第3話 揺らぐ世界
朝が、何度か繰り返されていた。
ルーカスの小屋で、ティスレイアは寝台に身を起こせるようになっていた。
「おはようございます」
ルーカスは毎朝、笑顔で挨拶をしてくる。
ティスレイアは挨拶に短く頷くだけ。
それでもルーカスは気を悪くする様子もなく、湯を沸かし、薬草を煎じ、簡素な食事を運んでくる。
(おかしな人間だ)
ティスレイアは、椀のスープを口に運びながら、目の前で薪を割るルーカスの背中を見ていた。
集落の貧しい音がしていた。
誰かが井戸を汲む音、子供の泣き声、犬の遠吠え。
そのどれもが、エルフ王宮の静けさとは別の世界の音だった。
「すみません、お嬢さん」
小屋の窓から、小さな顔が二つ、覗いていた。
集落の子供たちらしい。
四つか五つか、それくらいの年齢の人間の子供だった。
「エルフって、ほんとに耳がとんがってるの?」
「肌しろい! 眼も宝石みたいね! 髪も銀色で綺麗!」
「お人形さんみたい」
「……」
「こら」
ルーカスが軽く追い払う。
「お前ら、勝手に覗くな」
子供たちは笑いながら逃げていった。
人間の子供か。
(私のことを怖がりもしなかった)
ティスレイアは目を伏せた。
千年生きてきて、人間の子供にじっと見られたのは、初めてだ。
「すみません、騒がしくて」
ルーカスは戻ってきて、寝台の脇に座った。
「あの子たち、エルフを見るのが初めてで」
「……怖がらないのか?」
「どうしてですか?」
「普通、怖がるじゃないか。エルフは人間の敵だし」
ルーカスは少し笑った。
「そうですね。でも、あなたは敵と言いながら僕に攻撃してこようとしないじゃないですか」
「それは……」
「すみません。意地悪を言いました。朝ごはんにしましょう。お腹空きましたよね」
ルーカスはもう一度、ニコリと笑う。部屋の奥から朝食のいい匂いがする。
ティスレイアは、立ち上がり食卓に座る。手渡された朝食を口に運ぶ。
(味が薄いな……。でも、なんだか温かい味がする)
ここ数日間でティスレイアは、ルーカスの食事を警戒なく食べれるようになっていた。
※
その日の昼前、30代の女性が訪ねてきた。
「ルーカス。ちょっと、うちの子見てくれない?」
ルーカスは立ち上がる。
「ちょっと、見てきます」
ルーカスは、小屋を出て行った。
しばらくして戻ってきたルーカスの顔は、いつもより硬かった。
「さっきの子供のうちの一人、熱が出ているそうです」
「そうか」
「すみません。あなたには関係ないですね」
ルーカスはそれ以上は言わずに、薬草の籠を取り出した。
籠の中の葉を選り分け、すり鉢で砕き始める。
ティスレイアは、すり鉢の中身を覗き込んだ。
ルーカスが選んでいる薬草は、人間には効かないものばかりだった。
「それは、効かない」
気がつけば、口を開いていた。
ルーカスが顔を上げる。
「え?」
「その薬草の組み合わせは、子供の高熱には効かない。むしろ毒になる」
「……そうなんですか」
ルーカスは困った顔をした。
「でも、これくらいしかないんです。薬師は、ここから二日歩くところにしかいなくて」
ティスレイアは、しばらく黙っていた。
——どうでもいい。
——人間の子供がどうなろうと、私には関係がない。
そう、思ったはずだった。
それなのに、寝台から立ち上がっていた。
「案内しろ」
「え?」
「その子供のところに、案内しろと言っている」
ルーカスは目を見開いて、それから慌てて立ち上がった。
「あ、はい、こっちです」
※
集落の小さな家に、子供は寝かされていた。
子供は先ほどティスレイアに「お人形みたい」と無邪気に笑いかけていた子供だった。
母親が枕元で泣いている。
顔が真っ赤で、息が浅い。
ティスレイアは寝台の脇に膝をついた。
母親は目の前に現れたティスレイアを見て、顔を真っ青にさせた。驚いて、子供を抱え込んだ。
「エ、エルフ……」
「黙っていろ。手を出すな」
ティスレイアは、子供の額に手をかざした。
魔力は、まだ完全には戻っていなかった。
それでも、子供一人を癒すには、十分すぎるほど残っている。
——なぜ、こんなことを。
緑の光が、子供の体を包む。
熱が、徐々に引いていく。
浅かった呼吸が、深い眠りに変わった。
母親は、声を失っていた。
ティスレイアは、立ち上がった。
「もう、大丈夫だ」
短くそれだけ言って、家を出ようとした。
「あ、あの……」
母親が、追いすがるように立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」
その声が、震えていた。
ティスレイアは、振り返らなかった。
外に出ると、ルーカスが待っていた。
集落の人々が、遠巻きにこちらを見ていた。
警戒と、感謝と、戸惑いが、混じり合った視線だった。
「あの子は?」
ルーカスが尋ねた。
「熱は下がった。しばらくしたら走り回れるくらい元気になるだろう」
人々は安堵した表情をし、ティスレイアの周りに集まってきた。
「お嬢ちゃん、ありがとう!」
「あんたすごいな!」
「ねぇ、どうやって治したの?」
人間に囲まれて、オロオロしているティスレイアを見て、ルーカスは笑った。
「あの子を救ってくれて、ありがとうございます」
ルーカスが、ティスレイアに一礼し言った。
「……別に。気が向いただけだ」
「うん」
ルーカスは頷いた。
——なぜ、私はあんなことをしてしまったのだろう。
人間の子供を癒したところで、エルフの利益にはならない。
むしろ、自分の魔力を消耗しただけだ。
自分の行動が理解できなかった。
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