第11話 花街に潜む『影』
北へ続く街道の途中、俺たちは小さな集落に立ち寄った。
人目を避けるように森の奥に隠れ住む、亜人たちの集落だ。
「――サキュバスの生き残りを探している。心当たりはあるか」
ルピンが集落の長らしき老いた獣人に尋ねると、相手は警戒するように俺たちを見回した後、静かに口を開いた。
「……お前さんたち、あの村の子か」
老獣人の視線が、ノノとメメへと向けられる。
「はい……。母様を、探しています」
ノノの声に、老獣人は目を細めた。
「あの日、辛くも逃げ延びた者が何人か、この森に流れ着いておる。……そして、お前さんたちの母君のことも、噂で聞いておるぞ」
「母様の、噂……!?」
「北の辺境――魔王城にほど近い地を治める辺境伯の馬車に乗せられ、その屋敷へと連れて行かれたという話だ。……あの御仁は、悪食で有名でな」
ノノとメメの表情が強張った。
「辺境伯……。北へ向かう道中に、ちょうどある」
俺の呟きに、二人が同時に顔を上げる。
「行ける、ってこと……?」
「ああ。ついでに片付けていく」
◇
老獣人の案内で、俺たちは森の奥に隠れ住む同郷の生存者たちと合流した。
そこにいたのは、成人したサキュバスとインキュバスの男女、あわせて十数名。
「……本当に、あの子たちなのか」
年嵩のサキュバスの女が、ノノとメメの顔を見て涙ぐんだ。
「集落が襲われた夜、私たちは命からがら森へ逃げ込んだ……。まさか、お嬢様たちが生きておられたとは」
彼らは一様に、幼い頃のノノとメメを知る、集落の生き残りだった。
「あなた方は、ここでどうやって身を隠していたんですか」
俺の問いに、一人のインキュバスの男が薄く笑って答えた。
「成人したサキュバスやインキュバスには、『魅了』の他に、人間に化ける『擬態』の力が発現する者が多い。……この森の奥で息を潜めるより、時には人間の街に紛れ込む方が、案外安全なものだ」
(――なるほど。ノノとメメも、いずれはその力を手にするということか)
まだ幼い二人には発現していない、成体だけが持つ力。それを目の当たりにしたノノとメメの目に、複雑な色が浮かんでいた。
「私たちも、いつかその力を……」
「使えるようになる、のかな」
「なる。今はまだ、その途中ってだけだ」
俺の言葉に、二人は小さく頷いた。
◇
生存者たちとの合流を経て、俺たちはしばらくこの森の集落に腰を落ち着けることにした。
目的は二つ。ノノとメメの魔法修行、そして辺境伯攻略の下準備だ。
「――もう一度、詠唱をやり直せ、ノノ」
同郷の年嵩のサキュバス――かつて集落で魔導を教えていたという女が、厳しい声を飛ばす。
「くっ……! 分かってる、分かってるよ……!」
ノノは唇を噛みながら、何度も何度も攻撃魔法の詠唱を繰り返した。
短気で負けず嫌いな性格が、ここでは修行への執念に転じていた。
「――『黒炎槍』!」
放たれた漆黒の炎が、標的の丸太を貫く。
「……いいぞ、その調子だ」
俺が声をかけると、ノノは僅かに頬を赤らめながらも、ぶっきらぼうに顔を背けた。
「べ、別に。あんたに褒められたいわけじゃ、ないし」
「そうか」
「そうだよ……!」
(――なんだ、あの反応)
俺は特に気に留めることもなく、次はメメの方へと目を向けた。
「メメ、集中しろ。矢を放つと同時に、支援魔術を編み込め」
「は、はい……!」
メメは弓を構えたまま、静かに詠唱を紡ぐ。
矢が放たれると同時に、淡い光がルピンの体を包んだ。
『――バフ:身体能力強化(小)』
「おお、体が軽い!」
ルピンが感嘆の声を上げる。
「よくやった、メメ」
「……えへへ。ディアさんの、役に立てて、嬉しい、です」
メメは控えめに微笑みながら、ちらりと俺の顔色を窺うように見つめてきた。
その視線に、俺は特に深く気づくことはなかった。
その日の夜、焚き火を囲んだ雑談の中で、誰かがふと「魔王城には、四大守護者と呼ばれる方々がいる」という話題を出した。
「そういえば、ディアに名をつけたっていう、その……リアーナ様、だっけ」
ノノが、努めて何気ない風を装いながら尋ねる。
「ああ。真祖のヴァンパイアだ。今頃、魔王城にいるはずだ」
「……そう。綺麗な人、なんでしょ」
「まあな」
「ふぅん……」
ノノの声が、僅かに低くなった気がしたが、俺はさして気にも留めなかった。
隣で、メメが少しだけ俯いていたことにも。
◇
修行の日々を経て、俺たちは再び北への道を歩き始めた。
森を抜けた先に、目当ての街はあった。
高い城壁に囲まれた、要塞都市。魔王領を睨む最前線として築かれたこの街は、辺境という言葉には似つかわしくないほどの規模を誇っていた。
「――思ったより、でかいな」
ルピンが唸る。
住人およそ千五百。うち六百が常駐の兵士だという。魔族の脅威に晒され続ける辺境の地ゆえに、他のどの街よりも兵の比率が高い。
そして、その兵士たちの発散先として、街の一角には煌びやかな花街が形成されていた。
「――兵が多いから、娯楽も栄える、か。皮肉なものだな」
俺は城壁の外れ、木々の合間からその街並みを見下ろしながら呟いた。
千五百対、俺たちわずか二十人あまり。
まともにぶつかれば、瞬く間に磨り潰される数の差だ。
◇
「――潜入は、私たちに任せて」
同郷の生存者たちの中から名乗りを上げたのは、成人のサキュバスとインキュバスあわせて十数名だった。
「擬態と魅了なら、私たちの十八番。兵士相手なら尚更ね」
「ノノ、メメ。お前たちはまだ表立って街に入るのは危険だ。俺たちは外で待機する」
「……分かってる。悔しいけど」
ノノが唇を尖らせる。
その夜、擬態で人間の姿を取った同胞たちが、商人や旅芸人、そして花街で働く女たちに紛れ込み、次々と街へと潜入していった。
◇
数日後。
潜入した同胞たちから、少しずつ情報が集まり始めていた。
「――街の防衛体制、把握したわ」
花街で娼婦として潜り込んでいたサキュバスの一人が、夜闇に紛れて報告に来た。
「兵士は基本、城壁沿いと城門に配置。ただ、定期的に大規模な”遠征訓練”を行っているみたい。周辺の魔物討伐を兼ねた、実戦形式の演習ね」
「その訓練の日程は?」
「まだ確定はしていないけど……酔った兵士が花街で愚痴をこぼしていたわ。『来週の演習じゃ、精鋭部隊まで駆り出される。俺たち下っ端だけで街を守ることになるってのに』って」
俺は思わず口角を上げた。
「――当たりだな」
精鋭が不在になり、街の防衛が最も手薄になる日。それこそが、最大の好機だ。
「日取りが決まり次第、また報告に来てくれ」
「任せて」
◇
続けて、別のインキュバスの男が地形の情報を持ち帰った。
「街の周囲は、ほぼ全域が森だ。……この地域は乾燥が続いていて、火の回りが異様に早い」
「森を焼くには、好都合ってことか」
「ああ。しかも、風向きは決まって夜に北から南へ抜ける。この風を使えば、街の一方向から煙と炎を送り込める」
俺は地図に、森を囲むように複数の点を描き込んだ。
「決行の夜、この数箇所から同時に森へ火を放つ。街を囲むように一斉に炎上させれば、住民も兵士も、内側からパニックに陥る」
「だが、全方位を燃やせば、こっちの逃げ道もなくなるんじゃないか」
ルピンの問いに、俺は首を振った。
「一箇所だけ、あえて燃やさない道を残しておく。追い詰められた人間は、必ずそこへ殺到する。……そこに、罠を仕掛ける」
「なるほど、な……。えげつねぇことを考える」
「褒め言葉として受け取っておく」
◇
さらに、俺は同胞たちに、もう一つの仕込みを指示していた。
「風上――北側の森に、睡眠効果を持つ毒草を大量に植生させておいてくれ。火を放てば、煙と一緒に街全体へ流れ込む」
「眠らせて、無力化するってことね」
「ああ。ただし、これを使うなら味方の対策も要る」
俺は集落で作らせておいた、噛み続けることで睡眠毒の効果を薄める薬草ガムを、全員に配った。
「決行前に必ずこれを噛んでおけ。完全に無効化はできないが、意識を保つには十分だ」
ノノが受け取りながら、片眉を上げた。
「――随分、用意周到なんだね」
「行き当たりばったりで挑む数字じゃないからな」
◇
決行の数日前、俺は改めて、集まった二十人あまりの前で計画を語った。
「まず、山火事でパニックを起こし、睡眠毒で戦力の大部分を無力化する。次に、混乱した住民や兵士に対し、お前たちの魅了を存分に使ってくれ」
「魅了された人間は、こちらの手足として動かせる。人数の”逆転”は、そこで起こす」
「――魅了で操った人間を、逆に守備側の対応に回らせる、ということか」
「そうだ。パニックの最中、“味方”が突然裏切ったように見える動きをすれば、街の混乱はさらに倍増する。対応にリソースを割かれれば割かれるほど、俺たちの動きは自由になる」
ノノが感心したように息を吐いた。
「本当に、あんたって悪魔だね」
「――お褒めに与り光栄だ」
「褒めてないから」
(――この世界の人間同士は、長らく大規模な戦争を経験していないはずだ。魔族という共通の脅威がある上に、国家間の条約が戦を封じている。ゆえに、“知略を用いた組織的な侵攻”そのものに、人間はまるで免疫がない)
俺は胸の内でそう結論づけながら、誰にも言わず、静かに笑った。
「――誰も、こんな真似をしてくるとは思っていない」
森の奥で、二十数人分の気配が、静かに息を潜める。
決行の日は、もう間近に迫っていた。




