第16話 束の間の休息と『魔王』
転移陣を使って一度ダンジョンの外へ戻った俺たちは、洞窟の宝物殿に立ち寄り、装備を整え直すことにした。
「――ここ、まだこんなに物が残ってたのか」
ルピンが感心したように呟く。
奥の棚には、これまで気に留めていなかった防寒着や、保存の効く携行食が丁寧に保管されていた。
「先祖代々、攻略者のために用意してくれてたみたいだね」
ノノが毛皮のマントを羽織りながら笑う。
「次は豪雪エリアだ。しっかり防寒しておかないと、あっという間に体力を奪われる」
俺も厚手の外套を手に取り、装備に加えた。
メメが食料を数え、袋に詰め直しながら小さく息を吐いた。
「これだけあれば、しばらくは持ちそうです」
「――よし、準備は万端だな」
ルピンが伸びをしながら、焚き火の傍らに腰を下ろす。
「今日はここでゆっくり休もう。明日から、また潜る」
久しぶりの、心置きない休息の夜だった。
◇
――遥か北、魔王城。
玉座の間には、五つの気配が集っていた。
「――辺境伯領が落ちた、と?」
低く、重みのある声で問うたのは、玉座に座す一人の男。魔族の頂点に立つ十三代目魔王――アリマンだった。
長きに渡り前線に立ち続け、数多の人間を屠ってきたその体躯には、歴戦の重厚さが滲んでいる。
「はっ。……それも、正規の軍でも、指名された刺客でもございません」
報告に上がった斥候が、恐縮しながら続けた。
「一体の中級デーモンと、一体のハイオーク。……たった二体で、辺境伯とその街を、事実上壊滅させたとのことです」
玉座の間に、僅かな沈黙が落ちた。
「――ほう」
興味深げに声を上げたのは、下半身が馬、上半身が人の姿をした巨躯の男――軍神スルートだった。
「たった二体で、辺境伯の街を、な。……面白い。俺好みの奴らじゃねえか」
「スルート、はしゃぐでない」
窘めたのは、眼鏡をかけたダークエルフの女――全知の王デルポポだった。
「情報が少なすぎます。噂の域を出ていない話に、いちいち色めき立つものではありません」
「堅ぇこと言うなよ、デルポポ。強え奴の話は、それだけで胸が躍るってもんだろ」
「あなたと私は、価値基準が根本的に違うだけです」
デルポポが、冷めた目でスルートを一瞥する。
その傍らで、真祖のヴァンパイア――リアーナが、静かに顎に手を当てていた。
「――ハイオーク、か。それなら、心当たりがある」
「なんだと、リアーナ」
「以前、ルナーラ村周辺を探索した際、あの森を統べていたハイオークの集落があった。……確か、頭領の名はルピン、と言ったか」
リアーナの脳裏に、あの日の光景が過る。
(――勇者の気配を追って、あの森を彷徨っていた頃だ)
(あの時、世話になった小さなインプは……。今頃、元気にしているかしら)
だが、その思考は、目の前の”中級デーモン”という単語とは結びつかなかった。あまりにも懸け離れた存在に思えたからだ。
「なるほどな。……で、そのハイオークと組んでるっつうデーモンの方は、素性が分かんねぇのか」
「そちらは、まだ何も」
「なら、決まりだ。俺が引っ張ってきて、直々に鍛えてやる」
スルートが、獰猛に牙を剥いて笑った。
その隣で、黄色い髪をした小さな妖精――精霊王を宿す存在が、興味なさげに欠伸をしていた。
「……ふぁ。人間のことなんて、どうでもいいのー。燃やしていいなら燃やすけど」
彼女には名がない。魔王が名を与えれば、その者の存在は魔王の熟練度を大きく食い荒らす――そう恐れられるほどの、規格外の力を秘めた存在だからだ。
ただ、黄色い妖精、とだけ呼ばれている。
◇
黙して話を聞いていたアリマンが、静かに口を開いた。
「――デルポポ」
「はっ」
「その二体について、調べておけ。……理由は分からんが、妙に胸がざわつく」
デルポポは眼鏡の奥で、僅かに眉を寄せた。
「陛下。恐れながら、私は現在、南方領地の税務再編と、辺境伯領崩壊後の統治体制の再構築で手一杯です。……これ以上の業務を抱えることは、到底できかねます」
「……そうか」
「それに」
デルポポは淡々と続けた。
「調査というのは、現地に赴き、足で稼ぐ類のもの。机上の采配が本分の私よりも、適任がいらっしゃるかと」
その視線が、自然とリアーナへと向けられる。
「――まあ、そういうことなら、私が行こうか」
リアーナが、涼やかに笑って立ち上がった。
「探し物なら、私の得意分野だ。予知と足取りの読みには、多少の自信がある」
「頼めるか、リアーナ」
「任せておけ」
アリマンは、僅かに視線を伏せた。
(――リアーナが、また前線に出るのか)
幼き日、この長命のヴァンパイアに剣を、戦術を、そして生き方を教わった。今の自分があるのは、彼女のおかげだと言っていい。
(……いや、今はそんなことを考えている場合ではないな)
胸中に去来した想いを、アリマンは静かに押し殺した。上に立つ者として、部下への私情は、決して表に出すべきものではない。
「――では、頼んだぞ、リアーナ」
「ふふ、任されました、陛下」
リアーナは一礼し、玉座の間を後にした。
◇
城の廊下を歩きながら、リアーナは静かに独りごちた。
「――さて。中級デーモンと、ハイオークの二人組、か」
彼女の脳裏に、ふと、幾つかの残像が過る。
かつて世話をした、名もないインプ。
自らが手を叩き壊した、人間の鑑定の魔道具。
そして、辺境の森で感知した、“勇者”の気配。
「――繋がるはずもないか」
リアーナは小さく笑い、夜風の吹く城壁の上へと歩みを進めた。
こうして、静かに、しかし確実に――彼女の足取りは、北へと向かう二人の背中を追い始めていた。




