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検証1 逃げてみよう


 目を覚ましたら、美少女になっていた。


 まず視界に入ったのは、見知らぬ天井。別に白くない。木の天井だった。梁には乾燥させた薬草みたいなものが吊るされている。窓の外では鳥が鳴いていて、どこからか薪の匂いがした。昔親に連れられて行ったじいちゃんの家を思い出した。

 次に気づいたのは、自分の髪だった。

 枕元にこぼれている、やわらかい薄茶色の髪。肩のあたりまである。指でつまむと、さらさらしている。俺の髪ではない。

 手も違う。

 白い。細い。爪がきれいだ。日々の労働はしていそうだけど、骨ばった男の手ではない。少女の手だ。


「……え」


 喉から漏れた声まで違った。

 高い。柔らかい。俺の声帯どこ。

 起き上がると、壁に掛かった小さな鏡が目に入った。

 そこに映っていたのは、見知らぬ少女だった。


 薄茶色の髪。丸い額。大きめの瞳。頬にはまだ幼さが残っている。村娘らしい素朴な服を着ているのに、やたら整って見える。少なくとも、元の俺よりは圧倒的に見栄えがいい。

 ありていに言えば美少女だった。


「…………」


 来たか。ついに来たか。

 たぶん異世界転生。しかも美少女転生。

 勝った。

 えっと、それでどうしよう。まずは身体がどうなっているか確かめないとな。ほら。まず確かめないと“事故”が起こるかもしれないし。これがTS転生の醍醐味ってやつだろ。ゲヘヘ。

 ごそごそと服を弄り出したところで、扉の向こうから足音がして、手が止まった。


「ニティカ? 起きてる?」


 その声を聞いた瞬間、俺の背筋がぞわりとした。

 別に怖い声だったわけじゃない。

 聞いたことがないのに、知ってる声なのが、不気味だった。

 扉が開く。


 そこに立っていたのは、赤い巻き毛の少女だった。


 俺が窓辺で儚げに外を見ていそうな美少女なら、こっちは朝露の残る草むらを裸足で駆けてそうな美少女だ。健康。活発。生命力がある。うわ俺の感性キモ。


 彼女は俺を見て、首をかしげた。


「どうしたの? ボクの顔になにかついてる?」


 ボクっ子だ。

 赤毛のボクっ子美少女が、ずいっと、こっちに顔を近づけてきている。

 距離近い! 結婚してくれ!

 俺は一瞬、脳内に巨大な塔が建つ音を聞いた。

 キマシ――いや待て。

 俺の精神は男だ。これを百合扱いしていいのか。たぶん百合界隈に怒られる。ていうかそれどころじゃない。

 赤い巻き毛。ボクっ子。腰の剣。

 脳内検索エンジンか嫌な答えを弾き出す。

 俺は、彼女の名前を知っていた。


「……ユシア」

「うん。どうしたの、()()()()。変な顔して」


(……終わった)


 間違いない。ここは有名RPG『聖剣のユシア』の世界だ。

 そして俺は、勇者ユシアの幼馴染ヒロイン、ニティカになっている。


 ニティカ。

 勇者ユシアの幼馴染。村で一緒に育った少女。

 しかし、オープニングで魔王軍に村ごと殺される。


 つまり、ゲーム開始五分で死ぬ女である。

 今の俺が。


「ニティカ? 大丈夫? 熱ある?」


 不安そうなユシアの小さな手が、俺の額に伸びてきた。


「結婚して……」

「え?」


 世迷い言を言っている場合ではない。

 死ぬ。

 俺は今日、死ぬ。


 たしかオープニングでは、村の大人たちがユシアに剣の稽古をさせている。そこへ旅人に変装した魔王が現れる。そこで、ユシアが勇者の血を引く存在だと確認した魔王は、夜に魔物を率いて村を襲う。

 村は全滅。

 ニティカはユシアを逃がすために死ぬ。

 彼女の死はユシアの心に深い傷を残し、魔王討伐の旅立ちの動機となる。

 まずい。

 まずいまずいまずい。

 美少女転生に浮かれている場合ではなかった。

 キマシタワーを建設している場合でもない。

 チート能力はない。ステータスオープンもない。神様からもらったスキルもない。スライムを倒してレベル100になる暇もなさそうだ。

 あるのは原作知識だけ。

 猶予はない。迷っている時間もない。ここで正常性バイアスの餌食になってユシアと日常を過ごしたら終わる。待っているのはスローライフではなくアーリーデスだ。


「ユシア。村を出るぞ」

「へ?」


 ユシアが目を丸くした。


「今すぐだ」

「え、でも、今日は剣の稽古が」

「稽古なんかしてる場合じゃない。命がかかってる」

「命?」


 ユシアはまったくわかっていない顔をした。

 無理もない。

 この時点のユシアは、自分が勇者だという意味を理解していない。村の大人たちから剣を習わされているが、それも「大人に言われたからやっている」程度の認識だ。

 あどけない少女。

 伝説の勇者の血を引く子供。

 まだ勇者になっていない勇者。

 その手を、俺は掴んだ。


「行くぞ」

「え、ニティカ、ちょっと」

「説明はあと!」


 俺はユシアを引っ張って家を飛び出した。

 村は平和だった。腹立たしいほどに。

 畑では大人たちが働いている。家の前で洗濯物を干している女性がいる。子供たちが木の棒を持って走っている。遠くの広場では、剣の稽古用らしい木剣が並べられていた。

 ここが今夜燃える。

 ここにいる人たちが、死ぬ。

 それを知っているのは、この村で俺だけ。


「ニティカ、どこ行くの?」

「村の外」

「だめだよ。大人たちに怒られるよ」

「怒られるだけで済むなら、土下座でも逆立ちでもしてやる」

「え、ニティカ逆立ちできるんだ。あとで見せてよ」


 ユシアは困った顔をしながらも、俺の手を振りほどこうとはしなかった。


「ニティカって、こういうところあるよね」

「え、原作知識活かして急に村の外に連れ出そうとする女だったの、ニティカって?」

「?」

「いや、今のは忘れて」

「ボク、村の外、ちゃんと出るの初めてかも」


 ユシアは、村の裏手の柵を乗り越えながら、声を弾ませていた。

 その顔を見て、俺は胸の奥がぎゅっと縮まった。


「ニティカ?」

「泣きそうな顔してる」

「してない」

「変なニティカ」


 ユシアは小さく笑った。

 くそ。村の人間は正気かよ。

 こんなあどけない子供を勇者に仕立てようって?

 世界(シナリオ)だって狂ってる。旅立つ動機のために村を焼かせるな。

 いや、俺も昔は何も疑問に思わずにRPGを遊んでた。そういうもんだって受け入れてた。

 けど当事者の立場に落とされると変わる。ふざけんなクソがって。まあ都合のよろしいことで。うるせえ。絶対に逃げる。ニティカは死なない。もちろんユシアも死なせない。


 村の南には、たしか木こり小屋がある。

 ゲーム序盤、勇者が村を失ったあとに最初に立ち寄る場所だ。そこに住んでいる木こりの老人は親切で、一晩泊めてくれる。今行けば、匿ってもらえるはずだ。

 

 俺は記憶を頼りに、何度も不安そうに振り返るユシアの手を引いて、森へ入った。


「本当に帰らなくていいの? 夜になったら危ないよ」

「説明すると長くなるけど、村の方が危ない」

「じゃあ短くして」

「魔王が来る」

「まおう」


 ユシアは、ぱちぱちと瞬きした。


「ニティカ、今日ほんとに変だよ」

「俺だってそう思う」

「俺?」

「今のは忘れろ」

「ええ……」


 森は思ったより深かった。

 ゲームではマップを数歩歩けば木こり小屋に着くのに、現実では普通に道が長い。草は足に絡むし、枝は顔に当たるし、虫はいる。じいちゃんの家の周りの森と同じじゃねえか。ネットで読んだ異世界転生ものの森はこんなにリアルじゃないぞ。


 森を歩く途中、ユシアが何度か足を止めていた。

 小川。見たことのない花。遠くの鳥の声。

 初めて村の外に出て、ひとつひとつが驚きに満ちてるんだろうな。

 これが村焼きから逃げてる最中じゃなかったら素直に微笑ましい気持ちになれたのに。

 いや、それはちょっと嘘で、俺も楽しんでいた。

 可愛い女の子と友達になって、二人だけでこっそり抜け出して冒険する。

 こんなことが楽しくないわけがない。


「……ねえ、ニティカ。気が済んだら帰ろうね。みんな心配するし」

「ああ、うん……」

「でもたまにはこういうのもいいね。ニティカ、そのうちまたこうやって一緒に外に行こうよ」


 俺はなんて答えればいいのかわからなかった。

 この世界の明日がどんなものか知っているから。


 木こり小屋には、たどり着けなかった。日が暮れてしまった。

 俺とユシアは、山中の大きな木の根元で夜を明かすことにした。

 ユシアは寒そうに膝を抱えている。着の身着のままで村から出たわけだから野宿の備えなんてあるわけがない。


「ごめん。寒いよな」

「うん。でも、平気」


 ユシアの肩が震えているのを見て、俺は自分の上着を脱いで、かけてやった。


「ニティカは?」

「俺は平気」

「また俺って言った」

「方言だ」

「そんな方言ある?」


 ユシアは不思議そうにしながらも、上着をぎゅっと握った。夜の森は怖かった。

 ゲーム画面ではただの背景スプライトだったものが、今は暗闇としてそこにある。草むらが鳴るたびに心臓が跳ねる。遠くで獣の声がした。ユシアがびくりと震える。

 俺も怖かった。

 でも、村にいるよりはましだ。

 村は今ごろどうなっているのだろう。

 魔王が現れ、魔物は村を襲ったのだろうか。

 俺たちがいないことで、何かが変わったのだろうか。

 わからない。

 全部、俺の考えすぎなのかもしれない。

 少なくとも今夜、ニティカは死ななかったことだけが確かだ。


 冷静に考えたら、原作のユシアは死なない。だから連れてくる必要なんてなかった。でも、この子を燃える村に置いていくのは、なんか違うだろ。

 勇者の旅なんか知らない。魔王討伐なんか知らない。世界の危機なんか知らない。俺にも、ユシアにも、そんなもの荷が重すぎる。


 俺は木の幹にもたれ、ユシアの寝息を聞きながら、ゆっくり目を閉じた。

 やることはやった。運命に抗えた。オープニング死亡イベントを回避した。

 このまま、どこかに行こう。

 明日になったら、もっと遠くへ。


 *


 目を覚ました。


 見覚えのある木の天井が見えた。

 俺はゆっくり起き上がった。

 枕元には、薄茶色の髪がこぼれている。白く細い手。村娘の服。壁に掛かった小さな鏡。


「……は?」


 山の中ではない。木の根元でもない。

 そこは、ニティカとして最初に目を覚ました家の中だった。


 扉の向こうから足音がした。


「ニティカ? 起きてる?」


 赤い巻き毛の少女が、扉を開ける。

 あどけない顔。腰の剣。少し大きめの瞳。


「どうしたの、ニティカ? 変な顔して」


 ユシアが、昨日と同じ声で同じセリフを言った。

 俺はばかみたいに口をぱくぱくと開いては閉じさせた。

 ユシアにかけた上着もない。

 最初の朝に、戻っている。


「ニティカ? 本当に大丈夫?」

「……ユシア」

「うん」

「昨日、村の外に出たこと、覚えてるか」

「? ボク、出てないよ。出ちゃだめって言われてるもん」

「だよな」


 昨日、初めて村の外を見て、少しだけ楽しそうに笑っていた。

 その記憶は、彼女にはない。

 俺だけが覚えている。

 胃の奥が冷えていくのを感じる。

 これは、ただの死亡フラグ転生ではない。


()()()()()だ……!)


 世界が、俺を戻している。俺が正史を辿るまで。

 このループは終わらない。

 ──(ニティカ)が、死ぬまで。


「……詰んだ」


 絶望に漏れたその声まで、しっかり美少女だった。


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