44 エルドラーナはいい人だから
ナイジェリアの森中心部。崩れかけた石柱が並ぶ広場の外側で、エルドラーナと魔法使いたちは息を潜め、アリスとクリスタルゴーレムの戦いを見届けていた。
広場に足を踏み入れた瞬間、ゴーレムの目が光を帯び、ゆっくりと立ち上がる。重々しい音と共に起動した巨体は、目の前のアリスへ拳を振り下ろした。
(なぜ、下がらないの?!)
思わず杖を握りしめるエルドラーナ。しかし次の瞬間、彼女の目に映ったのは常識を超えた動きだった。拳が地面を叩きつける直前、アリスは目にも止まらぬ速さで背後に回り込み、下級魔法〈ファイヤーボール〉を連続で放つ。
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
ゴーレムは腕を回転させながらゆっくりと前進する。通常ならタンクには避けられない攻撃だ。だがアリスは一定の距離を保ち、円を描くように移動する。その結果、ゴーレムの回転攻撃は彼女を追い続けるものの、ほとんどその場で小さな円を描いて空振りを繰り返すだけとなった。
そして回転が終わった瞬間、ゴーレムの動きは止まり、弱点である背中がぴたりとアリスの正面にさらされた。まるで彼女のために弱点を差し出したかのように。アリスは再度、〈ファイヤーボール〉の連射。
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
その時、ゴーレムに異変が走る。胸元に埋め込まれた顔が口を開き、嫌な予感が走る。――大技だ。
次の瞬間、極太のビームが一直線に放たれ、触れたものを瞬時に氷漬けに変えていくの必殺の一撃。
アリスは防御もせず、軽やかな横移動でかわす。だがビームは軌道を変え、こちらへ薙ぎ払ってきた。
「氷よ、集い、壁を成せ――〈アイスウォール〉!」
エルドラーナはすぐに魔法が発動し、半透明の氷壁が立ち上がる。だが薙ぎ払うビームは壁に届く前に、突如として動きを止めた――しかし、ビームそのものはなお放たれ続けていた。まるで彼女たちを見逃したかのように。
氷壁の向こうを覗くと、アリスが跳躍してゴーレムの背後に着地していた。どうやらゴーレムは頭を上げられず、標的を見失った結果、ビームを正面にしか撃てなかったらしい。
彼女はそのまま背後から〈ファイヤーボール〉の連射。ビームは途絶え、巨体の動きも完全に止まる。そして光の粒子となり、跡形もなく消え去った。
ビームによって凍りつけられた植物を覆っていた氷も同じく粒子となって消え、戦闘の痕跡は地面に残る拳の跡だけ。まるで何もなかったかのように、広場は静寂を取り戻していた。
エルドラーナはアイスウォールを解除し、言葉を失った。圧倒的すぎる。何度挑戦しても苦戦するクリスタルゴーレムを、ファイヤーボールだけで倒せるものなのか?いいえ、絶対に違う。少なくとも自分たちの魔法では不可能だ。
息切れの様子もないアリスが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。魔法を発動した以上、隠れていたことはもう知られているだろう。エルドラーナは広場へ姿を現した。
「こんばんは、アリスさん。」
「あら、エルドラーナさんでしたか。こんばんは。」
「その反応では、私たちがここにいることはわかっていたのね。」
「ええ、まあ。……先ほどビームに巻き込みそうになってしまい、申し訳ございません。」
「いいえ、何もなかったから大丈夫。」
「そうですか、良かったです。」
エルドラーナは一歩踏み込み、問いかける。
「アリスさん。あなたは領主様の依頼を受け、私たちと一緒にゴーレムを攻略する……わけではないのね。」
「はい。ワタシはダンジョンに入りたいだけです。」
「それなら、あたしを中に連れて行ってくれないかしら。」
「え?どうしてですか?」
「入り口だけでいい。中のモンスターがどれほど強いのか、知っておきたいのです。」
アリスはすぐには答えず、少し考え込んでからこう答える。
「……さっきのビームのお詫びで、今回だけですよ。」
「ありがとうございます。」
「エルドラーナさんだけですか?」
後ろを振り返ると、営地ではすでに全員が起きていた。戦闘が短すぎて状況を理解できない<爆雷の爪>のメンバーには、他の魔法使いが今彼らに説明をしている。エルドラーナは前衛一人、斥候一人、そして自分の三人でダンジョンに入るのが妥当だと判断した。
「アリスさん、前衛のアレン、斥候ライザと一緒に同行してもいいですか?アレンはあなたと面識がありますし。」
<暁の誓い>のリーダー、アレンと斥候ライザが前に出てアリスへ一礼する。だがアリスは彼らを見ず、エルドラーナだけに視線を向けた。
「私はすぐに入ります。準備はいいですか?」
「あ、はい!」
こうして、エルドラーナたちはアリスと共に未発見の遺跡ダンジョンへ足を踏み入れた。
中は廃墟となった街並みが広がり、予想通りモンスターは強力だった。キラーネスミ、ゾンビ系、蜘蛛、そしてゴースト。だがそれらは出現する前に、アリスの杖と魔法によって次々と叩き潰されていく。
試しにアリス抜きでキラーネスミ一体と戦ってみたが、強かった。ギルド最強のエルドラーナでさえ、火属性の中位魔法を二発撃たなければ倒せない。前衛のアレンは盾で防ぐのが精一杯で、負傷した彼をアリスが即座に回復させた。
しかし、あれは他の場所でも戦ったことのあるモンスターだ。練度が高いだけで、注意深く立ち回れば倒せる。だが違和感があった。アリスが倒したモンスターはすべて光の粒子となって消えたのに、自分たちが倒したキラーネスミは普通に死体が残っていたのだ。
そのことをアリスに問いたかったが、答えは得られないだろう。エルドラーナは口を閉ざした。
(モンスターの死体が粒子となること。圧倒的な力で軽々と倒すこと。頭上に輝く天使の輪。アリスさんはやはり、本物の天使なのだろうか。)
エルドラーナがそれを考えてる途中、先頭を歩いていたアリスがふと彼女に声をかけた。
「ここのモンスターはほぼエルドラーナさんと同じ強さですから。また入る時は入り口で慣れてから進んだほうがいいですよ。」
「そう……みたいですね。ありがとうございます、アリスさん。」
それ以上の返事はなかった。無理もない。先日の領主ヤーク捕獲作戦に無理やり巻き込まれ、怒られてしまったことを思い出す。領主の執事の独断であり、エルドラーナには関係ないのだが、彼女は少し申し訳なさを抱えていた。
一行は徐々に入り口から離れ、ダンジョンの深部へと進んでいく。本来なら入り口付近でモンスターの強さや素材を確認し、帰還する予定だった。しかしアリスは帰還する気などなく、迷いなく最深部へと歩を進めていた。
普通の冒険者なら、慎重に進みながらマッピングを行い、素材を回収し、宝箱を罠に注意して開け、モンスターの剥ぎ取りをするものだ。だがアリスは一切そんな素振りを見せない。エルドラーナの目には、まるでこのダンジョンの地図を既に持っているかのように、迷いなく進み、ただモンスターを倒すためだけに来ているように映った。
(この人は、本当に冒険者なのか?……いや、やはり天使?翼はないけれど……それより、どこまで行くつもり?最深部なんて、あたしたちは何の準備もしていないわよ!)
やがて一行は崩壊した巨大な宮殿の前に到着した。途中のモンスターはほぼアリス一人で倒し、宝箱はエルドラーナたちが回収した。素材も拾えるだけ拾い、カバンはいつの間にかいっぱいになっていた。普通ならここで帰還するはずだが、アリスはそのまま宮殿へ入る気でいた。
(ここは……明らかに最深部だ!アレンたちは雑魚相手でも精一杯なのに……アリスさんはボスも一人で倒すつもり?)
心配で仕方なかったが、止める術はない。彼女の後ろについて最上階へと進み、寝室らしき部屋の前に立った。
エルドラーナは直感した。――この中には強大なモンスターがいる。ダンジョンの主だ。
「あ、アリスさん?まさかそのまま入るつもりじゃないですよね。あたしたちは何の準備もないのに。」
「そのまま入るつもりです。あなた達はここで待ってもいいですよ。すぐに終わりますから。」
「いいえ、あたしは一緒に入ります。あなたは強いとわかっていますが、あたしの魔法も役に立つはずです。」
<暁の誓い>のアレンとライザも勇気を振り絞って言った。
「俺たちも入ります。少なくとも盾役はできます。」
「私も弓で援護できます。」
アリスはため息をつき、振り返った。
「はぁ……本当にすぐに終わるですから、ついて来ても私の後ろに隠れてください。」
そう言うと、彼女は小さく呟いた。瞬間、彼女の身体に赤いオーラが立ち上り、同時にエルドラーナたちの身体にも茶色のオーラが宿った。
(これは……補助魔法?!今の囁きが呪文?攻撃も回復も補助も……しかも短剣も使っていた。オールラウンダー?一体何者なの……?)
さらに、アリスの白い杖の先に凄まじい魔力が集まっていく。
(これは……上位魔法?呪文もなしに?)
その魔力を維持したまま、アリスは寝室の扉を開き、まるで自宅に入るかのように踏み込んだ。
エルドラーナたちも武器を構え直し、後ろに続く。
部屋の中は蜘蛛の糸に覆われ、まさに主の巣。中央の天蓋付きベッドには、アラクネが鎮座していた。――いや、明らかに普通のアラクネではない。その存在感……まさか、アラクネの女王?
「……あれは普通のアラクネじゃない!早く逃げなさい!」
叫んだ瞬間、予想外の光景が広がった。アリスは泡玉のような魔法を放ち、続けて杖に溜めた魔力を極太のビームとして女王に直撃させた。
一瞬だった。
戦いは、終わった。
アラクネの女王は一瞬で光の粒子となり、消え去った。エルドラーナは驚きのあまり、危うく杖を取り落としそうになった。
「YES!魔宝石……皆さん、戻りますよ。」
あまりに軽いアリスの反応に、誰もどう答えていいかわからない。エルドラーナは思わず問いかけた。
「アリスさん……あなたは一体何者なの?」
キツネの仮面に隠された表情は見えないが、アリスは少し意外そうに答えた。
「普通の冒険者です。」
「いや、天使の輪がついているじゃない!」
「あ……これは……ただの照明です。気にしないでください。」
「照明って……。」
その瞬間、アリスの頭上の天使の輪は消え、辺りは薄暗くなった。
「冒険者ギルドは冒険者のプライベートを詮索しないはずですよね?」
「………。」
「いいですか。ダンジョン以外のこと……ワタシの情報を言いふらさないでください。いいですね。」
言葉に宿る圧は重く、三人は束になっても敵わないと悟り、ただ頷くしかなかった。
「約束しましたね。」
「も、もちろんです。」
「では戻りましょう。」
「「「……。」」」
エルドラーナはこう返事をするしかなく、一行は撤収した。途中のモンスターは既にアリスが倒していたため、出口まで何事もなく辿り着いた。
入り口ではクリスタルゴーレム討伐隊の仲間たちが待っていた。
「あ!出てきた!」
<暁の誓い>の魔法使いリリィが駆け寄る。
「大丈夫?ギルド長。」
「ええ、大丈夫よ。」
「では、ワタシはこれで失礼いたします。先ほどの約束は忘れないように。」
アリスは軽く一礼すると、皆を振り返らずに森へと消えていった。
エルドラーナは慌ててその背に声をかける。
「あ、ありがとうございます!アリスさん!」
それを見たアレンとライザも、同じようにアリスの消えた方向へ頭を下げた。
その後は大騒ぎだった。<爆雷の爪>のメンバーが詰め寄り、「なぜうちの仲間は一緒に入らなかった、不公平だ!」と声を荒げた。
エルドラーナも不公平だと理解していた。本来なら両パーティーから一人ずつ選ぶべきだった。しかし、もしアリスを怒らせれば、今度こそ見捨てられる。あのダンジョン内で放置されれば、生死に関わる。
彼女はアリスの実力に触れないよう説明し、アレンたちと面識があるため選んだと理由を述べた。さらに今回は領主とギルドの合同依頼であり、宝物は個人のものにならないと伝えることで、<爆雷の爪>の怒りは一応収まった。
斥候ライザは中でマッピングした地図を広げ、素材やモンスターの種類を説明した。
もちろん、アリスの天使の輪は魔道具だと説明し、ダンジョンボスを一撃で倒したことは意図的に伏せていた。
「いいか!このダンジョン内のモンスターは強い。一体一体がランク6程度だ。他の蘇生系モンスターは午前3時に復活するだが、クリスタルゴーレムの蘇生時間は不明。探索許可は夜12時まで。入り口付近を中心に行動しよう。」
「「わかった!」」
「忘れるな、今回の主目的はクリスタルゴーレムだ。ダンジョン情報はあくまでおまけ。この難易度ではランク6以上でないと危険だ。気を付けて。」
こうして二つのパーティーは再びダンジョンに入り、入り口付近の探索へと向かった。
エルドラーナはテントに戻り、領主への手紙を書いた。クリスタルゴーレムはアリスに倒され、現在は軽くダンジョンの探索中と報告する。だが、アリスの天使の輪やダンジョン内での出来事は一切触れなかった。最後に「もしアリスを監視しているなら、怒らせる前に手を引け」と進言を添えた。
呪文を唱えると魔力は鳥の形を取り、鳥は手紙を包み込み、やがて一体となり、魔力鳥は羽ばたきと共に、バールヴィレッジへと飛び去った。
残ったエルドラーナはアリスが持っていた珍しい杖を考え、頬を少し赤く染めた。ため息まじりに呟いた。
「はぁ……アリスのあの杖、触ってみたいわ。」
アリスとクリスタルゴーレムの戦いは、エルドラーナにとって一応参考になった。彼女が言った「背中が弱点」という情報は正しかった。今まで胴体の顔を弱点と思っていたのは完全な誤解だった。
翌日、エルドラーナと冒険者たちは重い盾を持つタンクから回避タンクへ編成を変え、大人数でクリスタルゴーレムに挑んだ。被害は少なく、討伐には時間がかかったものの、意外なほど容易にクリスタルゴーレムを倒すことができた。
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一方、ダンジョン周回を終えた悠希とタピオカは、森に入った後すぐに翠夢の森の小屋へ転移した。
悠希は照明用の天使の輪を再び装備し、木材を採取しながらタピオカに話しかける。
「はぁ……どうやらあの遺跡ダンジョンは、しばらく周回できなくなったね。」
『そうですね。それに豆腐くん、天使の輪……見られちゃいましたね。話し方……セリーナたちが眠っていても、油断はしないでください。』
「こ、コホン。そうですね。この照明があまりにも当たり前になっていて、存在をすっかり忘れていました。タピオカくんも同じではありませんか?」
『うん、私も忘れてた。リアルのセレアグでも夜はキャラの周りが薄く光ってたからね。』
「『……まっいいか。』」
二人の声が重なり、思わず笑い合った。
タピオカはすぐに話題を変える。
『でもね、この世界のエルドラーナさんってすごい美人じゃない?ホントに二次元美少女が実在したみたい。私たち、ほんとに二次元に入っちゃったね。』
「それはわかります。本当に綺麗ですよね。他の人気キャラクターの騎士団長や聖女も、女神のような容姿かもしれません。」
『あ~~あ~、見てみたいわ~!』
「ですが、ワタシたちの目にはゲームのようにアニメ調で映っているのです。それも恐らく、あの巫女さんがワタシたちに恐怖を感じさせないためだと思います。」
『ラノベ定番の“あれ”ってやつ?』
「ええ。もし現実的すぎたら、ワタシたちはモンスターを恐れて倒せなかったでしょう。人を傷つける場面でも動けなくなってしまうはずです。今のようにアニメ調なら、ゲーム感覚で割り切れる……あくまでワタシの考察ですが。」
『なるほど、この世界がセレアグみたいにアニメ調なのは一理あるね。確かにリアルすぎたら怖いわ。』
タピオカはセリーナになった悠希の頭の上に乗りながら、さらに質問を続ける。
『ねえ豆腐くん。どうしてエルドラーナさんのお願いを聞いて、遺跡ダンジョンのボスまで案内したの?』
悠希は木を叩く手を止め、少し考えてから再び作業を続けながら答えた。
「そうですね、この世界の冒険者たちの平均レベルはせいぜい10~20程度です。しかも装備は市販の弱いものがほとんどで、少し強いといってもダンジョンで拾える“R”装備くらいしかありません。彼女は一応レベル33ですが、あの遺跡ダンジョンでは雑魚ですらレベル30。彼女たちにとっては十分に強敵です。一応知り合いですから、死なせたくはありませんでした。」
『そうなのですね。それに豆腐くんのお話では、彼女はガンド村の村長の件を知った後、すぐに冒険者を派遣したのでしょう?ゲーム設定通り、姉御肌で良い方ですね。』
「ええ。それに完凸の精霊石が売れたのも彼女のおかげです。だからボスまで案内したのです。」
『まぁ、そのせいで今日は一周しかできませんでしたね。』
「仕方ありません。エルドラーナさんはともかく、あの領主にはもう関わりたくありません。成り行きで一度案内した恩は売りましたし、ワタシたちの実力を知れば、もう近づいてはこないでしょう。あそこでボスのリポップを待っていたら、色々と聞かれてしまいます。逃げるのが賢明です。」
『あ~~、あの“太った成金領主”ならセリーナに粘着して、手下にするまで離れないでしょうね。あり得ます。』
悠希は違和感を覚え、タピオカを手に移して問い返す。
「えっと……領主様は中年のイケオジですよ。太った成金ではありません。」
『え?でもワタシ、リアルのセレアグのストーリーを走った時、ゲーム内のエルドラーナさんが“今の領主は悪い貴族の太ったオジサン”って言っていました。その後、彼女は別の街に行くつもりだと告白して仲間になったのです。育成可能になったのもその時でした。』
「えぇぇぇ~~初耳です。ワタシはメインストーリーの攻略動画を倍速で見ただけなので、そんなシーンがあったかどうか……。」
『その動画、最速攻略用ではありませんか?』
「今の領主様は一応良い方です。この前の件も、腹黒な老紳士セバスチャンの策だったと知った後、すぐに謝ってくださいました。」
『それですよ。“神速”なんて二つ名が付いた老紳士、見たことがないわ。』
「………。」
『………。」
「もしかして、この前の件……領主とセバスチャンは亡くなる運命……ではありませんよね。」
『はぁ……十中八九そうだと思います。』
「『まっいいか。』」
二人は再び声を重ね、他愛もない世間話を続けながら木材の採取に集中した。




