72 おばあちゃんと呼ばれたい
翌日、月曜日の翠夢の森の小屋。
私は朝起きて軽く朝食を済ませた後、すぐにサクラリアと一緒に翠夢の森の中央にある妖精の国を訪れました。女王様に、シルヴィアさんのドレスを仕立てるためにしばらくバールヴィレッジに滞在することを報告するためです。
『そっか、頑張ってね。人間の世界というのは、やはり色々と面倒が多いわ。妾は、そなたたちがいない間もいつものように勝手にあの小屋へ行ってくつろいでいても構わんよね』
「はい、もちろんです! 女王様はどうぞお好きなように小屋でくつろいでください。……ですが、おやつだけは決まり通り、一週間に一つだけですからね」
『ふん、それはわかっておる。妾も昔に出会った、あの豚のような人間の王女のようにはなりたくないわ』
不敵にニヤリと笑う女王様の表情を見て、どうやら昔、何かとんでもない出来事があったのだなと気になりました。私の肩に乗っていた、私と同じくその昔話に興味津々なサクラリアがすかさず口を開きます。
『お母様、それは何のお話? とても面白そうですわ!』
『サクラリア、その話はまた今度してあげるから、今は聖女の依頼を優先しなさい』
『わかりましたわ。セリーナ、わたくしにできることがあれば、何でもどんどん言ってくださいね!』
「ありがとう、サクラリア。一緒に頑張りましょうね」
妖精さんたちへのお土産として持ってきていた甘いシロップの瓶を置いて、私たちは一旦小屋へと戻りました。
カバンに十分なお金や必要な旅道具を詰め込み、お気に入りの「お嬢様魔法使いスカート」に着替えます。カフェの扉に「臨時休業」の看板をしっかりと掲げて準備を整えたその時、精霊さんがやってきてくれました。
ただ、迷宮都市とは違って、バールヴィレッジでは冒険者「アリス」が急に姿を現すと目立ってしまいます。そのため、精霊さんは白いローブでその身を深く包み、〈絶対零度のロッド〉も布で厳重に覆い隠していました。そうして前と同じように、安全なスラム街の端にある転送ポイントへと転移しました。
転移を終えた後、精霊さんは精霊界の仕事があるため、すぐに精霊界へと戻っていきました。
以前ここへ来た時、精霊さんは私に「スラム街には近づかないように」と心配してくれましたが、今の私はレベルも上がり、十分に自分自身の身を守る力があります。だから、以前のような恐ろしい気持ちは全くありません。ならず者よりもずっと恐ろしいモンスターのボスを、覇者の塔でたくさん見てきましたからね。
サクラリアをローブのフードの中に隠し、彼女と楽しげに世間話をしながら、仕立て屋〈リリアナローズ〉へと向かいます。しかし、お店の扉の前に立った瞬間、私は最も重要なことを忘れていたと気付き、ハッと足を止めました。
「あ、しまった! リリアナローズの都合を事前に聞いていませんでした!」
『どうしたの、セリーナ?』
「ええと、もしリリアナローズも、今回の歓迎パーティーに出席する他の貴族様たちからドレスの注文を受けていたら、忙しくて人手が足りないかもしれないと思って……」
『あ……。でも、もう来てしまいましたし、もし本当にダメそうでしたら、その時はまた精霊様にお願いするしかありませんわね』
「そうですね。せっかくここまで来ましたし、一応お話だけでも聞いてみましょう」
私は素材がぎっしり詰まった重たいカバンを背負い直し、意を決してリリアナローズの正門をくぐりました。
カラーン コローン
「いらっしゃいま……あら! おかえりなさい、セリーナ! 久しぶりね!!」
「あ、おはようございます、カノンさん。お久しぶりです!」
数ヶ月ぶりに会うカノンさんは相変わらず優しく、すぐに私の手を取ると、痩せていないか心配そうに私の体を何度も見回してくれました。
彼女はすぐさま他の店員にクラリス夫人を呼びに行かせ、私を奥の応接室へと案内してくれました。
対面のソファに腰掛けたカノンさんは、ニコニコと嬉しそうな顔で私に言いました。
「セリーナ、パン食べる?」
「あ、いえ、大丈夫です。朝ごはんはちゃんと食べてきましたので」
「夫人はね、ずっとあなたのことを心配していたのよ。お手紙を出したくても、旅の途中のあなたにどこへ送ればいいか分からなかったんですって。後で夫人にたくさん甘えてあげてね」
「甘えるだなんて……。いえ、私はまだお父さんにも会えていませんし、今回はリリアナローズにとても素晴らしいお仕事を持ってきたので、一時的に帰ってきただけなんです」
「あら、残念。まあ、また夫人のことを『おばあちゃん』って呼んであげて。それだけで、あの人はイチコロなんだから」
「それは……なかなか気恥ずかしくて慣れないのです」
ドンドンドンドンドン
上の階から、普段の厳格な様子からは考えられないほど急いだ足音が響いてきました。応接室の扉の前でぴたりと足音が止まり、なぜかそこから、ゆっくりと慎重に扉が開かれました。
相変わらず、厳格な教師のように凛とした、礼儀正しく厳しそうなクラリス夫人がゆっくりと部屋に入り、私の対面にあるソファへと腰掛けました。
「おかえり、セリーナ」
「はい、ただいまもど……いえ、私はまだ旅の途中なのですが」
夫人は隣りにいるニヤニヤしてたカノンさんを見ると、彼女に何も見通しみたいで、夫人は咳払いしてからこう話してた。
「コホン……カノン、仕事に戻りなさい」
「はーい、わかりました〜」
カノンさんは私にパチンとウィンクをして、そのまま楽しそうに応接室から出ていきました。
「さて、セリーナ。あなたがまだ旅の途中であるならば……わたくしに何か手伝ってほしい用事がある、ということですね」
「は、はい! 実は、とても身分あるお方のドレスの注文を受けまして、ぜひリリアナローズの皆様に手を貸していただきたいのです」
「身分あるお方……高貴な貴族か?」
「ええと、少し違うのですが……」
「はっきり言いなさい」
「はい! 聖女様のドレスを、作っていただきたいのです!」
「……」
「……」
夫人は私の言葉を聞いた瞬間、片手でこめかみを押さえ、深いため息を吐き出しました。
「セリーナ、わたくしの聞き間違いではないわね。聖女様といえば、この前聖王国から発表された、邪竜を封印したというあの聖女様のことかい?」
「ええ……はい、彼女です」
「あなた、まさか偽物の詐欺師に騙されているのではなくて?」
「違います! 色々と事情がありまして、聖女のシルヴィアさんとは旅の途中で本当に親しいお友達になったのです」
「はぁ……。聖女様は未だに聖王国にいらっしゃるはずよ。それに、一ヶ月後には王都で彼女を歓迎する国を挙げたパーティーが開かれることになっているわ」
「はい、知っています。実は私もそのパーティーに招待されましたので……」
夫人は驚愕のあまり、上品な仕草も忘れてソファから勢いよく立ち上がりました。
「はぁ!? 招待された!? あなたが、ですか!?」
私は背負っていたカバンを開け、中から自分宛ての招待状を取り出して夫人に手渡しました。そこには確かに王家の重厚な蝋印が押されており、本物であると信じてくれたようです。
「これは……間違いなく本物ね。セリーナ、ここから旅立った後、一体あなたの身に何が起きたのか、詳しく話してちょうだい」
「少し、お話が長くなってしまいますが……お時間は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。とことん付き合いますわ」
私はカバンからエルフのランタンを取り出し、その灯しました。淡い幻想的な緑色の光が応接室を包み込みます。夫人の視線が、私の肩に現れたサクラリアへと注がれ、一瞬だけ驚きに目を見開きました。しかし、夫人はすぐにいつもの厳しい表情を取り戻すと、応接室の扉を少しだけ開けて、外にいる店員たちに厳格な声で告げました。
「これから、極めて重要な仕事の話をします。たとえどなたがいらっしゃっても、わたくしは席を外していると伝えて追い返しなさい。……たとえ、この街の領主様であっても、ですよ」
そして夫人は私に一度ランタンをしまわせると、そのまま私を二階の奥にある裁縫室へと連れていってくれました。そこは、私すら一度も入ったことのない、夫人のプライベートな裁縫室でした。ベッドが置かれていましたが、裁縫室とは思えないほど隅々まで整理整頓されています。部屋の一角には、まだ仕立てる途中の美しいドレスが飾られており、私はそれに見覚えがありました。私が数ヶ月前に夫人に売った、あの幻の高級布〈エルフィンシルク〉で作られた新作ドレスです。未完成であるにもかかわらず、息を呑むほど綺麗でした。
夫人の促しに従い、私たちは部屋の端にあるテーブルにつきました。
「ここなら誰も入ってきません。話を続けてちょうだい」
「わかりました」
私が再びランタンを灯すと、サクラリアはテーブルの上に降り立ち、おばあちゃんの前に進み出て、貴族の真似事のように綺麗にスカートを引いてカーテシーをしました。
『はじめまして。わたくし、サクラリアと申しますわ』
「ええと、おばあちゃん。サクラリアは妖精国の王女様なのです」
「…………。あ、はじめまして。セリーナがいつもお世話になっております。セリーナの祖母の、メストリス・クラリスと申します」
驚くべきことに、夫人はすぐさま椅子から立ち上がり、その場に跪いて深く頭を下げました。
『いえいえ、わたくしの方こそセリーナには大変お世話になっておりますの。セリーナがいてくれなければ、わたくしはこの世に生まれることもありませんでしたわ』
「……左様で、ございますか」
『お祖母様、どうぞいつも通りになさってくださいな』
「かしこまりました、王女殿下」
夫人はサクラリアのことを本当の王族として、最大級の敬意を持って扱っていました。……まあ、本当に妖精の王族なのですが!
「あの、おばあちゃん。サクラリアは私の大親友なので、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
「 セリーナ、今、もう一度言ってちょうだい」
「ええと、妖精さんと人間は価値観が違いますから……」
「いいえ、その前の言葉よ」
「サクラリアは私の親友で……」
「さらに、その前」
「あ……お、お祖母様……?」
夫人は先ほどまでの張り詰めた厳粛な雰囲気から一転して、驚くほど優しく、とろけるような微笑みを浮かべました。
「そのまま『おばあちゃん』と呼んでおくれ。その方が、わたくしもずっと嬉しいわ」
「わ、わかりました……おばあちゃん」
バールヴィレッジを離れる前、お別れの挨拶に来た時もおばあちゃんと呼んだことはありましたが、あの時は恥ずかしすぎて結局すぐに「夫人」に戻ってしまったのです。確かにお母さんの師匠であり、育ての親でもありますが、長年の「厳しい仕立て屋の店主」というイメージが強かったため、急におばあちゃんと呼ぶのは無礼にあたる気がしてしまって。
しかし、おばあちゃんはまさか国から姓を授かった人だったのですね。私はずっと「クラリス」はおばあちゃんの名前だと思っていました。私がおばあちゃんの孫ということは、私は「セリーナ・クラリス」になるのでしょうか?
ここでサクラリアは、まるで私の心の内を見透かしたかのように、おばあちゃんに質問を投げかけました。
『お祖母様は、人間の貴族様なのですか?』
おばあちゃんはサクラリアの言葉に居住まいを正し、テーブルの席に戻ると、丁寧に返事をしました。
「いいえ、わたくしは貴族ではございませんよ」
『でも、お名前に『姓』がございますわ』
「これは大昔、わたくしが王宮で針子を務めていた頃、当時の王妃様に大変気に入っていただき、その功績から姓を賜っただけに過ぎません」
『それは確か……人間にとって、非常に名誉なことではありませんこと!?』
「恐れ入ります、サクラリア様」
『わたくしのことは、どうぞ『サクラリア』と呼び捨てにしてくださいな』
「かしこまりました、サクラリア」
初めて聞くおばあちゃんの昔話に、私は胸を躍らせました。でも、そんな名誉ある姓を授かるほどの優秀な仕立て屋様なのに、どうして王都ではなく、こんな辺境のバールヴィレッジにお店を構えているのでしょう。
私は思わず、その疑問を口にしていました。
「おばあちゃん、王妃様のお気に入りだったのに、どうしてこの街にお店を?」
「まあ、生きていれば色々とあるものよ。当時のライバルたちに嵌められて、無実の罪を背負わされそうになってね。最終的には王妃様のおかげで無実が証明されたのだけれど、その王妃様……王太后様がお亡くなりになったのを機に、王都を離れてこの地に流れ着いたのよ。その時に、あなたのお母さんを拾ったの」
「そうだったのですね……」
「昔話はまた今度ゆっくり聞かせてあげるわ。セリーナ、あなたはわたくしに聖女様のドレスを作ってほしいと言ったわね。それからサクラリアのことも、わたくしから色々と質問させてほしいの」
「はい! 大まかにお話ししますと……」
私は精霊さんと出会ってから今までの出来事を、順を追っておばあちゃんに話しました。
今は迷宮都市で小さなカフェを営みながらお父さんに会うための準備を進めていること。武闘祭については心配をかけたくなかったので危険な戦闘は伏せ、精霊さんが聖女様と一緒に邪竜の召喚を阻止したことだけを軽く伝えました。そして最後に、なぜ聖女様に中立を示すための特別なドレスが必要なのかを説明しました。
一通り話し終えて私が水を飲むと、おばあちゃんはそっと目を閉じ、少しの間考え込んだ後に、力強く頷いてくれました。
「本当に信じがたい話ばかりね。けれど、現にこうして、見たこともないほど美しい妖精――サクラリアが目の前にいるのだから、あなたの言葉はすべて真実なのでしょう。わかりました。聖女様のドレス、ぜひリリアナローズで仕立てましょう!」
おばあちゃんは、サクラリアの姿を興味深そうに何度もチラチラと見ていました。どうやら妖精という存在に、大変興味があるようです。そんな視線に気付いたサクラリアは、嬉しそうに私へ話しかけてきました。
『セリーナ、お祖母様に美しいと言っていただけましたわ! ふふん、嬉しいですわね』
「サクラリアはいつもお花のように綺麗ですから、当然ですよ」
『セリーナだってとっても可愛らしいですわよ。このわたくしが保証いたしますわ!』
「ふふ、ありがとうございます」
サクラリアと微笑み合った後、私はおばあちゃんに向き直り、深くお礼を言いました。
「この注文を受けてくださって、本当にありがとうございます、おばあちゃん。でも、お店のスケジュールは大丈夫なのですか?」
「大丈夫よ。この街の領主様も歓迎パーティーに出席するはずだけれど、今のところドレスの注文は来ていないわ。だから今の私にとって、孫の頼み事を叶えることが最優先よ」
「よかったです! でも、時間的にかなりギリギリですが、パーティーまでに間に合いますか?」
「ええ。この飾ってあるドレスをベースにして作り直せば、時間的には少し余裕ができると思うわ」
おばあちゃんは立ち上がり、作りかけのエルフィンシルクのドレスの傍へと寄って、語りかけました。
「これは以前あなたから仕入れてくれた〈エルフィンシルク〉で仕立てているドレスよ。でもね、どうしても完成させることができなかったの」
「何が……足りないのですか? 私には、未完成であってもどんなドレスより綺麗に見えますが」
「ええ。ただ、正直に言うとね……。型紙を当てて大まかに裁断し、この形にまでするのが限界だったのよ。この布地があまりにも美しすぎて、ここから先の仕上げとしてハサミを入れることも、どんな高級な装飾を施すことも、すべて布の放つ気品を損なって安っぽくしてしまう気がして……どうしてもこれ以上、手が動かせなかったの」
「なるほど。まるで、安い布の上に金の刺繍を施して、かえって不調和になってしまうような感覚ですね」
「ええ、その通りよ」
私はすぐにカバンを開け、昨夜、精霊さんたちが私に持たせてくれた、ドレスに合いそうな極上の希少素材を次々とテーブルの上に並べました。
「おばあちゃん、これらの素材は何か役に立ちますか?」
「こ、これは……ッ!?」
テーブルに並んだ光り輝く素材を目にした瞬間、おばあちゃんの目の色が変わりました。彼女は吸い寄せられるように一つの宝石を手に取ると、ドレスの胸元にかざし、真剣な眼差しで色合いを確かめ始めました。
「素晴らしい……! これよ、これなら合うわ! このドレスの完成形のイメージが、一瞬で頭の中に浮かんできたわ……! セリーナ、これは一体何の素材なの? それに、おいくらなのかしら?」
「ええと、確か右手の宝石が〈スターダスト・ダイヤ〉で、左手のレースが〈ドラゴンスケール・レース〉です。お値段は一切気にしなくて大丈夫ですよ。全部、ダンジョンを回った時に余った、売れることもできない、『普通の素材』ですから!」
「……あ、余った、ふ、普通の素材……ね」
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【 今のクラリス夫人の心の中は、叫び声で埋め尽くされていた。 】
(……嘘でしょう、これはあの〈スターダスト・ダイヤ〉!?……昔、王宮にいた頃に噂で聞いたことがあるわ。北の魔導国の空で星々が謎の大爆発を起こしたとき、地に降り注いだ流星から極稀に見つかるという、伝説級の幻の宝石……。なんであんたたち、こんな国宝級の代物を、お菓子でも配るみたいに持って歩いているんだい!?)
SR スターダスト・ダイヤ
※覇者の塔42階層 幻獣アストラル・フェザーのドロップアイテム
(それに、こっちの〈ドラゴンスケール・レース〉……聞いたこともないわ。でも、竜の鱗の名を冠するだけあって、この気高い光沢はどんな極上シルクよりも優雅。……いいえ、待っておくれ。この吸い付くような手触り、これはただの布じゃないわ! 糸の一本一本が、極限まで圧縮された純度の高い魔力の塊だっていうの!? これが普通な素材だなんて……れ、冷静になりなさい、わたくし。愛しい孫の前で、醜く取り乱すなんて格好悪い真似は絶対に許されないわ!)
SR ドラゴンスケール・レース
※覇者の塔47階層 ミラージュ・アイビーのドロップアイテム「白銀の表皮筋」から生成
【 クラリス夫人の指先が、未知の素材に触れて微かに震える。しかし孫の前で、昔王家の針子としての尊厳を守るため、彼女は精一杯の「冷静なフリ」を貫いた。 】
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そんな夫人の心の葛藤など露知らず、セリーナは今度は虹色に輝く真珠を取り出し、見たこともない不思議な布地を器用に折って花の形を作り、ドレスの腰回りに当ててみる。
「うーん……この真珠は、ドレスの全体の雰囲気にはあまり合わないでしょうね」
『でも、その腰の位置に布の花を飾るのは、とっても素敵だと思いますわ!』
「そうですね! シルヴィアさんはとてもスタイルの良い方ですから、腰元にアクセントを置けば、どんなドレスでも完璧に着こなしてくれそうです」
『ええ、それは素晴らしいアイデアですわ!』
これほど凄まじい価値を持つ超激レア素材を前にしても、当たり前のようにキャッキャと楽しそうに相談している彼女たちを見て、夫人はだんだんと諦めに近い境地に達し、冷静さを取り戻していく。
「目の前にいる妖精という生き物すら現実なのだから、精霊の力があれば、これくらいは普通の範疇なのだろう」と自分に言い聞かせ、仕立て屋としての職人魂に完全に火がついた夫人は、これ以上の深く考えるのをやめた。これほどの極上素材を使い放題にできる幸運を喜び、人生最高の一着を作ることを決意したのだ。
「セリーナ、歓迎パーティーまであまり時間が残されていないわ。今からすぐに作業を始めましょう。お店は完成するまで臨時休業にします。カノンたちも全員呼び寄せて、リリアナローズの総力を挙げて最高の一着を完成させるわよ! あなたたちも、作業を手伝ってくれるかしら?」
「はい! もちろんです!」
「頼もしいわね。それでは、あなたは隣の控室を使いなさい。……あ、その前に聖女様の正確な採寸を教えてちょうだい」
セリーナは大司教マティルダから渡された、シルヴィアのスリーサイズが書かれた秘密の紙を夫人に手渡す。
「用意が良いわね。では、聖女様の髪の色は?」
「長く綺麗な、美しい銀色です」
「それと、目の色は……」
こうして、彼女たちは予定通り、リリアナローズの邸宅に寝泊まりしながら作業を進めることになる。
そして、同日の夜九時。
リアルでの用事を済ませた悠希とタピオカが、揃ってゲーム内にログインしてくる。
セリーナ:あ、精霊さん、タピオカさん。こんばんは!
サクラリア:こんばんはですわ!
「こんばんは、セリーナ、サクラリア」
『二人とも、こんばんは。作業は順調?』
夜遅くまで裁縫室で夫人と一緒にドレスの改修作業を行っていたセリーナが、虚空に向かって急に挨拶を交わし始めたのを見て、隣にいた夫人はすぐに状況を察する。
「もしや……そちらにいらっしゃるのが、セリーナを窮地から救ってくださったという、噂の精霊様でしょうか?」
悠希は慌てて周囲の様子を確認する。セリーナたちは現在、ドレスの仕立て作業中だ。
彼にとって、セリーナのおばあちゃんであるクラリス夫人と直接顔を合わせるのは、これが正真正銘の初めてであった。これまでは、セリーナが夫人と過ごす時間に配慮して、彼女が夫人に会う際にはいつも身体を彼女に返して、自身はログアウトしていたからだ。
「はい、ワタシはその精霊……以前『アリス』という偽名でこちらの街にお邪魔した者です。アリスの正体がセリーナであることは周囲に隠しておきたいため、できればそのまま『精霊』とお呼びください。そして、こちらのサクラリアの体をお借りしているのは、同じ精霊仲間のタピオカです」
『タピオカと申します。クラリス夫人、はじめまして!』
夫人は持っていたハサミと布をテーブルに置き、おもむろに悠希の手を両手で優しく包み込む。
「そうでしたか。セリーナを助けていただき、本当に、本当にありがとうございました。精霊様」
「いいえ、これはセリーナの亡きお母様――エメラルダさんから、ワタシたちに託された願いですから。彼女の祈りがなければ、ワタシたちもセリーナに出会うことはできませんでした」
「エメラルダが……あの子の魂が、精霊様たちに愛しい娘を託したのですね……」
「はい」
「あの子は……今、安らかにしているのでしょうか」
「神様から聞いた話では、彼女はすでに新しい世界で、とても優しい両親の元に生まれ変わり、新しい幸せな人生を歩み始めているとのことです」
「そうですか……。わたくしにはあの子を幸せにする資格などありませんでしたが……本当に、あの子が救われたのなら、これ以上の喜びはありませんわ」
セリーナ:そんなことありません!おばあちゃんの依頼がなければ!
セリーナ:私たちは借金のせいで生活することすらままならなかったはずです!
セリーナ:前にお話しした通り、お母さんは最期まで、
セリーナ:ずっとおばあちゃんへの感謝を口にしていました!
チャットで必死に話した彼女の叫びを、悠希はすでに、そのままクラリス夫人へと代弁していた。
「そっか、セリーナは今はえっと……その身体の中にいるのね。」
「はい……クラリス夫人、ドレスの仕立て中にこのような話をしてしまい申し訳ありません。そちらの素材で何か足りないものはございますか? 欲しい物があれば、何なりとお申し付けください」
「いえ、大丈夫ですよ。こんなに素晴らしいドレスを仕立ててくださるのですから、こちらこそ感謝いたします。」
「では、孫とのお仕事の時間を邪魔しないよう、ワタシたちはまた後で……」
サクラリア:精霊様!お風呂ですわ!あの素敵な浴槽を出してくださいな!
セリーナ:あはは、確かに、一日中作業をしていて汗をかいたので、温かいお風呂に入りたいですね。
『まあ、セリーナたちも毎日お風呂に入る習慣がすっかり身についちゃったからね。精霊くん、もう夫人に私たちの存在もバレちゃったんだし、色々と生活設備を出してあげてもいいんじゃない?』
「そうですね……。クラリス夫人、少しの間、セリーナの借りている部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん構いませんわ」
数十分後。
隣の部屋は、タピオカがストレージから取り出した高級家具の数々によって、最高クラスのホテルのように快適な空間へとカスタマイズされていく。その後、悠希たちはこれ以上ドレスの製作作業の邪魔をしないよう、静かにログアウトを済ませてリアルに戻った。
「おばあちゃん! しばらく作業を休んで、一緒にお風呂に入りましょう!」
「お風呂……? あなた、一体何を言っているの?」
「いいからいいから! 私の部屋に来てください!」
このような賑やかな雰囲気の中で、聖女シルヴィアの歓迎ドレスは、非常に順調に、かつ美しく製作されていく。




