第21節 境界彷徨う死神
「……は?」
聞き返すローエンに、グラナートは壁に寄りかかって答える。
「だから。僕のお気に入りの場所を荒らすアイツらを殺して来てよ。大した奴らじゃない。弱い者を見つけて集団でリンチするような雑魚どもだよ」
「俺は……」
「仕事じゃないと? 君が今までして来たこととそう変わらないだろう。ただ明確な殺意を持っているかどうか、そんな些細な話だ。ここで怖いというのなら僕は君に稽古はつけない」
「……あの神父が怒らないか?」
「怒るものか。嫌なら言わなきゃバレないさ。彼だって全知全能じゃない。僕が暇潰しにゴミを潰したって気付きやしない。いや……あれは気が付いてて言わないだけかな。ともかく怒りやしないさ」
さらっととんでもないことを言うグラナート。ローエンは目の前の男がまともではないことを再認識する。
「……どうかしてるよお前」
「言っただろう。僕たちは同類だって。君も同じだよ」
瓦屋根をとんとん、とグラナートは足で叩く。
「ほら。行っておいで。僕はここで見ているよ。君がまずどれくらい出来るのかを、ね」
* * * * *
言われるがままに、ローエンは屋根を降りて入り口の前に立つ。外には誰もいない。中から声がしている。殴ったり、蹴ったりしているような音もする。乱暴な人間たちがこの中にいる。
スーッと深呼吸して……いつもの調子で行こうと切り替える。この妙な緊張感は何だ。いつものように、喧嘩を吹っかけて勝つだけだ──。
扉を開け、足を踏み入れる。わざと足音を立てて歩く。相手に自分の存在を知らせる。入ってすぐ、相手の姿が見えた。五人……見るからに不良の男たちが一斉にこちらを向いた。
「……何だてめぇ、何しに来た」
「間違えたんなら今のうちだぞ」
多対一は怖くない。なんならもっと多い人数を相手にしたことだってある。ふと、彼らの足元に目を向ける。……ローエンは目を細めた。
「………女…」
「なんだ? お前も一緒に楽しみたいか」
「……いーや、生憎足りてるんでね」
前へ進む。男たちへと近づく。その間にも口を開く。
「数人がかりで一人の女を連れ込んで、痛めつけてようやく自分たちの好きにしようってか。はん、カワイソーな奴らだな」
「……何なんだてめぇ!」
一番手前の男が殴りかかって来たのを軽く躱し、ローエンは腹に拳を一撃入れる。すると簡単に男は膝から崩れた。
「ぐうっ…」
「てめっ! 何しやがぶっ」
続いて殴りかかって来た男の拳が自分に届く前に顔面にまた一発入れる。後ろへ倒れたのを残りの三人が見て、警戒した目を向けて来る。そんな残りの男たちをローエンは指を鳴らしながら見返す。
「手応えがねェ……お前らほんとに弱いものいじめが好きみたいだな。みっともねェ」
「なんっ、何だと!」
「そっちの方が人数は多いんだ。ほら、来いよ。俺一人なんか怖くねェだろ」
構えるローエン。その足元で最初に倒した男が起き上がろうとして、気付いたローエンが容赦なく顎を蹴飛ばす。再び倒れて今度こそ伸びる男の一方で、二番目に倒した男が立ち上がり少し離れたところで身構えていた。一度目の攻撃で警戒したのだろう。周りの仲間の様子を見ながらこちらの出方を窺っている。
「……来ないのか? じゃあこっちから行かせてもらう」
ローエンは躊躇いなく突っ込んだ。握りしめた右拳を力一杯振り抜けば、相手は倒れる。簡単だ。幾度となく喧嘩を重ねて来たローエンは確実にダメージが入りやすい場所を知っている。いずれは相手は立ち上がらなくなる。何度起き上がって来ようと、フラついた相手の攻撃を躱すことは容易いし、また腹でも蹴り飛ばせば転がる。
────でも、少しずつ倒れる時間が長くなって来た相手を見て、ローエンはふと思った。
(……あれ、どうやって殺すんだ)
倒れても相手は息をしている。その心臓は止まらない。グラナートの言葉が脳裏を過ぎる。
『アイツらを殺して来てよ』────自分は確かに喧嘩の末に相手を殺したことがある。でもそれは、事故のようなもので。
(────殺さないと────……)
倒れて虫の息の相手に視線が吸いつけられる。拍動が大きくなって耳に響き、動きが鈍る。意識が周りから一点へと集中する。────ゆえに、ローエンは背後で一人がレンガを持って振りかぶっているのに気が付かなかった。
「ダメじゃないか、気は常に周囲に配らないと」
穏やかな、それでいて妙に冷たい声がしたかと思うと、背後でゴキリと嫌な音がした。
「!」
ローエンが振り向くとグラナートが立っていて、その腕の中で男の首がおかしな方に曲がっている。見開かれた目はすでに事切れていて、グラナートが手を放すなりその体は地面に崩れ落ちた。
「……ダメだダメだ。全然ダメだ。君はダメージを与え続ければ相手がいつか死ぬと思ってる。いつか? 実に非効率的じゃないか。これはゲームの世界じゃないんだ。HPを削らなきゃ死なないなんてことはない。心臓をナイフで一突きとか、首を刎ねてしまうとか……刃物がなくたってこう、頸椎を折ってやれば簡単に人なんて死ぬのに」
ペラペラと喋るグラナート。ローエンは言葉を失くす。彼は事実として確かにローエンを助けてくれたのだが────それよりも恐怖が体を走った。手も足も、そして視線も動かなかった。それはローエンだけではない。その場にいる全員が、突然音もなく降り立ったグラナートに視線を奪われ、動けなかった。
「なんっ……何だお前……」
男の一人がようやく声を絞り出す。悲鳴のような裏返った声に、グラナートはひどく落ち着いた声で返す。
「やぁ、失敬。僕の友人があまりにも愚図なものだから手を出してしまった。……まぁどの道掃除するつもりだったし、いいか。ついでに」
そう言うと、グラナートは眼鏡を外してシャツの胸ポケットに入れた。紫の瞳が冷徹な光を帯びている。
「……さて。じゃあ終わらせよう」
* * * * *
数分と掛からずに、男たちはグラナートの手によって物言わぬ肉塊と化した。それを一人で外へ放り出すグラナートの姿を眺めながら、ローエンは自分の手が震えているのを感じ、強く手を握りしめた。
「……やれやれ。片付けくらい手を貸してくれても良いんじゃないのかい?」
「────お前……俺とやる時手加減してたな」
「ん? そりゃあ当たり前だろう」
手をパンパンと払いながら答えるグラナート。ローエンは力が抜けて壁に寄りかかるとそのままズルズルと座り込んだ。
「……悪りぃ……」
「どうして謝るんだい? 謝るより僕から何か学ぶ方が大事だ」
「人って……あんな簡単に死ぬんだな」
「そりゃあね」
ふう、とため息を吐いてローエンの前に立つグラナート。たった今五人の人間を殺したとは思えない……まるでその辺をちょっと走って来ただけ、とでもいうような様子で腰に手を当て、辺りを見渡す。
「ところで。彼らが連れ込んでいた人がいた気がするけれど」
「……あ、あぁ」
そう言えば見当たらない。ローエンが戦っている時に逃げ出したのだろうか。辺りに姿は見えなかった。
「探そう」
「…探してどうする?」
「怪我をしているなら手当をしないと」
「それは……そうだな」
ローエンは立ち上がりながら、グラナートの顔をまじまじと見る。赤縁眼鏡の奥の紫の瞳は既に穏やかな光に戻っていた。それどころか、今まで見た目よりも一番優しいような……。
(……何なんだコイツは……分かんねェ……)
そんなローエンの視線を知ってか知らずか、グラナートはおもむろに歩き出す。そしてまっすぐ隣の部屋へ通じる扉へ向かって行く。その後をローエンはついて行き………軋んだ音を立てて開いたドアの向こう、窓の明かりの陰になったところにさっきの女がうずくまっていた。
「あぁいた。大丈夫ですか?」
駆け寄るグラナートの背中をローエンはただゆっくりと追う。恐らく彼は気配で彼女を見つけたのだろう。女が顔を上げ、グラナートの姿を捉える。その目には何か、安心したものを感じた。
「あ……なた……は…あのとき……の」
「前に会ったことが? そうか。生きててよかった」
にこりと笑うグラナート。少し話して、彼女をその背に負う。
「……連れて行くのか?」
「家に帰る。今は治療道具の持ち合わせがないから……しばらく様子を見て帰すよ」
「あの神父には?」
「ん? うーん……君が教会まで行ってくれ」
「えぇ……」
「じゃ」
人ひとり背負っているとは思えない速さで走り去るグラナート。それでも背中の女に負担をかけないように実に安定した動きだったが……一人残されたローエンはどうしようか、と考える。彼の言う通りに教会に行くべきなのだろうが……。
「……行くしかねェか」
埃に汚れた天井を仰ぎ見、ローエンは大きなため息を吐いた。
* * * * *
「……で。今度はグラナートが消えるのかね」
「消えてねーよ」
「全く……勝手なことばかりして……」
教会に来たローエンが事の顛末をアクバールに話すと、彼は大きなため息を吐いた。
「……怒らないんだな」
「怒るほどの事ではない。というよりこの程度で怒っていてはワタシの身が保たないのでね」
やれやれと額を抑え首を振るアクバールに、ローエンは思わず同情する。どうやらグラナートが言っていた通り、この神父はあの死神の所業を知りながら目を瞑っているらしかった。
「苦労してるんだなアンタ……」
「分かってくれるかね。やれやれ」
アクバールはローエンの方を見ると、腕を組む。
「君も苦労するだろうが、すまない。あれはまだ丸くなる途中でね。所々棘が残っているので怪我をする」
「所々っていうレベルじゃねェよ」
心の内が読めなくて怖い。……それはこの神父もだが。
「さて、まぁ予定は狂ってしまったが今後の話をしておこう」
座りたまえとアクバールはローエンに促す。通路を挟んで、長椅子の端に向かい合って二人は座った。
「本来今日は、君の訓練を開始するつもりだった。グラナート指導の下ね。君はそこそこ腕が立つようだが、殺し屋としては三流だ。その辺り彼はプロだからね。打ってつけだろう」
「……絶対教えるのは下手だぞあいつ」
「まぁそうかもしれないね。だが他にないのだから仕方あるまい。ワタシにはそんな心得はないし」
「本当に弱いのか? アンタ」
「逆に聞くがワタシが強そうに見えるのかね」
強くは見えない、とローエンは思う。率直なところそうだ。だが別の部分においてこの神父は恐ろしく思える。それが何なのかはよく分からないが。
「今日はグラナートも手が離せないだろうからね。明日以降ということになる。君の携帯に連絡を入れる。呼んだら必ずこの教会に来たまえ」
「……分かった」
「念の為言っておくが、逃げ出すのは許されないよ。もし君が逃げ出したと見做せば間違いなくグラナートが君を殺しに行くだろう」
「…………分かった」
言われて、ごくりとローエンは固唾を飲んだ。そうなったら間違いなく狩られるだろうと身をもって知った。逃げる暇も、抵抗する暇もきっとない。
「……彼が怖いかね」
「怖い……まぁ、そうかも」
「フフ。怖いもの知らずに見えた君にもちゃんと怖いものがあるということか。良かった良かった」
「良いのかよ」
「恐怖は自衛の本能だ。君がもし敵わないと思ったら、恐怖を感じたらきちんと逃げることだ。命あっての物種だからね」
俯くローエン。グラナートが彼を完膚なきまでに沈めた甲斐はあった様だと、アクバールはその様子を見て内心顎を撫で、笑う。
「全てに勝とうとはするな。勿論仕事は大事だがね。ある程度はワタシが判断して君に仕事を渡すが、想定外のこともある。無理だと思ったら逃げればいい。君に死んで欲しくはないからね」
「……」
「だがそうならない為の訓練だ。まだ君は強くなれる。グラナートほどになれとは言わないが……そうだな。数十人の組織を君一人で潰せるようになるくらいには」
「…………無理難題じゃないか?」
「いいや。そんなことはないさ」
「自分はやらないからそんな事が言えるんだ」
「君を高く買っている証拠だよ」
「何を根拠に…………」
「ワタシの人を見る目は確かだよ」
そう言って優しく笑うアクバール。本当かよ、とローエンは怪訝な顔をする。そんな顔を、神父は笑顔で跳ね返す。
「期待しているよローエン。君がこの街を守る怪物となることを、ね」
* * * * *
夕暮れ。様子を見になんとなくローエンはグラナートの家を訪れた。場所はアクバールに聞いた。チャイムを鳴らすと、程なくしてグラナートが顔を出す。彼は驚いた顔をすると、穏やかな声で言った。
「おや、どうしたんだい。どこか怪我でもした?」
「……あぁいや……ただ……あの人が気になって」
思いもよらぬ優しい声にローエンは動揺しながら答える。あの人、とはあの連れ込まれていた女のことだ。
「ははん、なるほど。どこまでも女たらしってわけだ」
「違う! そんなんじゃなくて……」
「いいよ、上がりな」
促されて家の中に入る。部屋の中はほのかに薬品の匂いがした。病院の匂いだ、とローエンは思いながら辺りを見渡す。思っていたより普通の家だった。ものは綺麗に片付いている。ただ、調理場がやけに綺麗で使った形跡があまり見られないことがローエンは気になった。
「……料理しないのかお前」
「出来ないんだよ」
それだけ言って別の部屋へ歩いて行く。どうやって生活しているんだろうとそんな事が気になる。
扉を隔てた隣の部屋は病室になっていた。簡易的なものでカーテンに囲まれたベッドが二つと薬棚などがある。片方のベッドのカーテンが閉まっている。
「アンナさん。起きてます?」
「……はい」
小さく返事があって、グラナートがカーテンを開けると手当てを施された女性がベッドの上で座っていた。
「あなたに会いたいって人が。彼のこと分かります?」
ローエンは彼女と目が合う。痩せて弱り細った顔の中、落ち窪んだ目に微かに光が見えた。
「あ、あぁ……あの、助けに来てくれた方ですね」
「!……うん、まぁそう……」
「ありがとう、ございました……その、もうダメかと思っていたので……あなたが、来てくれなかったら……どうなっていたことか」
「いや、俺はただ……」
ローエンが彼女の言葉を否定しようとすると、グラナートがその脇腹を肘で小突く。抗議の目でローエンが彼を見ると、グラナートは顎で、『受け入れろ』と言うように示す。
「本当に……ありがとうございました」
「あぁえっと」
彼女が手を取ってくる。自分の手はアザだらけだったが、彼女の手はもっと傷付いてボロボロだった。こんなに痛々しい女性の手を見たのは初めてだった。ぎゅっと胸が締め付けられるような、そんな気がして思わずローエンはその手を両手で包み返した。
「……あなたが生きてて良かった」
自然とそんな言葉が零れ出た。手に感じる温もり。失われていたかもしれないこの温度………これが神父のいう“意味”なのだと、その時ローエンは悟った。己が振るうただの暴力が、何かを繋ぐものになるのなら──────。
青年の道標は定め直された。ただ強くなるばかりでなく、それはただ自分の為だけではなく。拓かれた世界に、彼は新しく足を踏み出すのだった。




