(終章 6-1)利土里
(終章 6-1) 利土里
つつじヶ丘なのにつつじの花は咲いていない。そのことに気づいたのは、旧松枝侯爵別邸を訪れるようになって三年目の春だった。改めて敷地内を見まわせば、それらしき低木はそこかしこにあった。枝葉は生きている。けれど、咲き誇っているはずの花は一輪も見当たらない。
鹿たちが食べてしまうからでしょうと、預かり子たちの見守り役を引き受けている敏江さんはあっさり宣った。なるほど。念を入れて辺りを見まわせば、たしかに鹿たちがいた。あちらにもこちらにも。木陰に佇んだり草叢に潜んだり、思い思いの姿態で。
つつじヶ丘の坂道を駆け登るとき、僕の原付バイクのエンジンは破裂しそうな爆音を撒き散らした。鹿たちはその音を聴きつけ、あまりの不穏さに驚き警戒して一斉に身を隠す。ゆえに僕の目には、鹿たちの姿が留まらなかったというわけだ。
嫡男清顕様を亡くされた後の松枝侯爵夫妻は、別邸に滞在なさった折々、見かけた獣たちを愛でられた。少なくとも以前のように、追い払ったり狩ったりせよとは、お命じにならなかった。わけても、もの問いたげな潤んだ瞳で人を見つめ返す鹿たちを甘やかし、その狼藉ぶりを咎めず見過ごされた。鹿たちは次第に肥えて数を増やし、草木の実ばかりか花びらまでも食べた。勢いづいて食べ尽くした。
そこで僕は思いが至る。於兎も草木の実や花びらを口にした。もはや赤ん坊ではない、飢えなど知らずに育ったはずの、当時は三歳の子どもだった。それなのに、於兎は頻繁に草木の実や花びらを口にした。たった今注意したばかりなのに、うっかり目を離したらもう食べている、そんなこともあった。厄介なあの習癖はもしや、鹿たちを真似ていたのか。
おいしいのかい?尋ねたら於兎は、眉をひそめて首を横に振った。なら、そんなもん食べるのはやめよう。言い聞かせると存外素直に頷いた。けれども次に原付バイクで坂道を登って来たとき、僕はまた木立の中に於兎の姿を見た。一心に木の実を摘み、口いっぱいに頬張る丸いおかっぱ頭を。僕に見つかれば叱られると思ったのか、於兎は小鹿のように素早く木陰に身を隠した。
なにしろ於兎は、その実がなんであろうと頓着せずに食べた。クワでもグスベリでも赤い実でありさえすれば、サクランボと呼んで口に入れた。ためらいもなく、一心に。あまりに危険だった。僕が指摘すると、母親のサチさんは言ってのけた。
だったら治してやってくださいな、あれがなにかの病気なら、センセイに治せるものならね。ひどく投げやりな言い方が気に障った。あのひとは於兎の実母のはずなのに。まるで、僕がやむなくお母様と呼んでいる、父の妻のようじゃないか。
山田衛士の意見も一応訊いてみた。そもそもやつが、僕に於兎と預かり子たちの健診を依頼して請求書を受け取り、支払ってくれる人物だ。山田は肩をすくめて目を逸らし、ふだんよりも早口で長広舌を奮った。胸の内に溶かしきれない異物を抱えているとき、早口になるのはやつの癖だ。
あれがなんで家畜みたいに木の実なんかをむさぼり食うのかだって?ホントのところはわかりゃしないが。どうやら父親の真似をしているつもりらしいな、一度も会ったことはないんだが。
庭木の枝に実った赤いサクランボをもいで食べていたとか、サチさんが話したらしいのさ、どんな父親だったかと訊かれたときに。サチさんとしては、パッと心に浮かんだ思い出の一場面だ。
滝田の集落で一番のイケメンだったカレシの春生くんが、初夏の陽ざしのもとで木立に寄りかかり、赤いサクランボをつまんでいる姿。絵になる光景だよな。映画スターのブロマイド写真みたいなもんだ、サチさんにとっては。
ヘンな話、あれがサクランボを食べる姿は父親にそっくりなんだと。あれが生まれる前に死んじまった父親なのに。真似しようにもブロマイドどころか、記念写真の一枚も残ってないのに。
まあ、それはそれとして。肝心なことは、あれが毒に当たったりして死なないことだ、少なくとも今すぐには。だからさ、うまくやってくれよ、なあ利土里。あれを死なせないでくれ。
それと、忘れるな。あれの書類上の父親は故松枝侯爵だってこと、くれぐれも忘れず、それでいて内密に、他言無用だからな。
山田衛士は長々としゃべり、於兎がこの国で唯一無二の“神秘の子”であるかのように言いくるめようとしたが、果たせなかった。端から厄介事の匂いが芬々(ふんぷん)だった。おそらく、そいつの半分以上を僕にも担わせようと目論んでいる。山田はうっかり口を滑らせた。オレとオマエの仲じゃないか、な?極めつけのその常套句で締め括ったことが、何よりの証しだ。
山田衛士とは初等科入学以来の長い付き合いだ。顔立ちと雰囲気がなんか似ている。同級生から言われたのが、互いに意識するきっかけだった。僕の父親の姓は山尾という。まるで申し合わせたように、僕らの背丈はだいたい同じペースで伸び、二十歳を過ぎた頃に前後して止まった。結果、少年時代からのよく似た背格好が、成人後も維持された。
中等科でも高等科でも、出席番号順に整列すれば、前か後ろに山田衛士の顔があった。年中隣り合っているふたつの似かよった顔。ただひとつの決定的な違いは、僕の左目の色だ。正面から明るい光を受けると、ひときわ青く輝くらしい。キミはヤマダかヤマオか、どっちだ?左目をまっすぐ覗き込んで注視する手間を省いた教師は、ときどき僕らを取り違えて問い質した。オレとオマエの仲とは、つまりそういう仲だ。
言っておくがどの年代でも僕は、神秘主義の信奉者だったことはない。控えめに言っても興味がなかった。なんとなく、名前と見た目が似た者同士の山田衛士も、同じ考えだろうと思っていた。
だからやつが於兎について、微かに畏れの混じった口ぶりで語るのを聞き、悩まし気に右往左往する姿を見るたび、多分にふざけているんだろうと解釈した。いつだってやり過ぎワルふざけのヤマダ。級友に悩み事を打ち明けるなんて素直さは皆無、そんなことをするのは大恥をさらすに等しいと受け止める感性の持ち主なのだ。
旧松枝侯爵別邸の広間には、だれも弾かないピアノがあった。もとを正せば故侯爵夫人の嫁入り道具だったという由緒正しい品だ。しかし昭和十年代半ばの昨今、重厚な造りの外国製ピアノは、だれが見てもわかりやすい敵性文化の象徴たる贅沢品になり下った。山田衛士は僕にぼやいた。
日増しにキナ臭さが立ち込めるこの時世を鑑みれば、家庭内にピアノを弾こうとする者がいないのは、ある意味都合のよいことだ。なるべく人目に触れないようにしておきたい。このまま広間にあっては、預かり子たちがオモチャにして、その価値を台無しにしないとも限らない。山田は一計を案じるふうにつぶやいた。なんといっても侯爵夫人がご愛用のお道具であったピアノだ、畏れ多くて粗末な扱いはさせられないだろ。
豪奢な刺繍を施された布カバーを纏った古ピアノは、邸内の長い廊下をしずしずと後退して、北向きで目立たない於兎の小さな部屋に落ち着いた。山田衛士と僕との、共同作業の成果だ。僕はそのとき初めてやつと一緒に、力仕事というものをした。
六人いる僕の姉たちに比べたら、山田衛士はずいぶん力が強かったのでちょっと驚いた。そう言って褒めてやると山田衛士は、ふふんと鼻を鳴らして目を剥いた。
だって姉さんたちはオンナだろ、オレはオトコだから、そんなのあったり前じゃないか。そっちは六人とオマエだろ、こっちはたったのひとりっ子で、おまけに親父はあんなだった。なんでも自分でやるしかなかったからさ、ムダに腕力がついたんだよ。
“あんなだった”山田衛士の父は、松枝侯爵家のすべてを取り仕切る筆頭執事だった。僕は思い出した。僕らが高等科だった当時、山田衛士が見せた憤怒と悔し涙を。侯爵家の資産を半減させた責任は、経営破綻した銀行が全面的に負うべきだ。それなのに、自分の迂闊さを深く恥じた山田衛士の父は、死をもって侯爵に詫びを入れたのだ。
豪奢な刺繍の布カバーを纏った侯爵夫人ゆかりの古ピアノは、小さな於兎の部屋のわずかな空きスペースにどうにか収まった。結果、於兎の手が届くひとつきりの窓は、大部分が古ピアノで塞がれた。大人たちに気づかれぬようそっと窓を開き、外へ転がり出ては草木の実を食べる於兎の困った習癖は、古ピアノの搬入によって物理的に断ち切られた。
そればかりではなかった。草を食む鹿たちの様子を窓越しに眺めるという、於兎のささやかな楽しみも奪われた。果たしてこれでいいのか。草木の実を食べずにいられない、於兎の病的な性癖が治まるのか。甚だ懐疑的な僕に、山田衛士は言った。やってみればわかるさ。たしかに、やってみなければわからない。
僕が次につつじヶ丘を登って旧松枝侯爵別邸を目指したのは、そろそろ夏が終わろうとする頃の宵だった。山田衛士からは久しく音沙汰がなかった。万事順調なのか、それともその真逆か。どちらかだろうと、考えたところでわかりはしない。やはり、行ってみるしかない。於兎の様子も気になったが、実を言えば外気の涼やかさが心地よくて、つつじヶ丘のつづら折りの急坂を、登りたい気分になったのだ。
走行中は絶え間なく喧しく、唸り続ける原付バイクのエンジン音が僕の耳を閉ざしていた。旧松枝侯爵別邸前に到着してエンジンを切り、周辺一帯が静寂に包まれたとき、僕の耳は目覚めたように、微かなピアノの音を聴きつけた。
立ち止まり、耳を澄ませてピアノの音を追った。知らない曲だった。そもそも僕は、知っている曲がそう多くない。音楽自体もピアノも得意だったことはないし、きちんと習ったこともないのだ。
そんな僕の耳でも流れて来るピアノの旋律は、所々音がずれたり跳んだりしていることがわかった。それでも遠くから聴こえる不具合だらけの旋律に、僕は聴き入った。心の奥底で眠っていたなにものかを、揺り起こされるような感覚にとらわれていた。
廊下の北側の端にある於兎の部屋の前に、人々が集まっていた。サチさんと敏江さん、蛯子川美香さんと預かり子の子どもたち。室内のピアノの前には於兎と山田衛士がいた。けれども、だれ一人ピアノに向かって演奏している者はいない。代わりに鍵盤の上部、露わになった譜面台の位置に、見たこともない複雑な装置が載っている。演奏が途切れた。
このまんまでいいのかい?山田衛士は於兎と額を突き合わせ、しきりと念を押すように繰り返し、教えを乞う体だ。
ちょっと待ってれば次のが始まるよ。於兎が言った通り、装置の中心の丸く巻かれた紙の束は、ゆっくりと回転を続けている。居合わせた人々は皆、固唾を呑んで次の演奏を待つ。
聴衆たちの期待に違わず、由緒の次に不具合ばかりが多々備わった古ピアノは、不意に演奏を再開した。とっておきの魔術を披露するかのように。それは僕も知っている曲だと、すぐにわかった。“エリーゼのために”。侯爵夫人がご愛用の古ピアノは、自動ピアノだったのだ。
侯爵夫人の自動ピアノが奏でる巻紙の譜面に、記録されていたのはたった二曲だ。みんなが知ってる“エリーゼのために”と、だれも知らない“エリーゼじゃないほう”。邸内をよく探せば、別の巻紙が見つかるのかもしれない。山田衛士はつぶやいた。しかしまあ、とりあえずはこの二曲がある、それでいいんじゃないか。
“エリーゼじゃないほう”の曲名は、どこにも記されていなかった。もともとなかったのか。それとも経年劣化で消えてしまったのか。はたまた、だれかの意思で隠されたのか。
保育所で働いたこともあるという蛯子川美香さんは、知らない曲だわとつぶやき、そっと目元をぬぐっていた。敏江さんとサチさんも涙もろさ全開、聴くたびに二人して競い合うように涙ぐんだ。それどころか、山田衛士までが鼻水を啜り上げているところを、僕はしっかり見てしまったのだ。
古びた自動ピアノの奏でる音が、ズレても跳んでも欠けていようとも、委細構わず人々の心を揺さぶり、感動をもたらしてくれるこの未知の曲。名無しのままではちと不便だったので、はじめに於兎が僕との間で“エリーゼじゃないほう”と呼んだ。それが邸内に出入りする人々の間に行き渡り、定着したのだった。
いつからともなく、於兎が草木の実を食べるあの習癖は途絶えた。そろそろ夏が終わるし草木の実は枯れちまうし、そもそも食べられるものがなくなるんだし。山田衛士は歌うように至極当たり前のことを言った。困りごとっていうのはこんな具合に、大抵なんとかなるもんだよな。
一理あったがそれだけじゃない。山田衛士も僕も口には出さず胸の内で、それぞれに合点していた。“エリーゼじゃないほう”の旋律は於兎に、悪食の習癖を克服させるべく作用した。その理屈がどうなってるのかはわからない。しかし“それ”は、たしかにあった。僕の実感だった。
自動ピアノが奏でる“エリーゼじゃないほう”の旋律。僕は二日も聴かずにいると、脳が“渇き”の信号を発していると感じた。聴きたくてたまらなくなった。やはり口にはしないが山田衛士もまた、僕と同じように感じているのがわかった。語り合うには及ばなかったと言うべきか。僕らは長きに渡る友人同士の間柄だが、それでも腹蔵なく本心を吐露して語り合うなど、叶わない時世だった。
僕らはそれぞれ澄まし顔で、時間の許すかぎり頻繁に於兎の部屋を訪れた。僕の場合、於兎や預かり子たちに健康上の問題がなく、立ち寄る理由が底をついてしまうと、尤もらしい口実は一切なしでいそいそと自動ピアノのもとに参上した。山田衛士がすでに先着していることもあった。来たのか。ああ、来た。ほんの一言か二言交わし合い、あとは涼しい顔を取り繕って“エリーゼじゃないほう”の旋律に聴き入った。
実は、僕の身にも変化があった。於兎の悪食の習癖が治まった以上に激烈な変化だ。数えて四度目に“エリーゼじゃないほう”の演奏を聴いた日の夜半のことだった。その日はたまたま山田衛士と他の家人が居合わせず、ために幼い於兎とふたりきり、存分に自動ピアノの演奏を堪能できた。何度も何度も繰り返して。
心がほどけるにまかせ、半睡半醒の波間をゆらゆら漂っていると、海の風景が脳裏に浮かんで消え去らなくなった。不思議だった。僕の父は海軍中将だが、僕自身は海とまったく馴染みのない日常を送っている。港へ出向いたり、間近に船を眺めたりする機会も皆無だ。ましてや船に乗って波に揺られたのは、高等部の修学旅行の遊覧船が最初で最後だ。なのに、なぜか海なのだ。
利土里センセイなに見てるの?僕の意識が遠くへ飛んでいると感じたらしい於兎に問われ、海の景色が見えることを話した。いまにも波間に呑み込まれ、沈んでしまいそうに漂うビスケット缶のイメージついては触れなかった。
海ってどんなのかわかんない。於兎が言うので、なるほどそうかと気づいた。つつじヶ丘に生まれ、つづら折りの天辺の旧侯爵邸で育った子だ。たしかに海は遠すぎる。見たこともないだろう。
いつか僕と一緒に海へ行ってみるかい?うん、行く。心ほどけすぎた僕はついうっかり、当てにならない約束の空手形を振り出しかける。辛うじて踏みとどまる。使い古した常套句へ逃げ込む。
一年生になったら、山田衛士に訊いてみよう。
その日の夜半過ぎだった。鋭い叫び声に驚いて僕は目覚めた。悲鳴と怒声が入り混じったようなごく短い叫び。言葉は聴き取れないがカン高い女の声だ。僕は六人の姉たちと共に育った父の家にいまも住んでいる。大きな家だ。母と姉たちの部屋は一階にあり、皆が揃っていた頃は実ににぎやかだった。パタパタと廊下を行き交う足音、クスクスと笑い合う声、井戸水を汲み上げる手押しポンプの咳き込むようなせわしい音。
けれども、母と姉たちのたてる音と、ついさっき聴こえた叫び声とは似て非なるもの、まったく異質なものだ。母と姉たちの部屋と二階にある僕の部屋との間には、相当の距離があって何枚もの引き戸や襖に隔てられている。しかしあの叫び声は、ごく近かった。声の主はすぐそこにいたようだった。事実、そう感じたのは僕だけじゃなかった。




