78 知らない人
会場の上空へ飛んだタピオカくんは、黒い魔力を纏ったエドガーの頭上を観察していた。セリーナが言っていた異常状態の正体を確かめるためだ。
すると、俺の元へ切迫した緊急チャットが飛び込んできた。
タピオカ:豆腐くん! エドガーの頭上のネーム表示、エドガーじゃない! “ゼノヴィウス”っていう全然知らない名前になってるよ!!
その通知を見た瞬間、脳裏に嫌な予感が過った。俺はすぐさまチャットで問い返す。
飛べる豆腐:レベルは?
タピオカ:43! 異常状態なし!
この世界では、レベル30でも十分に「強者」の領域だ。レベル43はセリーナのレベル68よりは低いものの、十分に脅威となり得る数字だ。
飛べる豆腐:イレギュラーだ。妖精の姿が見えているかもしれない。気づかれないうちに急いで戻ってくれ。
タピオカ:了解!
タピオカくんはすぐに俺の側へと引き返してきた。俺は声を潜め、確認のために小さく呟く。
「(もしかして、エドガーさんはその……『プレイヤー』ですか?)」
『でも名前の付け方はNPCっぽい雰囲気なのよね……』
「(セリーナ、“ゼノヴィウス”という名前に心当たりはありませんか?)」
セリーナ:いいえ、ありませんが……精霊さん、おと……エドガーは、エドガーではないのですか?
サクラリア:あのエドガーはわたくしたちのように、その“ぷれいやー”というものに憑依されているのですか?
セリーナたちにも状況を説明しなければならない。だが、まだ相手はプレイヤーという確定的な証拠はないし、それに相手は一応セリーナの実の父親だ。ここはひとまず「ただの偽名」として説明しておくのが無難だろう。
「いいえ、まだわかりません。ワタシがセリーナの中に入った時、自分の頭上に表示されている名前を見ることはできませんでしたから、確認のしようがないのです。サクラリアの場合も、今のようにタピオカくんが中に入っていても、頭上の表示は“サクラリア”のままです。ただ、サクラリアの立場は少々特殊ですので、これだけでは判断材料になりません。ですので、こちらの“エドガー”という名は……おそらくただの偽名なのだと思います」
サクラリア:エドガーは偽名で、本当の名前が“ゼノヴィウス”ということですの?
サクラリア: どうしてわざわざ……?
チャット欄のセリーナが、焦りを隠せない様子でメッセージを打ち込んできた。
セリーナ:でも、あの顔も、声も、あの笑顔もお父さんに間違いありません!
セリーナ:別人なんてあり得ません……!
ここでタピオカくんが、俺がセリーナたちに「プレイヤーの可能性」を伏せた意図に気づいたらしく、フォローするように助け船を出してくれた。
『そうね……もしかしたら、エドガー自身も自分の本当の名前を知らない可能性があるわ。貴族社会では、自分が実は養子だったなんて話、珍しくないでしょうし』
隣にいるシルヴィアにもタピオカくんの声は聞こえているため、エドガーの情報確認で何らかの妙な問題が発生したのだと薄々感じ取っているようだった。
一応、シルヴィアたちにも“ゼノヴィウス”という名について尋ねてみたが、やはり聞いたことはないという。エドガーという名が偽名かもしれないと伝えると、マティルダ様もタピオカくんと同じ推測を口にした。
この世界の貴族間では、養子であることを隠して育てたり、赤ん坊の頃に使用人が自分の子とすり替えたりといった陰謀がよくあるらしい。そのため、本物のエドガーが一体どこにいるのかは誰にも分からない、とのことだった。
まあ、本名が何であれ、彼がセリーナの父親である事実には変わりないのだろう。幸い、セリーナの様子を見る限り、彼女にはもう彼とやり直す気はない。ならば俺たちにとっても、エドガーが誰であろうと、裏で何を企んでいようと関係のない話だ。セリーナが幸せになれれば、それでいい。
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話し合いが一区切りついた頃、この国の第一王子であるレオナルド殿下が、騎士団長のアルベルト様やダリオンたちを伴って会場の奥から姿を現した。
王子たちがこちらへ歩み寄ると、シルヴィアやマティルダ様と短く言葉を交わし、周囲を固める聖騎士たちと共に二人を国王の元へエスコートしていった。……聖女様も本当に大変だな。
「ではダリオン君、あの件は頼んだよ。必要な物資があれば遠慮なく言ってほしい。レオン君も、もし心変わりしたらいつでも歓迎するよ。では、私はこれで」
「できる男」のオーラを全身から漂わせたレオナルド王子は、この世界の主人公であるダリオンたちにそう言葉を残すと、シルヴィアたちを連れて国王の側へと去っていった。
聖女専用の特別席にはもう座れないため、俺たちは近くの空いている席へと移動した。ダリオンたちが王子に一礼して見送った後、レオンはごく自然な動作で俺の隣に腰掛け、ダリオンはその隣に座った。
せっかくの機会だ、主人公の現状を確認しておこう。あの“ゼノヴィウス”が万が一プレイヤーだった場合に備えて、主人公側にも多少の支援や情報を渡しておいた方がいいかもしれない。
「ダリオンさん。もしかして、今度は王子殿下から直接ご依頼をお受けになったのですか?」
急に話しかけられたことに少し驚きつつも、ダリオンは爽やかな笑顔で答えてくれた。
「えっ!? ……ああ、そうなんだ。アリスさんなら話しても大丈夫だな。実は最近、聖王国で邪竜の魔力に侵食されたと思われるモンスターの死体が見つかったらしくてさ。それで、直接邪竜の魔剣使いと戦った経験がある俺たちが聖王国へ向かい、現地の調査隊と一緒にその死体を確認することになったんだ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「殿下はアリスさんにもお願いしたかったみたいなんだけど、陛下から『アリス殿はすでに聖女様の依頼を受けている』と伺ったらしくてね……」
「そうですか。ダリオンさんは、もうすぐこの国を離れられるのですね……」
「まあ、来月の話だけどね。今はアルベルト様の依頼が優先だからさ」
星月ドレスの胸元に隠れたタピオカくんが、俺にだけ聞こえる声で囁いてきた。
『ダリオンが聖王国に行くのって、原作ゲームの第二章終盤の展開よ。武闘祭で色々あったけれど、この世界のメインストーリーの軸は歪んでいない……ううん、むしろ元通りに収束しようとしているのかもしれないわ』
セリーナ:えっ!? もしかして、レオンさんも一緒に行くのですか……!?
サクラリア:レオンさんとは、先ほど『またカフェで会いましょう』と約束したばかりですのに!
なるほど、タピオカくんの言う通りメインストーリーが補正されているらしい。セリーナはレオンも一緒に行ってしまうのかが気になっているようだ。俺が代わりに確認してやるとしよう。
「ダリオンさん、もしかしてレオンさんも一緒に聖王国へ行かれるのですか?」
隣でびくっと肩を跳ねさせたレオンの代わりに、ダリオンがいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「いや〜、俺もレオンと一緒に行くつもりだったんだけどさ……あいつ、『愛する女から離れたくない』とか言って、こんな破格のいい仕事を断ろうとして――」
「ダリオン! やめろ!」
「おっと!」
顔を真っ赤にしたレオンがダリオンの口を塞ごうと手を伸ばしたが、ダリオンは手慣れた動作でそれをひらりと交わし、ニヤニヤしながら言葉を続けた。
「そうそう、アリスさん! こいつさ、その子に会いたいがために、この前なんて毎晩わざわざ食材を買い込んで彼女の店に通って、自分に夕飯を作らせてたんだぜ? 女性に贈るなら、食材よりやっぱり花とかの方が喜ばれるよなぁ!?」
「やめろって言ってるだろ!!」
「あのなぁレオン、お前は普通の女性の友達がいないんだから、折角ここに頼れる相談相手がいるんだぞ? どうやってセリーナに告白するか相談させてもらえよ!」
あ〜……言っちゃったよ、この男。
『言っちゃったわねぇ……』
顔を林檎のように真っ赤にしたレオンは、勢いよくこちらを振り返ると、さらに顔を赤くして会場の端っこへと逃げ出していった。
サクラリア:セリーナ! レオンさんはあなたに告白したいって言っていましたわ!
サクラリア: 何をお話しするつもりですの!?
セリーナ:……っ!
サクラリア:セリーナ〜〜っ!
隣にまだダリオンがいるため、俺が口を出してサクラリアを止めるわけにはいかない。察したタピオカくんが、すかさずサクラリアへ介入してくれた。
『サクラリア、セリーナをしばらく一人にしてあげて』
サクラリア:え? どうしてですの?
サクラリア:レオンさんもわたくしたちと同じくらい、セリーナのことが好きなのでしょう?
サクラリア:それに、先ほどお二人で楽しそうにダンスを踊っていらっしゃいましたし!
サクラリア:セリーナだって、レオンさんのことが――
セリーナ:あ……あ! あ!!
『ダンス……ですか?』
サクラリア:あ、ごめんなさい精霊様! 先ほどレオンさんに、アリスがセリーナであることがバレてしまいましたの!
「『あ〜……なるほどですね』」
だから先ほどのレオンは、あんなに慌てて逃げ出したのか。まさか本人の前で自分の好意が筒抜けになるとは思っていなかったのだろう。
タピオカくんは手際よくサクラリアを宥めてくれた。これ以上攻め立てられたら、セリーナが羞恥心で限界を迎えてしまう。
『サクラリア、しばらく静かにしていてあげて。正体がバレた経緯は後で聞くから……セリーナ、今すぐ答えを出す必要はないんだからね。レオン様のことは、まずは普段通りに接すれば大丈夫よ』
サクラリア:はぁい……
セリーナ:は、はい……っ
セリーナの感情が伝わってきたのか、仮面の下の俺の顔まで熱くなってくるような気がした。普段、セリーナの感情が俺の感覚に影響することはほとんどないのだが、レオンからの告白という出来事は、彼女の心にそれほど大きな衝撃を与えたのだろう。仮面をつけていて本当によかった。
会場の端で高級料理をヤケ食いしているレオンを遠目に見ながら、ダリオンが気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「あ〜……ごめんなさい、アリスさん。レオンの奴、普段はあんなんじゃないんですけどね。まさかあそこまで恥ずかしがり屋だとは思わなかったな。あいつのために女性の意見を聞きたかったんだけど……あの様子じゃ、告白まで何年かかるやら」
「いいえ、ワタシは気にしておりませんよ。レオンさんなら、きっと上手くいくと思います」
「まあ……来月には俺も聖王国へ向かっちゃうから、次にいつ会えるか分からないんだよな。友人として、あいつの恋が成就するところを見届けてやりたかったんだけどさ」
友人を心から心配する主人公としてのダリオンを見て、ふと思う。一ヶ月後、彼はレオンとのパーティーを解散することになるのだろう。今後いつ会えるか分からない彼のために、俺はチャットでタピオカくんに短く相談し、ストレージから一枚の葉の形をした緑色の護符を取り出した。
「ダリオンさん。これを受け取っていただけますか?」
【 SR 成長の護符 】
装備効果:
—戦闘時獲得経験値 25%アップ
—敵に狙われやすくなる
護符を手渡されたダリオンは、不思議そうにそれを捏ね回していた。
「えっ、こ、これは……?」
「それを身につけて戦えば、あなたはより早く成長することができます」
「せ、成長……!?」
あー……「経験値」と説明しても伝わらないし、どう言えばいいだろうか。
迷っていると、チャット欄にタピオカくんからのテキストが届いた。俺はそのまま言葉をなぞってダリオンに説明する。
「はい、成長です。これは、あなたの身体の中に眠っている可能性を呼び醒ますための護符なのです。苦しい戦いに勝利すれば、この護符があなたの筋肉や魔力を刺激し、急速に強く鍛え上げてくれるでしょう」
「え、えええっ!? そんな高価なもの、受け取れませんよ!」
「いいえ、今のあなたにはこれが必要なのです。……そうですね、どうしても気が引けるのでしたら、代わりにレオンさんに謝っていただく、というのはいかがでしょうか?」
「謝るって……ああ、さっきのことですか?」
「はい。あなたにとっては彼を思っての行動だったとしても、彼にとっては大切に秘めていた気持ちを、勝手に他人の前でバラされてしまったのです。どれほど仲が良くとも、そういったデリケートな話題は事前に相談してから口にするべきでしたね。後悔を残さないためにも、きちんと彼に謝っておくべきだと思いますよ」
俺の言葉を聞き、ダリオンの顔がみるみる青ざめていった。
「ヤバ……分かりました……これ、ありがとうございます! ちょっと俺、あいつのところに行ってきます!」
ダリオンは護符を握りしめ、慌ててレオンの元へと走っていった。まあ、レオンの性格ならこれくらいで本気で怒りはしないだろうが、一応釘を刺しておくに越したことはない。
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周囲に誰もおらんくなったのを確認し、俺はサクラリアに「なぜアリスの正体がレオンにバレたのか」を尋ねた。
久しぶりに見かけた父親の笑顔に耐えきれなくなったセリーナは、自分のことを覚えているかとエドガーに尋ねてしまったらしい。だが、結果は当然ながら素っ気なくあしらわれるだけだった。ショックを受けたセリーナは会場外の噴水へと逃げ出し、一人で涙を流したという。……まあ、これは仕方がないだろう。その場で泣き崩れず、庭園の噴水まで耐え切ったセリーナの我慢強さを褒めるべきだ。
その後、仮面を外して涙を拭いていたところ、偶然レオンと遭遇した。セリーナは彼と話すうちに気持ちが晴れ、その流れで食事をし、軽やかにダンスを踊ったのだという。……うん、どうやら遠くない未来、セリーナには素敵なパートナーができることになりそうだ。
そういえば、俺がこの世界に来たばかりの頃、セリーナがこんなことを呟いていたのを思い出す。
『私、愛の意味が分からないの。どうして“愛”のために、お父さんは貴族の名分を捨ててまでお母さんと駆け落ちしたのかしら』
それも無理はない。十歳の頃、父親は多額の借金を残して姿を消し、ガンド村に母子二人だけが取り残された。強欲な元村長のせいで借金の噂は村中に広まり、誰も彼女たちと深く関わろうとはしなかったのだ。母親であるエメラルダさんからの家族愛以外に、“愛”という感情を知らずに育ったのも当然だった。
だが今、彼女には惹かれ合える大切な人ができた。……実に喜ばしいことだ。
……と、そんな乙女ゲームのワンシーンのような「パーティーの最中に二人きりで噴水の隣でダンス」というロマンチックな報告を聞いたタピオカくんは、今や目を輝かせてセリーナへの怒涛の恋バナ追求モードに入っていた。
途中、サクラリアが「男女間の“愛”というものがよく分からない」と呟いたため、タピオカくんはノリノリで講義を始めている。
あちらは完全に女子会状態なので、俺が口を挟む隙などない。……それに、俺には俺の「仕事」が残っていた。
聖女シルヴィアが国王との会談に向かったことでメインのターゲットを見失った暇な貴族たちが、今度は「覇者の塔」の情報を目当てに、残された俺の元へ群がってきたのだ。
もちろん、塔の攻略情報を教えるつもりなど毛頭ないため、「守秘義務がございますので」と適当にあしらっていた。幸いなことに、途中で武闘祭の時に顔を合わせた侯爵の爺さんが助けに入ってくれ、群がる貴族たちを散らしてくれた。
そういえば先ほどのセリーナの話によると、この侯爵様はご令嬢たちからの嫌がらせから「アリス」を庇ってくれたことがあるらしい。その時はエドガーとの遭遇で混乱していたため直接お礼が言えていなかったのだが、今回の件も含め、俺は深々と感謝を伝えた。その後は侯爵様の側で精霊についての質問攻めに遭ったのだが、俺はアニメやゲームで培った知識を適当に披露してその場を切り抜けた。
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夜の九時。長かったパーティーも、ようやく終宴の刻を迎えた。
俺たちはシルヴィアたちと共に同じ馬車へ乗り込み、大聖堂へ戻ることにした。
直接「転移」を使ってセリーナの小屋へ戻ってもよかったのだが、セリーナのおばあちゃんであるクラリス夫人を一人残していくわけにはいかない。そのため今夜は、セリーナも夫人と共に大聖堂へ泊まることになった。明日、行きと同じ方法で小屋まで送り届ける予定だ。
レオンからの告白(?)を知ったセリーナだったが、タピオカくんと色々と女子トークを交わしたことで、今後彼にどう接すべきか自分なりに答えが出たらしい。パーティーが終わると緊張の糸が切れたのか、サクラリアと共にいつもの就寝時間通りにすやすやと眠りについてしまった。
大聖堂へ向けて走る馬車の中、偉い大人たちの相手をし尽くしたシルヴィアは疲れ果て、俺の隣でそっと目を閉じている。マティルダ様は相変わらず、クラリス夫人と昔話に花を咲かせていた。
静かな時間が流れる中、俺とタピオカくんは――互いに視線を交わした。
俺たちは静かに武器を構え、御者へ向けて声を張った。
「御者の方、馬車を止めてください」




