第11話 面影
朝の光が石畳の通りに長く伸びていた。
通りの両側に露店が並び、いくつもの声が重なっていた。
野菜の籠を並べ直す老婆。
パンの匂いを漂わせる窯。
布を広げて値段を呼ばわる若い商人。
人混みの中を、ゆっくりと歩いた。
三百年前、この通りは、戦場だった。
血の匂いが、何日も、乾かなかった場所。
今は誰もそんなことを知らない。
人間とエルフが当たり前に並んで歩いていた。
背の低い人間の少年が、エルフの母親の手を引いていた。
エルフの老婆が、人間の老人と、店先で軽口を叩いていた。
買い物の籠を、抱え直した。
※
「お嬢さん、今朝のはまだ温かいよ」
パン屋の主人が、ティスレイアに声をかけてきた。
「ええ。一つ、頂きます」
「いつもの白いの?」
「ええ」
「はい、毎度」
紙に包まれたパンを、籠に入れた。
何年経ってもこのパンの味は変わらない。
「ティスレイアさん」
少し離れたところから、別の声がした。
花屋の老婆だった。
「いつものを」
「はい、用意してあるよ」
紙にくるまれた白い花が、差し出された。
「いつまでも、お美しいねえ」
「……」
「あんたを最初に見た時、私はまだ、この店の手伝いだった」
老婆は、皺の寄った頬で、少しだけ笑った。
「もう、私の方が、いなくなる番だ」
「……」
「それでも、あんたは、変わらないんだから」
何も、返さなかった。
ただ、軽く頭を下げて、銀貨を渡した。
老婆は、銀貨を握り、もう一度笑った。
※
広場に出ると、子供たちが追いかけっこをしていた。
人間の子もエルフの子も、混じって遊んでいた。
誰一人、相手が何の種族かなど気にしていなかった。
人間の子供が転んで、すぐにエルフの子が手を差し出して立たせていた。
同じ広場の隅のベンチに、二人の老人が座っていた。
ひとりは、エルフ。
ひとりは、人間。
長く伸びた銀の髪と、薄くなった白髪とが、並んでいた。
エルフの老人の方が、何か小さな声で話していた。
人間の老人が、頷いて、笑った。
通りすがりに、軽く会釈をした。
向こうも、二人とも、同じように会釈を返した。
(昔はこんなことありえなかったのにな)
胸の奥が、少しだけ、温かくなった。
(そろそろ家に帰ろう。アリエルが心配してしまう)
今日はシチューだと言っていたので、早く帰ってきてほしいと頼まれていたのをすっかり忘れていた。
シチューのお供のパンも買ったので、早く帰ろうと街角を曲がろうとした、その時だった。
——どん。
肩に、何かが当たった。
——ばさ、ばさ。
地面に、何かが落ちる音がした。
「あっ、すみません」
若い男の声だった。
足元を見ると、本が、何冊か、散らばっていた。
反射的に、屈んだ。
近くにあった一冊を拾った。
『共存戦争史』と書かれている本の表紙の文字が目に入った。
(この時代に、三百年前の戦争のことを知りたがる物好きもいるんだな)
散らばった本を拾い、相手に差し出した。
「すみません、僕の不注意で。ありがとうございます」
一瞬、聞き覚えのある声に、ティスレイアの思考は止まった。
青年の声が、三百年前に亡くなったルーカスの声に似ていたのだ。
——……まさか。
ゆっくりと顔を上げた。
目に移った青年は、ルーカスではなかった。
(……それもそうか)
「あの、お怪我は、ありませんでしたか」
「……いえ」
「本当に、すみませんでした」
青年が、軽く頭を下げた。
青年は、もう一度礼を言って、本を抱え直し背を向け、人混みの中へ紛れていった。
ティスレイアは、その背中が見えなくなるまで、ただ立ち尽くしていた。
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