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94 ノルンの神殿

セリーナたちと楽しく過ごした最後の一週間は終わり、昨日シルヴィアたちと打ち上げという送別会を行った。


大聖堂で打ち上げをした翌日、シルヴィアは朝早くから王城へ向かい、王国から厳重な警護の中で邪竜の魂の欠片を抱え、聖王国へと出立していった。


俺とタピオカくんは朝一番でログインし、シルヴィアを見送りたかったのだが……それは叶わなかった。シルヴィアは俺達がリアルで起きるのとほぼ同時に、すでに出発していたからだ。


でもまぁ、セリーナたちは俺達の代わりにしっかり見送りができたみたいだし、昨晩もかなり長く話せたから、彼女ならもう大丈夫だろう。


ログインした俺たちはマティルダ様と別れ、臨時拠点を経由して、朝早く翠夢の森の小屋へと戻った。


クラリス夫人は聖女歓迎パーティーのおかげで、最近この国の王妃様からの注文を受けることになった。そのため小屋に戻ると、すぐにバールヴィレッジへと繋がっている扉に入り、彼女を自身の店である『リリアナローズ』まで送り届けた。


こうして小屋に残ったのは、当たり前のようにここに居座っている妖精の女王様と、休みを取ったレオン、そして俺たちだ。最後のクエストを始める前に温かいお茶を淹れ、みんなで一休みすることにした。


女王様はお茶を優雅に飲みながら、俺たちに尋ねてくる。


『そなたたち、一休みの後、すぐに神殿に向かうのかい?』


ハーブティーを一口含み、俺は女王様に答えた。


「はい、そのつもりです。このクエストを開始したら、いつ終わるか分かりませんから。もしワタシたちが本当にこのクエストの終了と同時に元の世界へ戻ることになった場合、セリーナたちは転移が使えなくなります。ガンド村に戻るにも時間がかかりますので、早めに出発させたいのです」


タピオカくんがそこに補足を入れる。


『それに、私たちが去った後、メニューの力も消えてしまうかもしれないわ。その時、セリーナたちの実家とこの小屋を繋いでいる扉が消えてしまったら、馬車で翠夢の森に近い街まで移動する必要があるものね』


女王様は少し思案するように目を細め、言葉を続けた。


『確かに、この小屋は妾の力によって地脈と繋がっておるゆえ、消えはせぬはずじゃ。じゃが、あの別の場所に一瞬で移動できる奇妙な扉には、妾の力も干渉できぬからな……。そっか、ではセリーナ、サクラリア、戻る時は道中気をつけるのじゃぞ』


俺たちはチャット欄に表示されたセリーナとサクラリアのメッセージを代弁した。


「セリーナは『分かりました』と言っています」

『サクラリアからは『冷蔵庫にあるチョコケーキを食べきられないように、わたくしの分を残しておいて』と……』


メニューの力が消えてしまえば、この小屋自体が女王様の力で残ったとしても、中の家具は恐らく消えてしまうだろう。もちろん冷蔵庫も、あれは単に料理と食材用の別枠ストレージに過ぎないからな……。まあ、セリーナは自分でチョコケーキを作れるから大丈夫だろう。


ここで、隣に座っていたレオンが女王様に向き直った。


「女王様、ご安心ください。もし本当にアリスさんたちの力が消えたとしても、セリーナと姫様は俺が絶対に守ります」


そう、今回のクエストにはレオンも一緒に行くのだ。


俺とタピオカくんも懸念していたのだが、自分たちが去ればメニューの機能は失われる可能性が高い。所有している装備や素材も消えてしまうかもしれない。だから今、セリーナはいつものお嬢様風魔法使いセットではなく、以前から着ていた普通のスカートを身につけている。


それに加えて……もし創造神様が、この世界にとって規格外すぎるセリーナとサクラリアのレベルまでリセットしてしまったら? レベル1に戻った二人を外に残すのはあまりにも危険だ。だからこそ、レオンにお願いしたのだ。


『そうか……レオン。セリーナと娘を頼んだぞ』

「かしこまりました」


お茶を飲み終え、一休みした俺たちは、金と数日分の食料、水を準備し、いよいよ“ノルンの神殿”へ向かおうとした、その時——。


『待っておくれ!』


心配そうな表情を浮かべた妖精の女王様が俺たちの前に飛んできて、少し無理をした笑顔を浮かべながら言った。


『精霊殿たち、元気でな。妾は久しぶりに人間と交わることができて、本当に楽しかったぞ』


当然、俺たちも笑顔で答えた。


「ワタシたちも楽しかったのです。女王……エルナ様に会えて、本当に嬉しかったです」

『私もエルナ様に会えて嬉しかったです! 元気でね!!』


エルナ様はタピオカくんを抱きしめ、続けてセリーナに憑依している俺の頬にもそっと抱きついてくれた。


それから、いつもの女王様の表情へと戻り、セリーナたちへと言葉を投げかける。


『サクラリア、セリーナ。妾はここで待っておるゆえ、必ず帰ってまいりなさい』


セリーナ:もちろんです! 例え力がなくなったとしても、私は必ずここに戻ってきます!

サクラリア:安心してくださいませ! わたくしが絶対、セリーナをここに連れ戻してみせますわ!


俺たちはセリーナたちの言葉を代弁した。システムメニューの時間を確認すると、そろそろ午前の9時になる。最後にエルナ様へ深く一礼をし、小屋にあるガンド村のセリーナの実家と繋がった扉をくぐり、その玄関から外へと踏み出した。



-----------------------------------------------------------



セリーナの家から出ると、なんと目の前に二人の兵士が立っていた。

レオンがすぐさま警戒して前に出たが、兵士たちは家から出てきた俺たちを見るやいなや、まるで化け物でも見たかのようなリアクションを見せた。


「えっ!? な、中から人が出てきた!?」

「に、人間か!?」


おそらく、俺がこの世界に来た時にセリーナの実家を『非公開』に設定したため、許可していない人物からはセリーナのカフェと同じように結界のようなもので守られ、中に入れなかったのだろう。しかもここ数ヶ月の間、セリーナがこの家に入っていく姿は目撃されてなく、中から出てくる姿は誰も見ていなかった。だからこそ、中から突然人が現れたことに驚愕……いや、絶句しているのだ。


俺は何も知らないフリをして、兵士たちに声をかけた。


「すみません、ワタシはこの家の持ち主です。昨晩戻ってきたのですが……何か問題でもありましたか?」


兵士たちは会話が通じる普通の人間だと理解し、コホンと咳払いをして体勢を立て直した。


「あ、いや……申し訳ない、お嬢さん。この家は長らく誰も出入りしておらず、不思議な力で守られているのか誰も入れなかったんだ。……お嬢さんが持ち主ということは、もしかしてセリーナさんかい?」

「はい、ワタシがセリーナです」

「なるほど! これでようやくガンド村に住んでいる全員の登録が完了したな」

「登録……ですか? 申し訳ございません、ここ最近はずっと別の街におりましたので……一体何があったのですか?」

「ああ、数ヶ月前にこの村の村長が未許可の奴隷売買と村人への詐欺行為で領主様に捕まってな。それに最近、ナイジェリアの森の中でダンジョンが解放されたんだ。国が管理することになったため、領主様のご命令でガンド村全体を再開発している最中なのさ」

「なるほど……そういうことだったのですね」


村長の件に関して、セリーナは被害者であり告発者でもあった。あの時は下手に取り調べを受けたら不味いと思い、ガンド村には近づかないようにしていたのだ。


……ま、まあ、主に村長の家に不法侵入して証拠を盗み出したり……村長を成敗した後、村人たちと勝手に村長が騙し取った金を回収したり……勝手に村長が隠していた酒と食材で宴会を開いたり……。最後のこと以外、この村を避けていた理由はだいたい俺のせいだな。はい、本当にごめんなさい。


それにゲームと違って、攻略さえできればダンジョンは宝の山だ。国が管理に乗り出すのも当然の流れだろう。


あれから数ヶ月が経過し、予想通りあの件に関する捜査もひと段落したらしい。兵士の二人は一通りの説明を終えると、そのまま去っていった。


セリーナ:良かった……! もし私たちが捕まって、

セリーナ:『どうやって村長の借用書を手に入れたんだ』なんて聞かれたら、

セリーナ:どう説明すればいいのか分からなかったわ……。


「その時は『アリスという冒険者からもらいました』で大丈夫ですよ。今の“アリス”はあの時の謎の冒険者ではなく、聖女様の精霊ですからね。きっとこれ以上は深く突っ込まれないと思います」


俺がそう返すと、セリーナもすぐにチャットで返事をした。


セリーナ:それもそうですね! 分かりました!




俺たちはセリーナの家を離れ、村の中を歩き始めた。胸元に身を隠しているタピオカくんと、サクラリアは村について話し出した。


『ここが、あのガンド村なの……? 私が知っている雰囲気とはだいぶ違うわね。そんなに貧乏くさく見えないわ』


サクラリア:村とは思えないくらい人が多いですわね。

サクラリア:ここは本当に、セリーナが話してたあの村なのですか?

セリーナ:えっと……私の見間違いじゃなければ、この数ヶ月で村がすごく変わったみたい……。


確かに、以前訪れた時とは大違いだ。村を囲む柵は高く頑丈になり、数は多くないものの兵士が巡回して治安を維持している。同じ木造建築ではあるが2階建ての建物が増え、明らかに大工や冒険者と思われる人々で行き交っていた。


ここで、エルフのランタンの光がない屋外では、タピオカくんやセリーナたちの声は聞こえていないはずのレオンが、すごく自然にその会話に乗っかってきた。


「ここはセリーナの実家か……噂によると、ここの領主は森のダンジョンのために、ここを新たな拠点として作り直すつもりらしいぜ」

「あ、はい。実はセリーナたちも『村が大きく変わった』と話していたところです」

「おお、そうなのか! ほら、あっちを見てみろよ。森からダンジョンへ続く道を開拓しているぜ」


レオンが森の方角を指差す。そこにはまだ距離こそ短いものの、森を切り開き、馬車が通れるほどの道路が建設されつつあった。


「本当ですね。あの時、ダンジョン前にいたクリスタルゴーレムの倒し方をエルドラーナさんに教えたことが、まさかここまで影響するなんて……」

「えっ!? あのクリスタルゴーレムの倒し方はアリ……セリーナたちが領主様に教えたのか!?」

「はい、あの時は成り行きでそうなってしまいまして……」

「へぇ〜! 面白そうだな、後で詳しく聞かせてくれよ!」

「話すと長くなりますので、後でセリーナから聞いてくださいね。……セリーナ、よろしくお願いしますね」


セリーナ:えっ!? は、はい、分かりました!

セリーナ: でも、あの遺跡ダンジョンの話はそんなに面白くないですよ……?

サクラリア:そうですわね。あのダンジョンの敵は弱いですし、

サクラリア:周回しすぎて少し飽きてしまいましたわ。


タピオカくんがすぐさま二人にツッコミを入れる。


『セリーナ、サクラリア、私たちはあのダンジョンを何十回も周回したけれどね……この世界の人たちの平均レベルからしたら、あれは立派な高難度ダンジョンなのよ……?』


セリーナ:あ! そうでした……! じゃあ後でレオンくんに話しますね!

サクラリア:ふふ、わたくし的には『覇者の塔』のお話の方が絶対に面白ろいと思うわ!


いつものような賑やかなやり取りを交わしながら、俺たちはガンド村を後にし、神殿の方角へと歩を進めた。


創造神ノルン様が俺たちに配慮してくれたのか、本来ならマップの遥か北端にあるはずの神殿が、驚くほど近くに配置されている。1時間半ほど歩くと、ミニマップに表示されたガンド村の南に位置する山の裾野へと辿り着いた。


しかし、目の前には神殿らしき構造物は一切存在しなかった。レオンが思わず首をかしげる。


「えっと……アリスさん。本当にここに女神様の神殿があるのか? ここには何もなさそうだけど……」

「確かに、このあたりのはずなのですが……」


ミニマップに表示された目的地の方角へ向かって数歩踏み出した、その瞬間——濃い霧が周囲を立ち込めた。


ほんの一瞬の出来事だった。俺が慌てて後ろを振り返ると、そこにいたはずのレオンの姿が消えていた。


「レオンさん!?」


俺はすぐに胸元に隠れていたタピオカくんを探す。


「タピオカくん!」

『私はここにいるよ!』

「良かった……!」


チャット欄にもセリーナたちの焦ったメッセージが次々と浮かび上がる。


セリーナ:レオンくん!?

サクラリア:周りの景色が変わっていくわ……!


元々広がっていた草原が水面の波紋のように揺らぎ、周囲360度すべてが満天の星空と銀河に包まれた幻想的な空間へと変貌していく。そして目の前には、一軒家ほどの大きさの石造りの建物が、まるで最初からそこにあったかのように唐突に佇んでいた。


俺はすぐにミニマップを確認する。当然ながら、ミニマップには何の反応も表示されていない。


「どうやら、ここが〈ノルンの神殿〉のようですね。レオンさんは関係者ではありませんから、ここには入れなかったみたいです」

『そうね、ここは完全に独立した別空間だもの』


ゲーマーである俺とタピオカくんにとっては馴染みのある展開だったため、今の状況をすぐに受け入れることができた。しかし、セリーナたちは突然姿を消したレオンのことを心底心配しているようだ。


セリーナ:ここが神殿だとして……レオンくんは一体どこへ消えてしまったのですか!?


神様がわざわざレオンを消滅させる意味なんてない。どうせ現地の草原に取り残されているだけだろう。俺はセリーナを落ち着かせるために優しく声をかけた。


「大丈夫ですよ。レオンさんは恐らくここに招待されていないだけで、元いた草原の場所にそのまま残っているはずです。心配しなくても大丈夫ですよ」


セリーナ:ほ、本当ですか……?


「リーンベル様がおっしゃっていたでしょう? 『創造神ノルン様の存在は他人に知られてはならない』と。だから彼をここへ入れないようにしたのです。祈りを捧げてここを出れば、すぐに会えますよ」


セリーナ:そう……ですね。分かりました!


セリーナたちもようやく落ち着きを取り戻したため、タピオカくんは胸元から這い出ると、俺の肩の上にちょこんと乗り直した。俺たちは目の前に立ちそびえる神々しい神殿の中へと足を踏み入れた。


神殿の中に入り、中央に敷かれた石造りの長い廊下を真っ直ぐに進む。歩いても歩いても突き当たりは見えなかったが、なぜだか「このまま真っ直ぐ進めばいい」ということだけは感覚で理解できた。


歩く手持ち無沙汰を紛らわせるように、俺たちは会話を交わしながら前進する。


セリーナ:最後ですから……精霊さんに一つ聞きたいことがあるんです。


「はい、何でしょう?」


セリーナ:精霊さんの本当のお名前って……“豆腐”さんなんですか……?

サクラリア:そうそう! “豆腐”様ですわね!


(え……!? な、なんでそれを知っているんだ!?)


俺は思わず足を止めてしまった。


肩の上のタピオカくんが、俺に代わって尋ねる。


『セリーナたち、どうしてそれを知っているの……!?』


セリーナ:えっ? 武闘祭の時、精霊さんが魔剣に刺されたじゃないですか。

セリーナ:あの時、タピオカさんがそう叫んでいたんです!

サクラリア:そうですわ! どうしてあの緊迫した場面でタピオカ様が『豆腐』とおっしゃったのか、

サクラリア:ずっと疑問だったのですわ!

セリーナ:それで先日、タピオカさんのお名前の意味が飲み物だと知って……

セリーナ:もしかしてあの時言っていた『豆腐』というのは、精霊さんのお名前なのかなって……。

サクラリア:今の精霊様のリアクションを見るに、本当に豆腐の精霊様だったのですね!


(はぁ〜〜〜……! だから俺のプレイヤー名を知っていたのか……! あの土壇場なら仕方ないか……)


俺は再び脚を動かし、セリーナたちに苦笑交じりに告白した。


「……はい。ワタシの本当の名前は“飛べる豆腐”です」


タピオカくんもこの流れに乗って、本当のプレイヤー名を明かした。


『まあ、私の本当の名前も“タピオカ”だけど、正式な名前は“午後のタピオカ”なのよね』


セリーナ:飛べる豆腐さん……午後のタピオカさん……ですね!

セリーナ:しっかり覚えました!

サクラリア:わたくしも覚えましたわよ!

サクラリア:タピオカ様のは略称ですが、

サクラリア:どうして豆腐様はわたくしたちに本当のお名前を教えてくださらなかったのですか?


普通のゲーマーならクスッと笑うかツッコむような奇抜なハンドルネームだが、セリーナたちは何の疑問も抱かず素直に受け入れてくれた。


最後なのだから、俺も正直に理由を明かすことにした。


「そうですね……セリーナ。もしワタシと最初に会った時、ワタシが『飛べる豆腐』なんて名前を名乗っていたら、素直に受け入れられましたか? 名前を聞いただけで怪しまれたと思いますよ。だからあの時のワタシは、自分のことを『名前のない精霊』ということにしたのです。その方が、見知らぬ存在が身体に入ってくるのを受け入れやすいでしょう?」


セリーナ:確かに……あの時の私は全然余裕がありませんでしたから……。

セリーナ:もし『精霊』ではなく『豆腐の精霊』が身体を動かすと言われたら……

セリーナ:ちょっと身構えていたかもしれません……。


「隠すつもりはなかったのですが、あなたたちも『精霊さん』と呼び慣れてしまいましたからね」


セリーナ:ふふ、そうですね。今さら『豆腐さん』って呼ぶのも私自身しっくりきませんし……

セリーナ:このまま『精霊さん』って呼ばせてください!

サクラリア:そうですわね! わたくしも『精霊様』と『タピオカ様』の呼び方に慣れてしまいましたから、このままにさせていただきますわ!


「ふふ、ありがとうございます」


セリーナ:でも……精霊さんたちの世界には、本当に飛べる豆腐がいるのですか?


タピオカくんが間髪入れずにツッコミを入れた。


『ううん、これは私たちが自分たちで考えた“名前”なだけよ!』


セリーナ:自分で考えた……?


(あ……これ以上は『ゲーム』や『プレイヤー名』という触れてはならない世界の根幹に踏み込んでしまうな)


俺はピタリと足を止めた。そして強引に話題を打ち切ることにした。


「……はい! その話は後にして、そろそろ進みましょうか。どうやら目的地に到着したようです」


目の前の廊下が、まるで光学迷彩のように揺らめいている。あれがこの道の終点だろう。


気持ちを引き締め、その揺らめきに触れた瞬間——石造りの長い廊下が一瞬にして荘厳な聖堂へと切り替わった。


そして目の前には、この世界の創造神——ノルン様の石像が静かに浮遊していた。


大理石の台座の上に浮かぶ、全高3メートルほどの女神の石像。


その姿を目にした瞬間、それが石で作られた造形物であることを忘れ、一瞬息を呑んだ。


石像は女神の名に違わず、目を閉じた慈愛に満ちた美しいお顔をしており、その背後には石とは思えないほど長くしなやかそうな髪が広がっている。


纏っているのは古代の衣装を思わせるシンプルかつ洗練されたドレスで、薄く柔らかそうな布地が重ねられ、まるで風になびいて身体に美しく吸い付いているかのように、硬質な石を感じさせない滑らかな曲線で完璧に彫り込まれていた。


ただの石像であるはずなのに、衣装の表面からは本物のシルクのように淡い銀色のオーラが放たれている。


これは俺たちオタクが普段口にする「神々しい」という言葉の次元を遥かに超えていた。まさに本物の神性を前にした時の、言葉を失うほどの圧倒的存在感。


誰も声すら発することができず、まるで時間が停止したかのように、その場にいる全員が石像から目を離せなくなっていた。


しばらくして、視界の左上に表示されていたクエストの進行状況が【石像の前で祈りを捧げる】へと更新された。そのシステムの通知のおかげで、ようやく俺たちの止まっていた時間が動き出した。


「素晴らしい像ですね……まるで今にも動き出しそうです」


タピオカくんも俺の肩の上で深く頷いた。


『そうね……これが石だなんて信じられないわ。本当にすごい……』


当然、チャット欄にも絶賛の嵐が巻き起こる。


セリーナ:このお方が、創造神ノルン様……なんて美しいのでしょう……。

サクラリア:本当に……とても優しそうなお顔をされていますわ。

サクラリア:でも、わたくしたちは一体何をお祈りすればよろしいのかしら?


サクラリアの疑問に、俺は優しく答えた。


「そうですね……創造神様に、ワタシたちの出会いや、これまで与えてくださった素晴らしい日々への感謝を捧げるのはいかがでしょうか」

『日頃の感謝を伝えるのは大切……ね』


そう言葉を交わした俺とタピオカくんは、鏡のように磨き上げられた大理石の床へそっと両膝を突いた。

胸の前で両手を合わせ、細い指先を優しく絡めて固く握りしめると、静かに瞼を閉じて女神の石像へと思いを馳せた。


セリーナたちも『なるほど』と短くメッセージを残した後、チャット欄は静寂に包まれた。


俺たちは静かに目を閉じ、心を込めて石像へと祈りを捧げ始めたのだった。

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