42 乗合馬車
翌朝、宿屋「牛角亭」で目を覚ましたセリーナとサクラリアは朝食を済ませ、荷物を再確認したあと、宿を後にした。
セリーナはいつものようにカバンを肩から斜めに掛け、白いマジックローブで現代風のお嬢様風の姿を隠している。サクラリアはそのフードの中に身を潜めていた。
ストレージを使えないセリーナは〈絶対零度のロッド〉を直接持ち歩くしかない。派手な杖頭が目立つため、布で覆って隠している。
二人は朝早く、乗合馬車の駅へと向かった。
私たちはミルデン行きの乗合馬車に到着しました。早めに来て正解でした。まだ朝の七時前なのに、乗り場にはもう人がたくさんいます。
「あ、はい!私、乗ります!」
料金を払うと木札の乗車証を渡され、それを見せて馬車に乗り込みました。
馬車には三人の護衛が付いています。黒髪の少年、ウルフ耳の獣人、それと二十歳くらいの魔法使いらしい眼鏡の女性。……何となくですが、彼らの実力がわかる気がします。えっと……言いたくはないけど、弱そうです。
『これは乗合馬車ですか?いつそのミルデンという街に到着できるの?』
サクラリアが小声で尋ねてきました。他の乗客もいるので、私も小さな声で答えます。
「午後の四時に着くらしいよ。その間は暇だから、精霊さんが昨日、暇つぶし用に小説を買ってきてくれたの。」
『あら、昨晩読んでいた本ですね。』
「でも少し難しい字が多くて、よくわからなかった。」
『わからないところがあれば、お母様に聞きましょう。』
「え?大丈夫かなぁ……。」
『大丈夫です、セリーナならお母様はきっと嬉しく教えます。』
やがて馬車は出発しました。
バールヴィレッジ発の馬車は三両編成で、一両につき八人が乗っています。私たちは先頭の馬車に乗りました。
実は私、乗合馬車に乗るのは初めてです。これまではガンド村の商人の荷馬車に便乗してバールヴィレッジまで来ていましたから。今は本当に「旅をしている」という気持ちで、少しワクワクします。ミルデンはどんな町なのかな、綺麗な景色は見られるのかな……すごく楽しみです。
出発してすぐ、馬車の中の人たちは世間話が始まりました。私は本を読むつもりでしたが、つい耳を傾けてしまいます。
どうやら皆、先週の領主様によるヤーク捕獲作戦の話をしているようです。冒険者ギルドが丸ごと封鎖されたのだから、街の人たちが知らないはずはありません。
「ねね、知ってる?先週捕まった違法奴隷商人は昨日王都へ運ばれたらしいわ。」
「知ってる、あの第三騎士団の隊長、カッコいいわね。」
「あら、ホント?昨日見に行けば良かったな。残念。」
そこへ、途中でおじさんが口を挟みました。
「いやいや、奥さんたち。聞いた話じゃ、あれは結構ヤバい連中らしいぜ。」
「あら、そう?」
「俺の衛兵仲間から聞いたんだが、捕まった女の方は“影なき処刑人”って呼ばれてたらしい。」
「「あら、嫌だ。」」
「誰にも気づかれずに人を殺せるんだと。だから捕まえた時、騎士団がすぐに両手を斬ったそうだ。」
「まぁ、怖い。」
「まあ、あれだけ人を殺したんだ。どうせ死罪は免れないだろうな。……それより噂じゃ、そんな強い女を捕まえたのは、あの時ギルドから出てきた仮面の女だってさ。」
え?待って……。
「あ~あたし知ってるわ。あの綺麗なドレスを着て、変な仮面を付けた人だよね。」
「そうそう、あいつだ。」
「あの時、彼女だけが何もなかったようにギルドから出てきたのはおかしいと思ったわ。そのあと騎士たちはすぐに犯人を連れ出したから。あの仮面の女はもしかして偉い人なの?」
「いや、彼女の身分は、噂では王国騎士団の副団長だぜ。」
「あらそう?でもその副団長は金髪のはずですが……あの仮面の子の髪の色は確か……薄い緑色で……。」
見なくてもわかる。皆の視線が私に集中している!!
『セリーナ、あなたの話をしているみたいよ。』
サクラリア!こんな時は話しかけないで!
流れ的に、隣の奥さんが私に声をかけてきた。
「ねぇ、お嬢さんは……どこから来たの?」
れ、冷静に。私の髪色は珍しいわけじゃない。精霊さんのように普通に答えればいい。
「はい、私はガンド村から来ました。もしかして、その仮面の女性が私だと思っているのですか?」
「あ、ははっ、そんなわけないわよね。あんな派手なドレスを着た人が乗合馬車に乗るわけないもの。ごめんね。」
「いいえ、お構いなく。」
「お嬢ちゃんは魔法使い?」
「あ、はい。一応、魔法は使えます。」
「そうなの?王都の学校に行くのかい?」
「はい、その辺です。」
私が答えると、奥さんはすぐに自分の息子が王都で騎士になったという自慢話を始め、周りの人たちもそれに加わった。気づけば話題は私に戻り、ここにいない息子を紹介される流れになり、他の奥さんやおじさんまで息子を売り込んでくる。私は知らないうちに、その会話の輪の中に組み込まれてしまった。
――普通の世間話って、こんな感じなのかな。長く隣人と話したことがないから、よくわからない。でもミルデンに着くまで暇だし、別に構わない。
昼時になると、馬車は道の脇に停まり、乗客たちは草原に腰を下ろして休憩と昼食をとった。
私は少し離れた場所で、フードの中に隠れているサクラリアと会話しながら食事をとる。
『セリーナ、大人気ですね。ふふっ。』
「もう笑わないでよ。本当の目的は言えないし、皆が息子を売り込んでくるのは大変なんだから。」
『うん~わたくしにはそういう気持ちはよくわからないわ。妖精は結婚しませんから。』
「そうね……お母さんも結婚のために貴族の針子の仕事を捨てて、お父さんとガンド村に来たの。お父さんも貴族の地位まで捨てるなんて、私には理解できない。」
『タピオカ様が話していた“愛”というものですか?』
「愛なら知ってるよ。私もお母さんのこと大好きだし。でも仕事まで放棄するほどなのは……わからない。愛ってそんなものなのかなぁ。」
『わたくしもわかりません。でも、わたくしはセリーナのことが好きですわ!ふふっ。』
「ありがとう、サクラリア。私もあなたのこと好きよ。ふふっ。」
知り合ったばかりなのに、サクラリアには何でも話せる気がする。きっと人間ではないからだろう。少なくとも彼女は私に嘘をつかない。人間不信というわけではないけれど、最近は本当に色々ありすぎて、誰を信じていいのかわからなくなった。
商人のヤークは実は悪党で、優しそうな村長は長年私たちを騙していた。領主様の執事の独断で戦闘に巻き込まれ、ガンド村の皆も急に優しくなった……。なぜか、そんな人たちよりも、妖精の女王様と姫様であるサクラリアの方が、ずっと仲良くなれる気がする。
そんな時、後ろから声が飛んできた。
「そこの君!」
振り返ると、呼んだのは護衛の獣人の男だった。結界の腕輪は獣人には効かないので、サクラリアはすぐにフードの中へ隠れる。
その獣人は三十歳前後だろうか。青いウルフの耳と尻尾、鍛えられた体躯、両手には鋭いクローのような武器。見た目は強そうだが、私の感覚では素手でも負けない気がする……この直感、信じていいのかな。周りを見ても、私は絶対勝てそうにないのに。
「お嬢ちゃん、できればあんまり離れないでくれ。この辺はモンスターが出るからな。」
「あ、はい、ごめんなさい。」
忠告に従い、私は立ち上がって馬車の近くへ戻る。本隊の二両目あたりに腰を下ろし、昼食を続けた。
「お嬢ちゃんは……貴族じゃないよな?」
獣人の護衛はなぜか私の隣に座り、干し肉を齧りながら話しかけてきた。
「いいえ、ただの村娘です。」
「そっか。気をつけろよ。草原とはいえモンスターは出る。離れると俺たちも守れねぇからな。」
「ごめんなさい。」
「いや、怒ってるわけじゃねぇ。次から気をつけりゃいい。」
そこへ、別の護衛の黒髪の男が近づいてきた。
「ヴァルクさん、交代です。」
「もうそんな時間か。メガネの魔法使いは?」
「彼女は第三両辺りを警戒中です。」
「わかった、俺は先頭を見てくる。」
黒髪の男はそのまま私の隣に座り、荷物からパンを取り出して齧り始めた。
ちらりと見た彼は、吊り上がった目に黒髪。世間なら美形と呼ぶだろう。二十代半ばほどに見え、私より年上だと思う。細身ながら革胸当ての下には鍛えられた体があり、腰には片手剣が揺れている。騎士だと言われても信じてしまうくらい、護衛には似合わない姿だった。
私の視線に気づいたらしく、彼は苦笑しながら声をかけてきた。
「あ~悪い、黒髪が嫌いか?」
「いいえ、あの……すみませんが、冒険者の方ですか?」
「え?あ~はい、俺はランク3の冒険者、レオンだ。よろしくな。」
「セリーナです、よろしくお願いします。」
「セリーナさんは……貴族か?」
「いいえ、ただの村娘です。さっき獣人の護衛さんにも同じことを聞かれましたけど、もし私が貴族なら乗合馬車には乗らないはずです。」
「ははっ!そっか、ごめんごめん。セリーナの服が魔法学園の制服に似てるし、話し方も丁寧だから、ついな。」
彼の言葉に、思わず自分の姿を見下ろした。両手でサンドイッチを持っていたせいで、白いローブの前が開き、その隙間から魔法使いの服が覗いてしまっていた。
ずっとローブで隠してきたのに、今は見られてしまった。平民がこんな仕立ての良い服を着ていれば、貴族だと思われても仕方ない。少し恥ずかしくなった。
「ご、ごめんなさい。恥ずかしいものを見せてしまって。」
慌ててローブを直す。
「いえいえ、俺はかわいいと思うよ。セリーナは美人だから似合ってる。」
「あ、ありがとうございます。」
知らない人にまっすぐ褒められるのは慣れない。昨日リリアナローズの皆さんに見せてもらった時は、職人気質の人たちが服のデザインばかり気にしていたから、気にならなかったのに。
「れ、レオンさんも冒険者というより、騎士様みたいですよ。黒髪も素敵です。」
レオンさんは驚いたように、苦笑しながら答えた。
「え?!あ~いや、騎士みたいって言われたのは初めてだな。それにこの黒髪も、うちの村じゃ呪われてるって嫌われてたんだ。」
「黒髪だから呪われるんですか?」
「そうそう。未だに黒髪は呪われたって信じてるのは、うちの故郷くらいだと思う。この国じゃ普通に黒髪の人はいるしな。ははっ。」
まさか髪の色だけで嫌われるなんて……。
「レオンさんも大変ですね。」
「いや、子供の頃に依頼で来た冒険者に拾われたからな。今はこうして元気に冒険者をやってる。」
「ふふっ。でもレオンさんはカッコいいですから、冒険者より騎士様の方が似合いますよ。」
「まぁ、武闘祭で上位やダンジョンを踏破すれば騎士になれるかもしれないけど、そう簡単にはいかないな。俺より強い奴は大勢いる。」
「あ、ははっ。騎士になるのは難しいんですね。」
『うちのセリーナはもうダンジョン踏破しましたわ。』
幸い、サクラリアの声はレオンさんには聞こえない。そして……ごめんなさい、レオンさん。私、昨日タピオカさんと一緒に未発見のダンジョンを踏破しました。しかも、結構余裕で。
レオンさんは私の隣に置いていた杖を見て、こんな質問をしてきた。
「セリーナは?もしかして本当に王都の魔法学園に入学するつもりか?」
「いいえ、一応お父さんに会うために旅をしています。」
「え?一応?」
「はい、用件があって、今は王都の方へ向かっているんです。レオンさんは護衛がメインなんですか?」
「いや、俺は普通のソロ冒険者だ。迷宮都市に向かってるから、ついでに護衛依頼を受けただけさ。来月は迷宮都市で年に一度の武闘祭があるだろ?俺も参加予定なんだ。10位以内に入れば結構いい武器と賞金がもらえる。まぁ上位は無理だが、運が良ければ貴族や金持ちの目に留まって、いい仕事がもらえるかもしれない。」
「……賞金って、どれくらいですか?」
「昨年の10位は王族御用の鍛冶師が作った武器と10万Gだった。今年は行ってみないとわからないな。」
「おお~、10万G!」
「まあ、迷宮都市のダンジョンも結構いい宝石や魔鉱石が出るから、俺は武闘祭前に籠るつもりだ。」
「いい宝石と鉱石?!」
「ああ、ルビー、アースクォーツ、マナクォーツ、ペトラオーブなんかが出るらしい。」
「おおっ!」
『セリーナ、すぐに生き生きしますね。』
フードの中からサクラリアが囁き、私は冷静を取り戻した。レオンさんは意外そうに私を見ている。
「コホン、ごめんなさい。」
「いやいや、ダンジョンの話に興味があるなら、もう少し話そうか?」
「ぜひ!」
そのあと、レオンさんは以前迷宮都市のダンジョンに入った時のことを語ってくれた。
――昼食が終わり、再び馬車に乗る。午後四時頃、私たちは無事にミルデンへ到着した。翌日のオルヴァン行きの木札の乗車証を受け取り、馬車乗り場を離れる。
『うん~やっと到着しましたわ。セリーナ、わたくしプリンが食べたい。』
「私も食べたいです。でも小屋に転送できないから、週末まで我慢して。市場で何か買って食べましょうか。」
『甘い果物が欲しい。』
「わかりました。でもまずは宿を確保しないとね。」
『セリーナ、精霊様が言ってました。値段が少し高くても安全面を最優先に、って。』
「わかってますよ。もう~私そんなに守銭奴に見えますか?」
『“しゅせんど”って何ですか?セリーナはその“しゅせんど”?』
そうだった。サクラリアは妖精で、妖精には金が必要ない。
「そうですね、守銭奴というのは金に異常なくらい執着する人のことです。いいですか、この世界では“金”は必須で、とても大事なんです。ご飯だって金がないと買えません。」
『なるほど、だからセリーナは金のことになると生き生きするのですね。』
「そうなんです!私はただの村娘ですから、冒険者になった今はダンジョンで高そうな素材を回収してギルドに売り、金を手に入れるんです。」
『お~だから昨日、セリーナがダンジョン周回した時、“これ高そう”“これ売れそう”って言って、タピオカ様に全部回収させたのですね。それはあとでギルドで売るんですか?』
「………。」
売りたい、全部売りたい。でもレア素材を一気に売れば怪しまれるし、値段も崩れる。
「売りますけど、一気に売ると安くなるんです。だから少しずつ売るしかない。」
『一気に売ると安く……人間の世界は難しいですね。だからセリーナはその“しゅせんど”ですね!』
「いいえ、サクラリア。私はただの“金を愛する少女”です。」
『あら?では“しゅせんど”は……』
「……悪い人。」
『そうですか、また勉強になりました。ありがとうございました、セリーナ。』
サクラリアの笑顔を見て、胸が少し痛む。でも私は嘘をつかない。私は金が好きだ。仕方ない。七年間ずっと借金に追われてきたから、反射的に金を欲してしまう。今ならレア素材を少し売って贅沢もできるのに、贅沢に金を使うと心が痛む。……貧乏性って本当に大変だ、とほほ……。
こうして私たちは、少し高くても安全面を重視した宿屋に部屋を借りた。
部屋を借りたあとは自由時間。私はまず、精霊さんから渡された少しレアな鉱石を町の鍛冶屋に売って換金した。これで路銀は補充できた。
その後、私たちはミルデンの街を歩き、夕飯は良さそうな店で食べることにした。
夕方になり、食事を済ませた私たちは宿屋へ戻り、魔法でお湯を出して部屋で身体を拭いた。
『セリーナ、さっきの店のお料理は普通ですわね。』
「これは普通に美味しいんですよ。精霊さんのお料理が特別に美味しいだけです。」
『セリーナが作った、昼のサンドイッチも美味しいよ。』
「ありがとう。私はただ精霊さんのレシピを再現しているだけですけどね。」
『精霊様たちはいつ来るの?』
「平日だと夜の9時くらいですね。はぁ……私も駄目です。もうお湯で身体を拭くだけじゃ物足りない。お風呂に入りたい。」
『そのお風呂ってそんなに気持ちいいの?昨日のセリーナはすごく幸せそうな顔をしていたけれど、わたくしにはただの水遊びにしか見えませんでした。』
「サクラリアもタピオカさんに浴槽を作ってもらったら、その気持ちよさがわかると思うよ。」
『そうですね、後でタピオカ様にお願いしましょう。』
「私も明日の馬車の中でレースを作りたいから、精霊さんに余ったアラクネの糸を少し出してもらいたいな。」
サクラリアにかわいい服を作りたいけれど、ここには素材がない。本はあるけれど、明日の馬車で読むつもりなので今読んでしまうと暇になってしまう。やることがないので、私たちは魔法の練習を兼ねて、部屋の空中にサクラリアに似合う服のデザインを描いてみることにした。それを見たサクラリアも、一緒に魔法で絵を描き始めた。
――夜の9時頃、精霊さんとタピオカさんがようやくやって来た。




