ダンジョンの出会い
翌朝。顔を洗って朝ごはんを済ませると、私はさっそくテーブルの上の魔装を手に取った。
「さて。約束どおり、まずはこの子のごはんからだね」
テーブルには、雷属性の黄色い魔石が二つある。
やり方は、魔石を水晶体に触れさせるだけでいいらしいので、魔石を魔装の黄色い水晶体へそっと近づけようとして、ふと気が付いた。
「これ、どっちに吸わせたらいいんだろ」
私の魔装は両手に嵌めるので二つある。そのどちらにも水晶体がついているのだ。
「まぁ、魔石は二つあるから一つずつあげればいっか」
私は魔石を水晶体へ押し付けてみた。その瞬間だった。
魔石は、角砂糖が熱いコーヒーに溶けていくみたいに、じわりと形を崩して、水晶体の中へ吸い込まれていったのだ。
「おぉ……ほんとに吸い込まれた」
残った一つも同じように触れさせると、こちらもすうっと溶けて、消えていく。
二つとも、あっという間に終わった。
私はあらためて両手に魔装をはめてみる。
「……うーん」
正直変わった感じはまったくしなかった。
見た目が変わることもなく、体がもっと軽くなったりした感じもない。
「まあ、それはそうだよね。これだけで変わるわけがないか」
掲示板でも、進化させるにはかなりの量の魔石がいると言っていた。たった二つで魔装が化けてくれるなら、誰も苦労はしないだろう。
「ウサギでちょっとテストしてみようかな」
肉はもう十分すぎるほど冷蔵庫にあるし、今日は狩り以外に魔石を売りに行こうと思っていた。なので、テストは一匹だけにしておこう。
私は魔装を両手にしっかりとはめ直して、ゲートへと足を踏み入れた。
ゲートを抜けると、いつもの草原が広がっていた。
さっそく私は意識を研ぎ澄ませて、近くの魔物の気配を探っていく。
すると、右の草むらに気配を感じ取れた。
「いた。……近くにいてくれてよかった」
気配をたどって草を分けると、案の定、単眼ウサギが一匹いた。
ウサギも私に気付いて跳びかかってくると、私は正面から、その胴へ拳を叩き込んだ。
「ギュィィィッ!」と鳴いたウサギが草の上を転がっていく。
……うん。あっさり倒せた。でも、それはそれとして。
「……やっぱりわかんないね」
昨日と何か変わっただろうか。拳の速さも、体の軽さも、正直まったく区別がつかない。
強くなった気もするし、気のせいと言われれば気のせいのようでもある。
「一発で終わるのは変わらないし、やっぱりよくわからないなぁ」
これは相当な数の魔石が必要になりそうだと、少し怖くなってしまった。
「一体いくら分の魔石が必要なんだろう」
考えるだけで恐ろしい。
倒したウサギは、いつものように土嚢袋へ詰めておく。
肉はもう十分でも捨てるのはもったいないし、青い魔石はちゃんとお金になるのだから、置いていく手はない。
――と、そのときだった。
草原の向こうから、かすかに人の声が聞こえてくる。
空耳かと思って耳を澄ますと、間違いない。
何人かの話し声がこちらへ近づいてくるのがわかった。
「……えっ。うそ、人?」
私は声のするほうへ、思わず身構える。
魔物じゃないとわかっていても、こんなところで自分以外の人間に出くわすなんて、考えたこともなかった。
やがて草をかき分けて現れたのは、三人組の男の人たちだった。
全員が、見るからにしっかりした装備を身につけている。
先頭を歩く体格のいい人が、私に気づいて、ひょいと片手を上げた。
「おや、先客がいましたか。すみませんね、驚かせてしまって」
人懐っこい笑みを浮かべたその人は、私よりずいぶん年上に見えた。
どうやら三人のリーダー格らしく、後ろの二人も警戒する様子はなく、のんびりこちらへ近づいてくる。
敵意がないのは、なんとなく伝わってきた。
「あ、いえ……こちらこそ、すみません。まさか人に会うなんて、思ってなくて」
心臓がまだ落ち着かない私を見透かしたように、リーダー格の人が、からっと笑った。
「はは、その反応だと、初心者の方ですかね。まあ、気持ちはわかりますよ。……もしかして、この辺にゲートでもあるんですか? こんなところで人に会うとは思わなかったもので」
「え、っと……」
まずい。私のゲートは自宅にある。それは、できることなら知られたくない秘密だ。
言葉に詰まっていると、彼はあっさり手を振った。
「ああ、すみません、詮索する気はないんです。私たちのゲートは、ここから何時間も歩いたところにありましてね。この辺りで別のゲート組に出くわしたことがなかったものですから」
「別の、ゲート組……?」
思わず訊き返すと、答えたのはリーダー格の人ではなく、後ろにいた眼鏡の人だった。
「ダンジョンってのは、どのゲートから入っても同じ世界につながってるんですよ。だから、入り口が違う人同士でも、中でこうして出会うことがあります。珍しくもないことです。知りませんでしたか?」
「……あ、それは、聞いたことあります。ゲートは違っても、行き着く先は同じダンジョンだって」
免許を取りに行ったとき、窓口の人がそんなことを言っていた。
でも、実際にこうして別のゲートの人と会ってみると、なんだか不思議な気持ちになった。
「そういうことです。しかも面白いのが、地上の距離はまったく関係ないんですよ」
リーダー格の人が、指を一本立てて続ける。
「私たちのゲートは関東でしてね。お姉さんのゲートがどこかは知りませんが、たとえ何百キロ離れていても、ダンジョンの中だとすぐ隣、なんてこともあるんです。極端な話、北海道のゲートと沖縄のゲートが、中ではお隣さん同士、なんてこともあり得るわけですよ」
「へえ……そんなことに」
ダンジョンというのは、ほんとに不思議な場所だ。
それにしても関東か。東京だったりするのだろうか。
私は東海エリアから出たことがない田舎娘なので東京には憧れるなぁ。
なんとなく空気がほぐれてきたところで、私はあらためて三人を見た。
この人たちは、いわゆる”パーティ”というやつなんだろうか。
「あの……皆さんは、パーティを組んでるんですか?」
「ん? まあ、そんな大層なものじゃないですよ。ただの気の合う仲間三人で、休みが合えば一緒に潜ってるだけなんです。正式なパーティはそれぞれ別に持っていますので」
リーダー格の人がそう言って笑うと、それまで黙っていた一番若そうな人が、ふと私の手元に目を留めた。
「……あれ、その手のやつ。もしかして、魔装っすか?」
どきりとした。私の両手にはめた、野獣の牙のことだ。
「え、あ、はい。一応、そうです」
「うわ、マジか! いいなあ!」
若い人が大げさに声をあげる。
その隣で、眼鏡の人まで、羨ましそうに私の手元を覗き込んできた。
「本当だ。しかも、それ……武器型ですよね。いいなあ、俺たち二人は、まだ魔装のひとつも持ってないんですよ」
二人のあまりの食いつきに、少したじろいでいると、リーダー格の人が、はっとしたように表情を変えた。
「……失礼、初心者の方かと思っていましたが、魔装持ちということは、ベテランの方でしたか。初心者だなんて、失礼なことを申し上げました」
「あ、いえ! そんな、全然」
私は慌てて首を振った。
「魔装は、たまたま最近手に入っただけで……本当に、潜りはじめてまだ数日なんです。免許を取ったのも、つい先日で」
「数日……それで、もう武器型の魔装をお持ちなんですか」
リーダー格の人は、少し驚いたように目を丸くしてから、納得したように頷いた。
「それは、運がよかったですね」
そう言うと、自分の足元を指さして、にっと笑った。
「この二人は魔装を持ってないんですが。うちで持ってるのは、私だけなんですよ。……ほら、これ」
見ると、彼は無骨なブーツを履いていた。
一見ただの頑丈そうな登山靴だけれど、よく見ると履き口のあたりに、小さな水晶体がはめ込まれている。
「ブーツ型の魔装でしてね。速く走れたり、疲れにくくなったりって能力なんですよ。地味ですが、便利ですよ。……でもまあ、正直、武器型はうらやましい。私も一度でいいから、武器型の魔装を使ってみたいですね」
そこで私は、ようやく三人の装備をまじまじと見る余裕ができた。
あらためて眺めてみると、みんな身につけているものが、あきらかに私とは違う。
リーダー格の人の腰には、ナイフというより、長剣に近い刃物が下がっているし。眼鏡の人が着ている服も、ホームセンターでは絶対に見かけないような、頑丈そうな生地でできている。
「あの……その剣とか、服とかは魔装ではないんですか? 私、こういうのって全然詳しくなくて」
思い切って訊いてみると、眼鏡の人が答えてくれた。
「ああ。これですか。これは探索者専用の店で買ったんですよ。魔装ではありませんが、ダンジョン産の素材が使われてたりするんです。聞いたことないですか?ネット販売もしているので、調べてみるといいですよ」
「探索者専用の……お店」
思わず、自分の格好を見下ろす。私が今日着ているのは、ホームセンターで買った作業着と、スニーカーだ。
専用の店なんてものがあるとは、まったく知らなかった。
「そういえば、あなたお一人ですか?」
リーダー格の人が、あたりを見回しながら訊ねてくる。
「はい。一人で、やってます」
その答えに、三人は揃って驚いた顔をした。
「え、ソロっすか!?」
若い人が、素っ頓狂な声をあげる。
「本当に、お一人で……?」
眼鏡の人まで、信じられないという顔をしている。
リーダー格の人は、腕を組んで、少し困ったように眉を寄せた。
「それは、心配ですね。……そもそも、女性の探索者自体珍しいのに。まして、お一人だなんて」
「女性は……そんなに、少ないんですか?」
「ええ、極端に。九割以上は男ですね。私たちのゲートでは見た事はないですが、他のゲートで活躍している人なら数人知っていますよ。SNSでもよく見かけますしね。……しかし、パーティを組むのが普通なのに、それをお一人でやってらっしゃるとは……大したものだと思いますよ」
褒められているのか、心配されているのか、よくわからない口ぶりだった。
「ただ、差し出がましいようですが」
リーダー格の人が、私の格好をあらためて見て、少し言いにくそうに切り出す。
「その装備……と言っていいのかわかりませんが、正直、危険ですよ。もう少し、ちゃんとしたものを揃えたほうがいい。今は無事でも、いつか大きな怪我をするかもしれません。それに、他の探索者にも気を付けた方がいいですよ。会ったのが私たちだったからよかったですが、時々魔物や探索者同士のトラブルなどで死傷者が出たりしていますからね。できれば早めにパーティには入った方がいいでしょう」
「……はい。それは、私も薄々」
耳が痛いけれど、頷くしかなかった。
「特に、あちらに見える森には気をつけてください。あそこには、初心者では手に負えない魔物も出ますから」
リーダー格の人が、草原の向こうを指さした。
見晴らしのいいこの草原からは、遠くにぼんやりと森の輪郭が見えている。
初めてここに来た日から、ずっと視界の端にあったあの場所だ。
「あの森、ですか……」
私がその方角を見つめていると、リーダー格の人は、順番に指を折りながら教えてくれた。
「ランドビートルってやつがいましてね。岩みたいに硬い甲羅を持ったカブトムシで、バスケットボールくらいの大きさがあります。角の先端が鋭くて、それで突っ込んでくるんですよ。正直、初心者が勝てる相手じゃありません」
「あと、コブラエンペラーってのもいますよ」
眼鏡の人が続ける。
「見た目はでかいコブラですね。大きいものだと、六メートルくらいになるって話も聞きます。毒は持ってないんですが、とにかく足が速くて、もし締め付けられたら逃げられずに食べられちゃいますからね。あれはパーティを組んでいても厳しい相手です」
「六メートル……」
想像するだけで、背筋が寒くなった。
「ただ、どちらも大きめの魔石を落としますし、特にランドビートルは昆虫の魔物なので魔装を落としやすいって噂がありますからね。だから、腕に自信のある上級者でもうま味のある狩場ですから覚えておくといいですよ」
リーダー格の人が、そう付け加えた。
「昆虫が、魔装を……」
今すぐどうこうできる話ではないけれど、覚えておいて損はなさそうだ。
ひとしきり話し終えると、リーダー格の人は、ふと真顔になって、私のほうへ向き直った。
「あと、これだけは言っておきたいんですが」
「はい……?」
「この辺りは私たちの知る限りゲートは存在していませんでした。もし近くに新しいゲートができていたのなら別ですが、そうでなければ、この一帯にあるのは、あなたが通ってきたゲートくらいのものでしょう」
「……それが、何か」
「つまり」と、リーダー格の人は、少し言葉を選ぶように続けた。
「あなたに何かあっても、私たちのようにたまたま通りかかる人がいるとは限らないということです。今日はこうして会えましたが、これ偶然と言っていいでしょう」
その言葉に、背筋がすっと冷たくなった。誰かと会えたことに気を取られていたけれど、それはつまり、逆もまた然りということだ。
もし今日、私が一人で怪我をして動けなくなっていたとしても、こうして誰かが通りがかる保証なんて、どこにもない。
「……お一人でやるにしても、くれぐれも、無理はなさらないように」
「はい……肝に、銘じます」
「さて、私たちはそろそろ移動しますね。お会いできて、よかったです。もし地球で会うことがあれば食事でもしましょう」
「あ、はい。いろいろ教えてくださって、ありがとうございました」
なんだか変な挨拶をすると、三人は軽く手を振り、来た方向とは別の方角へ草をかき分けて歩いていった。
私はその背中が見えなくなるまで、しばらくその場に立って見送っていた。
「地球で会うことがあれば……か」
その言葉で、ここが地球じゃないということを改めて実感させられた。
こんな世の中にならなければ、一生使うことのないフレーズだったに違いない。
一人になると、急に静けさが戻ってくる。
まさか、ダンジョンの中で人に会うとは思っていなかったが、有力な情報が聞けてありがたかった。
探索者専用の店という当たり前の常識。そして、あの森に潜む危険な魔物たち。
今の会話だけで、いろいろ知ることができた。
「……やっぱり、別の探索者の人との交流はしとくべきなのかなぁ」
これまでは、ただ夢中で狩りを続けてきたけど、今日会った三人のおかげで、自分がどれだけ危なっかしい立場でにいるのか、あらためて突きつけられた気がする。
「装備もちゃんと考えなきゃ……」
ジャージと包丁で潜っていた頃を思えば、今は魔装のおかげでまともになったつもりでいた。
でも、専用の店があると知ってしまった以上、このままでいいわけがない。
「よし。今日は帰って、お店のことをちゃんと調べてみよ」
もっと強くなりたい。もっと安全にこの世界を歩けるようになりたい。
そのためにやるべきことが、また一つ増えた。
私は魔装を握り直すと、ゲートへ向かって歩きだした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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