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95 思わずな招待

美しい創造神ノルン様の石像の前に、俺たちは膝を床につき、両手を合わせて深く祈りを捧げ始めた。



目を閉じると、今までこの世界で起きた出来事が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。


最初はただのすごくリアルでやり込み要素の高そうなゲームだと思い、楽しく森の中で採取をしていただけだった。


だが翌日、ここがリアルの『セレアグ』とは完全に異なる世界だと知り、あんな悲しい運命を背負わされていたセリーナを幸せにしたい、ただその一心で無我夢中に動いてきた。


闇の奴隷商人に背後から刺された時は、本当に死ぬほど怖かった。システム上のダメージはほぼ皆無だったが、装備を貫通していないはずなのに、鋭利な刃が身体にめり込んでいく感触だけは生々しく伝わってきたのだ。


刺された箇所が頭や首だったら即死だったのではないか……そんな恐怖が、長いこと頭から離れなかった。


その後、出張先での不思議な巫女さんの導きによってタピオカくんと出会った。


正直、あの時点でセリーナの借金問題はすでに解決していた。もしタピオカくんと出会っていなければ、俺はセリーナが新しい住処を見つけたのを見届けた後、もう二度とログインしていなかったと思う。


セリーナが自分の店を持ち、レオンと出会い、彼女のお父さんを解放するまで走り続けられたのは……すべてノルン様がずっと俺たちを贔屓し、見守ってくださっていたおかげだろう。


リーンベル様の話によると、ノルン様は俺たちのためにわざわざ『セレアグ』と同じシステムを構築してくれたらしい。それに俺たちの精神が崩壊しないよう、俺達が見たこの世界の風景をゲームと同じアニメ調に変換して見せてくれていた。リアルなグラフィックのままだったら、モンスターを倒した際の血飛沫やグロテスクさに耐えかねて吐いていたかもしれない。


俺たちが聞く言葉を日本語に翻訳し、話す言葉をこの世界の言語に変換してくれていた配慮にも、心から感謝したかった。


もしセリーナとまともに会話すらできなかったら、俺にできたことと言えば、ただ大量の素材を彼女に押し付けて売らせ、機械的に借金を返済させることくらいだったはずだ。


まあ……何はともあれ、本当に楽しかった。


セリーナたちと過ごしたこの数ヶ月間の生活を、俺はきっと一生忘れることはないだろう。


心の底から、ノルン様へみんなとの出会いを感謝した——。



『精霊くん……? セリーナ? サクラリア?』

「精霊さん? タピオカさん?」

『セリーナ~! タピオカ様~?』


『精霊くん!!』


タピオカくんが俺の頬を引っ張り、俺はハッと祈りをやめて目を開けた。


そこは先ほどまでいた、石像が浮遊する満天の星空ではなかった。


俺たちは今、全面が鏡で覆われた箱の中に立っていたのだ。


「え……?」


俺は咄嗟に立ち上がり、目の前の壁を見る。いや、鏡ではない、ここは——!


『ここはエレベーター……ですね。50階に昇っています』


そう呟いたのは、サクラリアの中に憑依していたはずのタピオカくんだ。だが……なぜか彼女は魔法少女の姿に変身してたのか?


すると、すぐ隣から、俺が発したのではないセリーナの声が聞こえてきた。


「昇っている……!? この鏡の箱がですか!?」


声を上げたのは俺ではない。横を見ると、セリーナがいつも着ていた、あのお嬢様風魔法使いセットを身に纏った本物のセリーナだった。


『でも、昇っていると言っても、わたくしは普通に宙に浮いていますわ。ここは地面ではありませんの……?』


続けて疑問を口にしたのは、魔法少女姿のタピオカくんではなく——いつものキュートなピンク色のドレスを着た本物のサクラリアだ。サクラリアの素朴な問いに、魔法少女姿のタピオカくんが首をかしげながら答える。


『私もよく分からないけれど……エレベーターの中で浮いていたら、慣性で床に叩きつけられるはずじゃなかったかしら……?』


俺が視線を正面に戻すと、エレベーターの鏡のような扉に自分の姿が映っていた。


そこに映っていたのは、星月ドレスを纏ったセリーナの姿だ。


つまり……俺たちが石像に祈りを捧げた直後、俺とタピオカくんはセリーナとサクラリアの身体から完全に“分離”したのだ。


現在、このエレベーターの中にいるのは——


星月ドレスを着たセリーナ姿の俺。

お嬢様風魔法使いセットを着た本物のセリーナ。

魔法少女姿のタピオカくん。

ピンクドレス姿のサクラリア。


……計4人。


視界の端を確認すると、ミニマップもチャット欄も、HPやMPのステータスバーすら綺麗に消え去っていた。当然、心の中でメニューを開こうと試みても何の反応もない。


今更、誰ひとりとしてこの異常事態に疑問を挟む者はいなかった。相手はこの世界を創造した神様なのだから。


「ワタシたちは……分離したみたいですね」


俺がそう呟くと、サクラリアは魔法少女姿のタピオカくんに抱きつき、その両手を取ってエレベーターの中でくるくると浮遊しながら回り始めた。


『やっぱり?!わ~い! タピオカ様に直接触れられましたわ~!』

『あ~はは! サクラリア、落ち着いて!』


残された本物のセリーナは、じっとこちらを見つめている。


「精霊……さん……ですよね?」

「はい、飛べる豆腐の精霊さんですよ」


俺が優しく微笑みかけると、セリーナは弾けたような笑顔を見せ、勢いよく俺に抱きついてきた。


「精霊さん!! 触れられる精霊さんに初めて会えた気がします! すごく嬉しい……!」

「おっと……」


セリーナがこんなに喜んでくれているのなら、それで十分だ。エレベーターが到着するまでの間、俺は彼女を抱き返し、その頭を優しく撫でてやった。



ピンポーン



静かな電子音が鳴り響き、エレベーターが停止した。


「セリーナ、到着しましたよ」

「うん……!」


彼女は身体を離したが、繋いだ手だけはキュッと握ったままだった。ここがどこなのか、少し不安なのだろう。俺もその小さく暖かい手をそっと握り返した。


反対にタピオカくんの方は、まるでサクラリアをエスコートするかのように寄り添い、サクラリアは彼女にぺったりと貼り付いている。タピオカくんはやれやれといった表情を浮かべながらも、サクラリアの好きにさせていた。サクラリアはここがどこなのかなど微塵も気にしていない様子だ。


エレベーターの扉が静かに開く。


目の前に広がっていたのは、足音が完全に消えるほど分厚い高級絨毯が敷き詰められた廊下だった。壁には上品な間接照明と最高級の大理石……まるで超高級ホテルの最上階だ。


俺はタピオカくんと視線を合わせ、そっとエレベーターからその静寂な空間へと足を踏み出した。


全員が降り立つと、後ろのエレベーターの扉は自動で閉じ、再び下層へと降りていく。


「扉が勝手に閉じましたよ! 精霊さん!」

「そうですね。これは人を上へと運ぶための乗り物ですから」

「じゃあ……ここは空の上……なのですか?」

「どうでしょうね。でも大丈夫、ワタシも一緒にいますから」


セリーナは繋いでいた手を離し、俺の腕にしがみつくようにぎゅっと抱きついてきた。明らかに緊張している。サクラリアも無意識のうちにタピオカくんの背中へ隠れていた。


静寂の広がるエレベーターホールを見渡すと、このフロアには扉がたった一つしか存在しない。ホテルというよりは……超高級住宅のワンフロア一戸建てか?


扉へ近づくと、そこにはあきらかにファンタジーの世界観とは異なる現代的な電子ロックが設置されていた。上部には電子チャイムがついている。


言葉を発することなく、俺はタピオカくんに視線を送った。


お互いに頷き合い、俺は電子チャイムのボタンを押し込んだ。



ピッ、ポーン



中から「は〜い!」という軽やかな女性の声が響き、重厚な扉がすんなりと開いた。


そこに立っていた人物は——初対面のはずなのに、俺たちは全員その姿を知っていた。


先ほどまで祈りを捧げていた、あの石像の女神様だ!!


その女性——ノルン様は、リアルの俺たちと同じく30代半ばほどの年齢に見えた。石像のようにしとやかで優しそうな佇まいを醸し出す美人で、少しクセのある長い黒髪をなびかせ、私服のロングスカートにスリッパという極めて親しみやすい姿で俺たちを出迎えてくれた。


そして何より衝撃的だったのは……彼女はアニメ調のグラフィックではなく、現実世界の完全な「3次元の人間」としてそこに存在していたことだ。


ノルン様は満面の笑みで俺たちを歓迎してくれた。


「あ、いらっしゃい! 豆腐さん、タピオカさん、セリーナにサクラリアちゃん。ごめんなさいね、直前に急な仕事の電話が入っちゃって。そのせいであなたたちに長い廊下を歩かせることになっちゃったわ」


俺は慌てて仕事モードのスイッチを入れ、深々と頭を下げて返答した。


「いいえ、お招きいただき誠にありがとうございます、ノルン様」


当然、タピオカくんも素早く隣で一礼する。それを見たセリーナとサクラリアも慌てて一緒に深く頭を下げた。


だが、ノルン様はニコニコと微笑んだまま俺たちを制し、部屋の奥に向かって声をかけた。


「いいのいいの、そんな堅苦しくしないで普通に喋ってちょうだい。さあ入って入って! リーンベル、お茶を用意してちょうだい!」


リーンベル様も中にいるのか。知っている存在がいるのは実に心強い。俺は先頭立って部屋の中へと足を踏み入れた。


「お邪魔いたします」


玄関で靴を脱ぐと、セリーナは不思議そうな顔をしながらも、質問は挟まず俺の真似をして靴を揃えて脱いだ。妖精であるタピオカくんとサクラリアはそもそも靴を履いていないため、そのまま俺たちの隣で一緒に部屋へと入っていく。


室内へ歩を進めた瞬間、俺たちはここがどこなのかを完璧に理解した。


ここは間違いなく、都心に建つ超高級タワーマンションの最上階だ!!


部屋は無駄と思えるほど広く、リビングだけで2つ存在する。内装は絢爛豪華で、壁には超大型テレビ、意味深な名画、数百万円はくだらないであろう高級オーディオシステムが鎮座していた。


そして真正面にある巨大な展望ガラス窓からは——遮るもののない大パノラマ、そしてその先には雄大な「富士山」がそびえ立っていた。


「『え……ここ、日本……!?』」


俺とタピオカくんの声が見事にシンクロした。


ノルン様は「あっ、バレた?」とお茶目な声を上げ、俺たちを中央のガラステーブルへと促した。


床も椅子も見るからに超高額そうな代物ばかりで、俺とセリーナは恐る恐るソファーに腰を下ろした。タピオカくんは俺の肩、サクラリアはセリーナの肩にちょこんと腰掛ける。


対面にはノルン様が座り、続けて奥から20代後半ほどの黒髪の美しい女性が現れてノルン様の隣に腰掛け、俺たちに優しく微笑みかけてくれた。


(えっと……どちら様だ……?)


全員が着席すると、ごく自然な動作でリーンベル様が台所から高級感漂うティーポットとカップを載せたトレーを運んできた。


人数分の上質な香りが漂う紅茶を丁寧にセットすると、彼女はノルン様たちの背後にスッと立ち、完璧な待機姿勢をとる。ガチのメイドさんそのものだ。


ノルン様は優雅に紅茶を一口含み、朗らかに口を開いた。


「まずは自己紹介からね。私は星宮乃瑠羽ほしみや のるは。知っての通り、あなたたちが認識している『創造神ノルン』で〜す」


やっぱり、この方が創造神のノルン様だったか。では、隣にいらっしゃる方は——


「こちらのは妹の恵理砂えりさ。エリシアよ」


エリシア様は俺たちに向かって微笑み、軽く会釈してくれた。


おかしすぎる……ここは完全に日本だ。俺とタピオカくんは、今自分がゲームにログインしているのかどうかすら分からなくなるほどのリアリティを感じていた。


だが、ノルン様とエリシア様は現実の3次元の人間であり、俺たちとリーンベル様はアニメ調グラフィックのまま……それでも何の違和感もなく同じ空間に存在している。神様の超常的な力には脱帽するしかない。


女神様たちの自己紹介を聞いた瞬間、隣でずっと俺の手を握っていたセリーナの手がガタガタと震え始めた。横目をやると、セリーナは目をグルグルと回しながらぶつぶつと呟いている。


「あわわわわ……め、女神様!? 本当に存在していらっしゃった……! 私、本当にこんなところに座っていていいのでしょうか!? 立った方がいいですか!? いや座っているだけでも不敬ですわよね!? 跪きます!? 土下座!? あわわわわ……!」


完全にキャパシティをオーバーしているセリーナを見かねて、ノルン様は優しく語りかけた。


「大丈夫よ、セリーナ。ここはあなたたちの世界ではないの……そうね、豆腐さんたちの世界と言ったら分かるかしら。ここでは私たちもただの一人の人間に過ぎないわ。普通のお姉さんだと思って気楽にしてちょうだい。お茶を飲んでゆっくりしてね」


(いやいや……仮に俺たちの世界だとしても、タワマン最上階に住んでいる時点で全然普通のお姉さんじゃないですから!)


と、心の中で激しくツッコミを入れる俺だった。


セリーナは助けを求めるようにこちらをチラリと見てきたので、俺は優しく微笑みかけ、静かに頷いてやった。


「本当に……精霊さんたちの世界なのですか……?」

「はい、そうですよ。ワタシとタピオカくんが住んでいる世界です」


俺の言葉を聞いてようやく身体の震えが収まったのか、セリーナはゆっくりとカップを手に取り、お茶を一口含んだ。


「甘い……! 美味しいです! あ……申し訳ございません!」


当然のようにセリーナの肩に乗っていたサクラリアも、ここが俺たちの世界だと知って目を輝かせてソワソワしていた。今すぐにでもこの大豪邸を探検したそうだったが、一番偉い神様の前ということもあり、必死でその好奇心を押し殺しているようだった。


そんな二人の様子を、ノルン様たちは微笑ましいものを見るような温かい目で見つめていた。そして仕切り直すように、コホンと軽く咳払いをして本題に入った。


「ふふっ、大丈夫ですよ。サクラリアちゃん、お話が終わったら後で一緒に探検しましょうね……さて、話を始めましょうか。豆腐さん、タピオカさん。硬い話は抜きにして聞きますけれど……私の作った世界は楽しんでいただけましたか?」


予想外の、ストレートな質問だった。


俺はテーブルの上に降りてきたタピオカくんと視線を交わし、二人で同時にノルン様へ言葉を返した。


「はい。本当に、とても楽しかったです」

『私もです! 自分の翼で妖精のように自由にな空を飛び回ることができるなんて、夢のような体験でした』


隣のセリーナが小声で「女神様にそんなフランクにお話しして大丈夫なのですか……!?」とオドオドしていたが、当のノルン様は非常に満足気な笑みを浮かべた。


「良かった〜〜! ではセリーナ……あなたは今、幸せかしら?」


来た。エメラルダさんが最後に遺した願いの再確認だ。これを無事に答えられれば、最後のクエストが達成される。


セリーナは答える前に、俺、タピオカくん、そしてサクラリアの顔を順番に見つめ、深く吸い込んだ息を静かに吐き出してから口を開いた。


「はい……とっても幸せです!」


「精霊さんのおかげで、借金は無事に返済できました。かけがえのない親友のサクラリアにも出会えました。おばあちゃんにも巡り会えて……なぜかシルヴィアさんまで私を妹のように可愛がってくれました。自分の店も持てて、大好きなケーキ作りも思いっきり楽しめて……大切な人にも出会えました。これ以上を望んだらバチが当たってしまうくらい幸せです。精霊さんたちと過ごしたこの数ヶ月間は……本当に、とっても楽しかったです……っ」


最後の言葉を口にする時、セリーナは溢れ出そうになる涙を必死に堪え、声を震わせながらも笑顔を作って言った。サクラリアに至っては、すでにボロボロと大粒の涙を流している。


ノルン様は彼女たちの返答を優しく受け止め、今度はサクラリアに向き直った。


「ではサクラリアちゃん。あなたはタピオカさんのために創られた『器』だったけれど……楽しかったかしら?」


サクラリアは手背で涙を拭うと、セリーナの肩からテーブルの上へと降り立ち、ノルン様を見上げて胸を張った。


『わたくしは、自分がただの器として生まれた存在だと知っています。けれど……そんな器でしかなかったわたくしに、セリーナも、タピオカ様も、精霊様も、たくさん話しかけてくれて、色々なことを教えてくれて、一緒においしいお菓子を食べて、一緒に戦って、綺麗なお花や景色をたくさん見せてくれました! とっても、とっても楽しかったですわ! 三人とも、わたくしの大切で掛け替えのないお友達です……! だから……だから本当は、お別れしたくありませんの……っ!』


その健気な姿を見たエリシア様がそっと指を鳴らすと、背後に控えていたリーンベル様が黙って奥の厨房へと戻っていった。


ノルン様は穏やかな眼差しでサクラリアを見つめ、静かに問いかける。


「サクラリアちゃん……妖精の女王であるエルナから、何か話を聞いているのかしら?」

『はい……お母様からお聞きしました。精霊様たちが元の世界へお帰りになったら、わたくしの存在理由もなくなって……消えてしまうかもしれないと。だからわたくし……消えてしまう前に、叶わなくてもいいから、セリーナの代わりに女神様にこの思いをお伝えしたかったのです……!』


(あ……そういうことか!!)


サクラリアは元々、タピオカくんが憑依するための代わりの肉体として生成されたNPСだ。俺たちがこの世界から完全に去ってしまえば、彼女の存在意義そのものが消失してしまう。……本当に、彼女は消滅してしまうのだろうか!?


セリーナはテーブルの上のサクラリアを両手で優しく包み込み、「ありがとう……」と涙声で呟いた。サクラリアもセリーナの指にしがみつくように抱きしめ返している。


俺とタピオカくんも思わず青ざめた表情でノルン様を見つめ、その答えを固唾を飲んで待った。


するとノルン様は、困ったような苦笑いを浮かべて答えた。


「あらあら……そんなことを心配していたのね。大丈夫ですよ、サクラリアちゃん。あなたが消えることなんて絶対にありませんから」

『ほ……本当ですの……!?』

「当然でしょう? あなたが消えてしまったら、セリーナが幸せになれないじゃない」

『そ……そうですよね!! 良かった……良かったですわセリーナ! ずっと一緒ですわね!!』

「うん! ずっと一緒だよ……! ふふっ」


サクラリアはそのまま飛翔し、セリーナの頬へ嬉しそうに抱きついた。


そんな感動的な光景を見届けたノルン様は、パンと手を叩いて仕切り直した。


「まあ、エルナがまだ話していなかったみたいだから、あの話はまた今度にするわね。……さて、話を続けましょうか。セリーナ、あなたには今、2つの選択肢があります」


「1つ目は、普通の人間に戻ること。当然、システムによって作られたアイテムや機能はすべて消滅します。レベルも元のレベル5に戻り、スキルレベルも豆腐さんと出会う前の状態まで巻き戻ります」

「…………」

「2つ目は、今まで通り不定期で私たちの『仕事』を手伝う代わりに、今の能力や環境のまま生活することを許可すること。もちろん、システムにはいくつか制限をかけさせてもらうけれど……」


ノルン様の柔らかかった表情が、一瞬にして神としての真剣なトーンへと切り替わる。


「クエストの拒否権はなし。そして……死ぬまでよ」


「はい! 2つ目にします!」


微塵の躊躇もなく即答したセリーナの反応に、ノルン様は肩を透かされたように目を丸くした。


「(あれ……? ちょっぴり怖い言い方をして威厳を出そうとしたのに……やっぱり私、威厳が足りないのかしら……?)」


ノルン様がボソッと小さな呟きを漏らすのが聞こえてきた。


「コ、コホン! 本当にいいのですね、セリーナ?」

「はい! ぜひ私にお任せください!」


ノルン様は「あはは……」と引きつった苦笑いを浮かべた後、すぐにいつものニコニコ顔に戻った。


「まあ、あなたがそれを選ぶのは当然といえば当然よね。リーンベルも『人手が足りない』って零していたし……セリーナ、あなたを彼女の『直属の部下』に任命します! 良かったわね、リーンベル。さあ、決まったならお祝いにしましょう!」


その言葉に応じるように、奥から戻ってきたリーンベル様が淡々とした棒読みで応じる。


「ソウデスネ。ヒトテガタリナイノデス。アリガトウゴザイマス、ノルンサマ」


彼女が手に抱えていたのは、繊細な飴細工で作られた見事なバラの花束が飾られている、信じられないほど豪華なホールケーキだった。


先ほどまで怯え、混乱し、泣いて笑って感情が忙しかったセリーナとサクラリアは、見たこともない芸術的なケーキを目にして一気に大興奮状態に陥った。


……まあ、ノルン様は最初からセリーナをリーンベル様の部下にするつもりだったのだろう。


もし1つ目の選択肢を選べば、セリーナの店も、手に入れた規格外の力も、現在の装備もすべて消滅する。残るのはガンド村の実家と、これまでに貯めた大金のみだ。システム仕様の便利な家具や魔法で快適な生活に慣れてしまった後で、急に厳しい泥臭い元の生活レベルに戻されるのは苦痛でしかない。


それに“神様”の時間の尺度から見れば、人間の一生などほんの瞬き程度に過ぎない。イレギュラーだった別世界線のゼノヴィウスの件も片付いた今、人間一人の一生のうちに、一体どれほどクエストが発生するというのだろうか。おそらく数えるほどしかないはずだ。実に合理的な判断である。


俺たちにとっては「凄く高そうでおいしそうな高級ケーキ」に過ぎなかったが、セリーナとサクラリアにとっては、あしらわれた美しい飴細工の技法すらも同じ菓子つくりの人としての参考価値が計り知れない宝物に見えているようだった。


リーンベル様がケーキを綺麗に切り分けて全員に配り終えると、今度はノルン様の隣に座っていた女神エリシア様が俺たちに向かって深々と頭を下げた。


「それでは、今度は私の番ですね。豆腐さん、タピオカさん、そしてセリーナたち。私の個人的な願いを聞き入れて手伝ってくれて、本当にありがとうございました」


(え? 何のことだ……? 俺たちはエリシア様と直接お会いしたことはないはずだが……あ!)


以前、大聖堂でリーンベル様が言っていたことを思い出した。俺たちが受けていた一連のクエストは、すべてエリシア様の発注によるものだったのだ。


ケーキに夢中になっているタピオカくんとセリーナたちに代わり、俺が丁寧に返答した。


「滅相もございません。当然のことをしたまででございます」

「シルヴィアの件は、本当にギリギリのタイミングになってしまってごめんなさいね。あの時、お姉ちゃんの許可が出るのが遅くなってしまって……」

「ん? なあに?」


口いっぱいにケーキを頬張りながら、「何の話かしら?」と言わんばかりの顔で首をかしげるノルン様。エリシア様はジト目で実の姉を睨みつけた。


「お姉ちゃん! シルヴィアはお姉ちゃんが作った思い入れのあるメインキャラだったんだから、許可をもっと早く出してくれなきゃ救えなかったんだよ!?」

「え〜? だってぇ……あの日は夜遅くまで会議があったんだもん〜」

「言い訳しないの!」


(ほう……とても異世界の高位女神同士の会話とは思えないな……)


隣で同じくケーキを美味しそうに食しているタピオカくんと目を合わせると、彼女も「ねぇ〜」と苦笑いを浮かべていた。どうやら同じ感想を抱いたらしい。


和気藹々とした雰囲気の中でケーキを食べ終えると、リーンベル様が新しく淹れ立ての紅茶を運んできた。


そこで、ノルン様が凛とした声でリーンベル様に指示を出した。


「リーンベル。豆腐さんたちと少し真面目なお話をしたいから、セリーナたちをお願いできるかしら?」

「かしこまりました」


リーンベル様は最新型のタブレット端末を手に取ると、セリーナとサクラリアを促して、大型テレビが設置されたもう一つのリビングエリアへと移動していった。


セリーナたちは巨大な窓から見下ろす現代日本の風景を目にして、再びテンションを爆発させている。


その後、リーンベル様はタブレットの画面を二人に示しながら、恐らく今後の業務のレクチャーを始めたようだった。


そう納得した俺たちに向かって、残されたノルン様とエリシア様が向き直った。


「ここからの話は、セリーナたちには聞かせない方がいい内容だから、言語を『日本語』に切り替えているわ。私に聞きたいことがあれば、遠慮なく何でも質問してちょうだいね」


「……ありがとうございます」

『ありがとうございます』


ここからは、俺たちプレイヤーと神様たちとの、本当の意味での「答え合わせ」の時間のようだ。

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