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そうして水の女神が役目を果たしていた日々の中で。


水の子らは、その日も女神に声をかけられ、天上で休み戯れ、いつか地上に降り注ぐために、その身を雲へと転じていました。


そして水の子らは、今までにもよくあったように、風の子らと戯れるままに、巨大になり、やがて嵐として、地上に降り立ちました。




子らが降り立った地上には、多くの命がありましたが、逃げ遅れた者は大地に還っていきました。


そこまでは、よくあることで。


そして、いつもと違ったのは。



水の女神の耳に、子らのはしゃぐ声によく似た、それでいてとても美しく洗練された音色が届きました。


女神は不思議に思いました。


それは水の子らの声によく似ていながら、決定的に子らの声とはちがいました。


人の子らが音楽、と呼んで楽しむものに似て、規則的な音を奏でているのです。


水の子らも時折そのような音を奏でますが、このように長く続くことはありません。


何より、その音色の中には、子らの言葉が聞こえてきません。



水の女神は不思議に思い、音色が聞こえてくる地上へと降り立ちました。



そこは風の子らと水の子らがはしゃぎながら駆けずり回っており、命の男神から強靭(きょうじん)な根を与えられた樹木でもなければ、普通の命は吹き飛ばされてしまいそうな状態でした。



そんな中女神が見つけたのは、巨大な樹の洞で、神々の子らの起こす嵐をやり過ごしながらも、一心不乱に竪琴を爪弾く人間の男の姿でした。



その竪琴の音色は水の子らの立てる声によく似ておりながら、まるでちがった美しい音色を奏で上げます。


それは水と風の子らがそこらではしゃぐ中にありながら、よく女神の耳に響き渡りました。


女神は樹に近づき、人間の男がその音色に込めた思いによくよく耳を澄ませました。



――神よ、なぜこうも試練を与えたもうのか

  気づけば雲がわきあがり青い空を黒く塗りこめる

  村の人々は続く嵐に作物を失い冬を越せない

  友人の愛しい人は前の嵐で奪われた

  どうせなら水に(あえ)ぐ地に降ればいいものを何故この土地ばかりを襲うのか

  嵐よ、遠くに去ってしまえ、これ以上僕らから何も奪ってくれるな――



風と水の子らのはしゃぐ声によく似た音色に込められた思いは、少しの悲しみと、そしてそれ以上の大きな怒りでした。


怒りを向けられた女神は、驚きよりも先に、怒りました。


風の子も水の子も、何も奪うなんてことはしていません。


彼らは役目のままに、天を巡り地を巡っただけなのです。


命は大地に還り、男神と大地の姉神によって、再び地上に送りだされることでしょう。


それを奪われたなどと言い、水の子らの声によく似た音色で訴えてくるとは。


なんと傲慢で、愚かなことでしょう。


あまりに腹を立てた女神は、水の子らと風の子らに、伝えました。


今後一切、この土地に近づくな、と。


はしゃいでいた水の子らと風の子らは、女神の命令を疑問に思うこともなく、言葉の通りに従いました。






さて、女神の命令により、嵐はあっという間に過ぎ去りました。


竪琴を奏でていた男は樹の(うろ)を出て都に帰り、人々が嵐の後の片づけをしているのを見て、そして幾人かの知人と嵐の後の無事を祝いました。


それまで度々訪れていた嵐は、その日を境にぴたりと止み、人々は喜びました。



しかしそれも、雨が降らない日が幾らも続けば。



度重なる嵐で、土砂崩れや水害もありましたが、一方で豊かに蓄えられた水があったのも事実でした。


それも、段々と目減りしていき、やがて、底が見えるようになってしまいます。


何日たっても雲はまったく姿を見せませんし、そよとも風が吹かないのでどこかかから運ばれてくることもないでしょう。


大地は乾き、人々は水を巡って争いました。


しかし争ったところで、空は変わらず、美しい青い色を見せるばかり。


いくら美しくとも、今の人々にとっては、白い雲一つないそこは、乾きの象徴です。


長すぎる晴れ空に、人々は神々に雨乞いをすることにしました。



そうして、呼ばれたのは、あの男でした。


そう、女神を怒らせた音色を奏でた男です。


彼は、都で一番の竪琴の弾き手だったのです。


彼の奏でる音色は、雨音や水の音色を見事にあらわし、それはもう美しいものでした。


だからこそ人々は、水の女神を呼ぶにふさわしい音色だとみなしたのです。


まさかその音色こそが、女神を怒らせた原因だとは露ほども思わずに。



男自身も、まさか嵐の日に、腹立ちまぎれに雨宿りで誰に聞かせるともなく奏でていた音色が女神を怒らせたとは微塵も想像しておりませんでした。



だからあの嵐の日と同じように、神に怒りをぶつけた時と同じくらい美しい音色で、今度は真摯に神々に語りかけました。




――神よ、どうか試練を終わらせたまえ

  長きにわたり雲もなく風もなく

  人々は乾き飢えゆき

  母なる大地に与えられた命が消えゆくばかり

  神よ、どうぞこの地におわしませ

  どうか雨雲をこの地に呼んで、恵みの雨を降らしませ――




水の子らによく似たその音色は、その地にわずかに残っていた水の子が天にあがり雲となる際に、女神に伝えられました。


女神は、水の子から伝え聞き、呆れました。


……一体、どのような音色で、前とまったく反対のことを奏でているというのでしょう。


呆れましたが、ほんのわずかの興味をもって、女神は様子を見に行くことに決めました。




そして見たのは。


水を求め、奪い合い、争う、人間の姿でした。





――人間は、やはり不思議だ。



女神は、そのように思いました。


命の息吹を与える男神に理性を与えられていながら、水を失い、その果てに命を失うことを恐れ、争うのです。


あれほど強いように見えた人間は、水がなくなるだけで、他の命よりも、脆く弱い存在になるのでした。



女神は人にあわせ、その足で、例の男が竪琴を爪弾く地に降り立ちました。


人々は、突然降臨した女神にひれ伏しました。


竪琴を鳴らす男だけは、女神をその地に(とど)めるため、一心不乱にそのまま演奏を続けました。


女神は、そんな人々に頓着(とんちゃく)せず、真っすぐ男に近づき、語りかけました。


「――お前は、嵐に遠くに行けと言ったのと同じ音で、今度は雲よ来いと言う。

 どちらも同じ水と風の子らだというのに、傲慢なことね。」


女神の言葉に、男は驚き、役目を忘れて、手を止め、顔をあげました。




目に入ったのは、日の光を浴びて、虹色に輝く雲と同じ色の不思議な瞳で。




それは、人の姿をとりながらも、男自身が呼び寄せた女神に、他なりません。


しかし男は、まさか前にも奏でたその音色が、目の前の女神に届いていたとは、露ほども思っていなかったのです。


「私の竪琴を聞いていらしたのですか?」


「子らの声によく似ていながら、まったくちがう美しい音が何かと思って耳を澄ませてみれば。

 前も今も、勝手なお前の願いが聞こえて呆れているの。

 なぜお前たちは、理性を与えられているにも関わらず、そのように勝手なことを言えるの?

 子らは役目に従い、天を地を巡り、命を育んでいる。

 それなのにお前たちは、大地に還ることを恐れ果ては神を恨むとは。

 命もまた巡るのが定めなのだから、受け入れなさい。」


人々は、女神の言葉により、日照りが彼女の怒りによるものだと悟りました。


そして伏したまま、その怒りを解くためにはどうすればよいか、必死に考えを巡らせました。




――しかしながら、竪琴を持っていた男は、違いました。



「ただ日照りを黙って受け入れ死を受け入れろと?

 冗談じゃない。

 神々にとっては巡る命でも、俺たちにとっては、死んでしまえばそこまでなんだ。」


「黙れっ!!」


……叫んだのは、女神ではありません。男の横に控えていた、神官でした。


神官は、数人がかりで男を殴りつけ、抑えつけました。


彼らは、女神の怒りをそれ以上買うことを恐れたのです。



女神には、やはり不思議でした。


神官たちが女神を恐れる心も、男が言った死んでしまえばそこまでという言葉も、理解できなかったのです。


「申し訳ありません、この者は如何様にも罰を受けます。

 なのでどうかそのお怒りを解いていただけないでしょうか。」


「罰とは?」


女神にとっては、世の理を理解すればいいだけの話であり、罰と言われてもよくわかりませんでした。


しかし神官は、女神の言葉を、どのような罰を与えるのかと問われているのだととらえました。


「その竪琴を奏でる指を切り落とせば、二度とご不快な音色を届けることはないでしょう。」


女神は、そんなことをされてもまったく嬉しくありません。


不快にさせていると理解しているのであれば、弾かなければいいだけの話です。



……なぜ、そのようなことをする必要があるのでしょう?



「お前、命は巡るということが、わからないの?」


「巡るとしても、それはちがうものだ。神のくせに、なぜそんなこともわからない!」


「黙れっ!!」


嫌な音がして、男が蹴られます。


「――やめなさい、人の子らよ。」


「お姉さま、」


大地の姉神が、そこに立っていました。


水の女神と同様に、人にあわせた姿をしており、その瞳もまた水の女神と同じように、人に(あら)ざる地中の奥深く、マグマの色を宿していました。


人々は新たな神の降臨に、再びひれ伏しました。


「お前は、水の子らを天で迎え送り出すのが役目でしょう。地上で何をしているのです?」


「その者が水の子らによく似た音色で、

 嵐よ来るなと奏で、同じ音色で雲よ来いと奏でるものだから、

 呆れて様子を見に来たのです。」


「はぁ……前にも言ったでしょう?

 永遠(とわ)に続く我らとちがい、命は限りあるもの。

 お前が水の子らを送り出すのも、命を育むためでしょう?」


「ええ。だからこそ、嵐も雲も同じ水の子らなのに、まったく逆のことを言うのがわからないのです。」


「それはこれが限りある命を持つ者だからです。」


「わかりません、お姉さま。

 人間だけでなく、多くの命も同じように嵐によって倒れる者はおりますが、

 そのようなことを言われたのは初めてです。」


「それはお前が天にあって常に命の声に耳を傾けているわけではないから知らないだけでしょう。

 命は人間に限らず、生きることに執着し、死を恐れ、その恐れを時に神にぶつけるものです。」


「そうなのですか。」


地にあって命を迎え送り出す姉神の言葉に、水の女神は、そうなのかもしれないと納得しました。


しかし、その言葉を理解できるかどうかはまた別の話です。


「――お姉さま、私にはやはりわかりません。

 なぜ、お義兄様に理性を贈られた人間が、そのように恐れるのか。

 しかしながら、子らが育む命を知りたいとは思うのです。

 ですから、この者を側に置いてもよいでしょうか。」


「地上にある限り、その命は自らのもの。

 私に許しをこうことではありません。

 ……ただ終わりを迎えたならば、ちゃんと我らの元に還すのですよ。」


そう告げると、姉神は姿を消しました。


水の女神は、神官たちに押さえつけられている男に、顔を向けます。


「お前、私と共にくる?」


「な……いってやろうじゃないか。」


「この野郎っ!!」


竪琴弾きの男の不敬な物言いに、神官はやはり殴りつけました。


女神は、そんな男の様子に頓着せず、天に向かって呼びかけました。



――おいで。



……やがて、それはやってきました。


どこまでも続く鈍色の雲海と共に。


ぽつり、ぽつりと、水の子らが雨を濡らしたと思ったとたん、すぐに激しい雷雨となって、降り注ぎました。


――そしてそれは、雷と共に、地上に姿を現しました。


「――龍神だっ!!」


人々は喜びと畏怖とをもって、空を見上げました。


龍は女神の元に真っすぐに降り、首をもたげました。


「この人間を連れて行きたいの。」


その言葉を聞いた龍は、人間の男を見やり、少し首を傾げました。


男を抑えつけていた人々は、巻き込まれないように、離れました。


龍は、それを待っていたかのように、男をくわえると、再び天を目指して上っていきました。


女神もまた、人の姿を取るのをやめ、その場から去ってゆきました。



どんどん遠ざかる地上に、恐怖よりも驚きと、空を飛んでいるという感動に、次いで冷え込む空気に、男は竪琴を抱えたまま身を震わせました。


しかし、すぐに不思議と体が温まりました。


龍が男を口に咥えたまま、温かい吐息をはいてやったからです。


龍のその吐息は、本来、水の子らや風の子らを動かすために与えられたものでした。


今は女神の願いを汲んで、人間の男を温めるために、加減して吐いてやったのでした。


――(むくろ)になれば、大地に還さねばならないだろう?


――ええ、その通りよ。


――命ある者は、天では生きていけまい。翼があろうと、命は大地に還るものだ。


――だから(ことわり)の神に、天で過ごせるように、神としての力を少しわけてもらうよう、お願いするの。



龍と女神の会話は、人間である男の耳には伝わりませんでした。


ただただ、風の子らがごうごうと耳元でうなる音ばかりが聞こえます。



――水の子らを迎え、送る役目は、我らがいれば十分果たせるだろうに。なぜ命ある者、それも人間などを?


龍たちは、水の子らの作り出す巨大な雲海と共に天を巡り、地上に送り出すのが役目でした。


龍たちは神々と同じで命を持たず、役目のままに、天を巡る存在でした。



女神の言う神としての力を分けるとは、そういうことです。


龍と同じように、神々と同じ役目を与える代わりに、そのための力を与えるということです。



理の神は、そうして神々や龍のような存在に役割と力とを与え、この世の理を定めるのが役目でした。


――命ある者の内、人間は特に強いのです。

  それは理性を与えられているからだと大地の姉さまは言うけれど、

  理性があるのに彼らは命が世を巡るのだということを理解できないの。

  私はそれが不思議でならない。

  だから、天から眺めれば、お互いに理解できるのではないかと思って。


――なるほど。

  確かに命ある者の行動は、我らに理解しがたいことがよくあるものだ。


龍は女神の言葉に納得し、女神の願いのまま、理の神の下へと男を運んでゆきました。




男が連れてこられたのは、広い海を見渡せる切り立った崖でした。


人の身では、とても立ってはいられない場所でしょう。


波が押し寄せては砕け、少しずつ、崖を削っていきます。



――理の神よ、


――光の娘、水の女神よ、お前は役目を乱しただろう。

  そしてそれは、その原因となった人間だな。



水の女神が呼びかけるまでもなく、理の神はすべてを把握していました。


しかし水の女神が役目を果たさなかったとて、責めているわけではありません。


それもまた、彼の定めた理の内に過ぎないのですから。



――はい。

  水の子らが育む命の内、特に強い人間という生き物です。

  彼の命ある限り、天にて私の役割を手伝わせたいのです。


――命は限りあるからこそ、その者のものだと決まっている。

  だからその者が望むのであれば、お前の側にいられる力を授けてやることはよい。



理の神はそのように水の女神に告げるや否や、海から自らの一部をすくいとりました。


男が見たのは、海から立ち上がる水の柱でした。やがてそれは男と同じ人の形をとり、口を開きました。


「――問おう。

   お前は、水の女神と共にその命尽きるまで天にあり、

   水の子らを迎え送り出す役目を手伝うことを望むか?」


「俺は……。」


男は迷いました。


男の心に浮かぶは、龍の口にくわえられ、わずかの間に見えた空からの景色でした。


神への怒りからついてきた男でしたが、今は怒りよりも、その目で見た数々の景色に圧倒されていました。


そしてそれを毎日見たいと、望む気持ちがあったのです。


「――天にあり、役目を全うすることを誓います。この命尽きるまで。」


理の神は男の望みを聞き入れました。


男は、身体中に浴びていた龍の息吹を感じなくなりました。


温かいと感じない代わりに、冷たいとも感じません。


どこか遠く、記憶の中で人間としての感覚が、海風を寒いと伝えるのみでした。



男は、それまで見ることができなかった水の女神を()りました。


理の神が、そこに在るのを識りました。


そして自分の一部が、神々と同じ存在になったことを識りました。



――天に戻り、水の子らを迎えましょう


――あぁ


男は女神と共に、龍にくわえられた時よりも遥か上空へとのぼりました。


そこは地上よりも日の光が近く、そして地上よりも冷たい場所でした。


――なぜ、こんなにもここは冷たい?

  日の光が、眩しいほどだというのに。


――あぁ、地上は、大地の子らが、熱を集めているの。

  ここでも、水の子らが熱を集めて、風の子らに渡しているわ。

  でもあの子たちは、大地の子らよりもずっと速く駆け回るから。

  どこかに落としてしまうのでしょう。


そして水の女神は、いつものように水の子らに語りかけ、雲が生まれました。


男も、雲にふれます。


……確かに、じゃれてまとわりつく風の子らよりも、少しだけ温かいようです。


しかしそれも、理の神に天上での役目を与えられたからこそ。


人間としての男は、地上から見るよりも儚い雲の感触に驚き、その冷たさに身を震わせました。




――おいで。

  共に、子らを迎えましょう。


――あぁ。




竪琴弾きの男は、そうして、雲上(うんじょう)に住まうことになりました。

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