検証4 身代わりを立ててみよう
──何が、こうするしかなかった、だ。
四回目のループに突入したことを、理解する。
俺は起き上がることができず、そのまま、木の天井を見上げていた。
足音が近づく。
「ニティカ? 起きてる?」
扉が開く。
赤い巻き毛の少女が顔を覗かせる。
「どうしたの? 顔、変だよ」
俺は笑うしかなかった。
さぞかし変な笑いだったのだろう。
逃げて、殺して、殺させて、何度も綱渡りを成功させて、全ては元の木阿弥。
最近のよくできたゲームなら、周回特典ぐらいあるものなんだが。
あれか、知識アンロックっていうのか?
実際には、俺の未来がどんどんロックされていくようにしか感じられない。
逃げるのは、ダメ。
魔王の死では、ダメ。
勇者の勝利でも、ダメ。
なら、必要なのは、俺、俺が死ぬこと。
俺が死ぬ正史ルートだけが、いつでもどうぞと口を開けている。
俺は、気がつけば指先が白くなるほどの力で、布団を握りしめていた。
嫌だ。
死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない。
ここで死ぬのが運命なら、なんで転生したんだ。
勇者の心の傷になって、旅立たせるためだけに、俺は、この身体に落ちたとでもいうのか。
呼吸が早くなる。心臓が痛むほどに騒ぐ。視界が滲む。
「ニティカ?」
ユシアが近づいてくる。
心配そうな、何も知らない顔。
優しくてかわいいが、俺を助けてくれることはない。
勇者だろ。勇者なんだろ。なら俺を助けてくれよ。なあ。
「ニティカ」
叫びだしそうになる直前、手に、温かいものが触れるのを感じた。
いつのまにか寄り添っていたユシアが、俺の手を握りしめていた。
悲しそうに、俺を見つめている。
ユシアの人肌の温もりに、少しだけ、冷静さが戻ってくる。
落ち着け。
落ち着け、落ち着け。
整理しよう。
不正なスキップは許されない。
勇者は筋書き通り、旅立たなければいけない。
そして、ただ村を出るだけではダメだと初回に証明されている。
つまり、村が焼かれ、俺が死ぬことで、ユシアを旅立たせる必要がある。
──それが不可避なら、そこに抜け道はないのか?
俺は、あるSFアドベンチャーゲームの筋書きを思い出していた。
主人公が死ななければ、歴史がおかしくなってしまう。
そのために、主人公は自分の死を装い、世界を騙した。
──死ぬのは、本当に俺でなければならないのか。
そんな考えが意識の水面から、腐った臭いとともに顔を出した。
「……最低だ」
「ニティカ?」
ユシアが首をかしげる。
俺は顔を上げられなかった。
「なんでもない」
「なんでもない顔じゃないよ」
「顔の話はもういい」
「ずっと変だよ、ニティカ」
「知ってる」
この世界に来てから、俺はずっと変だ。
だが、今からやろうとしていることは、その中でも一番おかしくて、卑劣だ。
*
選んだのは、隣の家に住むリジーという少女だった。
ニティカと同じくらいの背丈で、髪の色が似ていると言えなくもない。何度かこの村の記憶の中で顔を見たことがある。
たぶん、ニティカの友人だったのだと思う。
俺にとってリジーは、元のゲームでは名前すら出てこない村人Aだ。オープニングで村ごと死ぬ、背景の一部。台詞も一言か二言。村の宿屋に、珍しいことに旅人が泊まっている、仲良くなれるかな、ぐらいの内容だったと思う。
でも、目の前のリジーとは普通にやりとりができた。
「え、ニティカの服? なんで?」
「ちょっと、ユシアを驚かせたくて」
自分で言って、笑い出したくなってくる。
それは、確かに驚くだろう。
ただし、リジーが想像するよりずっと悪い意味で。
「ニティカ、また変なこと考えてるでしょ」
リジーは窓辺で首を傾げた。
素朴な顔立ちの少女だった。髪は淡い茶色。目元が柔らかい。ニティカより少し背が低いかもしれない。
けど、ニティカの服を着せれば、きっと遠目にはニティカに見える。
原作では、村人たちが総出で、魔王軍と戦う。
ユシアという唯一の世界の希望を守るために。
──当然、リジーも。ニティカと同じように。
「昔からそういうとこあるよね。急に思いついて、急にやるの」
「……昔から?」
「うん。覚えてないの?」
「お、覚えてる」
もちろん、嘘だ。
ニティカとリジーが昔どんな遊びをしたのか。何を話して、どうして笑ったのか。
何も知らないのに、その席だけ使って、友達のふりをしている。
「お願い。一晩だけでいいから。俺の服を着て、俺の家にいてほしい」
「俺?」
「えーと、方言」
「そんな方言ある?」
リジーは笑った。
ユシアと同じことを言う。
どうしてみんな、俺の言うことをそんなふうに軽く受け止めるのだろう。
ニティカの人徳なのか?
軽く受け止めてくれるから、こちらはどんどん重いことを押しつけられる。
「まあ、いいけど。でも、朝になったらちゃんと説明してよ」
最終的に、リジーは俺の頼みを請けた。請けてしまった。
彼女に朝など、訪れないというのに。
「ごめん」
「謝るくらいなら、やめればいいのに」
リジーは笑った。そのとおりすぎて、俺も笑った。
夕方になる前に、リジーはニティカの服を着た。俺はリジーの古い上着を羽織った。
鏡の中で、ニティカではない少女の服を着たニティカが立っていた。おかしな感じだった。身体は同じなのに、役割だけが少しずれたように見えた。
リジーは俺の寝台に腰を下ろした。
「これでいいの?」
「うん」
「ニティカは?」
「ちょっと、ユシアと話してくる」
「またユシア?」
リジーが笑う。
「ほんと、ニティカってユシアのこと好きだよね」
胸が跳ねた。
俺の感情なのか、ニティカの感情なのか、わからない。
「まあ、ね」
「変な反応。いつもならもっとつんつんする」
「そうだっけ」
「そうだよ」
部屋を出て、扉を閉める直前、リジーが寝台に寝転がるのが見えた。
俺の服を着て。
俺の運命を着せられて。
扉を閉める俺の手は震えていた。
まだやるべきことがある。むしろ、ここからが本番だ。
*
「え? なんで地下倉庫? 何から隠れるの?」
「魔王」
ユシアを地下倉庫へ連れていくのは、逃亡より難しかった。ユシアが地下室に隠されるのは一応、原作通りなのだが、それをちょっと早める必要があった。なぜなら放っておくと、原作ではユシアだけが隠されてしまうから。
ユシアからすれば、俺は朝からずっと不安定で、夕方になったら急に地下倉庫に隠れようと言い出した幼馴染になる。
それでもユシアは俺の手を振りほどかず、ついてきた。
「ニティカ、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「じゃあ、大人を」
「呼ばないで」
声が強すぎたのか、ユシアが、びくりとする。
その顔を見て、少しだけ正気に戻った。
「ごめん。でも、お願い。今日だけでいい。俺の言うこと聞いて」
「わかった」
ユシアは何もわかっていない。
俺はニティカへの信頼を利用しているだけの、ニティカではない誰かなんだ。
そう白状できればどれだけ楽だっただろうか。
俺が内側から扉を閉め、木箱をいくつも積んで塞ぐのを、ユシアは不安げに眺めていた。
「ここで、何をするの?」
「静かに隠れる。朝まで」
「え、朝までずっと!?」
「声を出すな」
俺は自分の唇の前に指を立てた。
「何が聞こえても、絶対に出るな」
「むちゃくちゃだよ」
ユシアの声が小さくなり、震える。
「ニティカ、上で何が起きるの」
「聞かないで」
「でも」
俺はユシアの腕を掴んだ。
その力に、彼女は顔をしかめる。
俺は慌てて手を離した。
「ごめん」
何に対して謝っているのか、自分でもわからなくなっていた。
ユシアに? リジーに? 村人たちに? 俺に乗っ取られた本来の身体の持ち主に?
それとも、俺がまだ生きていることに?
*
当然ながら、俺は今スマホも時計も持っていない。
窓などない地下倉庫に引きこもっていると、時間の感覚はなくなって、いろいろなことを考える。
まだ夕方なのか、もう夜なのか。
本当に魔王の襲撃は起こるのか。
俺という異物がすでにいる以上、台本通りにイベントが起こるとも限らない。
旅人に扮した魔王にユシアが見つかるイベントが起きてないから、フラグ未成立で、このループでは何も起こらないかもしれない。
そもそも、シナリオが違っていて、村が滅亡する予定すらない可能性すらある。
俺はとにかく、虐殺が起こらない可能性を無数に考えて、ただ待つだけの時間を耐えた。
この検証が無為に終わることを、どこかで祈っていた。
倉庫の上を誰かが歩く音がした。遠くで犬が吠えた。村人たちの夕食の声が、天井越しにかすかに聞こえた。
ユシアは俺の隣で膝を抱えている。
暗闇の中でも、赤い巻き毛の輪郭だけはなんとなくわかった。
「ニティカ」
「静かに」
それから少しして、悲鳴が聞こえた。
ユシアが隣で息を呑む気配がする。俺は目を瞑る。
ついに、正史の夜が訪れたのだ。
何かが壊れる音。悲鳴。怒号。金属音。獣の吠え声。火の爆ぜる音。木の建材がひしゃげる音。
誰かが叫んだ。それはユシアの名のように聞こえた。
「……!」
ユシアが立ち上がりかけるのを、俺は縋るようにして止めた。
「だめ」
「でも、上で」
「だめ!」
「ニティカ、離して!」
「だめだ!」
ユシアは暴れた。
小さな身体なのに、勇者のたまごらしく力が強い。俺では押さえきれない。
でも、俺は必死にしがみついた。
ユシアを死なせたくないから。
いや、それは嘘だ。
ユシアが出ていくことで、俺を見つけられて殺されたくないからだ。
「行ったら死ぬ! 出たら死ぬんだよ!」
「けど、みんなが!」
地上で、また悲鳴が上がる。
今度は若い女の子の声に聞こえた。
リジーだろうか。違うかもしれない。どちらにせよ最悪だった。
ユシアと俺は、身を寄せ合って震えていた。
今まで原作知識にしかなかった村人の死が、扉一枚を隔てて起こっているのを感じる。
正常性バイアスにしがみついてたら、本当に、終わってた。
ああ、畜生、本当に死ぬのかよ。人が。
「ニティカ……何が、起きてるの」
「ごめん」
「どうして。ねえ、どうして」
「ごめんなさい……」
ユシアは一度、きっ、と俺を睨みつけたが、そのあと目を伏せた。
いままさに地上では人が殺され、村が滅ぼされている。
俺は、その中にいない。
代わりに、俺の服を着たリジーがいる。
ユシアを逃がすために死ぬ幼馴染ヒロインの代役として。
逃げていてほしかった。
でも、それではだめだ。
今回の検証が、不成立になる。
俺のかわりに死んでいてもらわないと、困る。
「ごめんなさい」
何度も、飽き足りずに言う。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
俺はユシアを抱きしめながら、謝り続けた。
知らない間に俺の代役にされた、あの子に。
俺は死にたくなかった。
だから、俺の死を、あの子に着せた。
──謝るくらいなら、やめればいいのに。
ユシアと俺は、ずっと泣いていた。
でも、涙の理由は同じではなかった。
ユシアは、頭上で村という日常が壊されていくことに。
俺は、自分がまだ生きている罪深さに、泣いていた。
上で何かが大きく崩れた音がして、石造りの天井から細かい土が落ちてくる。
俺の服の端を握りしめるユシアからは、いい香りがした。
若草のような爽やかさに、ほのかな甘さが混じっていた。
そう感じてしまう自分自身が、本当に嫌だった。
どれくらい時間が経ったのかわからない。
地上の音は、だんだん遠くなっていった。
悲鳴がひとつずつ減って、かわりに火の音だけが残る。
ユシアは泣き疲れたのか、俺の腕の中でぐったりしている。
俺ももう、涙が枯れていた。
夜明けまでここに居続けよう。
朝が来れば。
世界が続くなら。
俺は生き延びられる。
ユシアも隣にいる。
リジーは――。
それ以上考えることを拒んで、目を閉じた。
*
木の天井が見えた。
石の天井では、なかった。




