79 待ち伏せ
夜の十時。聖女歓迎パーティーが終わり、聖女一行は大聖堂へと戻るため、聖騎士たちの重厚な護衛に囲まれながら馬車を走らせていた。
しかし、住宅街の真ん中に差し掛かったところで、馬車はゆっくりと停車した。
馬車の前方に、誰かが倒れている。
よく見ると、みすぼらしい格好をした子供が路上に横たわっていた。
先頭を進んでいた聖騎士の一人が、すぐさま確認のために駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
うつ伏せになった子供の身体を抱き起こし、仰向けにした瞬間――子供の手から伸びたダガーが、聖騎士の喉元をめがけて一閃した。
だが、訓練された聖騎士は危なげなくその腕を捕らえると、最小限の力で子供を気絶させ、速やかに無力化した。
今回、聖女シルヴィアと大司教マティルダに同行している聖騎士は合計八名。子供による突然の奇襲を目撃した彼らは、即座に剣を抜いて警戒態勢をとる。
敵側にとっても、最初の奇襲が防がれたのは想定外だったのだろう。鋭い口笛の音が夜の街に響き渡ると同時に、周囲の屋根や路地裏から黒装束の暗殺者たちが群れをなして飛び出してきた。馬車はあっという間に完全に包囲される。
刺客の数は総勢二十人。
聖女本人の戦闘力は未知数だが、『聖杖』と『聖衣』を大聖堂に置いたままの今こそが、彼女を暗殺する唯一無二の好機のはずだった。
襲撃者たちは言葉もなく、一斉に馬車へ向けて煙幕弾を投擲。視界が真っ白に染まる中、言葉なしの戦闘が幕を開けた。
流石の聖騎士たちも、煙幕が立ち込める夜闇の中で二十人を相手にするのは容易ではない。敵の手際が想像以上に手慣れていることもあるが、最大の障害は襲撃者の中に数人の「子供」が混ざっていることだった。無抵抗の子供を傷つけまいと、聖騎士たちは威力を抑えた戦いを強いられていた。
徐々に押し込まれていく聖騎士たち。ついに襲撃者の一人が馬車の扉を強引にこじ開けた。
「なっ!?」
――誰もいない。馬車の中は空っぽだった。
「【ウィンドブラスト!】」
聖騎士の一人が襲撃者を蹴り飛ばし、上空へ向けて風魔法を放つ。激しい突風が立ち込め、視界を遮っていた煙幕を一気に吹き飛ばした。
聖女の不在と煙幕の消失。予想外の事態に、襲撃者たちは一瞬動きを止め、困惑気味に周囲を見回す。
「私をお探しですか?」
通る美しい声に導かれ、彼らが視線を向けた先――馬車の後方、十メートルほど離れた位置に「それ」は立っていた。
月の光を浴びて佇んでいたのは、可憐なドレス姿の聖女ではない。魔法学園の制服を思わせる令嬢風の私服ドレスを身に纏い、武器すら手にしていない無防備な少女――聖女シルヴィアはそこにいた。
襲撃者たちの半数が言葉を交わすこともなく、即座にターゲットの聖女へ襲いかかる。
あの規格外の力を秘めた聖遺物『聖杖』と『聖衣』さえなければ、聖女といえどただの小娘に過ぎない。十人で一斉にかかれば、一瞬で首を落とせるはずだ。
襲撃者の一人はそう確信していたのだが――間合いに侵入した瞬間、聖女は魔法で自衛することもなく、薄く微笑んだまま十人の連撃をことごとく紙一重で回避してみせた。それどころか、流れるような素手の手法で、刺客たちを次々と殴り倒し反撃していく。
(ば、バカな! ここにいるのは全員組織のエリートのはず……! なぜただの小娘相手に攻撃がかすりもしない!?)
聖女は最小限の動きで連撃をかわし、鋭い拳で叩きのめす。襲撃者の一人の腕を掴むと、そのまま投げ技の要領で別の刺客へと投げつけた。
(ちぃ! 子供はどこだ!? 聖女なら子供相手に本気で殴りかかれるはずが――)
焦った襲撃者が連れてきた子供を探すと、その子供は聖女に投げ飛ばされて気絶した仲間の巨体の下に完璧に押し潰され、身動きが取れなくなっていた。
馬車の方へ視線を向ければ、聖騎士たちを足止めしていた残りの十人も、怒涛の反撃を受けて次々と沈められている。残された時間はもうほとんどない。
再び前に視線を戻した時には、すでに九人の仲間が叩きのめされており、聖女は涼しげな笑みを浮かべたまま言い放った。
「残ったのはあなただけですよ。来ないのですか?」
その微笑みは、襲撃者にとっては悪魔の嘲笑にしか見えなかった。聖女として覚醒してまだ二ヶ月足らず。護身術程度は嗜んでいると踏んでいたが……こんなものは護身術の領域ではない! 武器も持たずに九人のプロの攻撃をすべて完璧に見切り、無傷で壊滅させるなどあり得ないのだ。
(おのれ……! 俺たちは組織のエリートだ! 武器すら持たない小娘に後遅れを取るはずが――!)
彼がやけくそ気味に短剣を構え直し、踏み込もうとしたその瞬間――背後から強烈な「風」が通り抜けた。
ギン―――――!!
金属同士が激しくぶつかり合う重厚な音が響く。
目の前に、突如としてもう一人の黒装束が割り込んできた。
(だ、誰だ……!? いつ間に!?)
見覚えのない人物だ。ただ、自分たちと同じ黒い装束を纏っていることから、味方であることは察せられた。目にも留まらぬ速度で割り込んでくるあたり、組織内の幹部クラスかもしれない。
だが待て、幹部クラスの急襲すらも防がれたというのか!?
月光の下に浮かび上がったのは、その急襲を受けたのは聖女ではなく、狐の仮面をつけ、夜空を切り取ったかのような深い藍色のドレスを纏った若い女性――冒険者「アリス」。
彼女は淡い白光を放つ美麗な剣を掲げ、幹部の必殺の一撃を恐ろしく軽やかに受け止めていた。
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時間は少し遡る
馬車の中にいた俺は、御者に声をかけて馬車を停めさせた後、前方に約二十人の敵が待ち伏せしている旨を同乗する全員に共有した。
マティルダ様の推測によれば、おそらく『奈落の七印』の刺客たちは、シルヴィアが『聖杖』と『聖衣』を身につけていない今この瞬間を「最大の好機」と見て命を狙ってきたのだろう。
確かに、彼女が普段着ている聖衣は強力な防具でもある。ドレス姿の今を狙うのが最も理にかなっている。シルヴィア自身、次に控える別のパーティーでは今回のドレス騒ぎのような混乱を防ぐため、聖衣のまま出席すると聖王国側と決めていた。
まあ、そこに冒険者「アリス」が同乗している時点で、あいつらの運の尽きなのだが。隠密のつもりだろうが、俺はミニマップを見れば敵の位置など一目瞭然だ。
まずはここの全員に敵の存在と人数を伝える。相手のレベルは不明だが、護衛の聖騎士たちは全員レベル30前後の猛者ばかりなので、正面切っての戦闘なら負けることはないはずだ。
ただ、敵がどのような手段で奇襲してくるかまでは読めない。万が一に備え、俺たちは一旦馬車から降りて、無人の馬車を先行させる作戦をとることにした。上空から大量の「爆発石」でも降らされたら、流石に俺でも全員を完璧にかばい切れる保障はないからな。
特に非戦闘員であるマティルダ様とクラリス夫人の安全を確保するため、二人に黒いマントを羽織らせ、タピオカくんに護衛を任せて路地裏に潜んでもらった。タピオカくんも俺と同じくミニマップを視認できるため、彼女に任せておけば安心だ。
俺はシルヴィアとパーティを組み、メニューを手早く操作して、彼女の衣装をセリーナの『お嬢様魔法使いセット』へ一時的に変更した。さらに『絶対零度のロッド』も貸し出そうとしたのだが……彼女はどこか楽しそうに、自前の装備である『透明ナックル』を拳に装着してみせ、「これで大丈夫です」と微笑んだ。あー……なるほど。襲撃者には実に気の毒なことだが、シルヴィアのストレス発散の砂袋になってもらうとしよう。
ミニマップ上で少し気になる動きをする敵がいたため、念のため俺はシルヴィアとは別の路地裏に身を潜めて様子を窺うことにした。
準備が整い、無人の馬車は聖騎士たちの護衛のもとで再出発。
五十メートルほど進んだところで、予想通り馬車が停止し、煙幕が張られる音と激しい交戦音が響き渡った。
しばらくして聖騎士の風魔法で煙幕が吹き飛ばされ、現場の状況がクリアになる。敵の数が多いため、空の馬車であることはすぐに看破されたようだ。シルヴィアのストレス発散タイムの始まり――いや、シルヴィアも増援として路地裏から飛び出した。
レベル37かつ全身SR装備で固めたシルヴィアにとって、刺客十人を相手にするなど造作もないことだった。案の定、一分も経たないうちに九人が叩きのめされている。聖騎士たちも伊達ではなく、残りの十人を手際よく制圧しつつあった。
だが、ミニマップを注視すると、未だに潜伏したまま動きを見せない敵がいる。おとなしく撤退してくれれば万々歳なのだが、そう上手くはいかないらしい。
ボスクラスを示す真っ赤な点が、恐ろしい速度でシルヴィアの背後へと肉薄した!
速い! 俺は即座に剣を抜き放つと、路地裏から地を蹴り、間一髪でシルヴィアの背後へ滑り込んで刃を受けた。
ギン―――――!!
襲撃者と同じ黒装束に身を包んだボスの剣撃を、俺の剣ががっちりと受け止める。
「チッ……アリスも一緒か……厄介だな」
(この声は……!)
俺が剣に握力を込め、一気に押し返すと、力負けしたボスは体勢を崩して後方へと跳んだ。
幸い、セリーナやサクラリアは心の中で眠りについた後だ。目の前のボス自体のステータスはそこまで脅威ではない。ただ問題なのは――
【 ゼノヴィウス Lv.43 】
相手が「プレイヤー」である可能性が高く、同時にセリーナの実の父親の身体だということだ。
俺は即座にタピオカくんへ緊急チャットを送る。
飛べる豆腐:タピオカくん、ボスはあのゼノヴィウスだ。
飛べる豆腐:中身がプレイヤーかもしれない。危険だから君は隠れたままでいてくれ。
タピオカ:え!? 急展開すぎない!? 豆腐くん、どうするの!?
飛べる豆腐:わからない。ただ相手のステータス自体はそこまで高くないから負けはしない。
飛べる豆腐:もし本当に相手がプレイヤーなら、俺のレベル表示が見えているはずだ。
飛べる豆腐:勝ち目がないと分かれば撤退すると思う。
タピオカ:わかった、無茶しないで気をつけてね!
飛べる豆腐:了解。
チャットを閉じると、ゼノヴィウスは俺との直接戦闘を避けるように、短剣スキル〈シャドウステップ〉を発動。瞬時、再びシルヴィアの背後へと転移した。
まあ、レベルと装備の圧倒的な差がある以上、俺の反応速度から逃げ切れるはずもないのだが。しかも今の俺が纏っている『星月ドレス』は、夜間になると全ステータスが1.2倍に跳ね上がる極悪仕様だ。
聖女を拘束しようと手を伸ばしてきたゼノヴィウスの割り込みを余裕で察知し、俺は二人の間に割り込んで彼の手首を掴むと、そのまま馬車の方向へと放り投げた。
空中できれいに受け身を取り、彼は何事もなかったかのように着地する。
馬車側の戦闘もすでに決着がついており、聖騎士の半数が倒れた襲撃者を拘束し、残りの半数が剣を構えてゼノヴィウスを包囲していた。しかしゼノヴィウスは背後の聖騎士たちを意に介さず、俺との圧倒的なレベル差を認識しながらも、撤退するどころか意外な行動に出た。……彼は”会話”を選択してきたのだ。
「聖女よ、貴様が『邪竜の魂』を隠し持っていることはすでに知っている。ここにいる全員の命が惜しくば、大人しくそれをこちらへ渡してもらおうか!」
――邪竜の魂!? 今回の襲撃の真の目的はそれか!?
あー……確かに、俺のストレージの中にそれは眠っている。だが、なぜゼノヴィウスがそれが知っているんだ……!?
ということは、ここでこいつを納得させなければ、今後も永久にシルヴィアが狙われ続けることになるのではないか?
相手がプレイヤーだろうとNPCだろうと、俺たちが付き添っていない時にシルヴィアが狙われ続けるような状況は避けたかった。このパーティーさえ終わってしまえば「アリス」としての表舞台での出番はほぼなくなるのだから、いっそターゲットをこちら(アリス)へ引きつけておいた方が都合がいい。
ゼノヴィウスの言っている意味がさっぱり分からず首を傾げているシルヴィアの前に、俺はゆっくりと一歩踏み出し、凛とした声音で応じた。
「なるほど……『邪竜の魂』がお望みなのですね。ならば結構、それはワタシが所持しております」
俺はストレージを操作し、手のひらに拳ほどの大きさのただの『透明な水晶玉』を出現させて見せた。
それを見た瞬間、ゼノヴィウスは「こちらへ渡せ!」と叫び、真正面から俺へ向かって突進してきた。
俺はその大振りの斬撃を軽やかにかわす。空振りを喫したゼノヴィウスは、すれ違いざまに俺の手元にあった水晶玉を掠め取ると、そのまま狂ったような速度で夜の闇の中へと走り去っていった。
ミニマップを確認すると、倒されていた刺客たちも含め、敵の反応は完全に撤退を開始していた。
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襲撃が一旦収束したことを確認し、シルヴィアはすぐさま聖騎士たちへ指示を出した。
聖騎士の一人が大聖堂へ馬を走らせて増援を呼びに行き、もう一人が王城へ事態を報告しに向かう。無事だったとはいえ、聖女が街中で襲撃されたのだ。今後は護衛の配置がさらに厳重になるだろう。
増援が到着する前に、俺たちは路地裏に潜んでいたタピオカくんたちと合流し、事の顛末を簡単に説明した。
当然ながら、敵に奪われた「邪竜の魂」について、仕事モードのクールな聖女に戻ったシルヴィアから真剣な表情で問い詰められる。
「アリスさん! なぜあなたが『邪竜の魂』をお持ちなのですか!? しかも先ほどの襲撃者に奪われてしまうなんて……追わなくてよろしいのですか!?」
「聖女様、どうか落ち着いてください。あれはただのモンスター素材です。本物の『邪竜の魂』ではありませんよ。ここでは人目がありますから、詳しい経緯は大聖堂へ戻ってからお話しいたします」
「そうなのですか……ただのモンスター素材でしたか。よかった……。では、大聖堂へ戻りましたら詳しくお聞かせくださいね」
しばらく待つと、王城からの騎士団と大聖堂からの聖騎士隊が雪崩のように駆けつけてきた。捕縛した襲撃者たちの身柄を彼らに引き渡し、シルヴィアが簡単に状況を説明した後、俺たちは手厚い護衛に守られながら無事に大聖堂へと帰還した。
移動の馬車の中で、俺はタピオカくんにチャットを送り、「あのボスの正体がゼノヴィウスだったこと」をシルヴィアたちに明かすべきかどうか相談した。
セリーナは「お父さんが生きていると分かっただけで十分」と言っていたが、本当の胸の内までは分からない。それに、もしかすると「ゼノヴィウス」というプレイヤーが、エドガーというNPCの身体に一方的に乗り移っている可能性も捨て切れないのだ。もしそうなら、元のエドガー自身は原作通りセリーナを愛していた父親のままなのかもしれない。
複雑な事情が絡み合っている以上、襲撃者の正体については、当面の間俺とタピオカくん二人だけの秘密にしておくのが無難だろう。
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大聖堂に到着後、まずは全く事情を知らない民間人であるクラリス夫人を客室へ案内し、お茶を淹れて落ち着いてもらった。
「クラリス夫人、お怪我はございませんでしたか?」
「ええ、大丈夫ですわ。ありがとうございます、精霊様。あの……セリーナは無事でしょうか?」
「ええ、ご安心ください。今もサクラリアと一緒に、心の中で安らかに眠っていますよ」
「そうですか……あの子がそれほどお強いだなんて、未だに信じられないのです。あの子自身が狙われているわけではないのですよね?」
「今回の襲撃は聖女様を狙ったものですので、セリーナが危険に晒されることはありません。それに、セリーナが『アリス』の正体であることを知っているのは、ここにいるごく限られた者だけです。どうか安心してください」
「よかった……本当に良かったですわ」
「あの、クラリス夫人。ワタシから一つ、お願いがございます」
「まあ、なんでしょう?」
「セリーナはまだ、男女の間の『愛』というものを上手く理解できていないようなのです。タピオカくんが言葉で説明してはくれたのですが……もし必要でしたら、人生の先輩として彼女の相談に乗ってあげていただけないでしょうか」
「ああ……あのレオンさんのことですね?」
「ご存知だったのですか?」
「ええ。わたくしの店で一緒に聖女様のドレスを仕立てていた時、あの子、時折楽しそうに彼の話をしておりましたから」
「それは心強いです。では、セリーナの心のケアはお任せいたしますね」
「お任せくださいませ。……精霊様はこれから?」
「聖女様と少しお話ししましたら、ワタシたちは精霊界へと帰還いたします。夜も遅いですから、夫人はどうぞお先にお休みください」
「分かりました。それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
客室の扉を静かに閉めると、俺は星月ドレスの上からいつもの『白いローブ』を羽織って華やかな装いを隠し、シルヴィアの部屋へと向かった。
部屋に入ると、すでに簡易的な寝間着に着替えたシルヴィアとマティルダ様が待っていた。聖女の自室ということもあり、部屋はかなり広々としている。派手な装飾こそ少ないが、格式の高さを感じさせる大聖堂最高峰の客間だ。
備え付けのソファに腰掛けた俺へ、シルヴィアが切り出す。
「精霊様。先ほど襲撃者に奪われたのは『邪竜の魂』ではなく、ただの偽物……なのですよね?」
「はい。本物はワタシの『ストレージ』の中で厳重に保管してあります」
「本物は持ってるんだ……。」
相手の狙いが判明しているのに、わざわざ本物を取り出して見せるバカがどこにいるというのか。そんなことをすれば、真っ先に強奪行動を起こされるに決まっている。だからこそ、ストレージから「それっぽい形状の水晶玉」をダミーとして取り出したのだ。
案の定、まんまと偽物を奪った敵は勝利を確信し、即座に撤退していった。本来なら拳骨で殴り倒して捕縛してもよかったのだが、相手は一応セリーナの実の父親の身体だ。彼らがどこを拠点にしているのかもわかるし、なぜ『奈落の七印』側に加担しているのかを突き止めてからでも遅くはない。もし相手が同じプレイヤーなら、できれば対話で解決したいという思いもあった。
俺はダミーを奪わせた意図と、本物を隠し持っている理由を二人に説明した。
静かに聞いていたマティルダ様が温かいハーブティーを一口含み、思案深げに口を開く。
「なるほど……敵のターゲットをシルヴィアからアリス殿へ逸らすためのブラフでしたか。……しかしアリス殿、その襲撃者はシルヴィアよりも強いのでしょうか?」
流石は大司教、鋭い観察眼だ。テーブルの上にちょこんと座っていたタピオカくんが、敵の中身を伏せたまま解説を引き継いだ。
『ええ、その通りです。シルヴィアさんは現在レベル37ですが、あの刺客のレベルは43。この世界の常識から言えば異常な強さです。『聖杖』と『聖衣』があればステータス補正で押し切れますが、純粋な実戦経験の差で後手に回る可能性が高かったのです』
タピオカくんの解説を受け、俺も言葉を重ねる。
「ですが、シルヴィアさんがドレス姿で出歩くのは今回限りです。敵側も『聖衣を着た聖女を簡単に襲撃することはできない』と理解しているはずですが……このままシルヴィアさんが狙われ続けるのも危険ですから、ターゲットが正体不明の冒険者『アリス』に移ったほうがいいと思います。……最悪の場合、アリスという身分はいつでも捨てることができますからね」
納得がいった様子で頷いたマティルダ様だったが、ふと懸念を口にした。
「しかし敵側が『あの水晶玉は偽物だ』と気づいた場合、精霊様のお言葉を疑い、再びシルヴィアを狙うのではないでしょうか?」
「いいえ、彼らが『本物はアリスが持っている』と信じ込む根拠がございます」
「根拠、ですか?」
「マティルダ様。この世界における『魂』の概念や形状とは、一般的にどのようなものだと考えられていますか?」
質問されたマティルダ様は、少し首をかしげながら答える。
「魂が実在するかは伝承の域を出ませんが……古書などの記述によれば、魂とは主の姿を模した半透明の揺らめきや、あるいは『結晶体』のようなものとして描写されるのが一般的です」
「では、こちらの透明な水晶玉は、その『魂の結晶体』に見えますでしょうか?」
俺はストレージから、先ほど奪われたものと全く同じ、素材の水晶玉を取り出してテーブルに置いた。
「いいえ……どう見ても占い師が使うような、ただの綺麗な水晶玉にしか見えませんね」
「それなのです。ワタシがこれを取り出した時、相手は疑うことなく『それこそが邪竜の魂だ』と確信した反応を見せました。つまり相手は『邪竜の魂の実際の形状』を正確に知っていたのです。だからこそ、同じ形状の物を出されたことで、敵はワタシが本物を所持していると完全に思い込んだのですよ」
素材の水晶玉をストレージへ戻し、今度は満を持して「本物の邪竜の魂」を取り出してみることにした。俺自身もこれを目視するのは初めてだったため、万が一に備えていつでもストレージへ引っ込められるよう意識を集中させる。
わざわざ見せる必要もないのかもしれないが、このアイテムの名称は『〜の欠片』となっている。今後シルヴィアたちが別の「欠片」に遭遇した際、実物の異様さを知っておくことは極めて重要だからだ。
テーブルの上に、先ほどの水晶玉と同サイズの球体が静かに現れた。
――だが、中身が全く違っていた。
透明な球体の内部で、青白く揺らめく鬼火のような高密度のエネルギー体が蠢いている。視覚的には確実にそこ存在するのに、触れようとすると感覚がすり抜けるような、この世界の理から外れた異質な存在感を放っていた。
【 UR ネザーヴェイルの魂の欠片 】
説明文:
『お! やっと俺様を外に出したのか!! おいテメェ! 早く俺を本体の元へ連れていきやがれ!』
…………ん? なんだこの妙に主張の激しいな説明文は。
俺が隣のタピオカくんへ視線を送ると、彼女は呆れたようなジト目をこちらに向けてきた。
『……ねえ精霊くん、こいつずっとストレージの中に封印しておかない?』
「名案ですね」
説明文:
『おい! こらクソ野郎! 俺様の言葉が見えてんだろ!? 俺様は偉大なるネザーヴェイル様だぞ! まずは膝をついて平伏しやがれ! ……聞いてんのか貴様ら!!』
はぁ……やっぱり、出すんじゃなかったな。




