神崎のトラウマ
スマホの画面には神崎くんという名前が表示されていた。
神崎くんからの久々のメッセージだった。
『白瀬さん、お疲れ様です』
『今日この後って空いてますか』
『仕事終わったら、また飲みに行きたいなと思って』
思わず、口元がゆるむ。
連絡先を交換してから、こうして誘ってくれるのは何度目だろう。
『空いてるよ』
『いいね、行こう』
既読はすぐについて、すぐに返事が来た。
『やった』
『仕事終わるの、多分十八時くらいになると思います』
『それくらいに、白瀬さんの家に行ってもいいですか』
『うん、大丈夫だよ。待ってます』
スマホをしまって、私はまた駅へ向かって歩き出した。
なんだかいつもよりも体が軽やかになった気がして、知らずのうちにスキップしていた。
◇
家に戻ると、私はまず鏡の前に立つ。
休職してからほとんどしていなかった化粧をしっかりとしていく。下地を塗り、久しぶりにアイシャドウやチークも使ってみると、手つきのぎこちなさに我ながら苦笑いが漏れた。
「……久しぶりにやると下手になってるなぁ。うーん、神崎くんは化粧が薄い方が好きかな。それとも……」
化粧一つするのにもかなり時間がかかってしまっていた。
クローゼットを開けて服も何着か合わせてみたけれどなかなか決まらない。
結局選んだのは、シンプルなカットソーに動きやすいパンツという組み合わせだ。
あまり着飾るのも違う気がして、できるだけラフな格好を意識した。
鏡に映る自分をあらためて眺めると、ダンジョンばかりに潜っていたにしては、肌つやは悪くはなかった。
そんな感じで支度をしているだけで、あっという間に時間が過ぎていく。
十八時を過ぎたころ、インターホンが鳴った。
モニターを覗くと、スーツ姿の神崎くんが映っている。
「はーい」
「白瀬さん、お待たせしました」
玄関を開けると、少し疲れた顔をしながらも、いつもの笑顔を見せてくる。
「お疲れさま。今日も大変だった?」
「まあ、そこそこですね。先輩にまた怒られました」
「またなの?」
「ちょっと失敗しちゃって」
軽口を叩き合いながら、私は上着を羽織って、財布を手に取った。
「じゃ、行こっか」
「はい」
二人並んで、家から歩いて十分ほどのあの居酒屋へ向かう。
せっかくならもう少し綺麗な場所に行こうかな。とも思ったが、ここは神崎くんとの思い入れのある場所になりつつあるので大切にしていきたいと思う。別に変な意味ではない。
二人で夜の道を歩きながら、私は財布を軽く叩いた。
「今日は私のおごりね」
「え、いいですよ。俺から誘ったんで俺が奢りますって」
神崎くんが、すかさず首を振る。
「いいから、いいから。お姉さんに任せときなさい」
「いや、休んでる人に払わせるわけにはいかないですよ」
「大丈夫。ちょうど臨時収入が入ったばかりなんだから」
「臨時収入?」
神崎くんが、興味を引かれたように私の顔を覗き込んでくる。
「まあ、それはまた、お店着いたらね」
思わせぶりに言うと、彼は不思議そうな顔をしながらも、それ以上は追及してこなかった。
「……なんだか随分と元気になりましたね」
「今日はね、気分がいいの」
結局、押し問答の末に押し切ったのは私のほうだった。
神崎くんは少し不服そうにしながらも、渋々といった様子で頷く。
「わかりました。じゃあ、今日はご馳走になります」
「うん、まかせて」
そんな話をしているうちに、見慣れた汚い暖簾が見えてきた。
店に入ると、以前と変わらない空気が出迎えてくれる。
作業着姿のおじさんが数人と、常連らしい老人がカウンターの奥でテレビを眺めている。前回とほとんど同じ構図だった。
私たちは前と同じ、隅の小さなテーブル席に落ち着いた。
「とりあえず、生二つで」
神崎くんが慣れた様子で注文を通し、突き出しのお通しをつまみながら、私たちは乾杯した。
「それで、さっきの臨時収入って、結局なんだったんですか?」
ジョッキを半分ほど空けたところで、神崎くんが思い出したように訊いてくる。
「ふふ、気になる?」
「気になりますよ、そりゃ」
少しだけ、ためらった。もしかしたら神崎くんが以前の私のような偏見を持っているかもしれない。でも、神崎くんには知っておいてほしい気持ちもある。
ここは正直に話すことにした。
「実はね、最近、探索者を始めたの」
「……はい?」
神崎くんの箸が止まった。
「探索者? あの、ダンジョンの?」
「うん、そのとおり」
「白瀬さんが……?」
あまりの驚きように、こっちが笑ってしまいそうになる。
でも、彼が真剣な顔でこちらを見つめてくるので、私は素直に頷いた。
「休職してから、家の近くにゲートができちゃってね。最初は勢いで潜ってみただけだったんだけど、思いのほか、ハマっちゃって」
「そんな……いつの間に……」
神崎くんは、しばらく言葉が出ない様子だった。
ジョッキを持ったまま、視線を宙にさまよわせている。
「危ないですよ。ニュースでも、死人が出たってよく報道されてるの知らないんですか?」
「うん、わかってる。でも、今のところは無事だし、ちゃんと免許も取ったんだよ」
「免許……本当に、本格的に始めたんですね」
彼は、深く息を吐いた。それから、ぽつりとこぼす。
「実は、俺も一回だけ、入ったことあるんです」
「え、神崎くんが?」
今度は、私が驚く番だった。
「ゲートが世界中に出てきたばっかりの頃、ですけどね。あの時期はみんな面白がって突っ走ってたじゃないですか。俺も若かったし、正直ちょっとした興味本位でした」
「今も全然若いけどね。それでどうなったの?」
「近所にできたゲートに、友達と三人で入ったんです」
神崎くんは、ジョッキを置いて悲し気な顔で続けた。
「そこで、俺たちとは別のグループが先に潜ってて。物音がしたから、みんなで様子を見に行ったんですよ。そしたら」
言葉が、そこで一度途切れる。
「……そしたら?」
「人が魔物に襲われてるところでした。もう、助けようがないくらい、ぐちゃぐちゃになってて」
声のトーンが、目に見えて落ちていく。
「その人、食われてたんです。目の前で。俺、それを見て、ただ突っ立ってることしかできなくて」
「……」
「それから、友達も俺も、二度とダンジョンには入ってません。入ろうとすると、その光景がフラッシュバックして、体が動かなくなるんです」
私は、かける言葉が見つからなかった。あの、いつも明るくて、軽口ばかり叩いている神崎くんが、こんな過去を抱えていたなんて、想像もしていなかった。
「……そう、だったんだ」
「すみません、食事中なのに。ただ、だからこそ、白瀬さんがそういうところに潜ってるって聞いて、正直、めちゃくちゃ心配です」
真剣な目で見つめられて、私は思わずドキッとしてしまった。
そんなものを目の当たりにしたら、きっと私もダンジョンに入れなくなるんだろう。
でも、思ってしまったの。 もっとダンジョンを探索したいって。だから、今更やめられない。
もし私の家に出たゲートの先が、もっと危険な魔物が徘徊するような場所だったら――今ごろ、私はここにいなかったかもしれないけれど。実際はそうなっていない。
「……私、運が良かったのかもね」
「え?」
「ゲートの先が、たまたま安全な場所だったってこと。神崎くんの話聞いてたら、そう思った」
神崎くんは、複雑そうな顔で頷いた。
「そうだと思います。ダンジョンって、場所によって出てくる魔物、全然違うらしいですし」
せっかく打ち明けてくれたのだから、こちらも隠すことはないと思い、私はこの数日の出来事を話していった。
初めて単眼ウサギと戦ったこと。ペンギンドッグの体内から魔装が出てきたこと。免許を取りに行ったこと。今日、専門店で装備を買ってきたこと。
神崎くんは真剣に聞いてくれた。
「本当に白瀬さんは無茶をしますね。俺なら逃げかえってますよ」
「うん、まあ、そうだよね」
「でも、ちょっと安心しました。白瀬さんの顔色は以前に比べてとてもよくなってるようだし。心配なのは変わりませんけど」
「心配してくれてありがとう。でも、なんだかね、今すごく楽しいの。危険なことは分かってるんだけど、こんなに刺激的な人生始めてだから」
「そりゃ、普段生活してて命の危険に合うことなんて滅多にないですからね。ただ、一人でダンジョンに行くのって、かなり無謀じゃないですか。詳しくは知らないですけど、今では普通パーティ組むって聞いたことありますけど」
さすがダンジョン経験者だ。私でも知らなかったことを知っている。
痛い所つかれてしまった。
「それはほかの人にも言われたけどさ、でも、しょうがないでしょ。まだ探索者の知り合いなんていないんだから……」
「しょうがない、で危険な事しないでくださいよ。それに白瀬さんって敵を作りやすい性格してますからね。パーティをちゃんと組めるか心配ですよ」
「なっ、そんなことないわよ。わ、私だってパーティくらい作れるもん!」
「いや、もんって……可愛く言ってもダメですよ」
私は両手を上げて降参のポーズを取った。
「言いたいことは分かってるわよ。装備もちゃんと揃えたし、これからは無茶しないようにするから」
「本当ですか?」
「本当本当。だから、そんな顔しないで」
なだめるように言うと、神崎くんはようやく少し肩の力を抜いた。
それでも、まだ納得しきっていない様子で、ちびちびとビールを飲んでいる。
「……とにかく、無理だけは、しないでくださいね。正直、俺がそのメンバーになれたら…とは思うんですが、あの記憶が脳裏に焼き付いてるせいで、まともに動けないでしょうから」
「うん、わかってる。私は大丈夫だから、心配してくれてありがとうね」
真剣な顔で見つめられて、なんだかくすぐったい気持ちになった。
心配してもらえるというのは、こんなにもあたたかいことなんだと、あらためて思う。
パーティを組んだほうがいい、というのは、私も分かっている。分かってはいるけれど――誘える仲間が本当にいない。これは今後の課題だった。
少し空気が重くなったので、私は話題を変えることにした。
「そういえば、神崎くんって、自炊とかする?」
「え、はい……まあ、簡単なものくらいなら作りますよ。一人暮らしなんで節約も兼ねてですけどね」
「そうなんだ。何が得意?」
「得意ってほどのものはないですよ。適当に野菜と肉の炒め物とか、ネットで拾ってきた時短レシピとかで済ませてます」
その言葉を聞いて、私が作りに行ってあげようか。と言いそうになったが、さすがに踏み込みすぎだと思って言葉を飲み込んだ。
「あのさ、お肉好き?」
「好きですけど……なんですか、急に。焼肉でも行きたいんですか?」
「実はさ、うちの冷蔵庫にお肉がたくさん余っててね。一人じゃとても食べきれなくて困ってるの。もしよかったら、少し持って帰らない?」
「え、いいんですか?」
「うん。処分に困ってたくらいだから、むしろ助かるよ」
「うーん……じゃあ、遠慮なくもらいますね」
◇
会計を済ませて店を出ると、私たちは家までの道をまた並んで歩いた。
夜風が心地よくて、お酒でほんのり火照った体にはちょうどいい涼しさだった。
「じゃあ、ちょっとだけ寄っていってね。すぐ用意するから」
「はい」
家に着くと、私は冷蔵庫を開けて、パンパンに詰まった肉のパックを見繕った。
単眼ウサギの分だけで、ちょうど一匹分くらいになるくらいの量を入れる。ペ
ンギンドッグも堪能してもらうために、いくつかまとめて袋に詰めていく。
「はい、これ」
差し出した袋を受け取った神崎くんは、中を覗き込むと目を丸くした。
「……これ、量、多くないですか?」
「全然、平気平気。それでもまだ余ってるくらいだから」
「いや、さすがにこんなには……っていうか、なんでそんなに肉が余ってるんです?それも結構大きな塊肉じゃないですか。バーベキューでもするつもりだったんですか?」
「これはね、さっき言ってた魔物のお肉だよ。私が狩ったやつの」
「え……魔物って食べれるんですか?」
「それがね、これが絶品なんだよ。神崎くんにもぜひ食べて感想を聞かせてほしいなと思って」
「へぇ、それほどですか……じゃあ、一度食べてみますね」
半ば押しつけるように渡すと、神崎くんは苦笑いしながらもしっかりと両手で受け取ってくれた。
「うん。若いんだからたくさん食べなね。それに、また余ったら渡すから、なくなったら取りに来ていいよ」
「いや、この量だと一週間くらいは毎食食べても余りそうですけど。っていうか、先輩と俺はそんなに歳変わらないですよ」
「細かいことは気にしないの! ほら、男の子なんだからいっぱい食べなきゃね」
思わず笑ってしまう。これでも半分も減っていないのだから、冷蔵庫の中身を見せたらさすがに驚くだろうな。
これからも増えるだろうし、神崎君もしばらくは肉には困らないだろう。
「今日はありがとうございました。ご馳走さまです」
「うん、こちらこそ。誘ってくれてありがとう」
神崎くんは、袋を大事そうに抱えながら頭を下げた。
「また、行きましょうね」
「うん、また誘って」
彼が駅の方へ歩いていく背中を、私はしばらく見送っていた。
今日は、思いがけずいろんなことを知った一日だった。
神崎くんの過去も、自分がどれだけ運が良かったのかということも。
それでも、私は止まらない。これが私の天職なんじゃないかって。そう思うから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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