第6話 崩れる温度
朝、ルーカスは小屋の裏で薪を割っていた。
斧の音が、規則正しく響いている。
ティスレイアは小屋の中で、朝食の卓を片付けていた。
椀を洗う水が、たらいの中で揺れている。
「ティスレイアさん」
外からルーカスの声がした。
「今日は天気がいいので、午後から畑に行こうと思うんですけど、一緒にどうですか」
「……行く」
「よかった。じゃあ、昼飯食べたら出ましょう」
ルーカスが、また斧を振り下ろす音がした。
※
窓の外で、何かの気配を感じた。
チュン、と小さな声と共に何かが羽ばたく音がした。
声の方を見ると小さな鳥がいた。
——この鳥は、どこかで……。
鳥の脚に薄い銀色の筒が結びつけられている。
ティスレイアは息を呑んだ。
エルフ族の使い鳥だった。
千年以上、戦場と王宮を往復してきた、あの鳥だ。
——どうして、ここに。
ティスレイアは外の様子を窺った。
薪を割るルーカスの音が、まだ続いている。
窓を開けて、鳥の脚から筒を外した。
銀の筒には、見覚えのある封印が刻まれていた。
腹心のものだった。
筒を開けて、中の薄い紙を取り出す。
細く美しい字が、並んでいた。
『ティスレイア様
王が、あなたを探しています。
戦場で行方不明になったことを王は信じておりません。
あなたが捕らえられ、人間の地に連れ去られたと確信しています。
王は軍を三隊に分けて、捜索範囲を広げました。
東の隊は既に北の森に達し、南の隊は河岸を遡っています。
このまま行けば、ひと月のうちにあなたの居る一帯に、軍が到達します。
王の怒りは、ご存知の通りです。
くれぐれも、ご無事で。』
紙が、震えていた。
自分の指が震えているのだと、しばらくして気づいた。
——父王が。
紙を握りしめた。
父王の顔が浮かんだ。
玉座に座り、戦況の報告を受け、ひとつでも気に入らないことがあれば、報告者の首を刎ねる残虐な男。
あの男が、軍を引き連れてこちらに向かっている。
——この村に、辿り着いたら。
恐怖で手紙を持っている手が震えた。
父王は、村を焼く。
ティスレイアを匿った、という嫌疑だけで、男は皆殺し、女と子供は奴隷。
そのあとで小屋という小屋を焼き払い、井戸に毒を入れて、村があった事実すら消す。
何百回と、見てきた光景だった。
何百回と、自分の手でそうしてきた光景だった。
——私が、ここにいる限り。
ルーカスの薪を割る音が、まだ規則正しく続いている。
老人が薬草を選り分けていた、軒先。
子供たちが、しとど、しとど、と笑い転げていた、広場。
通りすがりに、いつもありがとう、と言ってくれた、洗濯女。
それらが、灰になる絵が、見えた。
ティスレイアは、紙を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
※
昼、ルーカスと畑へ行った。
乱れる思考を悟られないように、土を耕し、種袋から豆を取り出した。
ルーカスは何も気づかなかった。
時々こちらを振り返って、にししっと笑いかけてきた。
「ティスレイアさん、豆まくの上手ですね」
「……そうか」
「千年生きてるから、なんでもできちゃうんですか」
「……まあな」
ルーカスは満足そうに頷いて、また土を耕しはじめた。
——ごめん。
胸の中で、それだけ呟いた。
声には、出さなかった。
※
夜、ルーカスが寝静まったあと、ティスレイアは寝台から音を立てずに起き上がった。
炉の火は、もう小さな熾火だけになっている。
旅装をまとめた。
と言っても、まとめるほどの荷物はない。
ルーカスから借りた外套、薬草を入れる小さな袋、それだけだった。
土間の隅に、ルーカスが寝息を立てていた。
ルーカスは寝相が悪かった。
毛布が半分、床に落ちている。
——拾ってやる、必要はない。
そう思ったのに、毛布を拾い上げて、ルーカスの肩までかけ直していた。
ルーカスは、薄く笑ったような寝顔をしていた。
夢でも見ているのかもしれなかった。
ティスレイアは、しばらくその寝顔を見ていた。
外套を羽織り、土間の戸に手をかけた。
戸の蝶番が、きしまないように、ゆっくりと開けた。
冷たい夜気が、頬に触れた。
戸を閉めて、振り返らずに歩き出した。
ティスレイアは静かに人間の村を、あとにした。
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