第17話 氷雪の番人と『転魂』
豪雪エリアへと足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような冷気が全身を包んだ。
「――こいつは、また極端だな」
ルピンが白い息を吐きながら唸る。
「防寒具があって助かったな。溶岩エリアの後にこれは、装備なしじゃ話にならなかった」
俺も外套の襟を掻き合わせながら、周囲を見回した。
一面の銀世界。踏みしめる雪は深く、足を取られやすい。
◇
「――来ます! 数、多いです……!」
メメの『察知』が反応するや否や、雪の中から真っ白な兎型の魔物が、次々と飛び出してきた。
「うわっ、数がえげつない……!」
ノノが慌てて弓を構える。
雪兎は一体一体の脅威度こそ低いが、その数は圧倒的だった。次から次へと、まるで雪の中から湧き出るように群がってくる。
「足場が悪い……! 踏ん張りが利かない!」
ルピンが盾を構えるも、雪に足を取られ、僅かに体勢を崩す。
「無理に踏み込むな! 位置取りを固定しろ!」
俺は槍を振るいながら、なんとか体勢を保った。
「メメ、バフを!」
「――『身体能力向上』!」
淡い光が全員を包み、僅かに足元の踏ん張りが利くようになる。
「ノノ、『黒流岩』は時間がかかりすぎる、この数には向かない! 弓で薄く広く牽制しろ!」
「了解……! 『宵闇の弓』――!」
矢が飛び、雪兎の群れの動きを鈍らせていく。
数を頼りに押し寄せる雪兎の相手は、これまでの単体戦とは異なる消耗戦だった。だが、草原・溶岩と重ねてきた連携が、じわじわとその物量差を埋めていく。
◇
さらに奥へ進むと、今度は巨大な雪男型の魔物が姿を現した。
「――こいつ、雪の中でも普通に動いてやがる……!」
ルピンが驚愕の声を上げる。
俺たちが雪に足を取られる中、雪男はまるで平地であるかのように軽やかに踏み込んでくる。
「地の利は完全にあちらだな……! 力業で押し切るぞ!」
「言われなくても……!」
俺は足元の不安定さを補うように槍の間合いを工夫し、ルピンは盾で衝撃を受け流しながら、少しずつ雪男を追い詰めていった。
これまでの階層で身につけた耐熱耐性や連携の練度は、環境の不利をものともせず、着実に道を切り開いていく。
「――俺たち、大分強くなったもんだな」
ルピンが、雪男を叩き伏せながら不敵に笑った。
「ああ。この程度の不利、今の俺たちには誤差だ」
◇
数日を経て、俺たちは階層の最奥へと辿り着いた。
そこには、巨大な氷の結晶を纏った、白銀の巨躯の竜が佇んでいた。
「……でかいな」
ルピンが息を呑む。
だが、その竜は、これまでのボスとは明らかに様子が違った。
戦意も、殺気も、まるで感じられない。ただ静かに、こちらを見下ろしていた。
「――待っておったぞ、旅人たちよ」
低く、しかし澄んだ声が響いた。
「な……! 喋った……!?」
ノノが驚愕に目を見開く。
「我は名も無い氷雪龍。長い年月、この地に留まるうちに、いつしか言葉と、そして”自我”というものを得た」
竜は静かに首を垂れた。
「本来であれば、ダンジョンの理に従い、お主らと戦い、そして倒されねばならぬ身。……だが、我は既に、この塔の”駒”という枠から外れてしまっておる」
俺は静かに槍を構えたまま、相手の出方を窺った。
「――お主ら、ここを通りたいのだろう」
「ああ」
「ならば、一つ、我の願いを聞いてはくれぬか。……それを叶えてくれるのであれば、戦わずして通してやろう」
◇
「――願い、とは」
俺の問いに、氷雪龍は静かに語り始めた。
「我は、このダンジョンから出たいと思っておる。……だが、単純にこの体のまま外に出れば、我という虚獣は理を保てず、ただの魔素へと還り、消え去るのみ」
「魔素に……?」
「ダンジョンの理を纏う我らは、外の世界の理には馴染まぬ。ゆえに、外へ出るには、この身に宿る”魂”を、ダンジョンの外に生きる同族――ドラゴンの骸へと移す術が要る」
「魂を、移す……?」
「我が編み出した秘術、『転魂の術』。今の我が持つ人格、知識、能力――そのすべてを、外のドラゴンの骸へと移し替えることができる。ただし、莫大な魔力を要する秘術ゆえ、我ほどの個体でなければ行使できぬ」
竜は静かに続けた。
「なお、魂を移した後も、この体はダンジョンの理により、再び新たな氷雪龍として生まれ直すことになるだろう。……我という”個”だけが、外へと羽ばたくのだ」
「――つまり」
俺は状況を整理しながら口を開いた。
「外に、ドラゴンの骸を見つけてこい、ということか」
「左様。……頼めるか」
「……分かった。だが、骸の場所に心当たりは?」
「――残念ながら、我はこのダンジョンから一歩も出たことがない身。外の地理には疎い」
竜は静かに首を振った。
「そちらは、お主らの伝手を頼るしかあるまい」
◇
俺たちは一度、転移陣を使ってダンジョンの外へと戻った。
「――ドラゴンの骸の心当たり、知らないか」
道案内を買って出てくれた同郷のサキュバスに尋ねると、彼女はしばし考え込んだ後、頷いた。
「……北の山中に、飛龍の谷と呼ばれる地があります。あそこなら、竜種の縄張りだと聞いたことが」
「案内、頼めるか」
「ええ、お任せを」
◇
「――ここが、飛龍の谷、か」
切り立った渓谷を進むと、確かに古い骨や、朽ちた竜の痕跡が点在していた。だが。
「……骸が、見当たらない」
ノノが辺りを見回しながら首を傾げる。
「そもそも、ドラゴンって蘇生するんじゃなかったか?」
ルピンの言葉に、俺は頷いた。
「そうだった。……蘇生の理がある以上、この世界で”骸”が残るのは、病死か老衰の個体だけだ」
つまり、事故や戦闘で死んだ竜は、そもそも骸として残らない。手詰まりだった。
「――どうする、これ」
数日にわたり谷を探し回ったが、めぼしい成果は得られなかった。
「これだけ探して見つからないとなると……」
「谷の奥、まだ行ってない場所もあるが……骸自体が、そもそもここにない可能性もあるな」
俺たちが焚き火を囲み、方針を立て直そうとしていたその時だった。
「――旅人たちか」
低い声とともに、羽音を立てて一体の老いた飛龍が舞い降りてきた。谷の奥に長く住まうという、この地の長老格らしき個体だった。
「探し物をしているようだな。この谷で、何を求めておる」
「病か、老衰で死んだドラゴンの骸を探している」
俺が正直に答えると、老飛龍は静かに目を細めた。
「……そういうことか。あいにく、この谷には、しばらくそのような死を迎えた者はおらぬ。我らは滅多なことでは死なぬ、な」
「……そうか」
「だが」
老飛龍は、何かを思案するように、ゆっくりと言葉を続けた。
「――丁度、谷の外れに住まう若い夫婦が、辛い別れを迎えたところだ。……力になれるかは分からぬが、話を聞いてやると良い」
◇
老飛龍の案内で向かった先、切り立った崖の巣に、二体の飛龍が寄り添うように蹲っていた。
「――お主ら、長老の遣いか」
一体の飛龍が、静かに声を発した。
「……! お前たちも、喋れるのか」
「我らも、長く生きた者は言葉を得る」
俺は静かに事情を説明した。
「訳あって、病か老衰で死んだドラゴンの骸を探している。長老殿から、お前たちが辛い別れを迎えたと聞いた」
飛龍夫婦は、互いに顔を見合わせた。
「……我らの子が、卵のまま孵ることなく、命を終えた。もう十日ほど前のことだ」
「そうか……。それは、すまなかったな」
「いや。……それより、お主らの言う”骸”とは、我が子のためになるのか」
「いや、逆だ。俺たちが探しているのは、外部のダンジョンにいる竜の魂を移す先の器としての骸だ。……率直に言えば、卵の状態でも、その役目を果たせるかもしれない」
俺は、これまでの経緯――氷雪龍が抱える事情を、包み隠さず語った。
「――外に出たいと願う、意思を持った竜がいる。だが、そのままでは消えてしまう。故に、既に死んだ同族の器を必要としている」
飛龍の夫婦は、しばし言葉を失ったように黙り込んだ。
「……我が子の骸が、他の魂の器になる、ということか」
「そうだ。上手くいく保証はない。……だが、これは賭けだ。上手くいけば、少なくとも、その器は再び動き出すことになる」
長い沈黙の後、母親らしき飛龍が、静かに口を開いた。
「――この子は、もう戻らない。それは分かっている。だが……」
その声に、僅かな縋るような響きが混じった。
「もし、この子の体を借りて、誰かが再び羽ばたくというのなら……。それもまた、一つの弔いの形なのかもしれぬ」
父親らしき飛龍も、静かに頷いた。
「――託そう。この子を、頼む」
飛龍夫婦は、巣の奥から冷たくなった卵を持ち出し、俺たちの前へと差し出した。
俺は静かに、その卵を受け取った。
(――これは)
「……ダメ元だ。だが、試してみる価値はある」
親竜たちは、深々と頭を垂れた。
「感謝する……。どうか、頼む」
◇
俺たちは冷たい卵を丁重に抱え、再びダンジョンへと戻った。
「――本当に、生き返るのか、こんな冷たいもの」
ルピンが半信半疑に呟く。
「やってみる価値はある、とだけ言っておく」
氷雪龍の元へ辿り着くと、俺たちは事情を説明し、卵を差し出した。
「――なるほど。同族の卵、か。……これならば、器としては十分だろう」
氷雪龍は静かに卵に触れ、詠唱を紡ぎ始めた。
『――転魂の術、発動』
淡い光が卵を包み込み、氷雪龍自身の体が、ゆっくりと輝きを失っていく。
「――我の魂は、既にこの卵へと移りつつある……。あとは、頼んだぞ」
「卵の状態や、生まれたばかりの間は、保護してやってほしい。……無防備な時期ゆえ」
「ああ、任せろ」
俺が頷くと、氷雪龍は満足げに、静かに目を閉じた。
その体が、光の粒子となって消えていく。
だが、その場に虚しさはなかった。理の定めどおり、この場所にはまた新たな氷雪龍が生まれ直すだけのこと。ただ、“彼”という個は、確かに外の世界へと羽ばたいたのだ。
しばらくすると、冷え切っていた卵に、じんわりと温もりが戻り始めた。
「――あったかい……」
メメが、そっと卵を抱き上げ、自らの腹の辺りへと抱え込んだ。
「大丈夫。ちゃんと、温めておきますから」
その優しい仕草に、ノノがちらりと視線を向ける。
「メメ、すっかりお母さんみたいだね」
「え……。そ、そんなことないですよ……。でも……」
メメは卵を優しく撫でながら、微笑んだ。
「――早く、元気に生まれてきてほしいな、って」
俺たちはその卵をメメに預け、次なる階層――迷宮エリアへと向けて、静かに歩みを進め始めた。




