98 新たなる旅立ち
セリーナと手を繋いで、あの神様たちが住んでいたタワマンの部屋の玄関から出ると……。
繋いでいた手の温かな感触が、すっと消えた。
気づけば、目の前には見慣れたVRヘッドギアのホーム画面が現れていた。
俺は再び〈セレスティアル・アグリーメント〉を選択し、ゲームを起動する。
しかし現れたのは、見たこともない初期のゲームスタート画面。スタートを押すと、新規のサーバー選択画面に入ってしまった。
「……だよね〜」
俺はサーバーを選択せずにそのままゲームを終了し、ヘッドギアを外した。
タイミング良く、俺のスマホが鳴った。
予想通りタピオカくんだ。かかってきたビデオ通話に応答する。
「もしもし、 タピオカくん?」
『豆腐くん! ホントに、ホントにもうあの世界に戻れなくなっちゃった……っ』
どうやら彼女も俺と同じく、あの玄関から出た後、すぐに再ログインを試みたらしい。でもあの世界に戻ることはできず、正規のゲームであるセレアグの方に接続されてしまったのだ。
画面越しに今にも泣きそうな彼女を見ると、もし彼女が泣き出したら、俺も涙を我慢できる自信がない。だから俺は、わざと明るく彼女にこう言った。
「涙を我慢しろ。せっかくセリーナたちと笑顔のままで別れたんだから、俺たちも笑わないとダメだ。っていうか……最高に楽しかったじゃないか?」
俺の言葉を聞いて、彼女は目を閉じ、深く深呼吸をした。
『すー、はぁ……。ありがとう、落ち着いたわ。……あ、そういえば私が起きた後、テーブルの上にノルン様の名刺が置いてあったわよ』
画面越しに、彼女は一枚の白い名刺を見せてくれた。
『豆腐くんの部屋にはない?』
「あ〜、ちょっと待って、探してみる」
視線を巡らせると、俺のベッドの隣のナイトスタンドに、全く同じ名刺が置かれていた。
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株式会社◯◯◯◯◯◯◯
シナリオディレクター
星宮 乃瑠羽
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「あったあった! 俺のところにもあったぞ」
『本当に、夢じゃなかったのね』
「まぁ、仮に夢だったとしても、こんな楽しい夢なら大歓迎だぜ」
『異世界の神様とお茶会をして、しかもそんな神様が日本のタワマンに住んでるなんて……誰に話しても信じてくれる人はいないと思うわ。ふふっ』
「オタクにとって、神様との会話シーンは見慣れたものかもしれないな。でも、一人だけはこの話を信じている奴がいるよ」
『え? この世界にいる稲荷様?』
「君だよ!」
『あ……そうだったわ。あの時、急に相談で電話をかけてくれた豆腐くんの話し方、すごく真面目だったから、全く嘘だとは思わなかったのよ』
「まぁ、多分あの時の俺は巫女さん……いや、稲荷様に操られていて、本音を隠さずに口が勝手に話し出したんだと思うが……結果オーライだな」
『はぁ!? あなたに会った日、私がコンビニに入った後、急に誰もいなくなったのは本当に怖かったんだからね!』
「大丈夫! 俺が来た!」
『ドヤ顔で話すな! あ……ちょっと待って、お水を……あうっ!! いた〜っ!』
画面の向こうで、テーブルに置いていたカップが倒れたらしく、慌てたタピオカくんが滑って床に倒れ込んだ音が響いた。
「大丈夫か!?」
彼女はこぼれた水を拭きながら、画面越しに返事をした。
『平気、平気……。この一週間、リアルの時間よりサクラリアに憑依している時間の方が長かったから、思わず自分が飛んでいると錯覚しちゃったわ。豆腐くんもでしょう?』
「あ〜、はい。わかる、すご〜くわかる。リアルの自分の目線の高さとか、色んなところに違和感があるよな」
『今の時間は……まだ午前の11時前ね。せっかく有給を取ったんだし、ゲームの方のセレアグで遊ぶ?』
「もちろんだ。前のギルメンの奴らも最近、『いつ始めるのか』ってうるさく言い始めているしな」
『私は新しいキャラを作るから、一緒にレベル上げしましょう。そして……』
「メインストーリーが終わったら、翠夢の森で”失われた花びら”を集めるために周回するんだろ?」
『分かってるじゃない! でもね、言っとくけど、前のギルメンの前では私のことを男として扱いなさいよ?』
「分かってるって。むさ苦しい野郎たちの中に女プレイヤーが一人いると知れたら、きっと怖いことになるからな」
『分かればよろしい。じゃあ、キャラメイクが終わったら王都のギルドで集合ね』
「おうよ!」
そこで通話を切った。
セレアグを始める前に、俺は大事なものを保管している引き出しの前に立った。引き出しを開けると、そこにはエメラルダから渡されたお守りがある。中に入っている金貨のようなコインを取り出し、指でそっと撫でた。
……この幸運のコインは、本当にこの世界に実在するモノなんだな。
その確かな感触を再確認した後、俺はそれを再び引き出しの奥へと大事にしまった。
タピオカくんとの約束通り、俺は再び……いや、俺は一人のプレイヤーとして〈セレスティアル・アグリーメント〉というゲームを始めた。
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キャラメイクにはひどく時間がかかった。当然、俺はセリーナそっくりなアバターを作った。多分99.99%は似ていると思う。
キャラを完成させるとゲームが始まり、目の前にはエルセリス王国の王都グランベルにある、冒険者ギルドの光景が広がった。
ログインして真っ先に感じたのは、強烈な「違和感」だった。
あの世界とは比べ物にならない、いかにも作られた”ゲーム”の感覚。周りの空気の匂いは感じないし、手を動かしても服の摩擦を感じない。軽く跳んでみても、体重の重みを感じなかった……。
「はぁ……」
俺はチャット欄を確認したが、何の連絡も来ていなかった。俺のキャラメイクも結構時間がかかったはずなのに、タピオカくんはまだキャラメイクをしているのだろうか?
では一応彼女にメッセージを……あ、フレンド登録をしたのは”あっちの世界”だった。彼女の今のIDが分からない!
仕方ない、ギルドの中で彼女を探そう。
しかし、ギルド内に”タピオカ”という名前のプレイヤーはいなかった。本当にまだキャラメイクに悩んでいるらしい。俺は先にチュートリアルを済ませることにした。
一連のチュートリアルが終わり、ギルドの酒場へ戻ると、見慣れた名前を見かけた。
「タピオカくん、ごめん、待たせたか?」
「いいえ、私も完成したばかりよ。ふーん……セリーナにそっくりだね。なかなかやるじゃん」
「当然だ。つい先程まであの子の中にいたんだからな。そっちこそ、サクラリアってこんなに綺麗だったのか?」
「当たり前よ、妖精の姫様だもん。普段からこんなに綺麗よ。身体が小さいから、あなたからは見え辛かっただけ」
「あ、そんなことよりフレンド登録、よろしく」
「え?私たち、もう登録済みだけど……あっちの世界か……ははっ」
フレンド登録を済ませた後、俺たちは思わず一緒に手をグーパーと握り締め、アバターの身体の動作をチェックし始めた。それを見て、タピオカくんが苦笑しながら口を開く。
「やっぱり慣れないね……。前に遊んだ時はすごく自然で何の違和感も持たなかったはずなのに。飛べないせいかな」
「いや、現実の感覚まで完璧に作れるゲームなんてまだ存在しないから、違和感を感じているのは俺たちだけだ」
「はぁ〜……もう妖精の特権で、人間サイズのプリンを『バケツプリン』としてお腹いっぱい食べることもできないのね。残念」
「それより、大丈夫か? 普段はイケメンの男性キャラを使う君が、急に美少女キャラなんて使ったら、前のギルメンたちにオモチャにされそうだぞ」
「いいよ、別に。たまには女性キャラで遊びたい気分だって誤魔化せばいいわ。どうせ彼らの下ネタを聞き流すだけで済むだろうし」
「違いないな……。キャラメイクに意外と時間がかかったし、もうお昼の時間だ。昼ごはんを食べてから再集合でどうだ?」
「オッケー!」
俺たちは一旦ログアウトした。
その後、再びビデオ通話でお互いのキャラの微修正するポイントを検討しながら昼ごはんを食べた。食べ終わった後、再びログインし……俺は正式に、セレアグのプレイヤーとしての日常をスタートさせた。
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セリーナたちと別れた後、俺たちはセリーナと出会う前の日常へと戻った。
朝は仕事に行き、帰宅後の夕飯時にはスマホゲームの体力を消化する。そしてフルダイブのゲームにログインして、ギルメンたちと深夜まで遊ぶ。
ただ、そのゲームのタイトルが〈ドラゴンの遺産〉から〈セレスティアル・アグリーメント〉に変わっただけ。日常そのものに大きな変化はなかった。
唯一変わったことと言えば、あの世界に入れなくなっても、俺とタピオカくんは未だに毎晩ビデオ通話を繋いでいることくらいか。
……いや、もうひとつ変化があった。
最近、外勤や出かけた際に「お稲荷様」が祀られている神社の前を通りかかると、時間の許す限りお供え物のいなり寿司を買い、社務所に渡して参拝するようになった。
だって、神様はガチで実在するって知ってしまったからな。それは俺だけではなく、タピオカくんも同じようにしているらしい。
ゲームの話に戻ると、ギルメンたちに女性であることを隠しているタピオカくんは、珍しく美少女キャラを作ったため、案の定ギルメンたちにイジり倒されていた。
「タピオカ! お前ついに性癖に目覚めたのか! ワイは嬉しいぞ!」
「何だよ。オレが女キャラを使うのはそんなに珍しいか?」
「声もかわええ〜! って当たり前だろ! 『ドラゴンの遺産』で一緒に遊んだ時、『カッコイイ男になりたいから男キャラばっか使う』っていうおかしい理論を熱弁してたのはどこのどいつだよ! はははっ!」
「そうだったな。でも今の世代のゲームじゃ、女性キャラの方が装備も綺麗だし、アバターの種類も男性より多い。乙女ゲーム以外の界隈じゃ女キャラの方がお得なんだよ。だからお前らが持ってる”失われた花びら”、全部オレに渡せ!! 安く買い取ってやる!」
「え? なんでここで花びらの話……ほうほう〜、なるほど。お前、魔法少女に目覚めたんだな……ワイ、感動した! よし分かった! タピオカが魔法少女に覚醒した祝いで、お前ら持ってる花びらを全部出せ! こいつの夢である『幻の魔法少女装備』が完成するまで、翠夢の森で周回だぞ!」
「「「おおおーーーっ!!」」」
あの時のタピオカくんが、サクラリアの顔で「計画通り」とほくそ笑んでいたのは……恐らく、俺しか知らない。
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あれから数カ月後。
全ギルメンの力を合わせ、全員で翠夢の森に篭ってフェアリーイーターを狩り続け、フレンドからも買い集め、毎日あのドロップ率が極悪な”失われた花びら”をかき集めては、全部タピオカに安く流した。
そして今日、タピオカくんは念願の『魔法少女装備』を完成させた。
その姿は紛れもなく、あの世界にいた時、いつも俺のそばで笑っていたタピオカくんだ。
その晩、魔法少女装備完成の祝いでみんなで週ボスをボコボコにした後、迷宮都市にあるギルドハウスに戻り、そろそろ解散しようという時になって、タピオカくんが俺を呼び止めた。
「あれ? ……待てよ、豆腐くん」
「ん? なんだ?」
「あ〜、俺たち先にログアウトするぜー」
「おう! おつかれ!」
ログアウトしていくギルメンたちに適当に返事をし、俺はタピオカくんに向き直った。
「どうした? タピオカくん」
「この装備を作った時、花びらの数はちょうどピッタリのはずだったんだけど……なぜか、1枚残ってたの」
「俺たち全員で各サーバーを一晩中周回しても、1枚出るかどうかも分からない激レアアイテムだぞ? それが1枚余るなんて……」
「翠夢の森に行こ」
「……分かった」
俺たちは翠夢の森へと向かった。ここはあの世界と同じく”何もない森”だ。そして俺たちは、NPCである妖精の女王の前に立った。
これから彼女がやろうとしていることは、考えて正直ありえない。だから俺は思わずツッコミを入れた。
「いや……流石に……それは無理がないか?」
タピオカくんは、その貴重な花びらを『妖精ガチャ』に突っ込むかどうか戸惑っている。無理もない。妖精ガチャの確率は花びらのドロップ率と同じくらい渋く、最低レアのR妖精を出すだけでも少なくとも花びらが10枚は必要だと攻略サイトに書かれていたからだ。そんな絶望的な確率を前に、彼女は女王様の前で1枚の花びらをじっと見つめている。
「タピオカくん……回そう。もしハズレたら、また一緒に花びらを集め直せばいい」
「でも、これでUR妖精が出る確率なんてゼロ以下だよ……!?」
「まぁ、例え本当に奇跡が起きてUR妖精が出たとしても、その姿はサクラリアとは違うんだからな。そう深く考える必要はないさ。もし本当に欲しい妖精がいるなら、花びら集めには俺も付き合うから。な?」
本当に、深く考える必要はないのだ。だって、ネットで報告されているUR妖精が当たったのスクリーンショットを見ると、UR妖精の姿はサクラリアではなく、女王様の隣に控えている『妖精騎士』の姿なのだから。
彼女は少し考え込んだ後、意を決して花びらをNPCの妖精の女王——エルナへと渡した。
花びらが光となって消え、実況動画で何度も聞いた女王様の威厳ある声が、ガチャの呪文を唱え始める。
『世界の記憶に咲きし、名もなき愛おしき花弁よ。妾の呼び声に応え、今一度、光の衣を纏いて目覚めるがよい。……絆に導かれし清き魂に、新たなる命の息吹と、永遠の祝福を。さあ、羽ばたきなさい!』
魔法陣の上に浮かんでいた花びらが、青色の光を発し——
紫色に変わり、
金色に輝き……
最後は、眩い虹色に変わった!!
「「三段階昇格……!?」」
光が収まると、そこにいたのは、顔立ちが若き日の女王に似た妖精だった。
長い淡い桜色の髪を揺らし、ふわりと舞い上がるピンク色のドレス。今のタピオカくんのアバターとそっくりな妖精が、タピオカくんの目の前に顕現した。
俺たちは思わず、その名前を同時に叫んでいた。
「「サクラリア!!!」」
しかし、返事はない。
俺たちは昂ぶる感情を必死に落ち着かせ、目の前のUR妖精のステータス画面を確認した。
【 名前を入力してください 】
タピオカくんは迷わず、『ティル=サクラリア』と入力した。
入力が完了すると、その妖精はNPCらしく定型文でタピオカくんに挨拶をし、彼女のそばへとふわりと浮いてきた。
タピオカくんは涙ぐみながらも満面の笑顔でその小さな子を抱きしめ、ただ一言、
「また会えたね」
とだけ、優しく囁いた。
あの余っていた1枚の花びらは、一体何だったのだろうか?
ノルン様からの粋な贈り物?
それとも、本当にタピオカくんが数を数え間違えていて、装備を作った後に偶然1枚余っただけなのか? おまけにリアルの「豪運EX」が全開になって、妖精ガチャも一発でURを引き当ててしまっただけなのか?
まぁ、真実はどうあれ……俺たちの中では、これはノルン様や稲荷様の仕業だということにしておこう。
でも、嬉しかった。
ただのゲームのデータだとしても、こうしてまた彼女に会えたことが、本当に嬉しかった。
——ありがとうございます、ノルン様、稲荷様。




