第23話 海路の使者と『誕生』
「――ライオネル王国は、東の大陸にある亜人国家だ」
船へと乗り込みながら、デルポポが淡々と説明を始めた。
「人族でも魔族でもない、独立した勢力。……国王タラボーヤ自身がドラゴニュートであり、人魔どちらの血も引く種として、建国以来、中立の立場を貫いている」
「中立、か。都合のいい話だな」
俺の呟きに、デルポポは眼鏡を軽く押し上げた。
「都合がいいのではなく、それだけの実力の裏付けがある、ということです。……国王タラボーヤの武力は、魔王陛下と互角と評されている」
「――そんな奴が、なんで中立なんてやってられるんだ」
「本人にあまり執着がないのでしょう。……ふらりとダンジョンへ潜りに行ったり、人魔の戦闘をわざわざ見物しに飛んでいったりする、困った御方だそうです。周囲がしっかりしているから、国として成り立っている、というのが実情のようですね」
「苦労が忍ばれるな」
「まったくです」
デルポポは、心底疲れたような溜息をついた。
◇
船には、俺、デルポポ、メメ、そしてメメが大事に抱える卵――かつての氷雪龍の魂が宿ったそれに加え、暇を持て余した黄色い妖精が同行していた。
「――ねえねえ、船って揺れるのー! 楽しいねー!」
黄色い妖精が、はしゃぎながら甲板を飛び回る。
「お前、なんでついてきたんだ」
俺が尋ねると、妖精はけらけらと笑った。
「暇だったからー! それに、ディアってば面白そうだしー!」
甲板の隅には、船倉から連れてきた大勢の難民たちの姿もあった。人族、魔族、双方の避難民が入り混じり、不安げな表情で身を寄せ合っている。
「今回の目的は、支援物資の購入と、この者たちの受け入れ要請だ」
デルポポが、静かに続けた。
「ライオネルには、広大な未開拓地がある。……働き手が不足している現状もあり、難民の受け入れには前向きだと聞いている」
「人族も魔族も、分け隔てなく、か」
「ライオネルの国是ですから」
メメが、卵を抱えながら不安げに海を見つめていた。
「早く、元気に生まれてきてほしいな……」
◇
――だが、船旅は平穏には進まなかった。
「――なんだ、あれは!?」
見張りの叫び声とともに、船体が大きく揺れた。
海面から、巨大な触腕が幾本も突き出し、船を締め上げるように絡みついてくる。
「タコ……! しかも、名持ちの個体か……!」
デルポポが、珍しく緊張した声を上げた。
「ウミタ……! 古くから、この海域を統べる名持ちの魔物です……!」
だが、その巨躯は、明らかに正気を失っているように見えた。
「グ、オオオオオオッ……!」
呼びかけにも応じず、ただ闇雲に暴れ回るその様子は、まるで何かに操られているかのようだった。
「話が通じない……! このままじゃ、転覆するぞ!」
俺は槍を構えたが、あの巨躯を相手に、正攻法で立ち向かうのはあまりに分が悪い。
「――やれやれ、しょうがないなー」
その時、退屈そうに欠伸をしていた黄色い妖精が、すっと片手を掲げた。
「みんな、危ないから下がっててねー」
軽い口調とは裏腹に、その瞳の奥に、圧倒的な力の気配が宿る。
「――凍れー」
――ズオオオオオオンッ!!
一瞬にして、周囲の海面が果てまで凍りついた。荒れ狂っていた波も、ウミタの巨躯も、瞬時に氷の中へと縫い止められる。
「な……!」
デルポポでさえ、言葉を失っていた。
「――ついでに、消えちゃえー」
妖精が指先をくるりと回すと、四つの異なる属性――炎、水、風、土が渦を巻くように混ざり合い、一つの禍々しい光の塊へと収束していく。
見たこともない、複合属性の術式だった。
「――ばいばーい」
――ドガァァァァンッ!!
閃光と共に、氷漬けにされたウミタの巨躯が、跡形もなく消し飛んだ。
海が、再び静けさを取り戻す。
「……とんでもない威力だな」
俺は、言葉を失いながら呟いた。
「これが、精霊王の力……。街を燃やすくらい、造作もないという話も、あながち大袈裟ではなさそうですね」
デルポポが、僅かに引きつった笑みを浮かべた。
◇
――だが、異変は、そこで終わらなかった。
「――あ、卵が……!」
メメの声に、俺たちは振り返った。
抱えられていた卵の表面に、細かな亀裂が走っていく。
「まさか、今の魔力に反応したのか……!」
パキン、と乾いた音とともに、卵が割れた。
中から現れたのは――竜というより、もっと小さく、愛らしいシルエットをした生き物だった。氷雪龍の面影を残しつつも、体躯は随分と縮こまり、翼も控えめだ。
「――ふむ。……これが、生まれ変わった我の姿、か」
生まれたばかりとは思えぬほど、はっきりとした知性を宿す声だった。
「随分と、想定と違う見た目になったものだな。……恐らく、先ほどの膨大な魔力の影響を受けたのだろう」
「大丈夫か? 体は」
俺が問うと、その生き物は静かに頷いた。
「問題ない。……むしろ、これも一興よ。ディア殿、貴殿には感謝してもし尽くせぬ。……我が悲願を、叶えてくれた」
「――べべ!」
不意に、黄色い妖精が、その生き物を指差して叫んだ。
「え……?」
「今日から、あんたは"べべ"! いい名前でしょー!」
「な――!?」
あまりの唐突さに、その場の誰もが硬直した。
「――ちょっと待て、お前、名付けの重さを分かってるのか!? 相手を間違えれば、熟練度を大きく――」
俺が慌てて口を挟むも、妖精はけろりとした顔で笑った。
「平気平気! ボクにとって、これくらい誤差だしー!」
――事実、妖精の魔力に、何の陰りも見られなかった。
「な、なんという規格外……」
デルポポが、額に手を当てて溜息をついた。
生まれたばかりの氷龍――否、"べべ"は、しばし呆然とした後、静かに笑った。
「……くく、面白い。まさか、生まれて早々、こうも規格外の相手に名付けられるとはな」
「い、嫌じゃないのか、勝手に名付けられて」
俺の問いに、べべは首を振った。
「かまわぬ。……我が望んだのは、ただ一つ。外の世界へ出ることだった。数千年の孤独の果てに、ようやく叶った願いだ。その先のことなど、正直、何も考えておらなんだ」
べべは、ゆっくりと俺の方へと向き直った。
「――貴殿には、恩がある。しばらく、貴殿についていこうと思う。……この規格外の妖精とやらと一緒にいれば、退屈もしなさそうだしな」
「……好きにしろ」
「わーい! べべ、遊ぼー!」
黄色い妖精が、無邪気にべべへと駆け寄っていく。
「――む。仕方ない相手だ」
そう言いながらも、べべはまんざらでもなさそうに、妖精の相手を始めた。
◇
船旅の残り、べべは黄色い妖精の遊び相手として、日々飛び回っては、無邪気な鬼ごっこや模擬戦に付き合わされていた。
「――待てー、べべー!」
「む、待てと言われて待つ道理はない!」
だが、その無邪気なやり取りの裏で、べべの飛行制御や瞬発力、そして戦闘勘は、知らず知らずのうちに研ぎ澄まされていった。
「――なるほど、な。妖精の遊びが、そのまま修行になっている、というわけか」
デルポポが、冷静に分析するように呟く。
「本人たちは、気づいていないでしょうがね」
俺は、はしゃぎ回る二人の姿を眺めながら、静かに笑った。
こうして、幾つもの騒動を経ながらも、俺たちを乗せた船は、東の大陸――ライオネル王国へと、着実に近づいていった。




