浴びていない俺の全身から、眩いばかりの漆黒の魔力が溢れ出す。
俺は使い古してボロボロになった棍棒を静かに握り締め、暗闇の中で冷たく口角を上げた。
「……これで少しは追いついただろうか……リアーナ……」
そう言って、この日は何かの糸が切れたかのように倒れ込んだ。
最弱の悪魔は、誰も見たことがない膨大な『極限の熟練度』を引っ提げて、ついに最初の進化を遂げようとしていた。




