第34話 未来へと続く道
「つまんなーい。ねぇ、剣ちゃん、こんな事やめてさ、庭で一緒に遊ぼうよ」
薄いピンクを含む白い壁に囲まれた部屋には、小さな学習机とベッドがあり、そこら中に積み木や、人形などのおもちゃが転がっていた。
その部屋では薄緑の髪と瞳をした童女も床に転がっていた。
童女はふてくされて、手足をじたばたといている。そんな様子を恭平は呆れながら眺めていた。
「駄目です、ヒスイ姫様。それに私の名前は剣聖ライトニングで、剣ちゃんではありません。今日の分の勉強がまるで終わってないじゃないですか」
恭平は頭を痛めながら、童女――ヒスイに勉強をさせるように努力している。
この部屋の主であるヒスイは口を尖らせ、つまらなさそうにしていた。
ヒスイは現女王アクアマリンの娘。まごうことなき王女である。先代女王である瑠璃の孫にあたる。
その孫であるヒスイの教育係に恭平は選ばれていた。
「えー、だって剣聖ライトニングなんて呼びにくいし、剣もライトニングでわかりにくいよー」
「それが私の名前なんだから仕方がないでしょう。それより、行儀が悪いから、姿勢を正しなさい」
「ねぇ、剣ちゃんの本当の名前はなんていうの? それで呼びたいなぁ」
「残念でした。私は剣聖ライトニングが本名なんです」
「嘘つきー」
恭平は駄々をこねるヒスイの姿勢を無理矢理矯正した。そして、はぁとひとつ息を吐いた。
「エクレールよぉ……。なんで俺がこんなことしてるんだ? アクア陛下の教育は成功してだろ。またベリルに任せたらいいんじゃないか?」
(恭平はわかっていませんね。ベリル様はもうご高齢で引退しています。それに、これは恭平の教育も兼ねているのですよ。王国の代表に相応しい教養と態度を学んでもらわなくてはいけません)
姿を消しているエクレールに愚痴を諭された。
恭平にもわかっている。瑠璃がいなくなれば、国を導く王家を支える人物が必要になる。瑠璃は恭平に王国アドバイザーになって欲しいと考えているようだった。
「ねー、剣ちゃん。勉強が終わったら、前みたいに一緒に遊んでくれる?」
恭平によって無理やり机に向かわされたヒスイがそんなことを言いながら振り買ってくる。
以前、勉強が終わってから一緒に遊んでやった事があった。
恭平にとっては面倒なだけだったが、ヒスイは妙に嬉しそうにしていた。それから変に懐かれてしまっていた。
「はぁ……勉強が終わってからですよ」
「ほんと! じゃあ、勉強頑張る。早くしてよぉ」
遊んでやる約束をした途端、ヒスイはやる気満々になった。
鉛筆を持ち、テキストの写しを行っている。まずは文字を覚えることから始めている。
恭平はヒスイの後ろに立ち、勉強の様子を観察する。
「やるべき事は沢山ありますよ。文字の読み書きと、憲法、法律、一般教養、礼儀作法、に女王としての心構え等など、勉強してもらいます」
「もー、剣ちゃんはいつも前置きが長いよ。早く始めてよ。そうすれば、早く終わるでしょ。早くっ! 早くっ!」
ヒスイとの勉強は本当に頭が痛い。恭平はつい頭を押さえてしまう。
(なんだかんだ言って、恭平はヒスイ様に甘いですよね。瑠璃に似ているからですか?)
「ヒスイは瑠璃に似てないだろ。髪の色も、性格も、まったく違う」
(そう思っているのは、恭平だけです)
勉強を始めると、瑠璃の孫だけあって、教えた事を水を垂らしたスポンジのように、どんどん吸収していく。
物分りがよく、教える恭平としては楽でいい。だが、礼儀作法を理解していても、それを普段の生活に活かせていない事が悩みの種である。
「終わったー!」
ヒスイは今日のノルマをあっさりと終えてしまった。今までが手を抜きすぎていたようだが、一度本気になると、その集中力は凄まじい。
よほど恭平と遊びたかったのだろう。
「ねぇ、ねぇ、剣ちゃん。今日の勉強はこれで終わりでしょ。早く遊びに行きましょうよ」
ヒスイは勉強机から飛び跳ねるように離れると、恭平の手を引っ張ってくる。
「はい。わかりました。今日は何をして遊ぶのですか?」
「おままごと。もちろん夫役はあなたよ。夫婦は結婚したてで、ラブラブな新婚生活を送るの。そういった背景が重要なんだから、ちゃんと覚えておいてね」
知識に偏りがあるような気がして、眉根を顰める恭平だったが、約束は果たせねばならない。
「ラブラブな新婚生活って、具体的に何をやるつもりですか?」
「そっか、あなたはまだ独身だから、そういうのがわからないのね。いいわ1から教えてあげる」
「こやつめ、ははは」
いきなりの言葉に、恭平は度肝を抜かれた。本当にこんな知識どこから仕入れてきているか、聞きださねばならない。
「ちょっといいですか? 一体誰からそんな事を教わっているのかな?」
「うーんとね、ラピスお婆様に、あなたの事が好きだって話をしたら、色々教えてくれたの」
瑠璃に後から説教することを、恭平は胸に誓う。
孫にまで男の嗜好を継がせていることに、恭平は少し笑ってしまった。
「ヒスイ様、ラピス様はからかっているだけでですから、私以外の前でそんな事を言うと恥をかくことになりますよ」
「えー……。そうだったんだ。でも安心して、あなたの前以外ではそんなはしたない事は言わないから」
いつまでも半笑いで動かない恭平に痺れを切らしたのか、ヒスイが抱きついてくる。恭平は邪魔だとばかりに、ヒスイを引っぺがした。
「とにかく、今後そんな言葉を使うことは禁止します。いいですね。絶対に言わないで下さい。私の前だとしても」
「えー、つまんない……。あ、わかった。あなたはそんなだから女の人にもてなくて、今でも独身なのね」
「その情報も、ラピス様から?」
ヒスイは頷きながら、勉強机の椅子に座った。
恭平の言葉が聞こえていないのか、無視するように喋り続ける。
「安心してね、どんなに女の人から嫌われても、私があなたと結婚してあげるから」
「それは駄目です。ヒスイ姫様は女王になられるのですから、私なんかとの結婚は許されませんよ」
「嫌だ。私は剣ちゃんが好きなの!」
ヒスイの真剣な眼差しに、恭平は身体をかがめて視線を合わせた。
椅子に座ったままのヒスイの肩に手をのせると、じっと見つめる。
「ヒスイ姫様、私は先代の女王が姫だった頃の事を覚えています。先代の女王はそんなことは言わずに、ずっと勉学に励んでこられました。だからこそ、名君と呼ばれ、この国を豊かにできたのです。ヒスイ姫様も、先代を見習ってください」
「でも……」
ヒスイは少しうなだれたように顔を伏せてしまった。
「それに、人生はまだ長いのです。これから私よりもヒスイ姫様に相応しい人との出会いがあるでしょう。今は私のことが好きでも構いません。ですが、結婚についてはもっと真剣に考えてください。この国の未来がかかっているのですから」
恭平の険しい眼差しと物言いに、ヒスイは気圧されて不安の色を濃くしていた。
それでも、精一杯の勇気をふり絞ってヒスイは口を開ける。
「じゃあ、それまで剣聖ライトニングを好きでいていいですか?」
「はい。私もヒスイ姫様のことは好きですよ」
「うん。じゃあ、庭で一緒に遊ぼ!」
ヒスイは満面の笑みを浮かべて、恭平の手を取る。そして、一緒に庭へ向かった。
恭平には永遠の孤独を、人々には限りある幸福を。




