第12話 ルーク・ヴィエナ
いつから歩き出したのか、覚えていない。
気づくと、家までの道を半分ほど来ていた。
買い物の籠の中で、白い花の包みが、軽く揺れていた。
——他人の空似は、何度もあった。
千年の中で、何度、思い込んできただろう。
通りすがりの背中が、似ていると思ったことも。
朝市の人混みで、声が、似ていると思ったことも。
そのたびに、違った。
今回も、そうだ。
(そうだ)
小屋の戸を開けると、シチューの匂いが、ふわりと漂う。
「お帰りなさい」
アリエルが、鍋の前に立っていた。
「ただいま」
「今日は、少し遅かったですね」
「すまない。寄り道をしていた」
「そうですか」
アリエルは、食卓にティスレイアが買ってきたパンとシチューを並べた。
白い花は、いつもの場所に活けた。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて、スプーンを握る。
シチューを口に入れた瞬間、濃厚なクリーミーな風味と野菜の旨みが口いっぱいに広がる。
「また料理の腕を上げたな」
「ティスレイア様に喜んでいただけて嬉しいです」
アリエルはニコリと微笑んだ。
「……アリエル、死んだ人間はどのくらいで転生するか知っているか?」
「さあ。早くて数十年後とも言われるし、百年かかる場合もあると言われています。気になるのですか?」
「そういうわけではない。ただ……」
今日会った、あの青年が気になって頭から離れない。
「ただ?」
「いや、なんでもない」
きっと他人の空似だ。
今までも似たようなことが何度もあったが、結局、彼の生まれ変わりではなかった。
期待を持つのはやめた。
期待して、違った時の絶望感をもう味わいたくなかった。
夕食後、ティスレイアは寝室に入り、目を閉じた。
夜は、静かに過ぎていった。
※
あの日から数日が過ぎた。
評議会に用事があるティスレイアは、書状を懐に入れて家を出た。
評議会の議事堂は、街の中心の広場に建っていた。
約百年前に建てられた建物だ。
受付の若い人間が、こちらの顔を見て、すぐに頭を下げた。
「議長閣下と約束をしている」
「承っております。お通しします。どうぞ、奥へ」
議長室の扉は、半分ほど開いていた。
中に入ると、丸眼鏡をかけた長い白髪の老人が座っていた。
書類からティスレイアに目を移すと、椅子から立ち上がった。
「ティスレイア様。お足労、恐れ入ります」
灰色の瞳が穏やかに細まり、深く頭を下げた。
公の場ではないとはいえ、人前で敬称を使う者は、議長と数人だけだ。
書状を、両手で渡した。
「次の議題に必要な、エルフ族の現況の報告です」
「ありがとうございます」
議長は、書状を机の上に置いた。
そのまま、目をこちらに戻した。
「……ひとつ、お耳に入れたいことが」
「なんでしょう」
「最近、街で、反エルフ派の動きが、少し活発化しております」
「反エルフ派が」
「扇動者の名は、まだつかめておりません。ですが、人目につかない場所での集まりが増えております」
議長は、声をわずかに落とした。
「お一人で街を歩かれる際は、どうか、お気をつけください」
「……心に、留めておきます」
軽く頭を下げた。
議長は、立ったまま深く返礼した。
※
議事堂を出て、街の路地裏へ折れた。
細い石畳の道を、奥へ進む。
古書店の木の扉は、相変わらず軋んだ音を立てた。
「いらっしゃい」
老店主の声がした。
ここでは「ティスレイアさん」と呼ばれる。
長く生きた者の名を、知っている世代だ。
「先日のは、読み終わりました」
「お早いこと」
包んでいた本を、机の上に置いた。
「次のは、もう決めていらっしゃる?」
「……人間の転生についての本が読みたい」
「今回はいつもと違うのね」
「まあ」
「その本なら、奥の本棚にあるわ」
老婆は、奥の棚を指差した。
老婆が指差した本棚へ向かうと、人間の転生についての本がたくさん並んでいた。
しばらくして、目に留まった本を手に取ろうとした時、別な方向から手が伸びてきて同じ本に指をかけた。
「あ、すみません」
数日前に聞いたばかりの若い男の声がした。
ゆっくりと、声がした方へ顔を向けた。
漆黒の髪が、棚の影に揺れていた。
「あなたは、先日、街角でお会いしましたよね。本を拾っていただき、ありがとうございます」
目が合った。
柔らかい琥珀色の瞳。
彼が一瞬、三百年前に死んだルーカスと重なった。
息が止まった。
「すみません!あなたが先に本を取っていたのに」
「いや、いいんだ」
「先に読んでください」
青年は、本をティスレイアに渡した。
「あなたも読まれるのでしょう?」
「僕はいいんです。実は、その本をもう5回くらい読んでいるんです」
青年は、にししっと笑った。
——笑い方が似ている。
「あの、僕、ルーク・ヴィエナといいます。この街には、最近来ました。あなたは?」
「……ティスレイア」
「ティスレイアさん」
青年は、こちらの名を、繰り返した。
柔らかい発音だった。
「あの、ティスレイアさんは、こちらの古書店の常連さんですか」
「たまに来る程度だ」
「そうなんですか。僕は、週に2〜3回ほど来ます」
「そんなに来るのか」
「僕、歴史の研究をしてるんです。三百年前の共存戦争について詳しく知りたくて。ここが一番本が揃っていて、いい本がたくさんあるんです」
ルークは、抱えていた本を軽く持ち上げて見せた。
分厚い背表紙には、見覚えのある文字が並んでいた。
「三百年前、人間とエルフは敵対視していたそうです。今じゃ信じられないですよね。戦争を終わらせたエルフの英雄のおかげで、今の世界がある。僕、その方のことを知りたくて歴史を調べているんです」
声が、はずんでいた。
にしし、と笑う、その笑い方を見るたびに、ルーカスの顔が脳裏にチラつく。
「あ、すみません。こんな話、つまらないですよね」
「そんなことない」
「そうですか。よかったです。もし、ティスレイアさんが良ければ、また会ったらお話しして下さい。僕は、この街に来てから日が浅くて友達もいないので、たまに話し相手になってくれたら嬉しいです」
「そんなことで良ければいつでも」
「ありがとうございます!」
ルークは、腕時計を確認した。
「そろそろ行かないといけないので、失礼します」
「ああ。また」
ルークは、本を抱え直し、軽く頭を下げた。
※
「お帰りなさい」
家に帰るとアリエルが、台所から顔を出した。
今日は鹿肉のソテーを作っているのか、香ばしい匂いとハーブの爽やかな香りが漂ってきた。
アリエルに言うべきかどうか迷ったが、ティスレイアは口を開いた。
「……アリエル」
「はい」
「彼が、戻ってきたかもしれない」
アリエルの手が、止まった。
切れ長の瞳が、ゆっくりと、見開かれた。
「今度は間違い無いのですか?」
「多分。だから、確かめたい。協力してくれないか?」
ずっと探し続けていたルーカスの生まれ変わりが、あのルークという青年なのだろうか。
ティスレイアは、早まる心臓の音を鎮めるように、そっと自分の胸に手を当てた。




