検証2 暗殺してみよう
詰んだ。
詰んだ、詰んだ、詰んだ。
俺はニティカの寝台に座り込んだまま、膝を抱えて震えていた。
逆だろ。
ループものは、逆だろ。
絶望的な状況に陥って、主人公が死ぬ。
そうしたら、最初の朝に戻り、再び猶予が生まれる。
そこで主人公は、死を回避するために試行錯誤する。
死に戻り、と呼ばれる類型だ。
でも今は、俺が死ななかったから、リセットが起こった。
言うなれば“生き戻り”だ。
ふざけんな。叫びたくなった。
というか、転生でTSでループものって盛りすぎだろ。
いや近年は複合ジャンルがむしろ普通なのか? くそ、どうでもいい。
たぶん、日付が変わる瞬間だ。
魔王軍の襲撃を回避したからか。村から離れたからか。ニティカが死ななかったからか。
わからないが、確かなのは、逃げるだけでは駄目だということ。
どうする。どうすればいい。
俺が黙り込んでいると、ユシアは心配そうに俺の横に座り込む。
「ニティカ、具合悪い?」
「いや、世界が悪い」
「大きく出たね~」
ユシアは苦笑して、大人を呼んでこようか、と提案してきたが、俺は断った。
どうする。
逃げられない。
なら、原因を潰すしかない。
「ユシア。今日も昼、剣の稽古するんだよな? 俺も見に行く」
「俺?」
「……方言」
このまま座して死の運命を待ってたまるか。
俺がニティカに転生したのは、それを蹴っ飛ばせってことだろ。
そういうことであってくれ。頼む。
*
昼。
村の広場に向かうと、数人の大人たちがユシアの稽古を見ていた。
くるんとした赤い巻き毛の少女が、小さな身体で木剣を振る。
ぱっと見はただのかわいい村娘でも、動きは素人の俺から見ても鋭い。
足運びが軽く、手首がぶれない。
教えている大人の方が、うっすら緊張している。
なるほど。
本人の自覚はなくとも、勇者の才覚はすでにあるようだ。
ゴブリンやスライムぐらいなら余裕で倒せそうに俺には見えた。
「違う。踏み込みが浅い。相手を見るな。相手の動きを見ろ」
「はい!」
真剣に木剣を振るユシアの姿を見て、俺は原作ゲームにおける彼女を思い出した。
ユシアというのはデフォルトネーム。プレイヤーが性別を選べる、無口タイプの主人公。強く、清らかで、世界の命運を背負い、そして救う存在。
でも目の前にいるのは、まだ何も知らない少女。
大人に言われるまま剣を振っている。
それがなんのためかも知らないまま。
見物している俺とユシアの目が合うと、ユシアははにかんでみせた。照れくさくなりながら、俺も笑い返した。
「!」
ユシアを見る視界の端、広場の隅に旅人が姿を現すのが見えた。
薄い外套。くたびれた帽子。背負い袋。手には杖。どこから見ても、迷い込んできた旅人──なわけね~。ただの通りすがりの旅人があんな、イラストSNSで人気出そうな銀髪赤目で眉目秀麗であってたまるか。節穴どもが。俺にはわかる。
あいつが魔王だ。
原作では、この旅人がユシアに近づき、こう囁く。
『君が、勇者か』
それだけ告げて消え、そして夜、正体を現す。
──その前に殺す。
全滅イベントの原因。旅人に変装した魔王。
そいつを殺せば、魔王軍の襲撃自体もきっと起きなくなる。村は焼かれず、俺は死なない。
完璧だ。俺は天才かもしれない。天才美少女だ。
俺は稽古を見守る村人の間を抜けた。
袖に隠しているのは、物置小屋に置かれていた、獣の皮を剥ぐための短剣。
殺す。殺してやる。魔王を。レベル1の村娘が、魔王を殺す。
心臓がうるさい。普通なら無理だ。だが、こっちには原作知識がある。異世界転生者の面目躍如だ。
俺は、魔王の弱点を知っていた。
(えーと、肩のうしろの二本のツノのまんなかのトサカの下のロココ調……じゃなくて、ウロコの右、だったか?)
原作では、この弱点を看破するイベントを起こさないと、まともに魔王にダメージが入らない。
なんだこのふざけた弱点?
魔王は広場の端で、大人と何か話している。
今なら背後を取って殺せる。
正当防衛だ。
いや、まだ何もされていない。
過剰防衛? それで済むか?
うるさい。死にたくない。
相手は魔王だ。人間じゃない。どうせ今夜、村を焼く。俺を殺し、ユシアを壊す。
俺は魔王の背後に近づき、袖から短剣を取り出す。手が震える。
魔王はまだこちらに気づいていない。
ん? ちょっと待てよ。今、人間の姿に擬態してるんだから、ツノもトサカも鱗も見えないだろ。作戦に問題がある。
そう気づいた瞬間、魔王が首だけで振り返った。紅色の、縦に裂けた瞳と目が合う。
「貴様――」
まずい。バレた。やるしかない。短剣を振り上げる。
──たぶん、ここだ。
「肩のうしろの二本のツノのまんなかのトサカの下のウロコの右!!」
俺は肩の後ろに短剣を突き立てた。
硬い鱗を抜け、その奥で、熱いものが弾ける感触。
「が、あ……っ」
魔王の身体が大きく跳ねた。弱点に当たったらしい。会心の一撃だな。ラッキー。
旅人の姿が崩れる。
外套が裂け、黒い鱗が露出する。肩の後ろに、折りたたまれていた二本の角が浮かぶ。頭の後ろには赤黒いトサカ。村人たちにとっても、伝承に語られる魔王の姿そのものだった。広場にいた大人たちがどよめき、悲鳴を上げる。
俺は短剣を抜き、もう一度刺した。
「ぐふっ……」
魔王が膝をつき、崩れ落ちる。
信じられないほどあっけなかった。
俺は荒い息を吐きながら、倒れた魔王を見下ろした。
「はぁッ、はぁッ、ざぁ~こ! ザコ魔王! 前髪スッカスカァ……」
俺の声は震えていた。多分笑い方も引きつっていた。ちなみに魔王の前髪は別にスカスカではない。
「れ、レベル1の村娘に倒されて、どんな気持ちぃ?」
魔王はもはや何も口にしない。黒い血を吐いて、倒れ伏していた。
広場は静まり返っていた。
ユシアも、木剣を持ったまま立ち尽くしている。
勝った。今度こそ。どっと、汗が噴き出す。
「ニティカ……」
だが、俺を呼ぶユシアの声は、細く震えていた。
「今の人が、魔王だって、知ってたの?」
顔からは血の気が失われ、両の目がこちらを凝視している。
怯えていた。すでに倒れた魔王ではなく、自分に。
勝利の高揚が一気に冷めていくのがわかった。
「その場所を刺したら倒せるっていうのも、知ってたの? どうして?」
言えるわけがない。
あなたは勇者で、そいつはあなたを殺しにやってきた魔王だと、原作ゲームをやって知っていたから、だなんて。
ユシアは一歩、後ろに下がった。靴が土を踏む小さな音が、やけにはっきり聞こえた。
「あなたは、誰なの?」
俺は短剣を握ったまま、立ち尽くした。
「……ニティカ、幼馴染だよ」
自分の声が喉を這い回るのに、苦みを覚えた。ユシアの応えはない。
ニティカ。それは俺の名ではない。俺が奪った席の名だ。
村の大人たちがようやく騒ぎ出す。魔物だ、魔王だ、ユシア様を狙っていたのか、ニティカが倒したのか、どういうことだ、と声が飛び交う。
誰かが俺の肩を掴み、誰かがユシアを庇うように立ち、誰かが倒れた魔王を調べていた。
俺にはそのすべてが、どこか遠くで流れる風景のように見えた。
それでも。
それでも、これで終わるはずだ。
魔王は死に、村は襲われず、俺は死なないし、ユシアも旅立たなくていい。
怯えさせたのは辛いけど、生きていさえすればいくらでも取り返せる。
そこで意識が途絶えた。
*
目を覚ました。木の天井が見えた。
これも、間違いらしい。




