第31話 卒業と別れ
恭平が豚骨ラーメンを啜る。醤油の香りに少しニンニクが混ざり、鼻の中に吸い込まれていく。熱々のどろり濃厚なスープが麺と絡み合い、美味のハーモニーが舌を喜ばせる。
その隣で瑠璃は上品に蓮華ですくったスープを飲んでいた。
「あー……やっぱりたまに食うラーメンは堪らないな!」
「そうね。向こうでは豪華な食事が食べられると言っても、こういったジャンクには縁がないものね」
2人は懸命に麺を啜る。腹ペコな子供顔負けの勢いで胃の中に流し込んでいく。
だが、ふと、瑠璃が手を止めた。
「……もう卒業したのね。なんだか半年が一瞬で過ぎた気がするわ」
「そうだな。ついこの間、女王になったばかりだよな」
瑠璃は暑いのか、扇ぐように首元を開けた。
そして、1つ大きく息を吐いた。
「恭平は頑張ってるわよね。剣聖ライトニングとして戦場に立てば、連戦連勝。どんな負け戦も覆してた。おかげで凄く楽をさせてもらったわ」
「それは瑠璃も同じだろ。隣国と同盟を結んで、シュバルツラントに対抗できるまでに国を強くした。国民はみんな幸せそうで、いい女王をやってるじゃないか」
「まあ、政治はベリル大臣がしっかりしてるから。私は人前でいい顔をしていればよかっただけだから」
麺を啜り終わった恭平はお椀を傾けてスープを飲んでから、テーブルの上にどかっと置いた。
「しっかし、お互い、よく高校生との両立ができたよな。俺はそっちの方が驚きだよ」
「なんだかんだ言って、恭平は2位を取ってじゃない」
「お前には負けたけどな」
「私はきちんと勉強したから。そっちみたいにいい加減にテストを受けていないわ」
瑠璃は最後の麺を一啜りしてから、箸を置く。
それを見て恭平も箸を置いた。
「まあ、お互い様、頑張ったってことでいいだろ」
「そうね。私たちはすごく頑張ったもの」
恭平が椅子から立ち上がると、それの後に続くように瑠璃も立ち上がった。
そのままレジに向かい、恭平が2人分の料金を支払う。
先んじて店の外に出た瑠璃は息を吐いた。もう少し前なら息が白かったかもしれないが、今は春になりあたたかな陽気になっていた。
少し後、恭平は暖簾をくぐって店から出た。
「さって……後は何するよ?」
「そうね……漫画はみたいものは見たし、ラーメンも食べたし、私としては満足かな。恭平は? ゲーセンとか、友達との挨拶とか、エロ本買ったりしなくていいの?」
「挨拶はともかく、エロ本はねーわ。ゲーセンに未練はないし、俺も概ね満足だ」
恭平は瑠璃と視線を合わせると、彼女を抱きかかえる。そして、一足飛びに街を見渡せるほど高いビルへと跳んで着地した。
「最後の景色はここでいいだろ」
「そうね。この街を一望できるこの場所を選ぶなんて、案外気がきくのね」
恭平は抱いていた瑠璃を降ろすと、彼女はビルの屋上に自分の足で立った。
まだ冷たい風が吹いて瑠璃の青い髪を揺らす。
空は夕焼けで赤く染まり、夜の訪れを告げていた。
「本当にこの世界とお別れになるけど、恭平はいいの?」
「ああ、別にお別れなんてガラじゃないしな。それにどうせみんな俺の事を忘れるんだろ? だったらわざわざ説明して別れをするなんて面倒なだけだ。それに、なんて説明すりゃいいんだよ」
恭平は笑顔を作ってそう答えた
その答えに、瑠璃は深刻そうな顔をしたまま、こちらを見つめた。
「本当にいいの? あなたには血の繋がった家族がいるでしょ、友達だって沢山いる。それなのにどうしてそんな風に割り切れるの? 私を守るって約束したから? あの時は不安だったけど、今はサンステイも安定して、剣聖ライトニングの力が必要ってわけでもないわ。他に2人も剣聖がいるわけだし……」
瑠璃の言葉から無理をしているのがよくわかる。恭平の為にと思い、自分を押さえている。
「俺のことは気にするなよ。俺はこの日本というよりこの世界ではもう生きていけないんだよ。今更要らないとか言うなよ。お前こそいいのかよ。血が繋がっていないとはいえ、育ててもらった親がいるだろう?」
「はぁ……。女王がいなくてどうするのよ。あの国には私が必要なの。さっきも言ったけど、あなたはおまけみたいなものなのよ。それをきちんと理解してる?」
おまけという言葉に、恭平は苦笑いした。自分を押さえてまでこちらを気にしてくれる瑠璃に視線を向けた。
「いや、俺が言いたいのは、お前の両親の記憶まで消す事はないだろ? 暇を見つけて、たまに帰ってやればいいじゃないか。両親はお前の事情をよく理解してるんだろ」
「それは難しいわ。私に関する記憶を消すのではなく、この世界から私の存在を消すのだから、それは無理よ」
「なんだそりゃ? とにかく、それを止めればいいんじゃねぇの?」
「あのねぇ、人一人が消えるという事の大変さを知ってる? 戸籍が管理されているのだから、知らないうちに行方不明者として捜索されたりされたら嫌でしょ」
これから2人はこの世界――物質界から、その存在を消す。魔法界で暮らすというのは、そういう事である。
これ以上、両方の世界で暮らすと歪みが生じてくる。だから、どちらの世界で生きるかを選ばなくてはならない。
「話がそれたわね。私は女王として生きていく事を、あなたの正体を知ったとき、自分が姫であるこことを知ったときに決めたのよ。もう引き返すこともできない。それはあなたにもわかるでしょ」
「そうだな。それじゃあ、ちゃちゃっとやってくれよ。こんな事に時間を割いても仕方がないだろう」
「――恭平は残るべきよ」
頑固な様子な瑠璃に恭平は頭を掻くと大きく溜息を吐いた。
「何でだよ。さっきも言っただろ、俺のことは気にすんなよ。俺は向こうに行くって決めたんだ。さっさとやってくれないか?」
「……残された人の方が気になるのよ。あなたにはあんなに優しい家族がいて、とても愛されているじゃない。そこから恭平を別つことはしたくないって事」
恭平には血のつながった家族がいる。いつも家にいない父親、のんびりとした母親、高圧的な姉。それは、瑠璃にとって眩しすぎるものだった。
「瑠璃の気持ちはわかったよ。だけど、俺はお前の手伝いがしたい。そばにいてお前を支えてやりたい。そういう気持ちを無視するつもりか?」
「そ、それは……」
「お前が俺の事を想ってくれるのは嬉しいが、それも度を越すとお節介だぜ。俺に気を使わなくてもいいんだよ。剣聖ライトニングとして生きていくんだからな」
恭平は瑠璃の青い髪をぐしゃぐしゃとかき回す。瑠璃はそれを嫌がって恭平の手を取る。そして、恭平はこちらに向けられた視線に答えるように、歯を見せて笑ってみせた。
「わかったわ。あなたの気持ちを受け取らせてもらうわ」
瑠璃は納得したようで、笑顔を返してきた。
「よし、じゃあ魔法で俺達の存在を消そうぜ。でも、一体どうするんだ? パソコンのデータや書類を改ざんしたりするのか?」
「そんな面倒なことを一々やってられないわ。この世界の因果律を操作するの。私達を元から存在しなかった事にすれば、全ての記録は消えるでしょ」
恭平が首を傾げているのを見かねた瑠璃は説明を始めた。
「はぁ……。因果律って何って顔をしてるわね。原因のない事象は存在しないという考え方よ。つまり、私達が生まれるという因果を消してしまえば、戸籍も人の記憶も残らないという事よ」
「すげぇな。そんな事ができるのか?」
「まあ、60億人の中から2人くらいいなくなっても、世界はそんなに変わらないわ。受ける影響なんて、蚊に刺されるより少ないはずよ」
「あ、でも、俺たちが消えたら、大学の席はどうなるんだろうな」
恭平はふと、自分が受験した大学のことを思いだした。
「普通に考えれば、大学の2次受験の席が2つ増えるだけよ。それか、どこかの誰かが合格したかのどちらかね」
「まあ、よくわからんが、簡単にできるんなら、よろしく頼むわ」
「さっきも言ったけど、簡単じゃないのだけど……因果律を操作するわ。もう後戻りはできないけど、いいわね?」
恭平は後戻りなど、とっくの昔にできなくなっていることを知っている。あの日、魔剣ライトニングが胸を貫いた時から、こうなる事は決まっていた。
「ああ、魔法を使ってくれ」
恭平がそう言うと、瑠璃は瞳を閉じ意識を集中し始めた。恭平はその様子をじっと眺めているしかなかった。
そして、数分後、瑠璃が目を開けた。
「無事、成功したわ」
あまりにあっさりした風に何が変わったのか、恭平に実感はなかった。
手を握っては開いてを繰り返してみたが、何も変わらない。
「本当に存在が消えているのか? 実感がないんだが」
「この世界の認識が変わっただけで、私達には影響はないわ。私たちは私たちのまま」
「いや、もっと、こう、きらびやかな光が出てくるとか、町全体が光に包まれるとか、そういった魔法使ったぞ感がないって言うか……」
瑠璃の冷たい視線を受けて、恭平は少し後退る。そんな変なことを言ったつもりはないはずだ。
「実感がないなら、一度家に戻ってみる? そこで家族に会えば嫌でもわかると思うけど?」
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
挨拶しないと言っていた手前、家に戻ることに躊躇した恭平だったが、決意してビルから飛び降りた。
家まで飛び降りた恭平は扉の前で立ち止まった。
何をすればいいかわからなくなっていたが、インターホンに指を伸ばす。すると、小さくチャイムが鳴る音がした。
「はい。児玉ですけど……あらあら、どちら様ですか?」
恭平はドアを開けて現れた母親に少し気圧された。
他人を見るその目は、恭平には思いのほかダメージを与えていた。瑠璃の言った通り、母親から恭平の記憶は消えていた。
「あ、すみません。知人の家と間違えたようです。ご迷惑をおかけしました」
恭平の口からは、その場を誤魔化す言葉しか出てこない。
もっと上手にやり過ごすことができたはずなのに。
「いえいえ、この辺りのことなら詳しいので、道案内しましょうか?」
会話を切り上げたかった恭平にとっては、母親の言葉は都合が悪かった。
「いえ、そんな迷惑かけられません。どうも、すみませんでした」
恭平はお辞儀をして立ち去ろうとする。すると、母親から一言かけられた。
「ちょっと待ってくれませんか?」
「え?」
母親の言葉に恭平の足が止まった。
「んー? あなたみたいな子が私にもいたような気がするけど……あ、ごめんなさい。変なことを言って止めてしまって。次はお知り合いの家に着けるといいわね」
恭平は振り返らずに、家の扉が閉まった音を聞いてから、ビルへと戻った。
「いいお母さんね」
瑠璃はそう言って恭平を迎え入れた。
言葉につまっていた恭平だったが、次の瞬間には口が開いた。
「そうだな。いつもはこんな風に相手していたなんて知らなかったよ」
「後悔した?」
「まさか」
「ならよかった」
恭平は手をかざして、魔剣を取り出すと、その魔剣に向けて声をかける。
「エクレールは挨拶よかったのか?」
2人きりのビルの屋上にもう1人追加された。
エクレールは風に流れる自分の髪を押さえている。
「私には必要ありません。こうなることは、わかりきっていました。あの家族は、私を忘れてしまうことを……」
エクレールが繰り返してきた奇行は全てが消えてしまうことを知っていたからこそのものだったのだろう。
恭平にはその横顔が寂しく見えた。
「感傷に耽るのは終わりにしましょう。貴方達にはやるべきことがあるのでしょう?」
エクレールの言葉に、恭平と瑠璃は表情を引き締める。
恭平は手に持った魔剣に意識を集中して、そのまま振るった。
何もない空間が割れ、魔法界とを繋ぐ道ができる。
「さて、帰るとするか」
それだけ言うと、有無を言わさずに瑠璃を抱き上げると、魔法界への道に足を踏み入れる。それを見届けたエクレールは魔剣へと戻っていった。




