がんばれあかり!ドキドキの期末テスト! Aパート
ディスコードとの戦いがあった六月三十日が終わりを告げ、カレンダーは七月に切り替わっていた。
朝のテレビでは、梅雨はまだしばらく続くと気象予報士が告げていた。雨と曇りの予報が並び、夏はもう少し先らしい。
普段なら、来る夏の訪れに心を躍らせ、これから何しよう、あれがしたいこれがやりたいと、夏休みの予定を練る所だが……今日のあかりはとにかく静かであった。
「ピッピッピ……♪」
ご機嫌にシードミックスを啄むソラシーの隣で、あかりは魂が抜けたような顔をしながら、力無くトーストを齧っていた。
「あかり~? しっかりしなさいー?」
「ふぁ~い……」
「おいおい、大丈夫かい? マーマレードが落ちそうだよ?」
両親から心配そうに声を掛けられていても、当のあかりは上の空のまま。
結局そのままトーストを齧ろうとして、マーマレードがべしょりと皿へ落ちた。
「ピ……ピピ?」
ソラシーも種を啄むのを止め、『しっかりして』とあかりの手を優しくつつくが、それでも彼女の虚ろな瞳は戻らない。
「うぐぐぐぅ……」
あかりはゆっくりとテーブルに額を押し付けるように突っ伏して唸った。
「どうしたのよ、朝から」
キッチンから菜月が呆れたように声を掛ける。
「具合でも悪いの?」
「ち、違うよぉ……」
あかりはのそりと顔を上げた。
その目は、どこか遠くを見ている。
「……今日から……なんだよぉ……」
「今日から?」
陽太が首を傾げる。
あかりは一瞬だけ言葉を詰まらせ――観念したように、ぽつりと呟いた。
「……期末試験……」
「ああ、テストか」
陽太は苦笑し、納得したように頷く。
「そりゃその顔にもなるなぁ。頑張るんだよ」
「うえぇ……」
あかりが半分泣きそうな声を上げる。
「まだ全然自信ないんだもん……!」
「あんなに勉強していたんだから、大丈夫よ! お友達とも勉強会したんでしょう?」
「うぅ……そうだけどぉ……」
あかりは再びぐにゃりとテーブルに沈み込んだ。
「頭、真っ白になりそう……」
「はいはい、弱音はそこまで」
菜月が軽く手を叩く。
「遅刻するわよ」
「うぅぅ……」
あかりは渋々と体を起こした。
ノロノロとトーストの残りを口に押し込みながら、ふらふらと立ち上がる。
ゾンビのようにリビングを出ていくその後ろ姿は、実に頼りない。
机から飛び立ち、スイっとあかりの肩に止まったソラシーが、小さい声で耳元で囁く。
「あかり、頑張るソラ! 応援しているソラ!」
「……うん、ありがとうソラシー……」
あかりは小さく頷きながら、ソラシーのふわふわしたお腹を撫でる。
その声はまだ力無いが、僅かに元気を取り戻したようだった。
* * *
「いってきますー……」
「いってらっしゃい! 頑張ってらっしゃいー!」
いつもなら軽やかに飛び出すあかりだが、今日に限っては静かに玄関を出て、いつもより重く感じる鞄を肩にかけてトボトボと歩き出した。
空は彼女の心を映しているかのようにどんよりと灰色の雲に覆われ、いつ雨が降り出してもおかしくないような、冷たい風が吹き抜けていた。
しばらく歩いていると、パタパタと聞きなれた羽音が遠くから近付いてきて、ドンッとあかりの頭に衝撃が走る。
「ぐえっ」
「追いついたソラぁ~! あかり元気出すソラー?」
ソラシーがまた家を抜け出してあかりの頭に衝突――いや、着地したのだ。
「ううぅ……ソラシぃー……」
「ピッピ、あかりはずっと頑張ってたソラ、きっとテストにも勝てるソラ!」
ソラシーは羽で擽る様にあかりの頬や首を撫で、耐え切れずあかりが吹き出して笑い出す。
「ぷふっ、ちょっソラシー! くすぐったいよぉ~!」
「やっと笑顔見せてくれたソラ」
「ッ……!」
あかりは一瞬、言葉に詰まった。
しかしすぐに、ふっと小さく息を吐いた。
「……ありがと、ソラシー」
その声は、さっきよりも少しだけ軽かった。
空を見上げると、相変わらず曇り空。
だが――ほんの少しだけ、明るく見えた。
「……よしっ」
あかりは軽く頬を叩き、気合いを入れると小さくガッツポーズをした。
「行こうっ! ソラシー!」
「ソラっ!」
気合いは十分。ゆっくりと歩いていた足取りは、いつしか早歩きに、そしていつも通り軽やかに走り出していた。
淀んでいた目にもいつもの煌めきが宿り、それを見てソラシーは安心して「ピッピ♪」と口ずさむように喉を震わせた。
* * *
いつも通り桜並木に差し掛かり、少し乱れた息を整えるように走る速度を緩め、大きく呼吸を繰り返す。
まだ明けぬ梅雨の空気はじっとり湿っていて、それでいて蒸し暑さを覚える。
仄かに汗ばむ身体に木陰に吹く風が心地よい。
パタパタと手で上気した顔を扇ぎながら歩いていると、少し遠くに丁度家から出てきたばかりのみちるとアリサの姿が目に映った。
友人の姿にあかりは目を輝かせ、弾かれたように二人の元へと走り出した。
「おっはよー! みちるちゃんアリサちゃんー!!」
「ソラソラ~っ!」
いつも通りの元気な声、バタバタと騒々しい足音に、みちるとアリサは苦笑しながらも手を振って応えた。
そのまま体当たりするようにあかりはアリサへと抱き着き、ソラシーはみちるの胸元にすっぽりと飛び込んだ。
「……おはようございます、あかり。今日も元気そうで何よりです」
「ソラシーもおはよう。……ふふ、ふわふわ」
一人と一羽はそれぞれの胸に受け止められ、よしよしと撫でられてご満悦な表情を浮かべる。
が、すぐにあかりは我に返ってアリサの胸から顔を上げた。
「アリサちゃんっ! テストだよっ!!」
「はい、本日は国語数学理科。あかりが苦手とする数学と理科がまとめてある日ですね」
目を逸らし続けていた現実が、アリサの言葉に乗って襲い掛かり、あかりの心に突き刺さっていく。
ワルイゾーに攻撃を食らったかのような苦し気な表情を浮かべ、段々と俯きつつも、ぐっとお腹に力を入れて、両手を握り締めて胸を張った。
「ぐぐぅ……で、でも!! 私は勉強会でレベルアップしたの!!」
「……はい、あかりの努力はきっと実ると思います。士気や意思は高く強靭である事が任務遂行に於いて推奨される事項ですから」
「よ、良く分からないけど、頑張れって事だよねっ! 頑張るっ!!」
わずかな間に一喜一憂し百面相を見せるあかりを見て、みちるは飽きれながらも微笑んでいた。
「本当に朝から元気ね、あかりって」
「それがあかりの良いところソラ♪」
三人と一羽は仲良く登校を続け、途中であおいも合流し、更に賑やかにおしゃべりをしながら学校へと向かっていった。
校門付近までやってくると、周囲には浮かない顔をした生徒が多くなっていた。
皆手元のノートや教科書に視線を落とし、自然と皆が下を向いている。
その場の空気に呑まれ、ここまで明るく歩いてきたあかりの顔にも、再び不安の色が浮かんでしまう。
その時、あおいがじーっとあかりの顔を覗き込んだ。
「……大丈夫?」
「えっ」
思わず視線を彷徨わせてしまい、四方八方へ向けた後、ようやくあおいへと目を合わせた。
「大丈夫っ!! ……て言えれば良かったんだけど……ちょっとだけ不安になってきちゃった」
「ちょっと、なんだ」
あおいがくすっと笑う。
その隣でみちるが微笑みながら続けた。
「大丈夫よ。ちゃんとやってきたことは、裏切らないから」
「……うん」
あかりは小さく頷き、きゅっとスカートの裾を握る。自分は大丈夫だと勇気付けるように。
「そうそう! 四人で勉強したんだからさ! いけるいける!」
あおいの励ましの言葉に、四人は笑顔で頷き合った。
「じゃあソラシーはここで帰るソラ! みんな頑張るソラぁ~!」
曇り空の下。幸せの青い小鳥が空へ飛び去っていく。
その姿を見送って、しっかりと前を――上を向き、四人は校舎へと歩き出した。
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あおいと別れ、2-Aの教室に入ると、いつもとは違う静けさが広がっていた。
誰もが席につき、最後の確認をするように教科書やノートを見つめている。
普段の賑やかさは影を潜め、緊張と不安で張り詰めた空気だけがそこにあった。
あかり達も席に着き、必要な筆記用具だけ取り出して運命の時を待った。
「あぁぁ……この時が来ちゃった……」
机に突っ伏しそうになるのを、ぐっと堪えていると――
「大丈夫です」
後ろの席に座るアリサの静かな声が聞こえ、はっと顔を上げて振り返った。
「深呼吸して、心を無にする。雑念を捨てて意識を深い所へ導けば、きっとうまくいきます」
「わ、分かった! すぅー……はぁー……」
言われるままに深呼吸をして心を整える。
大きく息を吸う間に、トクトクと心臓が鳴る音が聞こえ、ゆっくりと吐く間には自分の息遣いだけが鼓膜を震わせる。
それを繰り返している間に、クラス内の騒めきも、早く脈打っていた鼓動の音もどこか遠くに消え去っていた。
「あかり、あなたは問題を解く為の知識を得ているはずです。記憶の引き出しから取り出せるか否かなのです」
「……うん」
「きっとできます。……頑張りましょう」
「……うん」
アリサが囁き、半分催眠状態になったあかりの顔は、近くを通りがかったクラスメートが「うわ」と声を漏らす程度に生気を失っていた。
後にテスト用紙が配られ、前席の男子が用紙を渡そうと振り返った時、光の無い死んだ魚の目をしたあかりを見て、折角暗記した内容が吹き飛ぶ不幸な事件が発生するが、アリサは知る由もなかった。
予鈴チャイムが鳴り響き、静まり返った教室内に教師がテスト用紙を抱えて入って来る。
黒板にチョークで今日の試験のタイムスケジュールを書き込む音が冷たく響き、皆の視線がその白線で紡がれた文字へ注がれる。
「——それでは、答案用紙を配ります」
先生の声が教室に響いた。
カサカサと紙の擦れる音と共に、前の席から順に配られていく答案用紙。
あかりの鼓動がドクンと大きく鳴るも、すぐに深呼吸して集中状態を維持し、手早く背後のアリサへ用紙を回す。
皆に用紙が行き渡ったのか、再び静寂に包まれる教室内。
壁に掛けられた至ってシンプルなアナログ時計の秒針が、カチコチと動く音だけが妙に大きく聞こえ、誰かが鉛筆を転がす音すらはっきりと耳を打つ。
永遠のようにも感じる張り詰めた沈黙を、スピーカーから流れたチャイムが破り、一斉に用紙を返して鉛筆やシャーペンの芯が紙上を踊る音が場を支配する。
「……!」
第一問は漢字の読み書き問題。
国語は得意なあかりは迷いなく空欄を埋めていき――続く文法問題も難なく突破していく。
(あれ……?)
文章問題も、何度も読み直し暗記できるほどまで覚えていた教科書の作品から出題されており、スラスラとシャーペンを走らせていく。
(……簡単かも?)
気付けば解答用紙の空欄は全て埋まっており、時計へ視線を向けると終了時間までニ十分も残していた。
念の為見直しもじっくりと行うが、見たところ問題ない。
「……ふぅ」
(――少し力が入り過ぎていたみたい)
シャーペンを机に置き、深呼吸をして窓の外へ視線を向ける。
曇り空は次第に黒さを増していて、朝よりもどんよりした空模様になっていた。
ぼんやりと遠くの空を飛ぶ鳥を眺めたり、手慰みにペンをくるくると回したりしているうちに、チャイムが鳴る。
「――そこまで。用紙を前へ送って集めてください」
先生の声に、安堵や悔しさの籠ったため息や、テストの出来を友人と確認し合う声で、わっと教室内が騒めき立つ。
あかりも後ろの席のアリサへと振り向き、自信に満ちた笑みを浮かべながらサムズアップをしてみせた。
「えへへ~! 国語は余裕だったね!」
「……出来たようで何よりです」
アリサは僅かながら笑みを浮かべ、あかりに応えてみせた。
「その意気で、次の数学も頑張りましょう」
数学――その言葉を聞いた瞬間、あかりの目から光が消えた。
「数……学……。ああぁぁぁ……」
器用に振り向いたままアリサの机へとへたり込むあかり。
そんな彼女を、アリサは相変わらず感情の籠らぬ瞳で見降ろし、すっと目を細めた。
「あかり、集中」
「うぅぅぅ……頑張る……」
机に額を押し付けたまま、あかりはぐったりと呻いた。
僅かな休憩時間が終わりに近付いていく度、教室の空気が再び張り詰めていく。
誰もが黙り込み、最後の確認だとノートや教科書に目を走らせている。
ページをめくる音。
数式をブツブツと呟く小さな声。
教室備え付けの鉛筆削り器で、先の丸くなった鉛筆を削る音。
何の変哲もないそれら全ての音が、さっきよりも重く感じた。
「……あかり、大丈夫?」
あかりの百面相を見かねたのか、みちるが自分の復習を切り上げてあかりの机へとやってきた。
「みちるちゃん……いよいよだよ。いよいよ……地獄の門が開くときが……」
「馬鹿言ってないで、ノートでも見返しなさい」
ぴしゃりと怒られたあかりは、ノロノロとノートを開き、勉強会でアリサやあおいから教わり、色鮮やかなマーカーペンで『大事!』と書かれた数式へ目を落とした。
「大丈夫。アリサからも出来てるって言われてたじゃない」
「う、うん……」
その言葉を聞いて――あかりの頭の中に、昨日までの光景がよみがえる。
勉強会でノートを囲んで四人で頭を寄せた時間。
ソラシーに励まされながら何度も解いた問題。
間違えて、笑って、また解いて。
「……っ」
あかりはぎゅっと拳を握り、顔を上げる。
「負けないよっ!! 頑張ったんだから!!」
キッと前を見据えたあかりの顔を見て、みちるは『もう大丈夫ね』と微笑み、後席のアリサと視線を交し合い自席へと戻っていった。
まもなく予鈴のチャイムが鳴り響き、試験用紙を抱えた教師が戻ってきた。
再び配られる答案用紙。
うるさいくらいに脈打つ心臓を落ち着かせるように、アリサに教わった深呼吸をして意識を深い所へと落としていく。
(集中、集中……)
――チャイムの音。
一斉に動き始める筆記用具の音。
一呼吸おいてから裏返していた答案用紙をひっくり返し、さっと問題へ目を通す。
初歩問題から始まり、それは危なげなく解き進めていく。
……そしてやってくる――連立方程式。
数学のはずなのに、襲い掛かるアルファベットたち。
ぴた……とあかりのペンが止まった。
『数学』というだけで、どこか敬遠し無理だと思い込んでいた。
長々と続くXYZと数字の混ざりあった数式に、思わず身体が強張り汗が一筋頬を伝う。
苦手意識が思考回路を引っ張り、ぐるぐると余計な情報をばら撒いていく。
もうだめだと頭を抱えてしまいそうになった時――ふとアリサの言葉が脳裏を過った。
『あかり、あなたは問題を解く為の知識を得ているはずです。記憶の引き出しから取り出せるか否かなのです』
(そうだよ、これ……勉強会でやったところなんだ……!)
頭の中で、ノートのページがめくられる。
あおいの励ます声。
みちるの丁寧な説明。
アリサの分かりやすいまとめ。
全部が繋がっていく。
あかりは目を閉じてしっかりと深呼吸を繰り返した。
脳裏を支配する苦手・無理と決めつける心をリセットし、今一度問題へと視線を向ける。
(いける……!)
動き出した手は止まらない。
(解けるよっ!!)
問題を一つ、また一つと埋めていく。
さっきまであれほど重かった手が、嘘みたいに軽い。
怖くない。
もう大丈夫。
(私、ちゃんとやってきたんだから……!)
カリカリカリ――
ペンの音が、確かなリズムを刻む。
途中難しいグラフ問題や応用問題で手が止まっても、焦らず落ち着いて最後まで解答欄を埋める事が出来ていた。
全てを解き終わった時、あかりは小さく息を吐いた。
集中力が切れ、ドッと疲れを感じるも確かな手応えを感じていた。
(……やった、やったよ! 私!!)
程なくして鳴り響く試験終了のチャイム。
後ろから回されるアリサの解答用紙を受け取ろうと振り向いたあかりの顔を見て、アリサは僅かに目を大きくし、微笑んだ。
「……良い顔をしていますね、あかり」
「えへへ。アリサちゃんのおかげだよっ!」
そう言って満面の笑みを咲かせたあかり。
しかし――まだもう一科目、理科が残っている。今日は初日で、試験期間はまだまだ始まったばかりなのだ。




