バルーン危機一髪
神崎くんとの食事から、一週間が経っていた。
あの日からというもの、私はほとんど毎日、河川敷のゲートに通っている。
「お、玲奈さん。今日も一人っすか」
「あ、おはようございます」
「今日も頑張ってください。なんかあったら言ってくださいね」
「ありがとうございます」
ダンジョンの中で顔を合わせた探索者の男性に、軽く会釈を返す。
この人は何度か言葉を交わしたことがあるだけの間柄だけど名前も知らなかった。自己紹介をした覚えがないのに、なぜか私の名前を知っている人が増えている。
だからか、こうして顔を合わせるたびに挨拶をしてくれる人がだんだん増えてきてる気がする。
嫌な気分にならないのは、みんな優しく声をかけてきてくれるからだろう。
それはいいことだ。
しかし、私はこのゲートに通うようになってから、悩み始めたことがあった。
それは、雷属性の魔石がまったく手に入らないことだった。
野獣の牙を育てるためには、同じ属性の魔石を吸収させ続けないといけないのに、このゲート周辺では一つも見つけたことがなかった。
先日、顔見知りになった探索者に聞いてみたところ、この辺りで雷属性を落とすのは、ハチの魔物くらいだと教えてもらった。
「ハチはですね、巣を作って集団で群れているやつなんですけどね、ちゃんとした大きさの魔石を持ってるのは女王だけなんですよ。働き蜂は大した毒は持ってないんですが、結構大きな針は持ってるんで危ないんですよ……それに、女王は猛毒らしくてね。刺されたら一分と持たないって噂ですよ。あんなの危なくて近づけねーっすよ。まぁ、女王は滅多に巣から出てこないらしいんでいいんですけどね」
そんな話を聞かされ、さすがに手を出す気にはなれなかった。
ときどき家のゲートに行けばいいか。そう考えて、この件は一旦諦めることにしていた。
魔物の肉を食べきったら、また狩りに行こうと思っている。
今日も、見かけたハサミガエルを何匹か仕留めながら、お目当てのシカメレオンを探して森の奥へと進んでいた。
もうすっかり慣れたもので、多少ゲートから離れても迷わず戻ってこられる自信がついてきている。おかげで、探索できる範囲も少しずつ広がっていた。
そんな中、見慣れないものを見つけた。
丸く膨らんだ、大きなマリモのような塊が、ふわふわと宙に浮いているのだ。
「……なにあれ。初めて見るわね」
思わず声が漏れる。近づいてみても、風に揺れるようにゆらゆらと漂うだけで逃げる素振りも威嚇する様子もない。
なんだかもこもこと動いているし魔物の気配もするから一応魔物なのは間違いないとおもう。
指先でつついてみるが変化なし。
やっぱり、ただの風船みたいに浮遊しているだけだった。
よく見ると、森の奥のあちこちに、同じような塊がぽつぽつと浮いているのが目に入った。
「うーん、本当に魔物なのかな……?」
気になって、野獣の牙のとげで軽く殴りつけてみる。
パン!
突然とんでもない大きさの音を立てて弾け飛んだ。
直後、足元でカランと硬い音がする。見ると、小さな緑色の魔石が転がっている。
「お、やっぱり魔物だったのか――あまりに弱すぎるから……」
言い終わる前に、強烈な臭いが鼻を突いた。
「おえっ」
一瞬で吐き気がこみ上げてきて、慌てて鼻と口を覆う。
だが、遅かった。
頭の中がぐらりと揺れて、視界がにじんでいく。
「う、そ……」
嫌な予感がした。
急いで魔石を拾い上げると、私は帰り道を駆け出した。
走っている間も、頭の芯がずっとぐらついている。まっすぐ進んでいるつもりなのに、足元がどんどん頼りなくなっていくのがわかった。
途中で、足が岩のように重くて動かなくなった。
近くの木の根に、崩れ落ちるように腰を下ろす。
目を開けていることさえ、耐えられないほどつらい。
このまま少しだけ――そう思ったのを最後に、私の意識はぷつりと途切れた。
次に目を開けたとき、私は木の根元に倒れ込んでいた。
どのくらい時間が経ったのか、まるでわからない。
辺りを見回しても、何かに襲われた形跡はなく、私自身も特にどこかを怪我している様子はなかった。
それだけで、心底安堵する。
立ち上がると、まだ少しだけ頭がふらつく感覚が残っていたけれど、歩けないほどではなかった。
私は震える足を動かして、一心不乱に門を目指した。
柵の中に戻った途端、全身から力が抜けて、その場にへたり込みそうになる。
「あれ、玲奈さん? 今日は早い帰りですね。って、どうしたんですか、なんだか顔色が悪いような」
朝とはまた別の探索者に声をかけてもらえた。
しかし、私はまた気を失いそうになるのを我慢するように抗っていた。
私の様子がただごとじゃないと察したのか、駆け寄ってくる。
「れ、玲奈さん。どうしたんですか!しっかりしてください。」
「森の奥で、丸い風船みたいなのを見つけて……叩いたら、爆発して、それから体がおかしくて」
途切れ途切れに説明すると、彼は顔をこわばらせた。
「それ、ショックバルーンですよ。強い刺激を与えると自爆して、胞子みたいなのをまき散らすんです。吸い込むと気絶するように眠ってしまって起きれなくなるんですよ。確か二か月前くらい前に狩りつくしたはずなんですけどね。定期的に大量発生する魔物なんですが、もう出てきましたか」
「やっぱり魔物なんですね、あれ……」
「一応そうですね。破裂させるだけで魔石を落とすからおいしい相手ではあるんですよ……パーティ組んでると良い稼ぎになるから人気なんです。ただ、一人だと遠距離タイプじゃなければ危ないんですよ。よく無事に帰って来られましたね」
全然無事ではないのだけれど、これでも無事のうちに入るのだろうか。
「顔、真っ青ですけど。歩けます?」
「あ……大丈夫、だと思います……」
言いながらも、足元がまだ覚束ないのが自分でもわかった。
「大丈夫には見えないですって。ちょっと、肩貸しますよ」
彼はそう言うと、有無を言わせない様子で私の腕を取り、近くのベンチまで支えてくれた。
ふと周囲を見ると、なんだかお店の行列に並んでいるお客さんたちが、ジロジロとこちらを見ていた。
正直恥ずかしくて穴があったら入りたい。
休憩用に置かれていたベンチに座り込むと、ようやく強張っていた体から力が抜けていく。
「すみません、ありがとうございます……」
「いいんですよ。探索者は困ったときは助け合い、ですからね。それより、しばらくここで休んでてください。俺、解体しに行く最中だったんで、何かあったら呼んでくださいね」
そう言って、彼は解体場に走っていった。
過保護すぎるくらいの気遣いが、今はありがたかった。
ベンチに座ったまま、私は震える手を握りしめて深く息を吐いた。
もし、あの場に他の魔物が通りかかっていたら。
考えるだけで、背筋が寒くなる。
今日みたいなことがあると、まだまだ自分は運任せで潜っているだけなんだと思い知らされる。
「やっぱり、パーティ組んだ方がいいのかなぁ」
このゲートで活動してわかったことは、一人でダンジョンに潜っている探索者が私以外にいないということだった。
というより、パーティを組むことが常識的な所まである。
なので、未だにパーティのお誘いを受けることがあるが、その中には、本当に心配をして誘ってくれているパーティもいた。
だけど、やっぱりまだ男性ばかりの中に入るというのに抵抗があった。
ただ、今日みたいなことがあると、さすがにまずい気がしてきている。
私はしばらくそんなことを考えながらベンチに座って呼吸を整えていると、少しずつ震えも治まってきた。
今日はもう、大人しく帰ろう。
解体場に行き、先ほど助けてくれた人にお礼を言うと、私は帰るためにゲートから出ようとした。
その時、見覚えのある顔の女性がゲートから出てくる所にばったり遭遇した。
「あら、玲奈ちゃんじゃない、久しぶりね。元気だった?」
それは、あの時助けてくれた、涼子さんだった。
突然の再会に、私は目を丸くした。
「涼子さん。お久しぶりです。えっと……はい、元気です」
答えながらも、頭の中はまだ少し呆けたままだった。
久しぶりと言っても、まだ一週間くらいしか経っていないから、あまり時間が経った気がしていないけど。
「今日はまたこのゲートに来てたんですね」
「うん、実はちょっと事情があってね。しばらくはこっちに活動拠点を移すことになったのよ」
「え、そうなんですか」
思わず声が弾んだ。もしまたこうして会えるなら、それは嬉しいことだった。
なぜなら、このゲートで女性探索者を見たことがないからだ。
「玲奈ちゃんこそ、今日もソロ? ……って、ちょっと待って。その顔色、大丈夫!? 何があったの!」
涼子さんは、真剣な顔で私の顔をまじまじと覗き込んでくる。
この人、本当に鋭い。
「あ、えっと……実は、さっき変な魔物に遭遇しちゃって」
私はさっきの出来事を、かいつまんで説明した。
丸い風船のようなものを見つけて、興味本位で殴ったら爆発したこと。強烈な臭いのあと気を失って、木の根元で目を覚ましたこと。
それをさっき別の探索者の人にショックバルーンだと教えてもらったばかりだということも伝えた。
話を聞いた涼子さんの顔から、みるみる表情が抜け落ちていく。
「それはショックバルーンで間違いないわ。……よく無事だったわね」
「はい、別の探索者さんにも同じことを言われました」
「当たり前よ。あれはね、ダンジョン初期に最も犠牲者を出した魔物の中で一つなのよ。一人であの爆発を食らって、そのまま他の魔物に食べられた人も多かったんだからね」
「うぅ……」
涼子さんがちょっと怒っている。
なんだか具体的に聞いてしまうと、恐ろしくなってきた。
「玲奈ちゃん、今日はもう休みなさい」
「はい……実は、これから帰ろうと思ってた所だったんです」
「そう。それなら良かったわ。送っていこうか?」
「いえ、家まで近いので大丈夫です。ありがとうございます」
そういうと、涼子さんは、少しほっとしたように息をついた。
「そうだ、玲奈ちゃん。よかったら連絡先交換しない? また今度、一緒に探索でもどう?」
思いがけない誘いだったが、パーティ経験のない私にとって渡りに船だった。
「はい。ぜひお願いします」
スマホを取り出して、お互いのIDを交換する。画面に涼子さんの名前を追加するとなんだか嬉しくなった。
「じゃあ、また連絡するわね。今日はゆっくり休んで」
涼子さんはそう言って手を振ると、お店の方へ歩いて行った。
私も早く帰って休みたいので、ゲートから出て家に帰ることとなった。
家に着いてシャワーを浴びると、思っていたよりも疲れていたのか、ベッドに横になると立ち上がる気力がなくなった。
眠くはないのに体がだるい。そんな感じだった。
やることもないので、私は携帯で情報収集でもすることにした。
なんとなく検索していると、愛知の探索者が集まるスレッドを見つけた。
少し過去を遡って読んでいくと、なんだか私のことのように思えるコメントが書かれているのを見つけた。
▼――――――――――
【愛知】探索者総合スレ 47
412:名無しの探索者
そういえば白浜ゲートで新人の女探索者が話題になってるらしいけど、かわいい子かな?
415:名無しの探索者
>>412 俺は先週見たぞ ソロで潜っててびっくりしたわ。美人だから目の保養にもなる
418:名無しの探索者
白浜ゲートの新人女性探索者は結構有名になってるけどな 女性がいるとやっぱり華があるわ
421:名無しの探索者
シカメレオン一人で狩って持ち帰ってきたって聞いたんだが本当か? にわかには信じがたいが。本当ならもう新人じゃないだろ
424:名無しの探索者
>>421 それ俺は現場で見たぞ。 普通にすごかったわ そもそもダンジョンにソロで潜ろうと思わないけどな。そう言えば、両手にトゲのついたグローブの魔装つけてたよ
428:名無しの探索者
>>424 マジかよ。格闘家か? 新人で超近接戦闘する女探索者か……なんかすごいな。やばい同盟とかに狙われそうで心配になるわ
431:名無しの探索者
>>428 それな いきなり魔装持ちってことは、お金持ちのお嬢様説あるけどソロってことは違うのかね。一人だと何かあった時マジで危ないからパーティには入った方がいいと思うんだが、無理やり同盟に入会させられないか心配だな。
432:名無しの探索者
たぶん、同盟に関しては大丈夫だと思うよ
433:名無しの探索者
>>432 なんで?
434:名無しの探索者
>>433 今日、名古屋にワルキューレの”暴食の冬木”が来てたから
435:名無しの探索者
>>434 マジで?
436:名無しの探索者
>>434 ヤバ。あの食欲淫魔が名古屋に来てんのか。どこ行けば会える?
437:名無しの探索者
>>436 それ本人に言って半殺しに合った奴知ってるぞ
438:名無しの探索者
>>436 成仏してクレメンス
439:名無しの探索者
>>434 もしそうなら、白浜の新人もワルキューレに所属するの確定なんじゃない?絶対勧誘されるだろ。そのために来たまである
440:名無しの探索者
>>439 だよな。ワルキューレ所属の子とパーティ組むの大変だからなぁ。審査厳しいし。女探索者独占するのやめてほしいわ
▲――――――――――
▼――――――――――
468:名無しの探索者
名前白瀬さんって言うらしいよ 挨拶してるの聞こえた
470:名無しの探索者
>>468 下の名前は?
471:名無しの探索者
>>470 玲奈さんらしいよ
475:名無しの探索者
れいなたんかわいい
477:名無しの探索者
>>468 個人情報をここに乗せんなボケカスども。可哀そうだろうが
>>475 きも
478:名無しの探索者
でも美人なのは事実だろ 見た人みんな言ってるし
480:名無しの探索者
ほんまに可愛いんか? 誰か写真持ってへんの
481:名無しの探索者
>>480 それ普通に犯罪臭するからやめとけ
484:名無しの探索者
まあでも探索者少ない中で女の子が頑張ってるの見ると応援したくなるよな 無事でいてほしいわ
486:名無しの探索者
れいなたん無事かなあ 最近毎日潜ってるって噂だけど
487:名無しの探索者
>>486 それをここで書くなよ。絶対見に行くやつ出てくるだろ。れいなたんは俺のなんだぞ
488:名無しの探索者
>>487 いい奴かと思ったのに、ヤバい奴でワロタ
▲――――――――――
画面をスクロールをするのが嫌になってきた。
それにしても、いつも潜っていたあのゲートが、白浜ゲートなんて呼ばれていたことを初めて知った。
白浜公園にあるから白浜ゲートなのだろうか。名前なんて気にしたことなかったなぁ。
ソロで潜っていることも、魔装を持っていることも、全部書かれていた。
心配してくれている人がいるのは正直うれしいが、素直に喜べない書き込みも、同じくらいの数だけあった。
可愛いだの、写真がどうだの。
極めつけは「れいなたん」という呼び方だった。
「誰よこれ、気持ち悪いわね。個人情報を晒すとか倫理観はこの世界には無いのかしら」
今どき誰かの噂がネットに書かれること自体は珍しくもなんともない。そんなことは分かっているつもりだった。
でも、実際に自分がその当事者になってみると、思っていたよりずっと気持ちの悪いものなんだと、今更ながら思い知らされる。
顔も名前も知らない誰かに、そんな呼び方で見られていると考えただけで、なんだか鳥肌が立ってくる。
それにしてもワルキューレ、か。
全国で一つだけの女性のみで構成された同盟。前に調べて名前だけは憶えている。
確かに、みんなの言う通りで、ワルキューレに誘われたらそこに入るんだけどなぁ。
暴食の冬木っていうのが、ちょっと名前からして怖そうだけど、どんな人なんだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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