神崎の挑戦
会社の朝礼が始まった。
特にいつもと変わらない話が続けられている。
正直、これに何の意味があるのか俺にはわからなかったが毎日のことなので慣れてしまっていた。
そして朝礼の最後に、課長がふと思い出したように口を開いた。
「あ、それと。ダンジョン事業部創設についての新規プロジェクトなんだが、正式に人選が始まるらしいぞ」
突然何を言っているのか俺にはわからなかった。
俺、神崎蓮は、思わず顔を上げた。
「詳細は追って通達が来ると思うが、各部署から候補者を募るそうだ。興味がある者は、事前に俺に言ってくれれば繋ぐからな」
そう言うと、課長はあっさり次の話題へ移ってしまった。
周りの反応は薄い。ダンジョンなんて自分には関係のない世界だと思っている人間が、この部署にはまだ多いんだろう。
実際、テレビではよくダンジョンについてのニュースはやっているが、会社で働くサラリーマンにはあまり関係のない話である。一時期は大騒ぎされていたが、今は落ち着いてきているし、興味がある奴しか食いつかないような話題となってきていた。
でも、俺は違った。
白瀬さんが、今まさにそのダンジョンへ挑戦している。それを俺だけが知っているんだ。
本来、このプロジェクトにふさわしいのは、誰よりも白瀬さんだ。実際にダンジョンへ潜っている人なんて他にいないのだから。あの人がいれば、選考なんてあっという間に決まるはずだ。
でも、今の白瀬さんはここにいない。
会社のクソみたいな体制のせいで追い出されてしまったんだ。
だったら、ここは俺がやるしかない。
もし白瀬さんが戻ってきた時のために、居場所を作ってあげたかった。
朝礼が終わって解散するなり、俺はすぐに課長の席へ向かった。
「課長、さっきの話、少し詳しく聞かせてもらえませんか」
「ん? 何の話だ?」
「ダンジョン事業部のプロジェクトが始まるって。俺初耳なんですけど」
「ああ、ダンジョンの件か。表にちゃんと張り出してあっただろ。見てないのか」
「そうですか、すみません。最近忙しくてチェックできていなかったです。それで、ダンジョン事業部ってなんですか?」
課長は、意外そうにこちらを見上げた。
「お前が興味あるとはな。珍しいじゃないか。名前の通りダンジョン関連を受け持つ部署を作ることになってな。今回は希望者を募ってるんだ。特殊なことだからメンバーになるのに条件があるけどな」
「条件ってなんですか?」
「ダンジョンに入った経験がある者、もしくは、現役の探索者に伝手のある者だそうだ。ダンジョンに入るだけなら今からでも入れるから、もしどうしてもっていうなら、一度ダンジョンに入って経験してきたら候補には入れるらしいぞ。ただ、確認の仕様がないから入ったと嘘をついても誰もわからんがな」
随分と緩いが、きっと優先されるのは現役の探索者に伝手があるかどうかだろう。ほかは人数合わせということか。
「実は俺、一度だけダンジョンに入ったことがあるんです。なので条件はクリアしています」
言いながら、心臓が少し早くなるのを感じた。
「あと、現役の探索者の知り合いもいるので大丈夫です」
嘘はついていない。でも、全部を話しているわけでもない。
その知り合いが白瀬さんだと言ったら、みんなどう思うんだろうか。
その中途半端さが、妙に落ち着かない気持ちにさせる。
「ほう、そうか。ならいいんじゃないか。ただし、あとでその伝手を使うことになるだろうから、嘘をついていた場合は大変なことになるのは自分だぞ。本当に大丈夫か?」
課長は、興味深そうに眉を上げた。
もし嘘が後から発覚したら、責任を取って誰か現役の探索者を探してこい。という話になり、自分の首を絞めることになるぞ。ということだろう。
「大丈夫です。候補へ入れてください!」
「そこまで言うなら上に上げておこう。でもいいのか?お前は進んでこの部署に来たんだろ」
そう、俺は入社時に志願してこの部署に配属してもらった過去を持っていた。
しかし、今はもうここにいる必要性が無くなってしまったのでどうでもよかった。
なぜなら、白瀬さんが居なくなってしまったからだ。
俺は、過去に白瀬さんに返しきれない恩がある。だからこそ、この部署に来たのに。
「はい、ですが、ダンジョンには興味があるので、そちらで頑張りたいです。よろしくお願いします!」
「わかった。ただし、あくまで候補に上げるってだけだからな。そこから自分で頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
深く頭を下げると、課長は少し呆れたように笑った。
「お前がそんなに前のめりになるとはな。まあ、いいんじゃないか。若いうちにいろいろ経験しておくのも。実際にダンジョンへ入るわけでもないしな」
そう言うと、課長はパソコンの画面に向き直った。
俺は自分の席へ戻りながら、小さく息を吐いた。
これで、最初の一歩は踏み出せたはずだ。
あとは、正式な人選が始まるまでに、もう少しダンジョンについて学んでおこう。そう思った。
それから数日、俺は暇を見つけては、ダンジョン関連の情報を漁るようになった。
専門用語が多く意味は察せられるものもあれば、まったく想像がつかないものも多い。
今後ダンジョンと関わるなら専門用語くらいわからないようではいけない。そう思って久しぶりに徹夜して勉強をしていた。
これじゃ、プロジェクトチームに入れたとしても、話についていけない可能性があるからだ。
そうならないように、学ばなければ上に立てない。
誰よりもダンジョンに詳しくなって、部署の班長くらいにはならなければ意味がない。
裁量権のある立場にならなければ、白瀬さんのサポートなど夢のまた夢なんだ。
そう自分に言い聞かせ、休憩中でもスマホを片手に検索を繰り返していると、隣の席から声がかかった。
「神崎、なに見てんの?」
声をかけてきたのは、同期の男だった。
「ああ、いや。ちょっとダンジョンのこと調べてて」
「は? なんでダンジョン? 探索者にでもなるのか?」
興味を引かれたのか、彼は椅子ごとこちらへ寄ってくる。
「いや、例のプロジェクトあるだろ。あれに立候補しようと思ってな」
「ああ、あれか。まじであれに手を挙げるやついるんだ。あんなの次の出世組のためにポストを増やすためにできただけだろ。俺たち下っ端が入ったってこき使われてボロ雑巾のように捨てられるだけさ」
彼はため息をつくと、俺のスマホの画面をのぞき込んでくる。
「やっぱり俺たちとは世界が違うんだよ……ダンジョンなんてさ」
なんて悲観的なやつなんだコイツ。
でも、気持ちはわかる。俺もダンジョンの挫折組なんだからな。
きっと探索者になれと言われていたら、即答で拒否するくらいの腰抜けだ。コイツのことを否定できないな。
「ああ。俺も同じ気持ちだよ」
二人で顔を見合わせて、思わず苦笑いする。
「でもさ、こういうのって、その方面で人脈があるやつが強いだろ。確か探索者ってなんちゃら同盟って組織があるんだろ? その辺俺は詳しくないけど、お前は伝手とかあんのか?」
「伝手なぁ」
「ニュースでもたまに見るけど、本気でポスト取りに行くならどこかとコンタクトくらいとっといた方がいいんじゃないのか?」
言われてみれば、今から動いておいても困ることはないし、プロジェクトチームに入れなかったとしても、もしかすると白瀬さんの助けにはなるかもしれないな。
「有名な同盟の人と知り合いだったりすると、選考でも有利になるんだろうがね。会社としてもそういう繋がりがほしいんだろ」
「……そうだよな」
同期の何気ない一言で、考えていることがクリアになっていく。
やはり、口に出して誰かと話すと考えがまとまるからありがたい。
「まあ、頑張れよ。俺には縁のない世界だけど」
「ああ、サンキューな」
礼を言うと、彼は自分の席へ戻っていった。
一人になると、俺は改めて画面に視線を落とす。
俺には、白瀬さんという繋がりがある。
でも、それはあくまで個人的なものだ。
おそらく、白瀬さんはまだ同盟に所属していないだろうし、休職中に会社のことで迷惑をかけたくない。
課長には「探索者の知り合いがいる」なんて言ったが、実際のところ、それがどれだけの価値を持つのかは、俺にも見当がつかない。
できるだけ白瀬さんを利用するようなことはしたくなかった。
――ただ、今の状態で押し通せるんだろうか。
まだ時間はある。
もう少ししっかりとプランを立てることにした。
それから一週間ほど経った、ある日の午後。
社内メールに一件、見慣れない件名の通知が届いた。
『ダンジョン新規事業プロジェクト 候補者選定に関するご案内』
思わず、マウスを持つ手に力がこもる。
開いてみると、来週、候補者を集めた会議を設ける旨と、参加する各部署からの候補者名がずらりと並んだ一覧が添付されていた。
自分の名前を見つけて、まずほっと息をつく。
少なくとも、あの日の課長との話は、無駄にはならなかったらしい。
安心したのも束の間、俺は一覧を下まで目を通していくと、そこに並んでいた二つの名前を見て、思わず画面を二度見した。
『営業部 黒田亮』
『企画部 早坂有紗』
一瞬、何かの間違いかと思った。
そこには確かにその二人の名前があった。
どうして、あの二人が。
考えてみれば、以前から黒田は昇進に対して貪欲だった。
もし、この新しい事業でうまくいけば、昇進するのは間違いない。
おそらくそれが狙いなのだと俺にはわかった。
ほかにも、名前を連ねている面々には覚えのある者ばかり。皆が昇進を目的としてこの新事業に参加しようとしているのだろう。
ある意味、白瀬さんのサポートができるかもしれないという思いで参加した俺の方が不純だと言えるのかもしれないな。
だが、こんな奴らにこのポストを取られてたまるか。
人が実際に命がけでやっていることを、昇進の道具になどさせるわけにはいかない。
「――白瀬さんを、あんな目に遭わせておいて、自分だけのうのうとエリート街道を歩けると思うなよ」
自然と、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。
問題は、あの二人が確かに優秀だということだ。
特に黒田は、俺じゃ到底かなわないと思わされるほど優秀だった。
それでもこの席だけは譲ることはできない。
絶対に、あの二人にだけは負けたくない。
これまで、なんとなく漠然としていた「頑張ろう」という気持ちが、急に輪郭のはっきりした闘志に変わっていくのを感じた。
俺は、もう一度メールの内容を読み直す。
顔合わせの日程は、来週の水曜日。
それまでに、できることは全部やっておきたい。
画面を睨みつけながら、俺は静かに拳を握りしめた。
◇
顔合わせの日程が近づいてきたある日、俺は思わず足を止めた。
廊下の向こうから歩いてくるのは、黒田だった。
すれ違うだけなら、いつも通り会釈程度で済ませるところだ。
でも、今日の黒田は、わざわざこちらへ視線を向けてきた。
「よお、神崎」
「……黒田さん」
「お前もあのプロジェクトに立候補したらしいな。候補者一覧で見たぞ」
薄く笑いながら言われて、俺は思わず身構えた。
「まさかお前がねぇ。ダンジョンとか興味あるタイプだったっけ?もっと大人しい奴かと思ってたわ」
「興味があるかどうかは関係ないですよ。やる気があれば十分でしょう」
挑発めいた口調に、俺も負けじと返す。
黒田は、わずかに眉を上げてから、口の端を上げた。
「まあ、いいけど。まだお前には早いと思ったから良心から声をかけただけだよ」
そう言うと、すれ違いざま、思い出したように立ち止まる。
「そういや、お前、前になんか俺たちのことを言いふらしてたらしいな」
「……なんの話ですか」
「とぼけんなよ。早坂とのこと、周りにいろいろ吹き込んでただろ。おかげでこっちがどれだけ面倒なことになったか」
心当たりはあった。
白瀬さんがあんな目に遭った時、黙っていられなくて、何人かに黒田達の関係について話したことがある。
「事実を言っただけですけど」
「はっ、ヒーロー気取りかよ。お前もあの女に気があったんだろ、どうせ」
その一言に、頭の奥がかっと熱くなる。
「――白瀬さんのことを、そんな言い方しないでもらえますか。少なくともあなたよりは誠実な人ですよ」
思っていたよりも、低い声が出た。
黒田は、一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに鼻で笑う。
「別にいいだろ、もう関係ないんだから」
「そうですね。あなたと関係が切れて、白瀬さんも良かったと思っているでしょうよ」
黒田は、しばらくこちらを睨みつけていたが、やがて肩をすくめた。
「まあいいや。せいぜい頑張れよ。……といっても、俺には勝てるわけないけどな。もし同じ部署になることができたら、その時は覚えておくんだな。こき使ってやるよ」
そう言い残して、黒田は笑い声をあげながら歩き去っていった。
その背中を見ながら、俺は拳を握りしめる。
絶対に、負けられない。
あの男にだけは、何があっても。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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