45 迷宮都市ヴァロリア
セリーナたちは月曜日に馬車でミルデンへ到着し、そこからオルヴァン、フェルデン、カーヴェルを経て、今日の午後三時、ついに「迷宮都市ヴァロリア」に辿り着いた。
馬車を降りた瞬間、セリーナは思わず息を呑む。彼女の目には、ヴァロリアが「迷宮都市」と呼ばれる理由がはっきりと映っていた。
街の中央には巨大な闘技場がそびえ立ち、模擬試合の歓声が遠くまで響いている。本大会は来月だというのに、都市全体がすでに熱気に包まれていた。
一角には冒険者なら誰もが知る有名なダンジョンの入口があり、人の出入りが絶えることはない。街路には鎧や武器を背負った冒険者たちが行き交い、鍛冶屋の店先からは鉄を打つ音が響き続けていた。
ここはまさしく、冒険者のために存在する都市であった。
セリーナは長い馬車旅で硬くなった身体を伸ばしてから、サクラリアと一緒にこの街を見回す。
「うん~~やっぱりタピオカさんが言ってた高い塔は見えませんね。天まで昇れるくらい高い塔だって聞いたのに」
空を見回すが、そんな塔は見当たらない。もし本当にあったなら、街に近づく途中で目に入っているはずだ。
フードの中からサクラリアが声をかける。
『ここは本当に迷宮都市ですの?』
「私も初めて来たのでわかりませんが、馬車の人は確かにそう言っていました。間違いないと思います」
『夜を待って、タピオカ様に確認するしかありませんわね』
「そうですね」
そこへ馬車の護衛であるレオンと、獣人のヴァルクが近づいてきた。
「セリーナ、これからどうする?俺はヴァルクとギルドに報告して、宿を見つけたら夕飯を食べるつもりだ。セリーナはこの街で初めてだろ?一緒にどうだ、いい店を紹介するぜ」
ありがたい誘いだった。安全で信頼できる宿を探す必要があるし、バールヴィレッジからここまで護衛してくれた二人なら信用できる。
「ありがとうございます、ご一緒します」
「よし、決まりだな!」
旅の間、昼食時にはいつも二人がセリーナの隣に座り、面白い話を聞かせてくれていた。人の悪意に敏感なサクラリアも警戒を示さなかったため、少しずつ打ち解けていたのだった。
こうしてギルドに寄った後、レオンの紹介で宿を借り、市場を軽く回り、夕飯を済ませて宿へ戻った。
宿でセリーナが身体を拭いていると、サクラリアが話しかけてくる。
『やっと出られましたわね』
「ごめんなさいね、ヴァルクさんがいたから、ずっとフードの中に隠れて大変だったでしょう?」
『いいえ、気にしませんわ。レオンさんの話も面白かったですし。それより、夕飯の時の白い粒々は何ですの?』
「あれはご飯ですよ」
『おいしいの?』
「ご飯だけだと味は薄いけど、お肉や野菜と一緒に食べるものですね」
『精霊様は作れるのかしら?』
「この街でお米が買えれば、多分作れると思います」
『それは楽しみですわね』
少し間が空く。
『……精霊様たちが来るまで暇ですわ。前の本も読み終わりましたし、面白い遊びはありませんか?』
「遊び……私には答えられないわ。長年の借金生活で、暇な時は物を作って売るか、森で食べ物を探すくらいだったから。最近は精霊さんのおかげで何もしなくても快適になったはずなのに……逆に落ち着かないの」
『あら、仕事が欲しいの?』
「ええ、まぁ……そうね。お金を稼がなくちゃいけない気持ちが、どうしても消えないの」
セリーナは桶をテーブルに置き、提案する。
「うん~~遊びなら、魔法の練習も兼ねて、桶の中で氷の城を作ってみる?」
『あら、面白そう!練習にもなりますし、良いアイデアですわね』
サクラリアは早速魔法で水を凍らせ、小さな建物を作り始めた。
セリーナはそれを眺めながら、静かに考え込む。
(昔から「暇」と感じたことはなかった。だが今は急に時間が余り、露店を開いて物を売ることもできるはずなのに、なぜか避けてしまう。お客様を待つ間、あの貧しい生活を思い出してしまうからだ)
(その思い出は嫌いではない。お母さんとの大切な記憶でもある。けれど考えれば考えるほど――「なぜ精霊さんはもっと早く来てくれなかったの?もっと早ければお母さんは死なずに済んだのに……」という思いが浮かんできてしまう。だから精霊さんがいない時は、露店を開かない。代わりに、自分が精霊さんに役立てることを考えるのだ)
(先週、無垢晶のことで精霊さんに褒めてもらった。あの時は本当に嬉しかった。私にもできることがあるんだ、と)
(では、迷宮都市に到着した今、私は……一体何をすればいいのだろう)
セリーナはそう胸の中で問いかけながら、静かに悠希たちの帰りを待っていた。
--------------------------------------------------------
俺はコンビニ弁当を持って自宅の扉を開けた。
弁当をレンジに入れ、すぐに風呂へ直行する。湯船で疲れを洗い流し、引きずるような足取りでベッドへ倒れ込んだ。
「さすがに出張後の会議と溜まった業務はキツいな……しかも大型連休前だし」
今日は金曜日。来週の月曜から水曜までが祝日で、土日を含めれば五連休――いわゆるシルバーウィークだ。
旅行?するわけがない。人混みは大嫌いだし、当然セレアグの世界に引き籠もるつもりだ。
うまくいけば、セリーナたちは今日迷宮都市に到着しているはず。覇者の塔の不死鳥の階まで登り、〈不死鳥の紋章〉を二つ手に入れるまで周回する予定だった。
その時、スマホがけたたましく鳴った。この時間なら……タピオカくんだろう。
身体を起こし、通話ボタンを押しながら弁当の蓋を開ける。
『もしもし、豆腐くん?』
「飛べる豆腐でござる」
『なんだ、すごい疲れた声してるね』
「出張後の会議、溜まった仕事、連休前の忙しさの三連コンボだ。残業しないで帰ってきただけで、自分を褒め叩きたいくらい頑張ったよ」
『まぁ、お互い様だね。予定通りならセリーナたち、今日迷宮都市に着いてるはずだけど。今日はいつログインする?』
「夕飯のあと入るつもり。はぁ~やっと木材採取の無限ループから解放される。良かった良かった」
『遺跡ダンジョンはしばらく入れないし仕方ないよ。その分セリーナの小屋は近代化リフォーム完了だね。素材集めお疲れ様』
「いやいや、タピオカくんがいなきゃあんな綺麗にレイアウトできなかったよ。ありがとう。あの小屋、今住んているの部屋より綺麗だからね。羨ましいよ……」
『わかる。内装は私が考えたけど、シルバーウィークはずっとあの小屋に籠もってゲームしたいくらいだもん』
「それな!完全に理想のリゾートだわ。セリーナたちが見たらどんな反応するか楽しみだな」
『そうだね。ここ数日、二人とも小屋に立ち寄っていないし、絶対に驚くよ』
「そうそう、シルバーウィークは俺、ずっとセレアグに入って覇者の塔を登るつもりだけど、タピオカくんは?」
『当然一緒。私はサポーターだからね。早く34階の“サンダーハーピー”を倒して〈雷鳴の羽弓〉をドロップしたいんだよね』
「はいはい」
ここ数日、サクラリアの自衛用のためにアラクネの素材を使ってSRの弓を作ってみたのだが、結果は芳しくなかった。あの世界は妙にリアルで、“弓”単体では矢が存在しないのだ。ゲームなら矢が自動で無限生成されるが、現実はそう甘くない。当然、製作メニューを確認しても“矢”の項目は存在しなかった。
妖精サイズの矢は店で買えないし、タピオカくんは試しに小さな矢を手作りしてみたのだが、妖精サイズの小さな矢では威力を出すのも難しく、射程も短すぎた。だから今の弓はあくまで練習用であり、実戦ではほぼ使えない。
そのため彼女は攻略サイトの装備説明を泥臭く読み漁り、無限の矢や魔法の矢を射出できる特殊な弓を探し続けたのだった。そして辿り着いたのが、比較的入手しやすい〈雷鳴の羽弓〉だった。
『それでね、サクラリアにも隠しスキルレベルがあると思うの。脳内では初級弓の技が使えると認識してるみたいだし。ただメニューには詳細が見えない。システム上、私はあくまであなたのサポーター扱いみたいね』
「なるほど……じゃあ覇者の塔の浅い階は、あなたも他の武器で雑魚ボスを倒してスキルレベルを上げる必要があるな。妖精専用の隠し技が出るかもしれないぞ」
『おお!ありえるね!これは楽しそう!』
「育成は楽しいけど、あの世界はリアルだからな。俺は前に刺されたことあるし、UR装備のおかげで無傷だったけど、痛みと刺された感触はしっかり生々しかったからね」
『はいはい、ノーダメ縛りね。わかってるよ。逆にリアルだからこそ、ボスも工夫次第で意外とあっさり倒せるんだけどね』
「まあ、それもそうだな」
タピオカくんの言葉は間違っていない。リアルだからこそ、ボスはゲームのHPゲージのように極端にタフではないのだ。急所を突いたり、関節を切断すれば技も弱体化する。足を切れば機動力を容易に奪える。覇者の塔を攻略していくのも決して不可能な話ではない。
『私はもう夕飯済ませたよ。豆腐くんは?』
「俺は今から食べるよ」
『ほんとに疲れそうだね……そんな装備で大丈夫か?』
「大丈夫だ、問題ない」
『明日のために今日は早めにログアウトしなさいよ』
「ありがとう。今日は早めに上がるよ」
食べ終わった弁当を片付け、俺とタピオカくんはセレアグの世界へログインした。
--------------------------------------------------------
ログインすると、サクラリアが桶の中に氷で作った小屋の模型を浮かべているのが目に入った。
セリーナ:あ、こんばんは、精霊さん、タピオカさん。
サクラリア:こんばんはですわ。
「お二人もこんばんはです」
『こんばんは。この氷の模型は何ですか?』
サクラリア:わたくしがお二人を待っている間に魔法で作りましたの。セリーナの森のお家ですわ。
セリーナ:新しい本もないし、やれることもないから、暇つぶしです。
「なるほど。お金はあるのですから、好きな本を買っていいのですよ。……ということは、ここは迷宮都市ですね」
セリーナ:はい、無事に到着しました。
セリーナ:でもタピオカさんが言っていた、天まで登れそうな塔は見えませんでした。
「『え!?』」
俺達の声が重なった。まさか、この世界には覇者の塔が存在しないというのか……?!
『うそ!覇者の塔がないの!?』
驚いたタピオカくんはすぐに窓から外へ飛び出し、周囲の夜景を確認しに行って――落胆した様子で戻ってきた。
『本当に……なかった。セリーナ、ここにダンジョンはあるですか?』
セリーナ:はい、あります。〈深淵迷宮〉があります。
『うん……〈深淵迷宮〉はある。でも〈覇者の塔〉はない……未実装?いや、確か初期から実装済みのはずなのに……』
タピオカくんが頭を抱えて考え込む間、セリーナたちが言葉を繋ぐ。
セリーナ:今日は冒険者ギルドで〈覇者の塔〉について受付嬢さんに聞きましたが、
セリーナ:知らないと言われました。
サクラリア:セリーナ、もしかして、ここでは〈覇者の塔〉と呼ばれていないのではなくて?
セリーナ:わかりません。明日、タピオカさんが言っていた場所に行けばわかるかもしれません。
『そうですね。あの場所に塔が存在するなら、それこそが〈覇者の塔〉でしょう』
「わかりました。では明日の朝、塔を探しに行きましょう」
『うん』
ゲームのセレアグで塔を攻略したことがあるタピオカくんは、塔の場所を知っている。明日あそこに行けばすぐに確認できるはずだ。もし本当に塔が存在しなければ……〈不死鳥の紋章〉は諦めるしかない。あれはドロップ限定アイテムであり、作成は不可能なのだ。もしそうなら実に惜しい。
サクラリア:精霊様、では今晩は〈深淵迷宮〉に入るのですか?
「いいえ、あのダンジョンは広すぎて時間がかかりすぎるため、入りませんよ」
サクラリアはわくわくしそうだが、残念ながら〈深淵迷宮〉へ入る気はない。その理由を分かりやすく彼女たちに説明する。
〈深淵迷宮〉
セレアグにおけるエンドコンテンツの一つ。大人数パーティー向けの巨大ダンジョンで、地下に向かって少なくとも百階以上が存在する。難易度は極めて高く、ソロ攻略には全く向いていない。
セリーナたちのステータスなら、十階程度までは何とか突破できるだろう。しかしその浅い階層で得られる素材は旨味が薄い。十階ごとにエリア限定ボスが配置され、強力なレアアイテムを落とすが、周回には途方もない時間が必要となる。
この世界のマップは現実スケールであり、一階層の広さだけでいつも周回していた遺跡ダンジョン以上だ。最短で駆け抜けても一階層の攻略に三十分、十階まで進むのに五時間は確実に拘束される。十階目のボスを撃破すれば脱出用の転送陣が解放され、次回からは十一階から再開できる仕様だ。しかし、十階目の限定ボスを再度周回したい場合は、また一階から徒歩で攻略し直さなければならない。
俺たちはゲームで遊んでいるのではなく、セリーナたちの安全のために動いているのだ。だからリスクと時間のかかるこの迷宮に深く潜るべきではない。
説明を聞いたサクラリアは深く納得したようだ。
サクラリア:なるほどですわ。確かにすごく時間がかかりますわね。
セリーナ:まさか百階もあるなんて……。
「はい。時間の問題以外にも、あのダンジョンは階層ボスのレアドロップ以外に旨味が少ないのです」
『そうですよ。だからボス素材目当てなら、ソロ向けの〈覇者の塔〉を狙うのが一番効率的なのです』
ここでタピオカくんが〈覇者の塔〉の特徴を解説した。
〈覇者の塔〉
同じくエンドコンテンツの一つだが、〈深淵迷宮〉とは異なり完全にソロプレイヤー向け。各階層が一つのボス部屋となっており、撃破すれば次の階へ登ることができる。十階ごとに脱出用の転送陣が解放され、次回は十一階から再開可能。
限定ボスは二十階ごとに登場するため周回効率が非常に良い。さらに各階のボスは既存ダンジョンのボスの流用であるため、狙った素材集めにも最適化されている。
『だから〈覇者の塔〉を周回したほうが圧倒的に良いのです。それに私たちの目的である“不死鳥”は50階で出現します。だから覇者の塔一択なのです』
セリーナ:タピオカさんの説明を聞くと、本当に覇者の塔を周回したほうが良さそうですね。
サクラリア:明日、覇者の塔を見つけられれば良いですけれど。
セリーナ:そうですね。
セリーナは段々とゲーム脳しまった……ダンジョンボスをソロで倒せる実力がないと、塔の周回なんて到底無理だからな。この世界の人々は普通、沢山ボスが出るこんな危険すぎるダンジョンを“周回”なんてしないんだよ……と、セリーナにツッコみたい気持ちを必死に抑え、俺は言葉を飲み込んだ。……彼女をこんな風にしてしまったのは……俺たちのせい、か……ごめん。
「明日は土曜日ですから、ワタシたちは朝から来られます。塔のことは明日現地で確認した後に話し合いましょう。今はこれからの予定を決めましょうか」
セリーナ:精霊さん、この街には転送ポイントはありますか?
「はい、ありますよ。今からそれを解放して、小屋に戻りましょう。あなたたちはきっと驚きますよ」
セリーナ:おお〜!やっとお風呂に入れますね!
サクラリア:驚きって、一体何でしょう?
セリーナ:新しいケーキだと思います!
サクラリア:それは楽しみですわね!
俺はマイセットから星月ドレスを装備し、上からローブを羽織って姿を隠すと、宿屋の窓からそっと夜の街へと抜け出した。




