検証5 洗いざらいぶちまけてみよう
カルマとか善行値とかそういうシステムが嫌いだった。
真面目なゲームにたまにあるやつだ。
善行と悪行、短期的に有利なのは後者だが、長期的に見たら前者が圧倒的に得。悪行は大抵、選択肢に入らない。
NPCを殺したり奪ったり騙したりすると、システムに責められる。じゃあ、なんでそんなことができるようになってるんだよと、俺は主人公として、世界の命運を握ってるんだ。ちょっと悪いことをしたぐらいなんだって言うんだ。
そもそも善行が報われるなんて全然リアルじゃねえ。ご都合主義だ。
悪いことをしたら悪いことをした分だけ得をする、そういう嫌なリアルさがあってもいいだろ。
そんなふうにゲームの設計に批評家気取りで中指を立てていたのがもはや懐かしい。
「はあ」
もはや慣れ親しんだ寝台の上。
鏡に、ニティカの身体が映っている。
最初は、美少女転生だなんだと浮かれる理由でしかなかった、儚げな容姿。
今はもう、俺を戒める鎖のようにすら感じられた。
腹の奥から、何かがこみ上げる。吐きそうになるのを抑えた。
何も考えられなかった。考えることを、脳が拒んでいた。
扉の向こうから足音。
「ニティカ? 起きてる?」
赤い巻き毛の少女が、扉を開ける。
「どうしたの? 顔、変だよ」
俺は何か言おうとして口を開いたが、うまく声が出ない。
リジーを俺の身代わりにし、村を見殺しにし、ユシアを地下に閉じ込めた。
全ては無駄だった。
そして、俺がそれをしたという事実だけが、俺の中に残った。
この周回では、今のリジーはきっと自分の家にいる。前周回のことなど覚えていないはずだ。何もかもなかったことになった。
なら、俺は何もしていないのと同じだ。
というか、そもそも俺が何をしようが、結局皆殺しイベントは回避できなかったし、リジーも死の運命を辿っていた。
なんなら初回、逃亡を試したときも、そうなっていたのだろう。
俺の行動で、何か変わったか?
悪いのは俺じゃなく、この理不尽な世界だ。
「ニティカ?」
ひょっとしたら、俺が転生してくる前の、本物のニティカも、そうだったりしてな。
だってさ、異世界転生でループなんて、同時に起こるか? 普通。
ひょっとしたら、最初はループものだけだったのかもしれない。
“本物のニティカ”は、何度も何度も、ループを経験して、逃げて、もがいてたりしてたのかもしれない。
ユシアの手を引いて走って、殺される村人たちの断末魔を聴いて、自分が死ぬべきだと理解して、それでも死にたくなくて──
最終的に、誰かに代わりに死ぬ役を押しつけた、とか。どういうわけか、それに俺が選ばれた。ふざけるなよ。関係ない。俺はニティカなんかじゃない。死ぬために来たわけじゃない。
「ねえ。ねえってば」
俺じゃない。
俺は悪くない。
死にたくない。
俺は悪くないんだ。
なんでだよ。なんで俺なんだよ。
誰かに死ぬ役を押し付けていいわけがないだろ。
「……泣いてるの?」
そう言われて、自分の頬に触れると、濡れていた。
ユシアが困った顔で手を伸ばしてくる。
「ユシア」
その手を掴む。
「俺は、ニティカじゃない、お、俺は、別の世界から来た」
俺はまくし立てた。唾が舌に絡みついてうまく言葉にならない。
「この世界のことを、俺は知ってた。物語として。ゲームとして。君のことも、ニティカのことも、魔王のことも、知ってた。ユシアは、勇者なんだ。伝説の勇者の血を引いていて、魔王を倒すことになる。大人たちが君に剣を習わせてるのはそのためだ。原作だと……本来の筋書きだと今夜魔王が村を襲う。村は焼ける。みんな死ぬ。俺──ニティカも死ぬ。だから最初に逃げた。村からユシアの手を引いて逃げたんだ。でも、夜が明けたら、俺は戻されてた。最初の朝になってた。この世界は、筋書きを守らないと何度もそれを俺にやり直させるみたいなんだ。次は魔王を殺した。ぶっつけ本番だったけどうまくいった。俺も本物のニティカもたぶん人を殺したことすらないのに魔王相手にはうまくいったんだ。ははは。けっこう嫌な感触だった。でもダメだった。だから俺は次はユシアにやらせた。ユシアはすごかった。魔王と戦って普通に倒した。でもすごく怯えてた。ひどいよな。自分でやりたくないことをなんだかんだ言いくるめて何も知らないユシアにやらせたんだ。だめだった。次はリジーに死んでもらった。えっと俺の代わりに。リジーに俺のふりをしてもらった上で死んでもらったらいけるんじゃないかと思って。思いついた時はもうこれしかないって思ったけど冷静に考えてめちゃくちゃだよな。そんなんでうまくいくわけねえよ。リジーは多分最後まで俺のことを信じてたよ。俺って生きてちゃいけないのかもしれない。こんなひどいことを思いつくなんて死んで当然なんだよ生きる価値なんてないんだよだからこんな目にあってるんだよ今ユシアもそう思うだろなあ」
支離滅裂だった。最後のほうはユシアの顔をまともに見れていなかった。
何十秒かかけて、荒々しく息を吐いて、吸う。
「違う。そうじゃない。信じなくていい。わからなくていい俺だって何言ってるのかわからないループとか転生とかゲームとかニティカじゃないとかめちゃくちゃだ。とにかく俺はひどいことをした。君を戦わせた、閉じ込めた嘘をついた。君の友達を身代わりにさせた」
「……」
「もう耐えられないんだ。ひとりじゃ抱えきれない。もう無理だ。怖い。死にたくない。死にたくないんだよ」
「……」
ユシアはしばらく何も言わなかった。
俺の手を握ったまま、何度も息を吸って、吐いた。
そこに宿っている感情は、怒りなのか、怯えなのか。
「……わからないよ。ループとか、転生とか、ゲームとか、ニティカじゃないとか」
「……」
「そんなこと言われても、ぜんぜんわからない」
「……」
「魔王を殺したとか、ボクが倒したとか、リジーを身代わりにしたとかも、知らない、覚えてない」
「……」
「……怖い」
「……」
「でも」
「……」
「君が嘘をついてないことは、わかる」
「……なんで」
「わかるから」
「そんなの、理由になってない」
「でも、わかる」
「おれ、こんなにめちゃくちゃなこと言ってるのに。しかも、ニティカを追い出して、ここにいるのに」
「ニティカのことは、大切だよ。君の言うことが本当で、本物のニティカが別にいるんだとしたら、彼女のことが心配だ。戻ってこれるなら、戻ってきてほしいって思う」
「うん……」
「でも、君が、どうでもいいってことにはならない」
「……え?」
「だって、君の泣き方と甘える姿、ニティカ、そのものなんだもん」
「え、え……!?」
その言葉をどう解釈すればいいのかわからなかった。
でも、理解するよりも先に、胸の奥で粉々になっていたものが、ひとつひとつ拾い集められていくような感じがした。
そしてくだらないことを考え始める。
俺は多分、元の世界ではもっと年上の男だったはずだ。
その泣き方と甘え方が、天然ものの美少女と同じ。
それは、人として……男としてどうなんだ。
そもそも今の俺は何なんだ。
単にニティカの身体を借りているから、そう見えているだけなんじゃないのか。
いくらでも反論することはできた。
でも、ユシアは俺の手を離さなかった。
「全部はわからない。でも、君が苦しんでることはわかる。だから、信じる」
許されたわけでも、何かが解決したわけでもない。
ニティカの席を押しのけていることも、ユシアに剣を取らせたことも、リジーを身代わりにしたことも、消えていない。
それでも、ユシアは俺の手を離さなかった。
それが、怖くて、嬉しくて、どうしようもなく苦しかった。
*
ユシアと別れたあと、俺はひとりで村外れまで歩いた。
逃げるためでも、新たな作戦があるわけでもない。
妙手など何も思いつかないまま、ただ、誰もいないところに行きたかった。
空は青く、村は平和だった。
今夜、滅びるだろう村で暮らす人たちは、今日も普通に笑っている。
リジーが井戸のそばで誰かと話しているのが見えた。
俺は一瞬、身体をこわばらせ、足を止める。
「どーしたの、ニティカ、神妙な顔して」
リジーはそんな俺と目が合うと、何も知らない顔で、こちらに駆け寄ってくる。
「……なんで生きてるんだ?」
「え!? 私が!? ひどくない?」
「いや、急にそう思ったんだよ。俺はなんで生きてるんだろうって」
「お、テツガクシャだねえ」
そんなことを考えたのは、初めてではなかった気がする。
元の世界のことは、もうぼんやりとしか思い出せない。
名前も、顔も、部屋の形も、何をして暮らしていたのかも、霧の向こうにある。
けれど、あちらでも、俺は同じことを考えていたのだろう。
なんで生きてるんだろう。
どうして、この世に生を享けたのだろう。
何のために、朝起きて、息をして、ご飯を食べているのだろう。
いつか死んで、何もなくなるのに。
「そんなのに答えなんてないでしょ」
「……そうなのかもな」
俺がここに来たことにも、意味なんてないのかもしれない。
ニティカの身体に入って、ユシアの幼馴染を演じさせられたことにも。
何度も死にかけて、逃げて、誰かを犠牲にしようとしたことにも。
ただ、そうなってしまっただけ。
なにかを期待されて、俺が選ばれたのではない。
空いた穴に、たまたま俺が落ちただけ。
俺がここにいる意味は、誰も決めてくれない。
「でもそれって寂しくないか?」
「ううん。自由ってことでしょ」
あるいは、勇者のために死ぬことが意味なのだと、世界が言っているのかもしれない。
正史を忠実に辿り、本物のニティカの代わりに役割を果たし、ユシアを導くことが運命なのだと、物語は要求しているのかもしれない。
「何を思い詰めてるのか知らないけど、ユシアはニティカがいなくなったら悲しいと思うよ。それで十分じゃない?」
「……もしそう思ってないとしたら?」
「ええ、喧嘩でもした!?」
だが、そんなものは知らない。
死にたくない、それは変わらない。
死ぬのは怖いし、痛いのも嫌だし、もっと生きたい。
誰かの思い出の中にだけ残るために死ぬなんて、冗談ではない。
「──じゃあ、ニティカはユシアを嫌いになったの?」
「ううん」
「そっか」
まだ、試せることは、ひょっとしたら残っているのかもしれない。
何度も検証を重ねるうち、どこかに抜け道を見つけられるのかもしれない。
でも、これ以上ユシアや村を検証の犠牲にして、命を弄んでいたら、俺は壊れてしまう。
やり直せるから、いいってものじゃない。
たとえ世界が全部巻き戻ったとて、ユシアの手を汚させたことも、リジーを身代わりにしたことも、なかったことにはできない。
それは別に、そんなに立派な話じゃないと思う。
攻略最適化のためにカルマ値を下げきることができない、半端なプレイヤーとも言える。
でも、それが俺なんだ。
「なら、その気持ちに素直になるしかないんじゃないの」
死ぬために生まれたのではない。
だが、どう使うかを選べるものがまだあるなら。
それは、たぶん俺の命だけだ。
「……ありがとう、リジー」
ふと広場の反対側に視線を向けると旅人に扮した魔王がノコノコとやってきたので、刺し殺した。
「肩のうしろの二本のツノのまんなかのトサカの下のウロコの右!! 死ね魔王!!」
「グアアアアアアア」
終わらせよう。
次の朝、俺は行動を開始する。
きっと、それが最後のループになる。




