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捨てられOL、ダンジョン入って牙を研ぐ  作者: 夢乃舞家


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4/30

冒険の予感

 朝、目が覚めたとき、頭の芯が少しだけ痛かった。

 こめかみが鈍く疼く。昨日は思っていた以上に飲んでいたようだ。


「……あぁ、ちょっと飲みすぎたぁ」


 頭を抱えながら起き上がると、自分の服装を見てがっくりきた。 

 どうやら着替えもせずに寝ていたらしい。

 服が皺だらけになっているし、靴下を履いたまま寝ていたようだ。

 

 「なんか靴下も汚れてるし」


 もしかして靴を履かずに帰ってきたのだろうか。

 念のために玄関を見に行くと、ちゃんと靴はあった。


 昨日、神崎くんに引っ張り出されて飲んだところまでは覚えている。

 問題は、それからだ。

 居酒屋を出た辺りから記憶がない。


 「まあ、いいか」


 もし隣に神崎くんが寝てたら慌てていたところだったが、そんなことはなかった。

 よかった。

 ベッドから出ると、テレビをつける。

 そして、台所でコップに水を汲んで、一気に飲み干した。これで少しは楽になるだろうか。

 冷蔵庫を開けて、食べられそうなものを探していると、ニュースの音声が流れてきた。


『——本日未明、新たに確認されたゲートは、これで今年二カ所目であり——』


 その単語で、私の手が止まった。

 画面に目線を向けると、そこには黒い空間が駐車場の真ん中に浮かんでいる様子が映っている。

 ゲート。

 その二文字で、切れていたフィルムが繋がるように記憶が戻っていく。


「……あ」


 コップを、危うく落とすところだった。


「あれは夢……だよね?」


 私はゲートのことを思い出し、あの部屋を確かめることにした。

 そして、部屋を覗いて見ると。


 「うわぁ…本当にあるし」 


 通称ゲート。今もっとも世界で危険な場所だ。

 そして、昨日の記憶が鮮明になって蘇ってくる。

 私は酔った勢いで、その中に入ってしまっていたのだ――。


「……うそでしょ」


 なんだか現実味の無さに、頭がしっかりと回ってくれない。


「それにしても、どうしてダンジョンが家の中に……」


 ダンジョン。

 それは、約二年前に突如として世界中に出現し、多くの人が犠牲となった。

 ゲートの先に広がるのは、見たこともない魔物と呼んでいる化け物が棲む別世界。

 出現した当初は、物珍しさや一攫千金を狙って、世界中の人が競うように潜っていった。けれど、ニュースは連日、死者と行方不明者の数を伝えることとなった。


 今では誰もが知っている。

 ゲートの向こうは、遊び半分で立ち入っていい場所じゃないと。

 あそこに一歩でも入れば、常識の通じない世界に迷い込むことになる。

 ゲート発生当時の私は、そんな危険な場所にわざわざ行く人は頭がおかしいと思っていた。


 そんな世界が私の家と繋がった。

 ダンジョンは、基本的に広く開けた場所に発生する可能性が高いって以前テレビで言っていた記憶があった。

 だが、今は私の家の狭い一室に出現している。

 もしかして、その情報は間違っていたということなのだろうか。


 そんなことよりも、このタイミングでゲートが家に発生したことが、単なる偶然だと私には思えなかった。


 「私に入れって言ってるのかしら……」


 以前は何の興味もわかなかった。

 わざわざ殺されに行こうとするなんて馬鹿じゃないのか。そう思っていたはずなのに。

 今ではそれを、魅力的を感じている自分がいた。

 あまりスピリチュアルとか占いとか信じないタイプではあるのだけれど、なぜかこれが運命だと感じてしまっている。

 心が弱ってるからそんな風に感じるのだろうか。 


 仕事はうまく行かず。恋も終わった。

 両親には先立たれ、この広い家に帰ってきても迎えてくれる声はない。


 もう私の人生なんて、どうにでもなれ。そう思っている所にゲートが現れた。

 それが、私には神様が新たな道を指示してくれている気がしてならなかった。


「……探索者になってみるのも、いいのかもしれないなぁ」


 ダンジョンには、今も挑戦し続けている人達がたくさんいる。その人たちのことを、世間では探索者と呼んでいる。

 仕事ができない落ちこぼれがなるものだと思っていた時期があったからこそ、私にとってものすごく勇気のいる選択だ。

 今思えば、ひどい思い上がりだったなと反省する。


 でも、仕事を辞める勇気もなく、休職をして何とか人生を繋いでいるような今の私には、ぴったりなのかもしれない。

 だからこそ、神様は私の家にゲートを作ってくれたんだ。

 だったら、探索者をやるべきではないのか。

 死んだところで悲しむ人は、もういないのだから。


「……新しい人生だと思って挑戦してみようかな」


 言葉にすると、案外悪くない気がしてきた。

 何もせずに腐っていくより、新たな始まりだと思って頑張ってみるのもいいと思う。

 そう考え始めると、少しだけ気持ちが楽になってきた。


 私は早速準備をすることにした。

 さっきまで、人生に絶望をしていたのに、なんだか生きる活力みたいなものが沸いてきていて、体が軽く感じる。

 こうなると不気味に見えていたゲートも、知らない世界に連れて行ってくれる魔法の扉に見えてくるから不思議だ。


 とりあえず、私はダンジョンについてまだまだ何も知らないので、休職してから開いていなかったノートパソコンで調べてみた。

 出てきたのは、個人が運営している初心者用の情報サイトだった。

 トップページに、赤い文字で大きく注意書きが並んでいるを読んでみる。


『初心者は絶対に単独で潜るな』

『三人以上で行動せよ』

『必ず誰かに、どこのゲートへ入ったかを伝えろ』


「……全部無理じゃん」


 思わず声が出た。

 三人以上でと言われても、誘える相手がいない。

 神崎くんの顔が浮かんだけれど、あの子をこんな危険なところに誘うわけにもいかないし。

 いきなり全部の条件をクリアすることができないことが発覚した。

 でも、まだあきらめない。

 スクロールしていくと、ダンジョンの基本的な知識があった。


 ひとつ目。ゲートに入ると、ダンジョンに強制転移される。この時に触れている物も一緒に転移されることになるので、身に着けていれば荷物を持ち出せる。


「……ふむふむ。確かにダンジョンに入ったら裸だった。なんてことにはならなかったものね」


 ふたつ目。ダンジョンの中では、自分が入ってきたゲート以外のゲートを認識することができない。そして、基本的に同じゲートからしか出ることができない。


 「つまり、家のゲートから入ったら、同じゲートからしか帰って来れないってことよね。迷子にならないように気を付けないと」


 みっつ目。同じゲートから入れば、特殊な条件が発生しない限り同じ場所に転送される。


「なるほど」


 つまり、家のゲートなら昨日の草原にまた出るということかな。

 少なくとも、入るたびに知らない場所に放り出されるわけではないらしい。

 特殊な条件っていうのが気になるが、基本的には戻ってこれるということだろう。


 よっつ目。魔物は自らゲートから出ることができないことを確認されている。なので、危ない時はゲートから逃げても追ってはこれない。

 だから国は、「勝手に入るなら自己責任で」と決めたらしい。

 外に害が漏れないなら放っておいても構わない、ということなのだろうか。


「……そんな杜撰(ずさん)な対応でいいのかしら」


 でも、そのおかげで私は、何の許可もなくこれに入れるし、ゲートが家の中にあっても危険性は低いということが分かった。

 そして、次の項目で私の手が止まった。


『ゲートの出現場所について、現在、報告の義務は無いが、努力義務で警察への届け出をしてほしいということになっている』


 もし届け出たりしたら、たぶん警察の人が家に来ることになるんだろう。

 調査が入ったりすれば、この家もどうなるかわからない。

 もし危険だから引っ越せなんて言われたらたまった物じゃない。


「……今は誰にも見られないようにしなきゃいけないわね」


 私は立ち上がって、部屋の雨戸を閉めて、外部から中が見えないようにしておいた。

 今は誰にも話さない。

 神崎くんにも、ゲートのことはまだ言わないようにしよう。そう決心した。


 パソコンの前に戻って、私は最後の項目を開いた。


『ダンジョン資源査定機構について』


 国が認可したお店では、ダンジョンで得たアイテムを誰でも売ることができるようだ。

 ほかにも売る方法はあるらしいが、いろいろ条件があるらしいので、最初はここで売るのがいいだろう。

 

 ダンジョンで得られるアイテムの代表格といえば魔石だ。

 ダンジョンが現れて魔石が取れるようになってから、国は率先して魔石の買い取りを始めたのは知っている。

 あまりにも興味がなかったので、魔石が何に使われているのか知らないのだが、基本的に探索者はこの魔石の売買で生活をしていると、随分前にニュースで見たことがある。

 最新の情報はあとで確認するとして、どのくらいで買い取ってくれるのか見てみた。


 魔石の査定基準は、重さだけで判断されているようだ。

 計量して、その場で現金に換金してくれるらしい。

 さらにその下に、現在の買取価格が書かれていた。


 それを見て、私は画面に顔を近づけた。


「…………は?」


 グラム単位の数字が書かれている。

 1グラム10万円。

 私の一か月の手取りが、わずか数グラム程度の重さで超えられてしまう代物だった。

 私は少し身を乗り出して、その下の項目も読んだ。


『魔石の取り出し方』


 魔物には内臓がなく、体の中は空洞になっているらしい。

 心臓のあたりに魔石が一つだけあり、それを取り出して持ち帰るだけだと。


「……心臓のあたり。つまり、お腹を切るってこと?」


 文字にすると簡単だけれど、実際にやるところを想像したら少し喉の奥が締まる思いだった。

 動物を殺した経験なんてないのに、私にできるのだろうか。

 そういえば、昔に狩猟女子が流行ってたことがあったっけ。

 意外と女の子でもできるのだろうか。

 その下に、もう一行あった。


『ごく稀に、魔物の体内からアイテムが出てくることがある』


「え、そんなことあるんだ」


 どういう理屈でそうなるのかは、誰にも分かっていないらしい。

 ただ、実例はいくつも上がっていて、そういうアイテムについてはとても高額で取引されることが多いという。

 次の項目に、大きな写真が貼ってあった。


『宝箱について』


 草の中に、黒い箱が置かれている写真だった。

 装飾も、鍵も、蝶番も見当たらない。ただの、四角くて黒い箱。

 説明を読むと、ダンジョンのあちこちに、こういう箱が隠されているのだという。

 どこにあるかは決まっていないし、滅多に見つからないから宝箱と呼ばれているらしい。

 

 開け方は箱を壊すしかないようだ。

 中にはダンジョンでしか手に入らないアイテムが入っていることがあり、中身は開けるまで分からない。

 そして、開けた箱は自壊して、粉々になってしまうらしい。


「宝箱っていうから、もっとこう、それっぽいのを想像してたけど……でも、宝箱なんて夢があるわね」


 どう見ても、粗大ごみに出されているような汚い箱だった。

 私は写真を拡大して、形と質感を頭に入れた。

 あの草原の中で、これを見つけられるかどうかは分からないけれど、知らずに見逃してたらもったいないからね。


 そこまで読んで、私はパソコンを閉じた。


「……なんにしても、まずはやってみるところからだよね」


 私はランニングで使っていたジャージに着替えることにした。

 靴はスニーカーくらいしか、まともに動けるものがなかったのでしょうがない。

 髪をひとつに縛って、鏡の前に立つ。


「うん、今はこれでいいかな」


 次は武器。

 そこで武器なんて家にないということに気がついた。

 当たり前だ。普通の家に、武器があってたまるか。

 代わりになりそうなものを、と考えて台所の引き出しから、三本の包丁を順番に出してみる。


 小型の中華包丁は刃が四角くて頼りない。果物ナイフは小さすぎる。

 結局、いちばん使いやすそうな三徳包丁を選んだ。

 刃渡りは二十センチくらい。ちょっと心もとないが魚も肉も切れる、うちで一番の働き者だ。


「……これでいいのかな」


 あとはスマホもポケットに入れた。電波があるのかわからないけれど、時計としては使えるはず。

 

 全部揃えて、私はもう一度、鏡の前に立った。

 ジャージ姿の化粧もしていない女が、包丁を握って立っている。

 完全に犯罪者だった。


「……よし。準備万端。なんか犯罪者臭がすごいけど、包丁を入れる鞘なんてないし。ダンジョンなんだからきっと許されるはず」


 そんな言い訳をして自分をごまかした。

 部屋の扉を開けると、先ほど見たゲートが変わらずそこに佇んでいた。

 私はその前に立つと、興奮しているのか、恐怖しているのか、心臓が異様にうるさい。


「……よし、行こう」


 包丁を握り直して、私は足を踏み出した。


 畳の匂いが消え、湿った土と草の匂いに変わっていく。

 そこには、昨日見た光景と変わらない赤い空が広がっていた。

 どうやら情報通り、昨日と同じ場所に出たようだ。

 スマホを見ると、やはり電波は届いていないらしい。


「……さて。では出発!」


 私は草を掻き分けて歩き出す。

 見晴らしはいいけれど、ここからは何が起きても不思議じゃない。しっかりと警戒をしながら進んでいく。


 目に見える範囲には、虫も鳥もいる気配がない。

 聞こえるのは自分の足音と、草の擦れる音だけ。


 しばらく歩いていると、右手の方で草が揺れたように感じた。

 私は足を止めて観察すると、確かに何かが草の中を移動している。

 包丁を握り直してそちらを観察していると、草の間から丸い背中が見えた。


 白い毛。ふわふわとした丸い体。長い耳が二本ぴょこんと立っている。


「……うさぎ?」

 

 私に背を向けて、草を食んでいるらしい。

 もぐもぐと口が動くたびに、背中が上下に揺れる。

 大きさも一般的なウサギの大きさだと思う。


 ダンジョンには生物が魔物しかいないと書いてあったはずなのだが、想像していた化け物とはまるで違い、普通の動物の見た目をしているようだ。


「なんだ、かわいいじゃん」


 私は、少しだけ肩の力を抜いた。

 これからこのウサギを殺すのか。そう考えると罪悪感をすごく感じる。

 しかし、その声に反応して、うさぎがこちらを振り向いた時、その気持ちも薄まった。

 

 「うわ……」


 その顔には、真ん中に大きな目が一つだけ。

 黒目のない、濁った黄色の球体が私を見ていたからだ。

 その口からは、指ほどに長い牙が二本、外に飛び出している。


 全然かわいくなかった。


 すると、うさぎがこちらへ向けて口を大きく開けるのが見えた。

 次の瞬間、うさぎが地を蹴った。

 速い。

 そう思ったときには、もう目の前まで来ていた。

 白い塊が、まっすぐ私の脚めがけて飛んでくる。


 「キャッ……!」


 私はとっさに横へ跳んだ。

 草に足を取られて、無様に転がる。

 肩から地面に落ちて、息が吐き出された。

 すぐ横をうさぎが通り抜け、牙が掠めたのかジャージの裾が裂けている。


「っ、はや……!」


 起き上がる間もなく、うさぎが草の中で反転した。

 もう一度、こちらを向いて身を低くすると飛んでくる。


 来ると分かっていても、体が追いつかない。

 私は包丁を突き出すようにして前に出した。

 しかし、うさぎは寸前で軌道を変えて、私の腕を掠め、また草の中に消える。


 二回、三回と同じことが続いた。

 そのたびに傷が増えていく。

 あんな牙でまともに噛みつかれたら大けがでは済まないかもしれない。

 だが、私の息も上がってきていた。


「はぁ、はぁ…なんで、当たんないの……!」


 速すぎるのだ。

 方向転換が鋭く、こちらの動きを見てから軌道を変えてくる。

 なかなかタイミングを合わせることができていなかった。

 やはり、普通の動物とは違うということだろうか。


 あの速さだと、背中を見せた瞬間に追いつかれ、あの鋭い牙で噛まれて終わる未来が見える。

 つまり逃げることもできないと思う。


 なら――迎え撃つしかない。


 私は包丁を逆さに持つと、手を体に引きつけた。

 腰を落とし、左足を前に出す。

 ボクシングのときの構えだった。

 試合になんて出たことのないエクササイズのボクシングだったが、それでも体は覚えている。


 向かってくるものから、目を逸らすな。

 ジャブを入れるつもりで包丁を突き出せばいい。


 うさぎが、また身を低くして跳ぶ瞬間に集中する。

 今度は避けなかった。

 跳んできた軌道に合わせて、半歩だけ横へ体を捌く。


 白い塊がすぐ横を通り抜けようとしている。

 その瞬間に、うさぎの胴をなんとか捉えた。


 その瞬間に「ウラァァ!」と、自分の声とは思えない声を上げながら包丁を横に薙いでいた。

 手応えはあった。

 刃が肉に食い込むような感触が、柄を握る手に全部伝わってくる。

 なのに、うさぎからは血が出ていなかった。

 浅くとも斬れたと思ったのに一滴も刃に血がついていない。

 もしかすると毛皮のせいで刃が通らなかったのかもしれない。

 そんな心配が頭に過った時だった。


 うさぎが甲高い声で鳴いた。

 草の上でもがき苦しむように倒れている。

 それでも起き上がろうと、脚をばたつかせ始めた。

 その隙を私は見逃さなかった。


 「このっ!!」


 うさぎの頭を全力で抑えつけ、包丁を胴体へ振り下ろした。

 それを何度も繰り返すと、うさぎは動かなくなった。


 手ごたえはあるのに、斬っても突いても血の一つも飛んでこない。

 それが、余計に怖かった。

 生き物を殺しているということも恐怖を加速させていたと思う。



 ◇


 「ふぁ……終わった」


 私はその場に座り込んだ。

 手足が震えて、肩で息をしていた。

 腕も脚も細かい傷だらけで、じんじんと熱い。


 目の前に、小さな死体があった。

 さっきまであんなに素早く動いていたものが、ぴくりともしない。


「……勝った、のかな」


 勝ったはずなのに、嬉しさはまるで湧いてこなかった。

 動物を殺した罪悪感が手を震わせている。

 一歩間違えれば、私のほうが倒されていた可能性だってあった。


 これが探索者。

 生まれて初めて死を意識した瞬間だった。

 心臓は激しく鳴り響き、全身が震えている。

 私は、そのまま落ち着くまで動くことができなかった。


 しばらくして、私は死体のそばに寄った。

 やらなきゃいけないことがある。

 魔石を取り出すのだ。


「……お腹を切るんだったよね」


 攻略サイトを思い出す。

 心臓のあたりに魔石が一つ。

 それを取り出して持ち帰るのが探索者の仕事だ。


 言うのは簡単だけれど、いざ刃を当てるとなると手が止まった。

 相手はもう死んでいる。

 それでも、冷静になってしまうと、生き物の腹を裂くというのは、想像していたよりずっと勇気のいることだった。


「ごめんね」


 私は包丁の先を、白い腹に当ててゆっくりと引いた。

 毛皮は硬くて少し力がいる。

 皮が裂け、刃が中に入っていく。血が溢れてくると思って身構えていたのだが、やっぱり出てこなかった。

 血の一滴も流れない不思議な切り口から覗いた中身は、きれいなピンク色と白の層だった。

 手も包丁も、脂のせいかテカテカしている。


「……やっぱり、血がないんだ」


 この生き物は、私の知っている「生き物」とは、根本から違うのだと実感した。

 恐る恐る、切り口を左右に開いてみた。


 情報通り、内臓がなかった。

 胃も、腸も、何もない。

 中は、がらんとした空洞になっていた。

 お腹の中には、細い糸のようなものが張り巡らされていて、網の目みたいに体中を走っている。

 なんだか気色悪い。

 その糸が集まっている中心に、それはあった。


 魔石だ。

 指の先くらいの、小さな石が糸に絡め取られるようにして収まっていた。

 青みがかった澄んだ色をしていて、表面がつるつるとしている。

 

 私は、その石をつまんで引き抜いた。

 糸がぷつぷつと簡単に切れて、石が手のひらに落ちる。


「……これが、魔石かぁ。綺麗」


 これだけ綺麗な石になると、宝石としての価値でもあるのだろうか。

 でも、傷だらけになって手に入れたのが、この小指の先ほどの魔石。

 割に合っているのか、いないのか。

 思っていたよりも小さい魔石だったので、1グラム10万円だったとしても、どれほどになるのかよく分からなかった。

 さすがに1グラムはあるだろうし、倒すのに一時間はかかっていないと思うので、最低でも時給10万円ということになるのかな。

 そう考えるとすごい。

 

 

 念のため、私はお腹の中の空洞をもう一度覗いてみた。

 稀に、体の中からアイテムが出ることがある、と書いてあったからだ。

 当然、そんな都合のいいものは入っていないようだ。


「まあ、そんなに甘くないか」


 私は魔石をパーカーのポケットに入れて立ち上がった。


 ◇


 帰り道は、思ったより長く感じた。

 傷が痛むし、気が抜けたせいか足も重い。

 それに、また新しい魔物に出会ったら大変なので、身長に足を進める必要があった。

 

 草原の中にゲートを見つけたときは、ほっとした。

 ゲートをくぐると、嗅ぎ慣れた畳の匂いが戻ってきた。

 靴をその場で脱いで部屋を出る。

 ここを土足で出入りすることも考え、新聞紙をとりあえず引いておくことにした。

 

 スマホを見ると、思ったよりも時間が経っていた。


「……一時間も経ってたのね。もっと早く帰ってきたつもりだったんだけど」


 初めての戦闘で、ちょっと緊張していたのかな。


 ◇


 シャワーを浴びて、傷の手当てをした。

 幸い、どれも浅い引っかき傷だった。

 消毒して絆創膏を貼れば済む程度。あの牙にまともに噛まれていたら、こうはいかなかっただろうけどね。


 さっぱりしてから、私はテーブルに取ってきた魔石を置いて、ノートパソコンを開いた。


「あんたのこと、調べさせてもらうからね」


 先ほどの魔物について、検索してすぐ目当てのサイトが見つかった。


『魔物図鑑』


 探索者たちが手分けして情報を持ち寄って作っている、有志のデータベースらしい。

 倒した魔物の名前、採れる素材、その用途までまとめられている。


 ただ、ダンジョンが確認されてまだ日が浅いこともあって、分かっていないことのほうが多く、「不明」と書かれた項目がそこら中にあった。まだまだダンジョン関連は発展途上といったところだ。

 私は、あのうさぎの姿を頼りに、検索窓に打ち込んだ。


『うさぎ 一つ目』


 一発で出た。


『単眼ウサギ』


 写真が、まさにあいつだった。

 濁った黄色の一つ目。

 見た瞬間、背筋がぞわっとした。相変わらず気色の悪い見た目をしている。

 説明を読んでいく。


『草原や湖周辺などに広く分布している。素早く、跳躍して牙で噛みついてくる。初心者が油断して負傷する例が多い。要注意』


「……初心者が油断して負傷かぁ。まさに私じゃん」


 苦笑いが漏れた。

 その下に、採れる素材の項目があった。


『魔石:青(水属性)』

『肉:可食。美味。クセがなく食べやすいと評判』

『骨:可食。美味。良い出汁が取れるらしい』

『毛皮・牙・爪:現時点で用途・買取先ともに確認されず。価値なし』


 私は、そこで手を止めた。

 まず、魔石に「水属性」と書いてあった。


「属性……? 魔石って、他にも種類があるのね」


 青いから水、というのは分かりやすいが、もしかしてこの魔石で水魔法とか使えるようになったりするのだろうか。

 ここには魔石の使用方法は書かれていない。

 でも、この小さな石に「属性」なんてものがあると知れただけで少しわくわくする。

 そして、その下の一行に目が止まった。


『肉:可食。美味』


「え、……食べれるの? あれ」


 あの気味の悪い一つ目のうさぎが頭に浮かぶ。

 食べるにはなかなか勇気のいる見た目だった。

 でも、血が出ない肉だったし、さばくのは楽そうだ。

 美味しいならちょっと食べてみたくもなる。


 肉や骨は、買取店では今は買い取っていないようで、探索者が自ら食べて楽しんでいるようだ。

 毛皮なんかはなめしたりして使えそうなものだけど、どこかに伝手でもない限り難しそうだった。


「……もったいないことしたなぁ。今から取りに帰るにしても、どこに置いてきたかわからないし」


 パソコンの前で、私は頭を抱えた。

 あんなに苦労して倒したのに。

 魔石以外は、すべて置いてきてしまった。


「次からは気を付けないとなぁ……」


 初めての狩りは上手くいったのに、なんだか少し損をした気分になった。


「今後、肉を持って帰るなら大きい袋がいるわね……」


 血が出ないのはありがたいが、あの単眼ウサギ一匹分でもそれなりの量になるだろう。


「そんな大きい袋、家にあったかな……」


 少し家の中を漁ってみたが、良さそうな袋がなかったので、明日ホームセンターにでも行って買ってこようと思う。

 私はさっきの『魔物図鑑』をもう一度開いた。


「あのウサギより、もっと弱い魔物とかいないのかな」


 私は他の魔物を見て回った。

 いきなり知らない相手と出くわして、また死にかけるのはごめんだしね。


「へえ……うさぎの他にもこんなに魔物っているんだ。なんだか見た目が変なのが多いなぁ」


 気づけば、魔物への恐怖はどこかへ消え、単眼ウサギとのやり取りを思い出していた。


 飛びかかってくる牙をかわし、無我夢中で包丁を突き立てて倒した、あの瞬間。

 心臓が壊れそうなくらい速く打ち、頭の中が真っ白になっていた。

 しかし、その時感じたのは、恐怖ではなく、全身の血が一気に沸き立つほどの高揚感だった。

 これほどまで、生きている実感を得たことがあっただろうか。


「思い出すと、ドキドキが止まらない……」


 もっと味わいたい。

 あの、心が剥き出しになる感覚を。

 頭が空っぽになって、生を感じられるあの瞬間を。


 私は青く輝く魔石をつまみ上げて、電球の光にかざしてみた。

 傷だらけになりながらも勝ち取ることができた初めての戦利品だが、これだけは思い出として売らずに取っておくことにしようと思う。


「――明日は、もっと上手くいくように頑張らなきゃね」

 

 私は、調べものもそこそこにして、明日のために休むことにした。

 私は思っていた以上に疲れていたようで、ベッドに入るなりすぐに意識を手放した。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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