幹部招集
涼子さんは、しばらく黙り込んだまま、指先でテーブルの端を軽く叩いていた。
何かを考えている顔だ。さっきまでの明るい調子とは、明らかに違う空気だった。
やがて、小さく息を吐くと、涼子さんは椅子に座り直した。
「……さすがに、ここでできる話じゃなくなってきたわね」
真剣な声で言われて、私も背筋が伸びる。
「あの、涼子さん……」
「うん、まずはここを出ましょうか。話はそれからね。まずは、これを片付けちゃいましょ」
そう言うと、涼子さんは目の前に残っていたデザートに、慌ただしくフォークを伸ばし始めた。
あ、デザートは食べるんだ。
こんな空気の中でも律儀に完食しようとする姿に、場違いな感想が浮かんでしまう。
数口で皿を空にすると、涼子さんは店員さんを呼んで会計をお願いしていた。
運ばれてきた伝票を、涼子さんは財布から出したカードで、こちらに見せることもなく淡々と処理していく。
ただ、テーブルに置かれた紙の隅に書かれた合計金額が、ちらりと視界に入ってしまった。
細かい数字はわからなかったが、なんか、もう桁が違っていた。
今まで、飲食でこんな桁の数字を見たことがなかった。
いくらだったか聞こうとしたが、今はそれに構っていられる空気ではないようだ。
涼子さんは、サインを済ませるとすぐに立ち上がった。
「じゃあ、行きましょうか」
「あ、はい」
急かされるように席を立つと、私は慌てて後を追った。
店を出ると、涼子さんはすでに早足で歩き出していた。
いつもの落ち着いた足取りとは違う、力強い歩調だった。
「あの、涼子さん。この後お仕事だったんですよね。大丈夫なんですか?」
追いつきながら聞いてみると、涼子さんは前を向いたまま答えた。
「予定が変わったから、玲奈ちゃんは気にしなくて大丈夫よ。もっと大事な案件が発生したからね」
その声には、有無を言わせない響きがあった。
大事な案件とは、私の家のゲートについてなのは馬鹿でもわかることだが、イマイチことの重要さがわからないままだった。
説明をしてくれるのだろうと思っていたが、なかなか話してもくれないし。誰かに聞かれたらまずいほどのことなのだろうか。
厳しい目つきの涼子さんの顔を見て、私はそれ以上聞くのをやめて、黙ってついていくことにした。
ついていくと、たどり着いたのは人気のない河川敷だった。
見晴らしのいい、何もない広場のさらに手前、階段もない斜面を涼子さんは慣れた様子で降りていく。
「……この辺なら大丈夫かしら」
周りをきょろきょろと見回すと、涼子さんは何かに納得したように頷いた。
芝生の真ん中に、私たち二人しかいないのは誰の目にも明らかだったが、一体何を警戒しているのだろうか。
「ごめんなさいね。誰かに聞かれたらまずいことだから」
そう前置きしてから、涼子さんは私の方に向き直った。
「さっきは誰にも言わないって約束したけど……ごめんなさい。同盟の中でだけ、共有してもいいかしら」
「え、あ、はい。それは、大丈夫ですけど……」
「ただし、知る人間は極々一部に絞るわ。伝える相手も、必ず玲奈ちゃんと顔を合わせた場でしか話さないって約束する」
そこまで大袈裟にしなくても、と思っていた私は、少し戸惑いながら答える。
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
「逆よ。それくらいしないといけない話なの」
釘を刺すように言われて、私は口をつぐんだ。
「玲奈ちゃん、今までにこのこと、誰かに話したことある?」
「このことってゲートですよね。いえ……誰にも話してないです。涼子さんに初めて打ち明けました」
正直に答えると、涼子さんはわずかに肩の力を抜いた。
「そう。よかった。そして、私を信じてくれてありがとう」
優しい顔に戻った涼子さんを見て安心した。
まぁ、信じたのはそうだが、話さない選択肢がないほど追い込まれてしまっていたからってのも理由の一つなんですけどね。
安心したのも束の間、涼子さんはまた表情を引き締め直して、私の目をまっすぐ見てきた。
「いい? これは大袈裟な話じゃなくて、本気で命を狙われる可能性がある話なの。だから、絶対に秘密にしなさい」
命を狙われる。
思ってもみなかった一言に、指先がすっと冷たくなるのがわかった。
まさか、そこまで重大な話だったなんて。
大げさでしょ。と言いたくなったが、涼子さんの目を見て言うのをやめた。
涼子さんはスマホを取り出すと、その場で電話をかけ始めた。
数コール待つと、繋がったらしい。
「あ、茜。ちょっと今大丈夫?」
スピーカーホンに切り替えたのか、相手の声もはっきりと聞こえてくる。
「ん? 大丈夫だけど、どうした。もう候補地でも決まったか?」
「まだよ、まぁそれは今は置いておいて。そんなことより、ちょっと聞いてほしいことがあって」
「そんなことって……何かあったのか?」
茜さんというのは、おそらくリーダーだって言ってた獅子堂茜さんのことだろう。なんだか声で女性だとわかるが、話し方から男性だと勘違いしそうな話し方だった。
「詳しいことは、電話じゃ言えないんだけど」
「は? 言えないってなんだよ。報告書でも送ってくれたのか?」
「かなり重要な案件が出てきたの。明日でもいいから、ちょっとこっちに来てくれない?」
茜さんは、一瞬黙り込んだあと、笑い混じりの声で返してきた。
「いやいや、無茶言うなよ。何にも言わずに来いって、そんな簡単にすっぽかせる用事ばっかりじゃないんだが」
「無茶なのはわかってるわよ。でも、今はこれ以上詳しく言えないの。ただ、かなり重要な案件なのよ。いいから急いできて」
「何かサプライズでもしてくれるのか。?そっちに行かなきゃいけない理由がないと小春にどやされそうなんだが」
「とにかく、来たら分かるわよ。ただ、聞いて」
涼子さんの声のトーンが、一段低くなった。
「電話だと盗聴や録音をされたら困るのよ。記録に残せない話なの」
その一言で、電話の向こうの空気が変わったのがわかった。
「……おい、涼子。お前、本気で言ってんのか」
「本気よ。だから、直接来てほしいって言ってるの」
しばらく、沈黙が続いた。
私は隣で、二人のやり取りをただ黙って聞いていることしかできなかった。
「……お前がそこまで言うってことは、相当な事態だな」
茜さんの声から、さっきまでの軽さが消えていた。
「どのくらい深刻な話なんだ」
「今まで同盟で扱ってきたどの案件よりも、重要な話だと思ってもらっていいと思うわ」
「マジかよ……」
茜さんが息を呑む音が、スピーカー越しに聞こえた。
「わかった。すぐ準備して向かう。そこまで重要なら今からそっちへ行ってやるよ」
「助かるわ。ああ、それと小春も連れてきてほしいの。もしかしたら数日こっちに滞在することになるかもしれないから、そのつもりで来てね」
「……ああ、了解。二人でそっちに行くよ。名古屋でいいんだろ?」
「ええ、到着時間がわかったら連絡して頂戴」
短いやり取りだったけれど、茜さんの声にはもう迷いがなかった。
「涼子」
「何?」
「お前がそこまで慎重になるってことは、それなりのことなんだろうが……どれほどの物か楽しみにしてるぞ」
「腰を抜かす準備をしてて頂戴」
「ははっ!楽しみだな!」
そう言うと電話が切れた。
涼子さんは小さく息を吐く。
電話を切ると、涼子さんはすぐにまた別の番号にかけ始めた。
「灯里? ちょっと、これからの予定全部キャンセルして、今すぐ名古屋に来なさい」
いきなりの無茶振りに、電話の向こうの声が裏返る。
「は、はい!? え、急にどうしたんですか、涼子さん」
「緊急事態なの。理由は後で話すから」
「緊急事態って……ええと、私、今日この後ダンジョンに入る予定が入ってるんですけど……」
「キャンセルしなさい」
「いや、休めなくはないですけど……代わりを見つけないとパーティメンバーに迷惑が……」
灯里さんは戸惑いながらも、頭の中で段取りを組み立てているようだった。
「あとでそのメンバーには補償をするって伝えといて。あなたにも来てもらわないと困るのよ。内容は電話じゃ言えないけど、さっき茜をこっちに呼んだばかりよ。どれほど重要か、あなたならわかるでしょ?」
「ええ!? リーダーが来るんですか。それほどの案件かぁ。了解しました。急いで準備して向かいます」
「悪いわね。パーティメンバーには代わりに謝っといてね」
「……わかりました。そっちはなんとかします。どこに行けばいいですか?」
「とりあえず名古屋駅に来て頂戴。そこで落ち合いましょう」
「了解です」
「ありがとう、助かるわ」
なんだか、電話の向こう側でみんな困っているようだが、私が悪いことをしているみたいで気が引けてきた。
ただ、涼子さんはほっとしたように息をついた。
「いえいえ。あ、涼子さん」
「何?」
「もしかして、これって東海支部の話ですか? 場所が決まったとか……ん? いや、それならリーダーを呼ぶほどのことじゃないか」
「……まぁ、無関係ではないわよ」
「おお!やっと支部ができるんですね!」
電話の向こうから、灯里さんの声が心なしか弾んで聞こえた。
「これ以上電話で話す内容じゃないから切るわよ」
「あ、はい。では時間がわかったら連絡します」
電話を終えると、涼子さんは大きく息を吐いて、それから私の方を見た。
「玲奈ちゃん、今から家にお邪魔してもいい? 自分の目でちゃんと確認しておきたいの。できれは呼んだメンバーにも見せてあげたい」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
頷くと、涼子さんはすぐにまたスマホを操作し始めた。
しばらく画面をタップしていたかと思うと、耳に当てて短く二言三言、何かを伝えている。
電話を切ると、涼子さんは満足そうに頷いた。
「タクシー呼んだから、もうすぐ来るわ」
最寄り駅まで歩けばすぐだから電車で行けばいいのに。
わざわざタクシーを電話で呼び寄せるという発想が、なんだか自分にはないものだった。
お金には最近困っていないはずなのに、私の貧乏性はなかなか抜けてくれないようだ。
数分も経たないうちに、一台のタクシーが河川敷の道路脇に停まった。
「乗って」
促されるまま後部座席に乗り込む。
私が行き先を告げると、運転手さんは慣れた様子で車を出した。
車内は、思っていたよりも静かだった。
涼子さんは窓の外を眺めたまま、何かを考え込んでいる様子で、それきり口数が少なくなっていた。
私も、何を話せばいいのかわからず、ただ流れていく景色を眺めているしかなかった。
しばらくして、涼子さんがぽつりと呟いた。
「……まだ、信じられないわね」
「え?」
「玲奈ちゃんの家に、本当にゲートがあるなんて」
そう言うと、涼子さんは小さく笑った。
さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ緩んだ気がした。
「やっぱり家にゲートがあるのって珍しいんですか?」
「珍しいというより、聞いたことがないわね。知ってると思うけど、ゲートは基本的に広くて邪魔するものが何もない場所に出現するのよ。九州で田んぼの中に発生したゲートは見た事はあるけど、建物の中にできたゲートは聞いたこともないわ」
「なら、私の家のゲートが特殊だってことですかね」
「特殊……なんでしょうね。ただ、これがほかにも例があるんだとしたら……」
「したら……?」
「意図的に隠されているとしか思えない」
先ほどよりも涼子さんの目つきが厳しくなったように見えた。
車はやがて、見慣れた住宅街に入っていく。
実家まで歩いて5分の辺りで急にタクシーを降りると涼子さんが言い出し、歩いて家まで向かった。
「普通の一軒家、って感じね」
「はい、両親から受け継いだだけの、普通の家です」
家に着くと、玄関の鍵を開けて、涼子さんを中に招き入れる。
靴を脱いで廊下を進み、一階の奥にある戸の前で足を止めた。
「……ここです」
戸に手をかける。
何度も開けてきたはずの、いつもの戸だ。
それなのに、今日はなんだか重たく感じる。
ゆっくりと戸を開けると、六畳の和室の真ん中に、見慣れていたゲートが佇んでいた。
涼子さんは、部屋に足を踏み入れる前からその場に立ち尽くしている。
「……本当に」
声にならないような、小さな呟きだった。
何か言おうとしたのか、口が小さく開きかけたけれど、続く言葉は出てこない。
涼子さんは、ただ黙って、ゲートに近づいて観察をしていた。
そして、何も言わないまま、涼子さんはゲートに入って行ってしまった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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