第18節 妄執と執念
「おはようローエン。よく眠れたかい?」
翌日、なんとか長椅子に横たわって寝ていたローエンにグラナートが声を掛ける。目を開けたローエンはむすりとする。
「……最悪…」
「ふかふかのベッドじゃなきゃ寝られないタチかい? そりゃあ不便だ。さぞ良い育ちなんだろうね」
「お前喧嘩売ってんのか」
「これから売るし買うんだよ」
ぐう、と腹が鳴る。そういえば晩から何も食べていないなとローエンは思った。
「………キッチンあるか?」
「? そりゃアクバールが暮らしてるからあるよ」
「食材は?」
「多分あるけど、何」
「借りる」
椅子から起きて、ローエンはスタスタとアクバールのいる部屋へ歩き出す。寝ぼけ眼でドアを叩く。アクバールがドアを開けるなり、彼はグラナートに言ったことをそのままもう一度アクバールに言った。
テーブルの上に三つ、ふわふわのオムレツが並んだ。卵にミンチを閉じたものだ。唖然とする二人の前で、ローエンは一人手を合わせて食べ始める。
「……僕達の分まで」
「腹が減っては戦はできぬ、腹拵えは基本だろ」
「急にキッチンを使わせろと言うから何かと思ったら。君は料理が出来るのだね」
「まぁ待てアクバール、見た目だけかもしれないだろ」
「食いたくなきゃご勝手に。あとで俺が食う」
警戒するグラナートに、ローエンはそう言う。グラナートは改めて目の前に置かれたものを見る。……見た目はどう見ても美味しそうなオムレツだ。
「食べ物は粗末には出来ないからね。いただくよ」
手を合わせ、簡単なお祈りをして食事を始めるアクバール。グラナートも仕方ないな、といった様子で一口食べる。と。
「ん」
「美味いな」
「そうだろ。皆んなに評判なんだ」
「? 誰に」
グラナートの問いに、ローエンは肩を竦めただけで何も答えなかった。自分の分はぺろりとあっという間に平らげてしまう。
「ご馳走様でした。お二人はごゆっくりどうぞ」
と、そう言って彼は自分の食器を持ってシンクに向かい、そのまま洗い物を始める。
「……予想外に家庭的な男子だな」
「いや。あれはただのクソガキだアクバール」
グラナートはそう毒づきながらもまた一口食べた。……くそ。何でこんな美味しいんだ。
それは彼が今まで食べた何よりも美味しい、とそう感じざるを得なかった。半分くらい食べたところで、グラナートはアクバールに言う。
「提案があるんだ。彼のことはシェフとして雇おう」
「何だかんだ気に入ってるじゃないか君」
*****
空は蒼く澄み渡っている。少し冷え始める秋の朝。体を温めようとローエンが軽く準備運動をしているのをグラナートは眺める。
「元気だねえ、若いっていいな」
「アンタもそう変わらねェだろ」
「まさか。君より10は上だ」
「は⁈ アンタいくつだよ」
「30」
「…………本当に10コ上……」
「20かぁ。そうかそうか……」
グラナートは白衣を脱いだ。眼鏡を外してワイシャツの胸ポケットに入れる。
「……見えるのか?」
「伊達だからね。本当はかけなくて良いんだけどアクバールが『その方が医者らしく見える』って言うからさ……」
アクバールは壁際のベンチに座って二人を見ていた。ちょっと楽しそうな顔をしている。
「でもほら、今日は医者に見える必要はないからね」
「……目つき悪……」
「君ほどじゃない」
グラナートは両手を広げて肩を竦めると、言った。
「さて……先に3分あげるよ。その間僕からは手を出さない」
「あ?」
「いきなり畳んだら可哀想だろ? 少しはハンデをあげようと思って。その3分の間に僕に一撃でも入れられたら君の勝ちにしてあげる」
「………ナメてるのか?」
「いいや? で、その3分の後は……容赦しない」
グラナートは目を細めて笑う。その笑みはまるで舌なめずりする獣のようだった。
「ほら、僕はいつでもいいよ。どこからでもかかっておいで」
「お前……後悔するぞ」
「誰が」
ローエンが動いた。地を蹴ってグラナートへ急接近するとグラナート顔めがけて右の拳を放つ。それをグラナートは軽く首を曲げて避ける。続けて出された左も同じようにして避ける。
「直線的だなあ!」
前蹴りをバックステップで避け、続けて出されたローキックに高くジャンプする。ローエンの頭上で一回転して、その背後に立つ。
「ほらほら当たんないよ」
「……っ」
グラナートはローエンを煽る。ローエンは何度も攻撃を繰り返すがどれもグラナートに掠りもしない。しまいにはグラナートはズボンのポケットに手を突っ込んだまま回避を続けている。
「………くそっ!」
「短気でキレやすいタイプ? 苦労するね」
ローエンの戦い方は非常に乱雑だった。格闘技をかじった人間の動きではない。本当にただの喧嘩屋のようだった。相手をとにかく傷つけようとする必死さがある。勿論、グラナートだって同じようなものではあるが。
(……それにしたって乱雑だ)
何か生き急いでいるような、何かを振り切ろうとしているような、そんな気持ちをグラナートは感じた。
(君は戦うことに何かを求めているんだね。でも、それは僕のような快楽ではない、もっと別の何かだ)
腹に向けられた拳を、グラナートは手で掴んで受け止める。は、とローエンが動きを止める。
「……ぼちぼち3分かな。悪いけど手加減なしだ」
ローエンの今の攻撃をそっくりそのまま返すように、グラナートは拳を彼の腹へと叩き込む。
「……っが!」
そのまま続けて腹へ膝蹴りを入れて放す。がくりと膝をついたローエンは咳き込み、嘔吐する。
「ゲェッ……がっ……はっ………」
「立ちなよ。まさかもう降参とは言わないでしょ?」
「……ハッ…ハッ……まだ」
「その意気だ」
と言いながら、顔を上げたローエンの顎をグラナートは蹴り上げる。彼の体はふわりと浮いて仰向けに倒れた。
「いいのは威勢だけかい? てんでダメだ。隙だらけだ。そんなんじゃすぐに殺される。いいかい、僕は本当に容赦しない。昨日の晩に喋ったとか、今朝ご馳走になったとか、そんなことは関係ない。僕はいつだって何の感傷もなく君を殺すよ」
「……っ……」
ふらりとローエンは立ち上がる。闇のような瞳がグラナートを捉える。そこには執念が見えた。
「……なるほど」
グラナートは彼へと跳ぶ。振り抜いた拳がローエンのクロスした腕に受け止められる。だがその腕がミシリと音を立てる。
「………ッ!」
「受け止めた。えらいねぇ」
すぐさまに蹴りを脇腹に入れる。ローエンの体は吹っ飛んで地面を転がった。うつ伏せになって止まった彼に、軽い足取りで近付くグラナート。ぴくりとローエンの指が動いたのを見て、グラナートはしゃがみ込む。
「ねぇ? もう分かってるでしょ、君はあまりに弱すぎる」
「………まだ…ッ」
ぐぐ、と腕に力が入ってローエンが体を起こす。きっとさっきの蹴りで肋にヒビが入っている。呼吸をするのも痛いはずだ。起きあがろうと力を入れようものなら激痛が走る。腕も痛むはずだ。それでも、彼は立ち上がろうとする。
「…………」
腕を脚で払う。呆気なくローエンは再び倒れて呻く。グラナートはため息を吐く。
「はぁ、やめやめ終わり終わり。勝負はついたでしょ、ねぇアクバ」
彼が踵を返した時、不意に首に腕をかけられた。
「……背中ッ……向けんなよ」
「…………バカなの?」
振り解くことは容易だった。だがグラナートが繰り出した蹴りは空を切る。
「……!」
「段々見えてきた……」
脂汗の浮いた頬が笑う。その足はしっかりと体を支えている。闇色の瞳が凶暴な光を放つ。思わずグラナートは鳥肌を立たせた。恐怖? いや違う。これは興奮だ。
「へぇ……」
楽しくなって来たじゃないか、とグラナートは笑った。
*****
ガシャン! と大きな音を立ててローエンの体が欄干にぶつかる。そのまま欄干にもたれかかって後ろに落ちそうになるその胸ぐらをグラナートは掴む。
「……何というか……タフというより負けず嫌いなんだね君は」
返り血に汚れたグラナートは呆れた顔でそう言った。ヒューヒューと苦しそうな息をするローエンに、彼は続ける。
「自分の限界が分からないのか? 死んでしまうよ」
「……ゲホッ……」
「本当はここまでする必要はないんだけど。………君がやめないからだよ? そこまでして僕に負けたくないの?」
「………俺は…つよ……く…な…」
「君より僕が強いのは仕方ないだろ。無謀すぎるよ。頑張れば誰にでも勝てると思ってるの? 君は喧嘩に負けたことがないのか。それは相手が君より弱かったからだ。…………勘違いしちゃったか、可哀想に」
「………っ!」
不意に頭を跳ね上げ頭突きしようとしたローエンの頬をグラナートは力いっぱいに殴った。
「……諦めが悪いな。さっさと気絶させてあげた方がいいか……」
と、もう一度拳を振り上げた時に、彼がぐったりとしていることに気付いた。
「………あれ? 死んだかな」
「グラナート……やめたまえ」
ようやく後ろのアクバールから声が掛かる。グラナートはため息を吐くとぺちぺちとローエンの頬を叩いた。
「おい。おい? 生きてる?」
「…………」
「あ、息はしてる」
「やりすぎだ」
アクバールが立ち上がって歩いて来る。グラナートは青年の体を持ったまま振り向く。
「彼が止まらないからだよ」
「おとな気なくギリギリ気絶しないところで痛めつけたのは君だろう」
「……勘違い坊やに教えてあげないとだろ? あっさり気絶させたらまた昨日みたいに突っかかってくる」
「彼が使い物にならなくなったらどうする」
「これぐらい教えてあげないと言うことも聞かないよ」
で、と自分の手の先で意識を失っているローエンを彼は指差す。
「どうしたらいい?」
「君は医者だ」
「………」
「やることは決まってるだろう」
無言でグラナートはローエンを背負う。
「手伝って」
「仕方ないね」
やれやれとアクバールは首を振った。
*****
「目が覚めたかい」
木の椅子を後ろ向きに座って船を漕ぎながら、グラナートはアクバールのベッドで目を開けたローエンに声を掛けた。
「……イッて……」
体を起こそうとして彼は呻いてまた布団に沈む。
「動かない方がいい。折角戻した骨がまたずれる」
「…………誰のせい…」
包帯が巻かれた隻眼で彼は睨んでくる。
「僕は手加減が苦手でねぇ……君があまりにもしつこいものだからついやりすぎた。死ななかっただけ運が良かったと思いなよ」
ギィ、ギィ、とグラナートが椅子を軋ませる音が部屋に響く。
「……君は愚かだ」
「………うるせえ」
「口ばかりで無謀で。相手の力量も測れない。敵わないと分かれば逃げるべきだ。君が早いうちに降参してればこんなことにはならなかった」
「………」
「なぜ勝つことにこだわる?」
「……お前には分からねェよ」
ローエンはそう言って、目を閉じた。グラナートはため息を吐く。
「これだから拗らせた坊やは……」
「………」
ローエンはカチンと来て、背中を向けようとしたが痛みで諦めた。
「アクバールは君を雇うつもりだ。殺し屋としてね。君にはそれだけの価値があるのかい?」
「俺だって好きで雇われるわけじゃねェ……」
「彼も意地悪だ。君が自由になれるわけないのに。僕はクソガキのために負けてやるほど優しくないし」
「……お前……ほんとムカつく」
そこで一度グラナートは口を閉ざし、ふむ、と考える。
「…………いけないな……医者としてこういうのは……」
おほん、とグラナートはひとつ咳払いすると立ち上がり、くるりと椅子を回して正しく座り直した。
「……ごめんね?」
「何なんだよお前……」
「実を言うと僕は元々……そう、俗に言えば殺人鬼なんだ。医者としての仕事の他にアクバールから殺しの依頼を受けたりして……僕が彼についているのは本当に不本意なんだけど」
「……殺人鬼…?」
「君みたいな喧嘩屋なんて可愛いくらいのね。人を斬り刻むのが愉しくて仕方ない……そういう人間さ」
グラナートは足を組み、背もたれへもたれかかる。
「そんな人間が何で医者なんかやってるのかって話だけど。それもこれもあのエセ神父のせいだ。無茶だろう? 僕は優しくなきゃいけない。人の命を奪う代わりに救わなきゃならない。今だって、自分でボコボコにしたクソガキの手当てをして看病してやった」
「クソガキって言うな」
ローエンの文句に彼はやれやれと首を振る。
「本当に……君は弱いくせにイキがっててイヤになるけど」
「……」
「その執念だけは認めてあげるよ。君は何が何だって勝ちたいと願う。諦めて死のうとは思わない。そうだろう?」
「…………死にたくは、ねェからな」
「だよね。君は諦めた目は一度もしなかった」
グラナートは立ち上がると、横たわるローエンのすぐ側までやって来た。
「ともかくこれで君もアクバールの雇われ者だ。同じ境遇の者同士、仲良くしようじゃないか」
「……よく言うよ」
「君が心を開いてくれないと何も始まらないんだ……僕はいつでも君と仲良くする準備は出来てる」
「なんだよその言い方」
「少しは見直したってことさ」
ベッドの淵に座るグラナート。
「君は今はまだ弱いけど、素質はあると思うよ。鍛えれば君はいずれ僕のような魔物になる。“悪魔”の名に相応しい、ね」
笑っちゃうけど、と鼻で笑うグラナートにローエンはムッとする。
「僕は死神、君は悪魔。そしてそれを従えるアクバールは魔王だ。素敵だろ?」
「どこが……」
「あぁ全く。でも死神と悪魔は魔王に叛逆できない。したら最後……待つのは破滅だ。素晴らしくクソッタレな運命っていうわけ。笑うしかない」
あはははと笑ってみせるグラナート。ローエンは体中の痛みと彼の言葉の滅裂さに笑っている場合ではない。と、顔の前にグラナートの赤アザと絆創膏だらけになった手が出される。
「というわけで……いつまでかは分からないけどよろしく、“名無しの”ローエン。僕は君を仲間として歓迎する」
「俺を殴った手で握手を求めるなよ」
「おや。この手じゃお気に召さないか。じゃあお互い治るまで待つよ」
グラナートは手を引っ込める。そして立ち上がると部屋のドアへと向かって行く。
「アクバールを呼んでくるよ。君が目覚めたってね。今後の話をしたいだろ?」
「………」
「じゃ」
バタン、とグラナートはドアの向こうに消えた。
ローエンはそれを見送って寝返りを打とうとしてイテ、と呻いた。
痛くないところなんかない。体中のあちこちが痛む。喋る度に顎も痛い。ここまでコテンパンにされたのは初めてだった。
────もう分かってるでしょ。君はあまりに弱すぎる。
グラナートに言われた言葉がぐるぐると頭を回る。悔しい。負ける気は毛頭なかった。あの憎たらしい面に一発どころか何発だって入れてやるつもりだった。でも、ローエンの攻撃は一発たりとも擦りもしなかった。腹が減った。折角作って食べた朝食も吐いてしまった。最悪だ、とローエンはため息を吐く。視界が半分しかない。鏡がないから分からないが自分の顔も酷いことになっているんだろうな、と思う。たくさん殴られた。最悪だ。
(あーあ……)
情けなくなって、嫌になって目を瞑る。全部夢だったらいいのに、と思うが体中の痛みが現実だと訴えかけて来る。
(……これじゃしばらく遊びにも行けねェや)
大きく息を吐き出すと、折れた肋がずきりと痛んだ。




