第28話 天使と『記憶』
常世の塔の最上階、再びナアマの前に立った俺たちは、以前とは違う面構えで、玉座の間へと足を踏み入れた。
「――また来たか。しぶとい奴らよ」
ナアマが、興味深げに目を細める。
「今回は、ただ挑みに来たわけじゃない」
俺は、静かに手にしたストレンジスピアを構えた。
「――お前に、聞きたいことがある」
「ほう。……我に聞きたいことがあるなら、まずは戦って勝つことだな」
「――元から、そのつもりだ」
◇
戦いは、以前とはまるで様相が異なっていた。
「――来るぞ! 右手から幻惑が来る、皆、備えろ!」
リアーナが、静かに『予知』を発動させ、先んじて声を上げる。
「な――!?」
ナアマが放った不可視の幻惑波が、俺たちの体を掠める寸前で、全員が的確に回避行動を取った。
「――ほう。予知持ちか。厄介な」
「あら、光栄だね」
リアーナが、涼やかに笑う。
「ノノ、メメ、動きを合わせろ!」
「――『瞬足』!」
ノノが、俊敏さを一段階引き上げ、ナアマの周囲を縦横無尽に駆け巡る。
「『黒雷雲』――!」
雷撃が、ナアマの障壁を掠めるように直撃する。
「――くっ、目障りな……!」
「私も……! 『回避』!」
メメが、ナアマの反撃を紙一重で躱しながら、間髪入れずに支援魔術を紡いだ。
「――『身体能力向上』、『清心の光』!」
淡い光が、全員を包み込む。
「――べべ、頼む!」
「承知した」
べべが翼を大きく広げ、氷の礫を無数に撃ち出す。
「『氷結槍雨』――!」
続けて、その口から、凍てつく吐息――ドラゴンブレスが放たれた。
――ゴォォォッ!!
冷気の奔流が、ナアマの周囲の空間ごと凍りつかせていく。
「な、なんという冷気……!」
「アレン、ユート、カリナ! 陽動を!」
「「「了解!」」」
眷属となった三人が、ナアマの意識を分散させるように、左右から次々と斬りかかる。
「ちょこまかと、鬱陶しい奴らよ!」
ナアマの意識が、明確に分散していった。
「――今だ!」
俺は、その隙を見逃さなかった。
ストレンジスピアを構え、槍に宿る意思へと語りかける。
(――力を貸せ)
『――承知した。我が名は、神殺し』
槍の穂先に、禍々しくも神々しい光が纏わりつく。
「『神殺』――!」
――ズドンッ!!
放たれた一撃が、ナアマの纏う光の障壁を、まるで薄紙のように貫き、粉々に打ち砕いた。
「な……! 我が障壁が……!」
「――もらった!」
俺は、間髪入れずに二撃目を、ナアマの胸元へと突き立てた。
――ドガァァァンッ!!
「――が、はッ……」
ナアマの体が、大きくよろめき、地に膝をついた。
「……見事、だ。……この短期間で、ここまでの成長を遂げるとは、な」
◇
「――さて。約束通り、聞かせてもらおうか」
俺は、槍を引きながら、模写してきた紋様を差し出した。
「この文字の意味を、教えてほしい」
ナアマは、しばし紋様に目を落とした後、静かに口を開いた。
「――これは、古き封印の術式言語。……我ら天使の間に伝わる、極めて古い文字だ」
「読めるのか」
「読むだけなら、な。……意味としては、"何者も、これより先へ進むことなかれ"という、警告の類だろう」
「――それだけ、か」
「それだけだ。……この文字が、どのような経緯で刻まれ、何を封じているのか、我は知らぬ。……この塔の紋様も、同じ言語で書かれているというだけのこと。由来までは、我の管轄の外だ」
ナアマは、興味なさげに肩をすくめた。
「――なるほどな」
俺は、静かに槍を収めた。
「教えてくれて、感謝する」
「くく……。まあいい。……次に来る時は、もっと楽しませてくれよ、成り上がり者」
ナアマは、そう言い残し、静かに姿を消していった。
――ナアマの姿が完全に消え去る間際、その足元に、ふわりと一枚の布地が舞い落ちた。
「――あれは」
俺が拾い上げると、それは、艶やかな光沢を放つ、際どい意匠のドレスだった。
俺は、思わず鑑定を発動させた。
『――恩寵武具:誘惑のドレス。纏う者の魅力を極限まで引き出し、対象を強制的に魅了する』
「……なんつー効果だ」
俺は、思わず視線を逸らした。
「――ちょっと、それ」
ノノが、目を輝かせながら覗き込んでくる。
「すごい……布地からして、只者じゃない感じがする。……着てみたら、私、もっと魅力的になれちゃったりして?」
「な、ノノ……! そんな軽々しく……!」
メメが、頬を赤らめながら、ノノの袖を引っ張った。
「で、でも……。私たち、元々サキュバスですし……。その、こういうものに耐性が全くないとは、言えないというか……」
「メメまで、そっち側なの!?」
「い、いえ! そういう意味では……!」
二人が、あたふたと言い合う様子を、リアーナが面白そうに眺めていた。
「――ふむ。魅了を強制する恩寵武具、か。……確かに、只者の品ではないな」
リアーナは、静かにそのドレスへと手を伸ばした。
「――これは、私が預かっておこう」
「リアーナが?」
「ああ。……こういう類の代物は、下手に扱えば、大きな災いを招く。私が管理しておくのが、一番安全だろう」
その言葉に、ノノとメメが、揃って何やら複雑な表情を浮かべた。
「……なんか、リアーナ様が着たら、それはそれで、危険な気がします」
メメが、ぽつりと呟く。
「――何か言ったか?」
「い、いえ! なんでも……!」
リアーナは、悪戯っぽく笑いながら、ドレスを丁寧に畳み、懐へとしまい込んだ。
「――さて、収穫は十分だ。戻るとしようか」
こうして、俺たちは、新たな謎と、そして一枚の危険な戦利品を手に、常世の塔を後にした。
◇
塔を出た後、俺たちは焚き火を囲みながら、改めてアオスのことを話し合っていた。
「――ナアマは、由来までは知らないと言っていたな」
俺の言葉に、リアーナが、静かに口を開いた。
「――その話なら、私が知っている。……いや、正確には、私の一族に伝わる、古い記録の中に、な」
「――リアーナが?」
「真祖として生きる中で、様々な文献に触れる機会があった。……アオスの民が、繁栄の果てに、あろうことか主神へと弓を引いたという話は、私も耳にしたことがある」
リアーナは、遠い目をしながら続けた。
「戦いは、百日続いたという。……だが、最後は、主神の圧倒的な力の前に、一夜にして踏み潰された。当時の魔王アルカナが、最後の力で生き残りを、今の中央大陸へと転移させたことも……。記録の中では、そう伝えられている」
「――その後のことは」
「知らん。……都市がどうなったかまでは、さすがに記録にもなかった。だからこそ、今日まで、誰も真実に辿り着けなかったのだろうな」
俺は、静かに頷いた。
「――なるほどな。俺たちが見た光景は、誰も知らなかった"その後"、というわけか」
「そういうことだ」
◇
数日後、俺たちは魔王城へと帰還し、アリマンへの報告に臨んだ。
「――アオスの生き残り、か」
アリマンは、静かに、そして重々しく頷いた。
「我らの遠い祖にあたる者たちだろう。……よく、見つけてくれた」
「これを、陛下に」
俺は、丁重に回収した恩寵武具――魔を統べし王冠、覇者の杖、創世のローブを差し出した。
「――これは……」
「歴代の魔王に相応しき者へ、力を貸す品だそうです。……今の陛下にこそ、相応しいかと」
アリマンは、暫し、それらをじっと見つめた後、静かに受け取った。
「――ありがたく、頂戴しよう。……我が祖の想いも、ここに継がれるということか」
「はい」
「して、あの封印の扉は」
俺は、静かに首を振った。
「まだ、開けてはいません。……ナアマも、由来までは知らぬとのことでした。生半可な覚悟で開けるべきではないと、忠告も受けています」
「……そうか。ならば、無理をする必要はない。時が来れば、また向き合えばいい」
アリマンは、静かに頷いた。
「――良い土産と、良い謎を、共に持ち帰ってくれたようだな」
「はい。まだ、解き明かせていないことばかりですが」
俺は、静かにそう答えながら、あの扉に刻まれていた紋様を、脳裏に思い返していた。
(――あの扉の奥に、何が眠っているのか)
答えの出ないその問いを、俺はそっと胸の奥にしまい込んだ。




