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放課後、毒キノコに恋をする  作者: 明石竜


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8/9

第8話 毒キノコは、隣で見ると近すぎる

 土曜日の午前十時。

 私は、市内の植物園の入り口で一人、スマートフォンの時計を見ていた。

 今日は有志の生物観察会の日だった。

 昨夜まで降っていた雨のおかげで、園内ではキノコがいくつか見られるらしい。秋はキノコ観察には悪くない季節だ。

 だから私は、朝から少しだけ機嫌がよかった。

 ――入口の向こうから、見覚えのある顔が歩いてくるまでは。

「おはよう、穂乃果」

「……なんでいるんですか」

 一ノ瀬颯真は、休日だというのに妙に爽やかな笑顔で手を上げた。

「ひどくない? 会って最初の言葉がそれ?」

「質問に答えてください」

「昨日、拓翔から聞いた。穂乃果、今日ここ来るって」

「桐谷くん……」

 今度会ったら問い詰めよう。

「それで、なんで一ノ瀬くんまで来るんですか」

「キノコ見に」

「昨日までキノコに興味なかったですよね」

「今日から興味持った」

「帰ってください」

「入園料もう払ったから嫌」

 こういうところだけ妙に強い。

 私はため息をついて、植物園の奥へ歩き始めた。

「勝手についてくるなら、邪魔だけはしないでください」

「はい、先生」

「誰が先生ですか」

「キノコ先生」

「帰ってください」

「二回目だ」

 背後で楽しそうに笑う声がした。

 園内は昨夜の雨で湿っていた。

 木々の葉にはまだ水滴が残り、土の匂いがいつもより濃い。

 遊歩道を外れないように歩きながら、私は木の根元や倒木の周辺に目を凝らした。

「あ」

 思わず足を止める。

 倒木の脇に、小さな茶色い傘がいくつも並んでいた。

「見つけた?」

 颯真が横から覗き込んでくる。

「近いです」

「キノコ見るにはこのくらい近づかないと」

「私に近づく必要はないです」

「細かいなあ」

 私はしゃがみ込んで、キノコを観察した。

「たぶん、この辺りではよく見られる種類ですね」

「食べられる?」

「第一声がそれなの、やめた方がいいですよ」

「でもキノコ見たら気になるじゃん」

「野生のキノコを見て最初に食べられるかどうか考える人は、キノコ事故への第一歩を踏み出しています」

「怖い言い方するね」

「事実です」

 颯真も私の隣にしゃがみ込む。

 普段なら女子に囲まれている一ノ瀬颯真が、休日の植物園で真剣な顔をしてキノコを覗き込んでいる。

 妙な光景だった。

「これ、触っていい?」

「だめです」

「毒あるの?」

「種類を断定できてないので触らないでください」

「穂乃果でもわからないことあるんだ」

「ありますよ。私は専門家じゃないので」

「なんでも知ってるのかと思ってた」

「一ノ瀬くんの中で私は何者なんですか」

「キノコ博士」

「格上げされてる」

「次は教授?」

「勝手に昇進させないでください」

「じゃあ名誉教授」

「話を聞いてください」

 思わず笑ってしまった。

 その瞬間、颯真がこちらを見た。

「……なに」

「いや」

 なぜか、少し嬉しそうに笑っている。

「穂乃果、こういうとき結構笑うんだなって」

「普段から笑います」

「俺といるとき、だいたい警戒してるじゃん」

「危険生物なので」

「まだその設定続いてるんだ」

「設定ではありません」

 私は立ち上がり、次の場所へ向かった。

 しばらく歩くと、今度は鮮やかな色のキノコが目に入った。

「あ、綺麗」

 颯真が言った。

 私は反射的に彼の腕を掴んだ。

「触らないで」

「触ってないよ」

「あ」

 気づいて、すぐに手を離した。

「……すみません」

「べつにいいけど」

 颯真は、自分の腕と私の顔を交互に見ている。

「そんなに危ないの?」

「見た目だけで判断しない方がいいです。綺麗だから安全とは限らないので」

「へえ」

 颯真はキノコを眺めながら、妙に納得したように頷いた。

「綺麗なものほど危ないってこと?」

「そういう単純な話でもないですけど」

「じゃあ俺と一緒だ」

「…………」

 私は黙った。

「今、絶対何か思ったでしょ」

「何も」

「俺のこと毒キノコだと思った?」

 心臓が止まりそうになった。

「なんでそうなるんですか」

「穂乃果、たまに俺見る目が珍しい生き物見る目だから」

 鋭い。

 妙なところだけ鋭い。

「自意識過剰です」

「そうかなあ」

 颯真は楽しそうに笑っている。

 けれど、学校で女子たちに向けている笑顔とは少し違って見えた。

 誰かに好かれるための笑顔ではなくて。

 ただ、面白いから笑っている。

 そんな顔だった。

「穂乃果ってさ」

「なんですか」

「キノコの話してるとき、すごく楽しそうだね」

 思いがけない言葉だった。

「……そうですか?」

「うん。学校にいるときより、よく喋るし」

 言われてみれば、今日は私の方が話している時間が長いかもしれない。

 いつもは颯真に話しかけられて、それを追い払うのに必死なのに。

「好きなものの話なら、普通じゃないですか」

「そっか」

 颯真は少し考えるようにして、それから笑った。

「じゃあ、今日来てよかった」

「キノコに興味持ったんですか?」

「それもあるけど」

 颯真はこちらを見る。

「穂乃果が何好きなのか、ちょっとわかったから」

「……そういうこと、簡単に言わない方がいいですよ」

「なんで?」

「そういうところです」

「また怒られた」

 本人はまったくわかっていない。

 やっぱり危険だ。

 ものすごく危険だ。

 私はそう思いながら、再び歩き出した。

 けれど。

「穂乃果、次あっち行こうよ。なんか生えてる」

「その言い方だと全部キノコみたいに聞こえます」

「違うの?」

「植物園に謝ってください。そして、走らないでください。踏みますから」

「はーい」

 少し先を歩く颯真の背中を追いながら、私はふと思った。

 毒キノコは、遠くから眺めているだけなら安全だ。

 そのはずなのに。

 今日はなぜか、その隣を歩くことが、それほど嫌ではなかった。

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