第6話 「その猫、喋ります?」
「ここ、は……」
「お?起きたか」
二人のうち、茶髪の少年が目を覚ましたようだ。
少年は辺りを見回し、自分の腹にかけられた毛布に気づくと、不思議そうに手を伸ばした。
「……!サミィ!どこだ!?」
次の瞬間、少年は慌てて起き上がった。
「お、おい、落ち着けって。ほら、横にいるだろ?」
俺は慌てて少年を宥め、隣で眠っているもう一人を指し示した。
少年は、サミィと思われる少女が寝息を立てているのを確認すると、安堵したように全身の力を抜き、そのまま地面に仰向けに倒れ込んだ。
「お、おい? 大丈夫か?」
「……」
俺が声をかけると、少年はこちらに顔を向けた。
その鋭い眼差しに、思わずたじろいでしまう。だが、目に敵意は感じられなかった。
「あんたが……助けてくれたのか?」
「いや、助けてくれたのはあそこのデカい猫ちゃんだ。そいつがお前さんたちを運んできたんだよ」
「……そうか」
少年は一度瞼を閉じ、そのまま眠るように黙り込んだ。だが、しばらくすると再び上体を起こし、俺に向かって頭を下げた。
「助かった。ありがとう」
「いや、礼ならあの猫ちゃんに言ってやってくれ。お前さんの連れだろ?」
「……?いや、違う。あれは魔獣だ」
「魔獣?」
魔獣とはなんぞや。聞き慣れない言葉に首を傾げていると、少年が説明してくれた。
「魔獣は魔物と違って、強い生命体だ。俺たちが従えられるような存在じゃない」
魔物に魔獣、それに俺たち……。
聞き慣れない言葉が次々と出てきて、頭の中がこんがらがってきた。うーん、どうにも一度では理解しきれそうにない。
「ん……? お前さん、頭から血が……」
「あぁ。角が折れたんだろう。じきに止まる」
「角って……」
薄暗い中では気づかなかったが、よく見ると二人とも頭に角らしきものが生えていた。それに、耳も笹の葉のように細く尖っている。
「(まあ、根掘り葉掘り聞くわけにもいかんな)」
口から出かかった疑問を飲み込み、俺は粥をすくった器を少年に差し出した。
「食うだろ?」
「……」
「サミィちゃんが心配なのはわかる。だが、まずはお前さん自身がしっかりしねえと。誰がサミィちゃんを守るんだ?」
「……!」
少年はサミィと呼んだ少女に視線を向けたまま、しばらく黙っていた。
やがて、差し出した器を受け取ると、粥をゆっくりと啜り始めた。
「……!」
「へへ、うまいだろ」
粥を一口啜った少年は、喉を鳴らして飲み込むと、驚いたように目を見開いた。
その反応を見て、俺も木製の匙で粥をひとすくいし、口へ運ぶ。
程よく煮崩れたイモの甘みが、麦の素朴な風味によく合っている。とろりとした粥の中で、イモの食感がちょうどいいアクセントになっていた。
「おっと、これ使いな」
匙を渡し忘れていたことに気づき、俺は少年に差し出した。
少年は使い方がわからないのか、戸惑った様子で匙を眺めている。そこで俺が目の前で使ってみせると、すぐに真似をして粥をすくった。
「お兄、ちゃん……」
「サミィ……!?」
少女の方も目を覚ましたようだ。弱々しい声で兄を呼びながら、ぼんやりとした様子で辺りを探している。
少年は器を落としそうになるほど慌てて立ち上がろうとした。だが、俺はその肩に手を置き、動きを制した。
「大人しくしてな。横まで俺が運んでやるから」
そう言って、俺は少女をそっと抱き上げ、少年の隣まで運んだ。
その間、少年は片時も妹から目を離さなかった。
少女を隣に寝かせると、少年は手にしていた器を置き、妹をぎゅっと抱きしめた。
♢
「ほら、サミィちゃんの分だ」
「……?」
「大丈夫だ、サミィ。毒はない」
毒って……まあ、仕方ないか。
サミィちゃんは俺から器を受け取ると、匙を手にしたまま、不思議そうに首を傾げていた。
「ほらほら、兄ちゃんが食い方を教えてやらねえと」
「あ、ああ。サミィ、これはな……」
俺に促され、少年は先ほど自分が教わったのと同じように、サミィちゃんへ匙の使い方を教え始めた。
サミィちゃんも兄に手伝ってもらいながら、なんとか粥を一口、口へ運ぶ。
「……おいし……!」
「そいつは良かった」
よほどお腹が空いていたのだろう。サミィちゃんは次から次へと匙で粥をすくい、口へ運んでいった。
♢
「ありがとう、ございました」
「あいよ。お粗末さま」
兄妹は結局一杯じゃ足りずにおかわりまでして、鍋に残っていた粥をすっかり平らげてしまった。
サミィちゃんは少年の肩に頭を預け、満腹になったせいか、うとうとし始めている。
「で。問題はあの猫ちゃんだな」
一応、猫ちゃんの分として粥を一杯、器によそって残してある。だが、当の本人は目を覚ます気配がない。
猫ちゃんの傷は深い。出会ったときの血まみれの姿を思えば、無理もない話だ。
幸い、寝息は立てている。だが、このまま寝かせておいていいものか。俺はどうしたものかと頭を悩ませた。
だが、次の瞬間。突然見開かれた猫ちゃんの大きな瞳と、まともに目が合ってしまった。
「いっ……!?」
動物を見たことはある。だが、これほど大きな目に真正面から見つめられた経験はない。
思わず身がすくんでしまう。蛇に睨まれた蛙とは、こういう気分なのかもしれない。
けれど、猫ちゃんは敵意を見せるどころか、鼻先を近づけてヒクヒクと動かし、やがて俺の手に舌を伸ばしてきた。
「ん……? 何だ、これを食いたいか?」
言葉が通じるはずもない。それでも俺は猫ちゃんに尋ねてみた。すると、猫ちゃんもまた、頷いたように見えた。
「ちょっと待ってな。こいつもおまけに入れてやるよ」
猫に芋はどうかと思い、代わりにリラドたちからもらった干し肉を水でふやかして、粥に添えてやる。
「────」
猫ちゃんは口を開き、舌を伸ばしてきた。俺は舐め取りやすいように、器をそっと差し出す。
すると、ペロリとたった一舐めで器の中身を平らげてしまった。猫ちゃんは味わうようにゆっくりと飲み込み、喉をゴロゴロと鳴らしている。
「おう。美味いか。まあ、物足りねえだろうが、今は安静にな」
俺は猫ちゃんの頭を撫でてやった。すると、猫ちゃんは身体を動かさず、頭だけをこちらに向けて、俺の腕をパクッと咥えた。
「!?!」
その光景を目の当たりにした俺と、背後にいた少年は、揃って目を丸くした。
「ま、待て待て。落ち着け、猫ちゃん。美味いもん作ってやるから、な?な?だから、た、食べないで……?」
俺はなるべく冷静に、猫ちゃんを刺激しないように努めた。残った右手で身振り手振りまで交えて必死に訴える姿は、とても冷静とは言えなかったが。
それでも猫ちゃんは腕を離さない。左手にはザラザラとした感触がまとわりつき、思わず身震いしそうになる。
「いたっ……!?」
その瞬間、左手に鋭い痛みが走った。
何かで切りつけられたような痛み。包丁で指先の皮を切ってしまったときに似た感触だった。
左手はまだ確かにそこにある。だが、痛みの走った場所には、あのザラザラとした感触があった。
――猫ちゃんの舌?
「ね、猫ちゃん?」
俺が問いかけると、猫ちゃんはすぐに口を離してくれた。
急いで左手を確認する。幸い、傷はない。手の甲に赤い痣が残っているだけだった。
「な、なんじゃこりゃ……」
「それ、証だよ」
「証?知ってんのか、少年」
「サガン」
「え?」
「……俺の名前だ」
サガンと名乗った少年は、終始信じられないものを目の当たりにしたような表情を浮かべていた。
一方の俺は手の甲に残った証と猫ちゃんを交互に見やる。だが、何が起きたのかさっぱり分からず、戸惑うばかりだった。
《ぬし》
「え?」
何が起きたのか理解できずにいると、突然、頭の中に聞いたこともない声が響いた。
《ぬし!》
「は、はい!」
まるで怒鳴りつけられたような声に、俺は思わず背筋を伸ばした。
《めし、くれ。そんな器では、足りぬから》
「はい? 器?って、まさか……」
俺は恐る恐る猫ちゃんの方を振り向いた。
確かめるように指を向けると、それに応えるように猫ちゃんも頷いた。
どうやら俺は、猫みたいな魔獣の声が聞こえるようになったらしい。




