99 新たな日常
ゲーム内でサクラリアを迎え入れてから数日後、タピオカくんが会社の都合で転勤することになり、引越し作業のためにしばらくログインできなくなってしまった。……そんな彼女は引越し作業で忙しく、俺たちはもうすぐ二週間近く連絡を取っていなかった。
うちのギルドの中でレベルが最も低いのは俺とタピオカくんだ。だから二人とも、他のギルメンたちと一緒に高難度ダンジョンへ行くことができない。俺は彼女にレベルを合わせるため、この一週間はレベルを上げるのをやめ、ひたすら調合や料理といった生産スキルのレベル上げに精を出していた。
そして、今日は土曜日の朝。俺はいつも通り、セレアグにログインした。
人柱のギルメンたちはすでにパーティーを組み、高難度エンドコンテンツである迷宮都市の〈深淵迷宮〉へ挑戦しに行っている。
まだレベル99に到達しておらず、装備も揃っていない俺には、他のギルメンと一緒に高難度ダンジョンを周回することはできない。
(今日も彼女はいない。なんだか一人でスキルレベルを上げるのも気が乗らないな……。)
素材の採集や、やり残したサブクエストでも消化するかと思い立ち、なんとなくガンド村へと転移した。
このゲームを始めてから、俺は時々ガンド村へ足を運び、セリーナの家を見に来ていた。もしかしたらNPCのセリーナと会えるのではないか、と淡い期待を抱いて。
だが残念ながら、NPCのセリーナが現れることはなかった。試しにガンド村の外でポーションを作りながら、ゲーム内の丸一日を使って待ち伏せしてみたこともあったが、セリーナの家から誰も出てくることはなかった。
窓から中を覗き込むと、あの世界と全く同じ部屋が広がっていた。ただ、そこには誰もいなかった。
もしかして既に村長の地下室に囚われているのでは……!? と思い、あの地下室の内部を確認できる村長の家の裏にある小さな窓から覗き込んでみたが、幸いにもあそこには誰もいなかった。
当然、俺はエドガーから受注できるあのサブクエスト——「エドガーの子」を受けていなかった。受ければセリーナには会えるが、彼女が命を落とす運命が決定してしまうからな。だから絶対にやりたくなかったのだ。
「はぁ……逆に、あのクソ村長は頻繁に出てくるんだよな」
NPCだから攻撃しても意味がない。普段のNPCは完全無敵だ。
暇つぶしに、久しぶりに隣にあるナイジェリアの森の遺跡ダンジョンでも周回してみるか。俺のレベルは現在70台だが、高難度ではなくあえて普通難易度を選択し、あの世界で数十回と周回した馴染み深い遺跡ダンジョンへ足を踏み入れた。
ゲーム内でも何度も周回したはずなのに、やっぱり自分の中で強烈な違和感があった。ゲーム内には五感のリアルな感覚がないため、ボスであるアラクネの動きがあまりにも単純で、作業感が強すぎたのだ。あの世界のアラクネと戦っていた時も流れ作業ではあったが……やっぱり、今でもアラクネに泡水を投げつけたくなる。他のボスモンスターも、唐辛子水は生物系には最強だからな。今思い返しても、めちゃくちゃ卑怯な作戦だったと思う。思わず一人でくすりと笑ってしまった。
一人で周回するのはやっぱり味気ない。ダンジョンから出て、出現したクリスタルゴーレムをサクッと捌き、溜まっていたサブクエストを消化しよに、王都の大聖堂にいるシルヴィアの元へと転移した。確か先日シルヴィアのクエストを終えた後、リアル時間で2日後に続きが発生するはずだ。そろそろ次のクエストを受け取れる頃合いだな。
王都の大聖堂へ転移すると、そこには俺の「第二の推し」であるシルヴィアが聖女の部屋に佇んでいた。
彼女に話しかけると、システムウィンドウがポップアップした。
【 このクエストは長編のため、しばらく他の施設を利用できなくなります。受注しますか? 】
あ〜、時間がかかるタイプか。メニューで現実の時間を確認すると、もうすぐお昼だ。昼飯を食べてから取り掛かるとしよう。
俺は【いいえ】を選択し、拠点へ戻ってログアウトした。
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リアルに戻り、「昼飯は何にしようかな」と考えながら冷蔵庫を開けた、その時——。
ピンポーン!
誰かが部屋の呼び鈴を鳴らした。……ん? 出前なんて頼んでないぞ。ネットで買った荷物がもう届いたのか? それともN◯Kか?
「はいはい〜!」
ドアを開けると、見慣れた顔が視界に飛び込んできた。
「あ……」
「あ…………」
お互いに二の句が継げず、沈黙が流れる。
最初に口を開いたのは、頬を少し赤く染め、ジト目でこちらを睨みつけてきた彼女だった。
「やっぱり……そう来たか」
「え? え? なんで……? ええっと、久し……ぶり……?」
「ええ、久しぶり。豆腐くん」
「まさか……」
「はい、隣に引っ越してきた佐藤です。よろしくお願いいたします。これ、お近所へのご挨拶のお菓子、どうぞ」
「……あ、ありがとう……ございます」
「……」
「……」
や、ヤバい。顔がカッと熱くなっていくのが分かる。ええっと、俺、普段は彼女とどんな風に話していたっけ……!?
「……は、入る……?」
あ、違うだろ俺!
「うん。お、お邪魔します」
えっ!? 入ってくるのか!?
呼び鈴を鳴らした正体は、私服姿のめちゃくちゃ美人なタピオカくんだった。そんな彼女を俺の部屋の中へと招き入れた。幸い俺の部屋は普段から綺麗に整理整頓してあるので、いつ誰が入ってきても問題ない状態だ。
「へ、へぇ〜、ここが豆腐くんの部屋ね。男にしては綺麗じゃない。通話の時はいつも同じアングルしか見えないからね」
「と、当然だろ。俺は綺麗好きだからな」
「って……私を部屋に招き入れるのって、どういう意味?」
「べ、別に……お昼……食べた?」
「いいえ、まだだけど。午後は荷解きの続きがあるから」
「俺も手伝うよ」
「あ、ありがとう。助かるわ」
「ネットはもう繋がったのか?」
「ネット回線の開通工事は明日なの」
「そっか……適当に座ってくれ」
俺は彼女をローテーブルの前のクッションへと促した。スマホで二人分の出前をさくっと注文し、彼女にお茶を淹れて出すと、俺もテーブルを挟んで反対側に腰掛けた。
「……」
「……」
「えっと、タピオカくん。さっき“やっぱり”と言っていたけれど、一体何があったんだ……?」
彼女はお茶を一口啜り、気のせいか頬を少し朱に染めながら、ジト目のまま俺に答えた。
「上司から急に転勤の話を持ちかけられたのよ。大阪の支社へ行かないかって……」
それを聞いて、俺はなぜ先ほど彼女が俺の顔を見るなりジト目になっていたのかを瞬時に理解した。
「まさか……」
「ええ。私も最初は“まさかね”と思ったけれど、一応昇進扱いだし給料も上がるから、断る理由がなかったのよね。それからすんなりと安くて良い部屋が見つかって……」
「あ〜、だから同じ大阪に住んでいる俺に、どこに引越しするのかをずっと内緒にしていたのか」
「でしょう? もし私の予想が外れていて、ノルン様や稲荷様が関わっていなかったら恥ずかしいじゃない。まぁ、結果……隣に挨拶しに行ったら、やっぱり豆腐くんの隣だったわけだけどね」
「そうですか……じゃない!! バカか? 引っ越し先が俺の隣じゃなかったとしても、普通に相談してくれれば良かっただろ。同じ大阪に住んでいるんだから、俺が色々手伝えることもあったはずだぞ」
「あ! ホントだわ! 私の推論が間違っていたとしても、別に相談して良かったんだわ……! なんで気づかなかったのかしら……まぁいいわ! 豆腐くん、色々手伝って〜!」
「もちろんだ……でも、俺の隣に引っ越してきてくれたのは、すごく嬉しかっ……」
俺は慌てて自分の手で口を塞いだ。ジト目のタピオカくんがじっとこちらを見つめている。
「豆腐くん……今の、どういう意味……?」
口を塞いでいた手が力なく下がり、俺の口から思ってもみないセリフがスラスラと飛び出し始めた!
「タピオカくんのことが好きだから、この引越し作業の間に会えないだけで、側にいないとなんだか物足りない気がして、いつの間にかずっと君のことを考えていたんだ! 連絡してもいいのかな、でも忙しいなら邪魔になるかな、夜はいつも通りビデオ通話にしておいた方がいいのかな、あなたの顔が見たい、声が聞きたい……でもあなたの口から『彼氏面するな』なんて言われたくない……! この一週間、俺はずっとこれを悩んでいたんだ!!」
俺の手はどうやら口を塞ぐこと以外なら動かせるらしく、大慌てで卓上のメモ帳とペンを手に取り、猛スピードで文字を走らせた。
【 口が勝手に喋ってる!! 】
タピオカくんは顔を真っ赤にしながらも、必死に冷静さを装って俺を見つめていた。
「へ、へぇ〜……豆腐くんは、そんなに私のことが好きなんだ……。ま、私も豆腐くんのこと、好きだけど。武闘祭の時に助けてくれた豆腐くんはすごくカッコよかったし、私たちって相性も最高じゃない? 時々目が合っただけでも、お互いが何を考えているか分かっちゃうような関係が好き。サクラリアに憑依していた時、あなたの肩に乗って、ずっとあなたに触れていられた時間は心が満たされていたわ。ここがずっと私の居場所なんだって……」
今度はタピオカくんが手をぶんぶんと振り、俺の手からペンとメモ帳をひっ捕まえて、凄まじい勢いで書き始めた。
【 私も口が勝手に喋ってるよ!! 口が塞げない!! 】
それを止める術もなく、俺の口は再び動き出した。
「タピオカくんと一緒に他愛のない話をしている時間が大好きなんだ! 君の声が聞こえないこの一週間は本当に苦しかった! 君の笑顔をずっと近くで見つめていたい!」
「私も豆腐くんと話すのが大好きなの! あなたが魔剣に刺された時は、今すぐにでも大阪に飛び込みたいくらい心配したんだから! っていうか、そんなに私のことが好きなら電話くらいしてよ! 私はこの一週間、ずっとあなたからの連絡を待っていたんだから! 最近は、もしかして私ってただのゲーム仲間と思われているのかなって……私から連絡していいのかずっと悩んでいたんだからね!」
「大丈夫だ、俺はタピオカくんのことが好きだから! 愛してる!」
「私も豆腐くんが好き! 大好きよ!」
「俺たち……両想いだったんだな」
「うん……一人で悩んでいたのがバカみたい」
「今はお隣さん同士なんだから、電話越しじゃなくて、今度は面と向かってたくさん話がしたい」
「私も、もっとあなたに触れたい」
「同棲しよう」
「もちろんいいわよ!」
二人がヒートアップした最後に、俺の口からどこか神秘的で聞き覚えのある、朧げな女性の声が響いた。
『ふふっ……二人とも、隠し事は良くないぞ。少しばかり手を貸してやった。私からの『クエスト報酬』とでも思っておきなさい。ちなみに、お供えのいなり寿司はとても美味しかったぞ。ありがとう、ふふっ……』
最後に笑いやがった……!? って、この声、絶対にあの時の神社にいた巫女さん……稲荷様だろ!!
あ……口のコントロールがようやく戻ってきた……。
だが俺たちは、当然のようにお互い両手で顔を覆い隠し、ゆで蛸のように真っ赤になった顔を隠した。心の奥底に隠していた本心が勝手に溢れ出てしまった恥ずかしさで、爆発しそうだ!!!
「……」
「……」
少しだけ興奮が冷めると、タイミング良くお互いに視線が交差した。真っ赤になったお互いの顔を見て、思わず吹き出してしまう。
「ふ、ふはははっ! タピオカくん、顔が真っ赤でめちゃくちゃ可愛いぞ!」
「ふははっ! 豆腐くんこそ、今にも鼻血が出そうな顔して変なの!」
「「俺たち(私達)……付き合おっか」」
まさかセリフまで完璧にハモるとは……。これで、俺の「恋人いない歴=年齢」の記録はついに途切れることになったのか。
しばらく笑い合い、心が落ち着いたところで、届いた出前の昼飯を食べながら先ほどの「強制本音トーク」について振り返った。
「まぁ、口が勝手に心の中の本音を喋り出すなんて不思議な現象、明らかに稲荷様の仕業だよな」
「最後に豆腐くんの口を借りて話してきたものね。あの時、私も口を塞ぎたかったのに、そう思えば思うほど手が固まって動かなくなるんだもの。すごい体験だったわ」
「わざわざ君を青森から大阪へ引越しするように手配してくれたんだから、俺としては感謝しかないけれどな」
「引越しは面倒だったけれど、お給料も上がったし、結果オーライかしら。……あ、そっちの天ぷら美味しそう。ひとつ貰ってもいい?」
「どうぞ……。えっと、一応確認だけれど、俺の『恋人いない歴=年齢』の最高記録は、ここでストップして良いんだよな?」
「い、いいんじゃない? 私の記録も終わりにしたいし」
「よっしゃー!!」
「そんなに嬉しいの?」
「当然だろ! こんな美人が俺の彼女になってくれたんだ、今すぐ自慢したいくらいだぜ」
「ふ、ふんっ……そんなに褒められたって、何も出ないわよ」
「いや、側にいてくれるだけで十分さ。……ところで、ゲームにはいつログインする?」
「後で私の荷解きを手伝ってくれるでしょう? 今晩、あなたの部屋で一緒にログインしてもいいかしら?」
「もちろんだ」
俺はさりげない動作で、この部屋のスペアキーを彼女の手のひらに渡した。
「い、いつでも入って……いいぞ」
「……うん、貰っておくわ」
「な、なんだか急に慣れないな。たったの一週間ちょっと会っていなかっただけなのに」
「そ、そうね。でも、私たちなら付き合っても前とあんまり変わらないと思うわ」
「だろうな。あの世界にいた時とそんなに変わらないさ。……昼飯も食べ終わったことだし、そろそろ荷解きを始めるか?」
「うん、お願い!」
こうして午後の時間は、丸々彼女の部屋の荷解きを手伝うことに費やされた。
その日の夜。タピオカくんが俺の部屋にやってきた。手伝いのお礼に手作りの夕食を……といきたいところだったが、お互いに荷解きでクタクタになってしまったため、お礼を兼ねて二人で近所の店へ外食にしに行った。
部屋に戻り、ゲームへログインする直前。俺はベッドの上にちょこんと腰掛けている彼女にVRヘッドギアを手渡し、冗談交じりに話しかけた。
「まさか、あの日約束した『ラーメンを奢る』っていう約束が、今日こんな形で果たされるとは思わなかったな。君がいつ着払いでインスタントラーメンを送りつけてくるかとハラハラしていたんだが、心配がなくなって良かったよ」
「はいはい、分かりましたわ。明日着払いで一個だけ送りつけてあげますわよ。それで満足かしら?」
「冗談でございます! 申し訳ございませんでした、タピオカ殿!」
「素直でよろしい。……って、豆腐くん、いつまで床に座っている気?」
「いや〜……俺のベッドに二人で並んで入るのは、流石に距離が近すぎるというか……なんというか……」
「もう恋人同士なんだから、一緒にベッドで横になってログインしなさいよ」
「はい……」
「言っておくけれど、私だってめちゃくちゃ恥ずかしいんだからね! でも、あなただけに床でログインさせるのは嫌なの」
「……うん。じゃあ、失礼します」
「……」
「ログイン……するか」
「うん……」
こうして、俺たちのいつもの——いや、新しい日常が始まったのだ。
次で最終話です。




