86 改変の始まり
どうやら次の【クエスト】は、別の世界線から迷い込んだ魂——“ゼノヴィウス”の排除ということになるらしい。
そのゼノヴィウスの魂は、あろうことかセリーナのお父さんの身体を乗っ取っているというのに……当のセリーナは偽父親をボコボコにした上、ついでにゼノヴィウスがガンド村の元村長から借りていた借金を回収してやると息巻いている。
リーンベル様もシステム経由でチャット欄のメッセージを目にしていたのだろう。今回の討伐対象がセリーナの実の父親の肉体であるため、気遣うように彼女へ問いかけた。
「セリーナ様、本当に大丈夫でしょうか? 相手はお父様の肉体でございますが……」
セリーナ:はい! 私はまったく問題ありません、リーンベル様!
セリーナ:あれはただ身体がお父さんなだけで、中身は別物です。
セリーナ:むしろ偽物をボコボコにするのは娘である私の役目だと思います!
セリーナ:それに、あの身体の中にいる奴は、
セリーナ:自分自身の借金を私とお母さんに押し付けて逃げた最低の人でなしです!
セリーナ:だから私は、今すぐにでも金を回収……コホンッ!
セリーナ:彼をボコボコにして、お父さんの身体を解放してあげたいのです!
セリーナ……思わず本音がポロリと漏れ出ているぞ。まあ、彼女は普段から滅多に嘘をつかない性格だ。どうやら空元気などではなく、本気でゼノヴィウスを痛めつけたいと思っているらしい。
彼女の力強い言葉を聞き、リーンベル様は今回のクエストに関する具体的な条件を語り始めた。
「左様ですか。セリーナ様にそれほどの意気込みがおありでしたら安心いたしました。……通常であれば、以前のようにシステムを通じて直接クエストを発行すれば済む話なのですが……今回は女神エリシア様より、『聖女シルヴィアとダリオンの手によって解決させてほしい』とのご要望がございます。アリス様方には、今回は裏方に回って彼らをサポートしていただきたいのです」
「えっと……それは一体どういうことでしょうか?」
「別世界線のゼノヴィウスが介入した影響により、この世界の歴史のスケジュールはおよそ1年ほど前倒しになっております」
「そうですね。未来の知識を持つゼノヴィウスの暗躍によって、武闘祭の事件も本来より早く実行されました」
「はい。私どもの誘導により、ダリオン様たちも何とか武闘祭の現場に間に合わせることはできました。ですが、実際の戦局を動かしたのはアリス様方です。現状のダリオン様と聖女シルヴィア様には、今後の歴史を牽引するに足りる大きな手柄がまだ不足しているのです」
「なるほど……だからこそ、別世界線のゼノヴィウスの件を逆に利用して、彼ら二人の『実績』として表舞台に立てるおつもりなのですね?」
「おっしゃる通りでございます、アリス様」
そう言うと、リーンベル様は俺たちに向かって深々と頭を下げた。彼女は完全に神の陣営に属する高位の存在であり、立場としては俺たちよりも遥かに上だ。俺は慌てて彼女を制した。
「いえいえ! リーンベル様、頭を上げてください! セリーナやアリスにとっても、手柄はシルヴィアさんたちに譲った方が都合がいいのです」
俺の言葉を引き継ぐように、タピオカくんが首元から同調した。
『そうですわ! “アリス”としては、これ以上表舞台で目立ちたくありません。下手に名声を上げて注目されれば、アリスの正体がセリーナだと露呈するリスクが高まります。だからその条件は、むしろこちらとしても大歓迎です』
俺たちの言葉を聞き、リーンベル様は静かに顔を上げた。なるほど……わざわざこの執務室に留め置き、直接対話で説明してくれたのは、この特別な条件があったからか。
それもそうだろう。何の説明もなく突然「今回は裏方に徹しろ」というクエストをシステム経由で提示されれば、色々と疑問が生じる。仮にクエストを達成できたとしても、神々が意図した通りの展開にならなければ意味がない。ホウレンソウの徹底は、どの世界においても基本だ。このクエストはこの世界にとっては極めて重要なミッションと言えるだろう。
神々の立場上、下界の歴史に直接手を出して介入することはできないだと思う。だからこそ、動ける俺たちの協力が不可欠なのだ。これまでもシステム面などで数々のサポートを受けてきた以上、断る理由などどこにもない。
……このクエストが無事に終われば、いよいよ「アリス」は本当に表舞台から引退することになるかもしれないな。
っと、その前に。目立たない形でシルヴィアたちを完璧にサポートする方法を考えなければならない。
「分かりました、リーンベル様。例えば……シルヴィアさんたちに…………」
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二週間後の夜。
ここはエルセリス王国——カースティア伯爵領。
新年が明け、先週行われた『初星祭』の事後処理という膨大な書類仕事をひと段落させたエドガーは、伯爵邸の自室へと戻っていた。
グラスに赤ワインを注ぎ、ソファーに深く身体を預けて一息ついたその時、扉から規則正しく控えめなノック音が響いた。
ゴン、ゴン。
「ハンスでございます」
「入れ」
執事のハンスは、厳重に包まれた『ある物』を手に部屋へと入ってきた。
彼はおもむろにそれをソファー前のローテーブルの上へと置き、脇に佇む。
「例のブツの鑑定報告が上がってまいりました」
ハンスがテーブルの上の四角い布を重々しく広げると、そこから息を呑むほど透き通った、完璧な透明度の水晶玉が現れた。
だが、それはただの美しい水晶玉ではない。あまりにも高密度な魔力が閉じ込められている証拠に、水晶玉のまさに中心部——極めて狭い空間の中にだけ、まるで極小の荒嵐を閉じ込めたかのような紫色の雷が絶え間なく走り続けていた。音など聞こえるはずもないのに、耳の奥でパチパチと弾けるような錯覚を覚える。
「……で? 鑑定の結果、これは何だと?」
ハンスは申し訳なさそうな表情を浮かべ、エドガーに頭を下げた。
「領内で最高の腕を持つ鑑定士の見立てによりますと……この水晶玉はダンジョン内で生成された『古代兵器のコア』の一種である可能性が高い、としか判別できませんでした」
「古代兵器のコアだと? あの四脚魔導砲の類ですら、これほど巨大なコアは使われておらんぞ……」
「はい。恐らくは……未確認の、より強力な古代兵器の遺物かと推測されます」
エドガーはワインを一気に煽り、忌々しげに吐き捨てた。
「チッ……まあいい。後で裏のオークションに出して資金に換えろ」
「かしこまりました」
『邪竜の魂』と思い込み、あの女冒険者アリスの手から力ずくで奪い取ったこの水晶玉の話は、これで終わりとなった。
「……ときに、あの『アリス』という女冒険者の足取りは掴めたのか?」
「申し訳ございません。彼女は一時、毎週のように迷宮都市の『裁きの塔』に出没しておりましたが……最近になって完全に姿を消したようです。先日の王宮パーティ以降、彼女の目撃情報は一切途絶えております。調べによりますと、彼女は聖女様のご友人らしく、最初に姿が確認されたのは辺境のバールヴィレッジとのことですが……それ以上の足取りは掴めておりません」
「使えん奴らめ……。では、聖女の方はどうなっている?」
「聖女様は現在、当伯爵領の南東に位置する『ウェルズの森』にて、水源の調査を行っておられるとのことです」
「こちらへ挨拶に来るとの連絡はあったか?」
「今朝がた手寝が届きました。森の水源は大量のモンスターの不自然な死骸によって汚染されていたようですが、すでに浄化・撤去作業は完了したとのこと。当邸へのご招待には感謝しつつも、『他の公務が控えているため、このまま直接王都へと帰還する』と記されてございました。……なお、聖女様が急遽当邸へお立ち寄りになられた場合でも、館全体の受け入れ準備は完了しております」
「そうか。もう下がってよい」
「かしこまりました」
ハンスの報告が終わり、彼は静かに部屋から退室していった。
それと入れ替わるように、半開きの窓から一羽の『魔力鳥』が滑り込んでくる。鳥はエドガーの手元に触れた瞬間、一通の密書へと姿を変えた。
エドガー……否、ゼノヴィウスは苦々しい表情でその手紙に目を通した。
(チッ……あれほどの数のモンスターをあの森へ誘導してやったというのに、聖女の抹殺は失敗か……。しかも水源問題を解決しておきながら、目と鼻の先にあるこのカースティア伯爵家に挨拶すら寄らず立ち去るとは。まさか、こちらの企みに感づかれているとでも言うのか……?)
彼はグラスを指で弄びながら、忌々しげに思考を巡らせる。
(前の歴史では報告書でしか知らなかったが、先日催されたパーティーで俺は初めて今の聖女とダリオンの姿を直接確認した。……聖女に即位したばかりのあの女は、恐らく前の歴史の同時期よりも遥かに弱体化している。おまけにダリオンの周囲にも、前の歴史の報告にあった強力な仲間たちの姿は一人としてなかった。今の彼の連れは、レオンという程度の低い冒険者たった一人……。聞き及んだ話では、すでにパーティーも解散したという。どうやらあいつはまだ、あの時の仲間たちと出会えてすらいないらしい)
(……だが、解せん。俺は未来の知識を使い、我が組織『奈落の七印』の人材を前の歴史よりも多く、そして強く育成してきたはずだ。だというのに、なぜあの二人すら始末できず、この歴史は前よりも悪い方向へと転がっている……?)
(この歴史では、あろうことか『邪竜の魂』すら手に入らなかった。武闘祭での邪竜召喚を前倒ししての妨害を避けたはずなのに、この時期のダリオンはまだ駆け出しの冒険者に過ぎないはずだ。にもかかわらず、あの忌々しいダリオンはまるで狙いすましたかのように武闘祭へ現れた。おまけに、報告では『死んだ』とされていたはずの聖女まで突如として姿を現すとは……破壊されたはずの聖杖は一体どこから湧いて出たのだ……?)
(まさかダリオンも、俺と同じように未来から時を遡ってきたというのか……!? ……いや、それならダリオンは真っ先に前の歴史の仲間たちをかき集めているはずだ。では、聖女が未来から来たのか? ……それもあり得ん。もしそうなら、彼女は最初からもっと効率よく聖女の座に就いていたはず……。チッ、一体何が起きている……!)
思考の迷宮に嵌まりかけたその時、ゼノヴィウスの脳裏に、あの不気味な【白い狐の仮面を被った少女】の姿が鮮烈に浮かび上がった。
(……やはり、あの『アリス』という存在がすべての元凶か。あのセルディスが魔剣を手にしてなお、一撃で叩き伏せるほどの化け物じみた強さを持つ冒険者。前の歴史では、あんな女の名前は一度たりとも耳にしたことがなかった……。——待てよ。まさか……ッ!)
ひとつの悍ましい仮説が、彼の脳漿を叩き割るように疾走した。
(アリス……お前も俺と同じように、『未来から逆流してきた者』だというのか……?!)
(……あり得る! 【時の神殿】で俺が7年前へと巻き戻されたのだ。ならば未来のアリスが時の神殿へと侵入し、過去へ遡ってきたとしても何の不思議もない! そうでなければ、前の歴史に存在しなかったアリスが、俺が改変したこの歴史にだけ突如として現れた説明がつかん……!)
(ならば……こちらも『あの手』を使うまで!! まずは人材育成機関である孤児院の管理権と隠しアジトのすべてを、この時代の俺自身へと引き継ぐ。そして俺はもう一度あの【時の神殿】へと向かい、さらなる過去へ……もう一度、歴史をやり直してやる!!)
(あの忌々しい女神エリシアへの復讐を、こんなところで終わらせてたまるか! 我が家族を救わなかったあの神への意趣返しとして、必ずや邪竜を現世に召喚し、この世界ごとすべてを叩き潰してやる……!)
ゼノヴィウスは乱暴にグラスを机に叩きつけると、椅子へと深く腰掛けた。そして、この時代に生きて存在する『もう一人の自分』へ宛てて、警告と引継ぎの手紙を猛烈な勢いで走り書きし始めた。
翌日。彼は伯爵領に潜伏させていた「奈落の七印」の精鋭戦闘員4名を護衛に従え、【時の神殿】へと向かって出発したのだった。
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エドガーの体内に潜むゼノヴィウスは、女神エリシアを激しく憎悪している。
その怨恨の動機は、今から30年前、この世界を襲った凄惨な流行病の時代まで遡る。
当時、まだ若き神父であったゼノヴィウスは、病に侵され今にも息絶えようとしている最愛の妻と息子の枕元で、血を吐くような思いで神に祈りを捧げ続けた。
毎日、毎日、膝の皮膚が擦り切れて血が滲むまで床に跪き、滂沱の涙を流しながら「家族を救ってくれ」と、女神への祈祷を繰り返したのだ。
だが——女神からの返答は、ただの一度たりともなかった。
どれほど敬虔に祈ろうと、どれほど自らの生涯を女神に捧げると誓おうと、奇跡が起きることはなかった。彼の家族はただただ苦しみに悶えながら、冷たい骸へと変わっていった。
その日を境に、彼の純粋だった信仰心は、すべて女神への凄まじい怨念へと反転した。
やがて彼は、自分と同じように神を憎む者たちが集う秘密組織『奈落の七印』へと身を投じた。奸計を巡らせて当時穏健派だった教皇を失脚させ、50歳の若さで自ら新たな教皇の座へと上り詰めたのだ。
彼が邪竜の召喚を企てた理由——それは、女神が愛したこの世界と人々を徹底的に滅ぼすことで神を現世へと炙り出し、直接女神を締め上げて「最愛の家族を蘇らせろ」と交渉するためだった。
どこまでも痛切に……ただ死に絶えた家族を愛するがゆえに、彼の心は修復不可能にまで歪み切ってしまったのだ。
しかし……彼はあまりにも長きにわたり過酷な憎しみに呑み込まれたことで、いつしか自らの本来の目的を見失っていたのだ。
もし彼が今なお純粋に家族を愛していたのであれば、邪竜の召喚などという不毛な計画に執着せず、【時の神殿】に籠もってひたすら時空魔法の研究を重ね、家族がまだ生きて微笑んでいた「あの過去の時代」へと戻る道を選んでいたはずであった。
だが、今の彼を突き動かしているのは家族への愛ではない。神父であった頃、長年にわたる敬虔な祈りを無残にも無視し去った女神への、あまりにも醜く歪んだプライドと怨念——ただそれだけだったのだ。
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エドガーが組織の精鋭4名を引き連れて【時の神殿】へと出発してから、およそ一週間後。
冒険者の装いを整えたエドガーたちは、辺境の街バールヴィレッジへと到着していた。彼は今、領主館の応接室にて、エトワール子爵と向き合っていた。
「お久しぶりでございます、エドガー殿。先日の王宮パーティー以来でございますね。ようこそ、バールヴィレッジへ」
「お久しぶりです、エトワール殿」
互いに固い握手を交わし、革張りのソファーへと腰を下ろす。
「エドガー殿、今年もまた我が領地でお姿を拝見でき、大変嬉しく存じます。……ただ、例年のご訪問とは少々時期が異なるようですが、もしや再び宿敵である『クリスタルゴーレム』への再戦をお考えで?」
「ええ。パーティーにて子爵からいただいた情報を精査いたしましてね、今回はかなりの勝算を感じております。それに……ナイジェリアの森の奥深くに眠るという、あの遺跡ダンジョンにも興味がありましてな」
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エルセリス王国最南端に位置するこの辺境の街——バールヴィレッジの現状もまた、ゼノヴィウスが知る未来とは大きくかけ離れていた。
数ヶ月前、組織の末端に過ぎない闇の奴隷商人トーマスがこの街で王国騎士団に捕縛された。そのため、前の歴史では『影なき処刑人』マロニエによって殺されたはずのエトワール子爵が、未だ存命していたのだ。
ゼノヴィウスはこう解釈していた。自分が歴史を改変した余波によって、何らかの理由で子爵の運命もズレが生じたのだと。だが、子爵を含めこの街の者たちは、元の歴史において彼の計画に何ら支障を来さなかった存在だ。無視しておけば害はない。
しかし……まさかこの街の冒険者たちが、ナイジェリアの森の中心部に鎮座していたあの強大な『クリスタルゴーレム』の討伐に成功しようとは夢にも思っていなかった。ゴーレムが守護していた中心部のダンジョンが解放されたこと——これもまた、前の歴史には存在しなかった突発的な事象であった。
現在、この街ではダンジョンへの道を急速に整備と開発している。だが、これはゼノヴィウスにとって極めて致命的な大問題であった!
彼の目的地である【時の神殿】は、まさにナイジェリアの森の奥深くに隠されている。普段は強力な結界によって覆われており、その入り口は外部からは単なる巨大な岩塊としか認識されない。
元の歴史において、ゼノヴィウスは幹部たちと共に予備アジトへ向かう途中、たまたま時の神殿の付近を通りかかった。その際、隠蔽結界が当時彼の手中にあった『邪竜の魂』に反応して偶然解けてしまったのだ。こうして彼は神殿への入り口の狭間を発見した。
神殿内の石碑と中央の魔法陣を解析し、そこが【時の神殿】であることを突き止めた彼は、組織の研究員を総動員して解析を開始。邪竜の魂の時間を巻き戻し、その肉体を完全復活させる計画を始動させたのである。
だが計画の途上、聖女とダリオンの襲撃を受け、未完成のまま魔法陣が暴走発動。ゼノヴィウスの魂はこの世界線へと吹き飛ばされてしまった。何年前に飛ばされたのかすら分からぬまま彼が意識を取り戻した時……そこは7年前の【時の神殿】の入口付近であり、すでに本物のエドガーの肉体の中だった。結界は解除された状態のまま放置されていた。
その時すでに、ゼノヴィウスは己の魂に融合した邪竜の魔力の一部を覚醒させていた。謎の結界が解けていたのは、彼の中に眠る邪竜の力に反応したからに他ならない。
だが、時の神殿がこのまま他人に発見されれば全立案が瓦解する。彼は邪竜の力を振り絞り、新たに『人避けの結界』を張り直した。これによって、力なき者は自然とこの領域を回避するようになったのだ。
当時のエドガーは単なる狩人の身なりをしていたため、乗り移ったゼノヴィウスは自分の肉体の元の持ち主が誰であるかを知らなかった。所持品を確認すると、カースティア伯爵家の紋章が刻印された金貨を発見。さらにエドガーの日記を読み解くことで、この男がカースティア伯爵家の三男であることを把握した。
ゼノヴィウスはエドガーが住んでいたガンド村へと赴き、村人たちの口から彼が『女と駆け落ちして村を来た』という事実を掴む。
彼は未来の歴史を知っていた……。現カースティア伯爵は武闘祭事件の後に没し、三男であるエドガーが伯爵位を継承することを。上位貴族の権力と財力があれば、前の歴史よりも遥かに動きやすくなる。伯爵家への帰還を果たそうと考えた彼は、ガンド村の村長から路銀を借り受け、翌日伯爵領へと向かって出発したのだった。
……そして現在。まさかこの世界線において、クリスタルゴーレムの守るダンジョンが攻略されようとは。子爵の話によれば、ダンジョン内部のモンスターは強大であるものの、なぜか子爵側は詳細な内部情報を把握しているという。その報を聞きつけた有力な冒険者たちが、新ダンジョン攻略のために続々とバールヴィレッジへと集結していた。
ゼノヴィウスは毎年ここを訪れ、時の神殿の『人避けの結界』を張り直していたが……あの結界は一定以上の実力を持つ者には効果が薄い。このまま猛者たちが森へと雪崩れ込めば、時の神殿の入口が見つがるのも時間の問題であった。
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「エド……殿……エドガー殿? 大丈夫でございますか?」
エドガーは深い思考の海から引き戻され、取り繕うようにエトワール子爵へ笑みを向けた。
「ああ……申し訳ない、エトワール殿。ダンジョンの攻略法について、少々深く考え込んでおりましてね。ハハハ!」
「左様でございましたか! もし必要な資材などございましたら何なりとお申し付けください。即座に手配いたしますぞ」
「かたじけない」
(チッ……やはり明日一番で神殿に向かうべきだな。万が一神殿が発見され、王室に報告でも上がれば全てが終わりだ)
「……ダンジョン内の魔物は苛烈を極め、特に深層部には強力な毒を扱う大蜘蛛が多数生息しております。エドガー殿方が本格的に挑まれるのであれば『毒除けの腕輪』や『解毒のストロール』、それと『高性能解毒薬』を多めにご用意されることをお勧めいたします。また、案内役として経験のある冒険者を最低二人ほど雇われるのが宜しいかと」
「なるほど。だが……それも宿敵であるクリスタルゴーレムを退けてからの話ですな! ハハハ!」
「ごもっともです。 ゴーレムは毎日蘇生いたしますので、先ほどすでにダンジョン前に待機している者たちへ『ゴーレムはエドガー殿にお譲りするように』と手配を出させておきました」
「ほう、それは助かる」
そこへ、応接室の扉が静かに開き、老執事のセバスチャンが入ってきた。子爵の耳元で小さく何かを囁くと、子爵は満足げに深く頷いた。
「エドガー殿、朗報ですぞ! ダンジョン内部に最も精通した冒険者パーティ《暁の誓い》がちょうど帰還いたしました。彼らを道案内としてお雇いになられてはいかがです?」
「お心遣い感謝いたします。しかし今回も、我がパーティーの力のみで挑みたいと考えておりましてね」
「なるほど……。昨今、冒険者が急増した影響で街の宿屋も満室状態となっております。手前どもの屋敷に客室をご用意させますので、宜しければ本日は当館でおくつろぎください」
「おお、重畳。ありがたく甘えさせていただこう」
「セバスチャン、エドガー殿を客室へご案内するのだ」
「かしこまりました」
老執事が先導し、ゼノヴィウスと同行の精鋭戦闘員4名がその後ろを歩く。最後尾には子爵の護衛兵たちが続いた。
廊下を歩きながら、ゼノヴィウスの頭の中は【時の神殿】の隠蔽工作のことで占められていた。しかし、背後を歩いていた戦闘員の一人がわずかな異変を感じ取り、極小の囁き声で彼に耳打ちした。
「(……エドガー様。この屋敷、やけに重装の護衛兵が多く配置されております。逆に、メイドや使用人の姿をほとんど見かけませんが……)」
「(……なに? ……分かった、警戒を怠るな)」
「(はっ……)」
客室へと案内されるはずであったが……なぜか老執事セバスチャンは、そのまま屋敷の重厚な正面玄関へと足を向けた。
セバスチャンが扉を左右に押し開く。そこに広がる光景を目にした瞬間、流石のゼノヴィウスも言葉を失い、目を見開いた。
屋敷の前庭には——背に眩い日輪の加護を負った聖女シルヴィアと、彼女を鉄壁の陣形で守る最精鋭の聖騎士隊。そしてその隣には、前の歴史で散々自分の邪魔を立ててきた冒険者ダリオンと、彼がまだ出会っていないはずの仲間——魔導士のニコの姿があった。
完全な包囲網。館の敷地全体が最上級の戦力によって埋め尽くされ、ゼノヴィウスの登場を静かに待っていたのだ。
ゼノヴィウスは必死で取り繕い、何でもないかのように老執事へと問いかけた。
「ほう……これほど手厚い歓迎を受けるとはな。一体……何事かね?」
老執事セバスチャンは振り向き、いつもの優雅な微笑みを崩さぬまま、静かに頭を下げた。
「我が主も“全く”存じ上げないご様子でして……。聖女様方がエドガー様に『火急の御用』がおありとのことでございますので、わたくしはただ、こちらへとお導きした次第でございます」
一礼を終えると、老執事クセのない優雅な動作で一歩脇へと引き、「どうぞ、お進みください」と外への道を静かに開けた。




