第12話 逆転の炎と『救出』
乾ききった木々は、まるで待っていたかのように瞬く間に炎を纏っていく。
夜空を赤く染め上げる巨大な火柱が、街を取り囲むように次々と立ち上った。
「な、なんだあれは……!?」
「火事だ、森が――森が燃えてるぞ――!」
城壁の見張り台から、悲鳴混じりの怒号が響き渡る。
計算通り、火の手は街の三方を包囲するように広がっていった。だが、南側の一箇所だけ、あえて延焼を免れる道を残してある。
「……誘導路、仕込みは済んでるな」
「ああ。とっくにな」
同郷の生存者たちが、闇に紛れてその道の左右に無数の罠――落とし穴、絡み縄、鋭利な杭を隙間なく仕込んでいた。
◇
同時に、風上――北の森で燃え始めた睡眠毒草の煙が、じわじわと街全体に流れ込んでいく。
「……く、頭が、重い……」
「眠気が……なんだ、これ……」
初期消火にあたっていた兵士たちの動きが、目に見えて鈍り始めた。
俺たちは事前に配られた薬草ガムを噛み続け、意識を保ったまま夜闇に紛れて城壁へと近づく。
「――完全には効かないが、これなら十分動ける」
ノノが小さく息を吐いた。
「街中が、まともに動ける奴の方が少なくなってきてる……」
◇
「今よ――!」
花街に潜入していたサキュバスとインキュバスたちが、一斉に動き出した。
「お願い、私を助けて……! あっちは危険なの……!」
魅了にかかった兵士たちが、次々と統率を失い、同胞の”指示”に従って右往左往し始める。
「隊長、こっちに火が――!」
「いや、待て、そっちは罠が――!」
指揮系統そのものが、内側から食い破られていく。
パニックに陥った住民や兵士の一部が、南の”逃げ道”へと殺到した。
「――ぐああっ!」
「な、な、なんで穴が――!」
「うわああっ、縄が――!」
計算通り、そこに仕込んだ罠が、次々と犠牲者を刈り取っていく。
千五百人の街が、たった一晩で機能不全に陥っていた。
◇
俺、ルピン、ノノ、メメの四人は、混乱に乗じて辺境伯の屋敷へと突き進んだ。
「ハアッ!」
ルピンが弱った守備兵を次々と薙ぎ倒す。タンクとして前に出続ける彼の巨躯が、俺たちの盾となった。
「『黒炎槍』!」
ノノの魔術が敵陣を切り裂き、メメの矢と支援魔術が的確に俺たちを援護する。
俺は棍を振るい、状況に応じて指揮を執りながら、パーティー全体の要として立ち回った。
◇
――だが、屋敷の最奥へと続く回廊で、俺たちの足が止まった。
そこに、たった一人だけ、佇む影があった。
異国の意匠を纏った鎧。腰に佩いた、反りのある一振りの刀。
微動だにせず、瞑目したまま佇むその姿からは、これまで斬り伏せてきたどの兵士とも一線を画す、圧倒的な”死”の気配が漂っていた。
「……何だ、あいつ」
ルピンが思わず息を呑む。
「近づいただけで、殺気に晒される……」
ノノの声が僅かに震える。
男が、静かに目を開いた。
「――ここから先は、通さぬ」
低く、静謐な声だった。刀の柄に手をかけ、音もなく鞘から抜き放つ。
一分の隙もない、静かな構えだった。
「来い」
◇
戦いは、瞬く間に地獄と化した。
「ぐ、ああっ……!」
先陣を切ったルピンの一撃が、あっさりと弾かれる。
「速い……! 目で追えん……!」
男の一閃が走るたびに、確実に誰かの体を浅く裂いていく。
「私が――『黒炎槍』!」
ノノの魔術さえも、最小限の動きで躱される。
「――無駄だ。魔力を纏う前の、その”起こり”が見える」
「なっ……!」
一対一では、誰一人として敵わない。個としての武技の完成度が、あまりにも隔絶していた。
「くっ……! だが、四人がかりなら話は別だ!」
俺は棍を構え、覚悟を決めて叫んだ。
「囲め! 一点に集中させるな!」
「「「――!」」」
三人が同時に頷き、四方から同時に攻め立てる。
「メメ、俺とルピンにバフを!」
「――『身体能力強化』!」
淡い光が全身を包む。
「ノノ、奴の意識を切らせ! 隙を作れ!」
「言われなくても……! 『黒炎槍』、連発するから!」
四方八方から浴びせられる攻撃と魔術に、さすがの男も僅かに反応が遅れ始めた。
「――ほう。一人では敵わぬと知るや、即座に連携に切り替えるか。見事な判断だ」
「褒めてる場合か……!」
俺は隙をついて懐へと飛び込むが、その瞬間、男の刀が俺の脇腹を鋭く抉った。
「がっ……!」
「ディア!」
「大丈夫だ……! 続けろ!」
勇者スキルの頑強さがなければ、今ので致命傷だっただろう。
だが、俺はあえて退かず、その場に踏みとどまった。
(――これは、時間を稼ぐための”捨て身”だ)
俺が敵の意識を引きつけている隙に、ルピンが背後から巨躯を叩き込む。
「――ぬん!」
「ぐ、うッ……!」
初めて、男の体勢が崩れた。
「今だ、ノノ、メメ!」
「『黒炎槍』――!」
「――『バフ:一斉強化』!」
炎の槍と、光の後押しを受けた俺とルピンの一撃が、同時に男の体を捉えた。
――ドガァッ!!
「――が、はッ……」
男の体が、静かに崩れ落ちた。
「……見事、だ。……この連携こそ……我が朋輩たちに、足りぬものであった……」
最期に微かな笑みを浮かべ、男は静かに息を引き取った。
◇
俺たちは膝をつき、荒い息を整えた。
体中の傷が、じくじくと痛む。一対一なら、間違いなく誰かが死んでいた戦いだった。
「……勝った、のか」
「ああ。四人がかりで、辛うじてな」
俺は握り締めていた棍を見つめ、静かに息を吐いた。
(――こいつがなければ、今の一撃も届かなかった)
◇
混乱の中心――屋敷の最奥で、辺境伯は震えながら壁際に追い詰められていた。
恰幅の良い体を醜く震わせ、豪奢な衣服には既に火の粉が飛び散っている。
「た、助けてくれ……! 金なら、いくらでも――!」
「サキュバスを狩り、母を奴隷にした男の言葉とは思えないな」
俺は静かに、手にした棍を構えた。
「や、やめ――」
「お前が焼いた集落の炎を、そっくりそのまま返してやる」
――火刑。
崩れ落ちる燃え盛る屋敷の中に、辺境伯の断末魔の叫びが、やがて静かに消えていった。
◇
「母様――!」
地下牢で見つかった母親は、痩せ細り、魔力封じの魔導具をつけられたまま、力なくうずくまっていた。
「ノノ……? メメ……? まさか、生きていたのかい……!」
「母様……! ごめんなさい、遅くなって……!」
ノノとメメが泣きながら母親に抱きつく。
俺は魔導具の鍵を叩き壊し、彼女の拘束を解いた。
「……ありがとう。あなた方が、この子たちを守ってくれたのですね」
母親は涙を拭いながら、深く頭を下げた。
「礼はいい。娘さんたちのおかげで、こっちも助けられている」
炎に包まれる辺境伯の屋敷を背に、俺たちは静かにその場を後にした。
◇
夜が明ける頃には、街は完全に機能を失っていた。
焼け落ちた森、逃げ惑う住民、罠に倒れた者たち、そして未だ混乱から抜け出せぬ守備兵。
千五百人の要塞都市は、たった二十数人の襲撃によって、一晩のうちにその秩序を完膚なきまでに叩き潰されていた。
「――勝った、な」
ルピンが呆然と呟く。
「……ああ」
俺たちは母親を連れ、闇に紛れて森の奥――同郷の集落へと撤退した。
◇
その夜。
安堵と共に、俺とルピンの中に積み重なっていた何かが、静かに臨界を迎えていた。
「――な、なんだ、この感覚……!」
不意に、ルピンの全身から、漆黒の魔力が噴き上がった。
『――種族【ハイオーク】から【オークジェネラル】への進化条件を満たしました』
体が、骨が、肉が、熱を帯びて作り変えられていく。
「ぐ、おおおおおッ……!」
ルピンの巨躯がさらに一回り膨れ上がり、全身に纏う覇気が明らかに変質していく。
「……これが……」
「オークジェネラル、か……! 悪くない、悪くないぞ……!」
ルピンが自分の拳を確かめるように握りしめ、獰猛に笑った。
俺の方には、何の変化も訪れなかった。
「……お前だけかよ」
「はっはっは、悪いな。俺の方が、少し早かったらしい」
「……次は俺の番、ってことにしとくさ」
軽口を叩き合いながらも、俺の内心では静かに勇者の知恵が囁いていた。
(――俺の進化には、恐らく別の”条件”が必要になる。今夜のような策略、あるいはもっと非道な所業……。悪魔らしい、な)
母親を助け、新たな力を得たルピンと共に、俺たちは語り合っていた。




