第17節 闇世の邂逅
「……“悪魔”?」
「そう。そう呼ばれてるんだって」
教会を訪れたグラナートの報告に、アクバールは眉をひそめた。
10年の時が経った。アクバールは33歳、グラナートは30歳になった。グラナートは今や一人でスラム街の人々を診て回っている。すっかり医者(勿論正規のではない)が板について来ている。目つきや言動も以前に比べれば丸くなってきているようだ。
彼は時折こうしてアクバールに報告や情報の仕入れ、あるいは殺しの依頼を受けにやって来る。……とはいえ、彼が殺しの依頼をされることは少なくなって来ているのだが。
「今日診た人が言ってたんだ。この前街の外から来た奴らに襲われてたら、別の男がやって来てそいつらをあっという間に倒しちゃったんだって。何人かは逃げたけど一人は死んだらしい」
長椅子の背もたれに腰掛けて、グラナートはそう言う。
「……何が目的なんだ?」
「さぁ。で、逃げてった奴らが言ってたんだって。『悪魔が出た! 逃げろ!』って」
頭に人差し指で角を生やすジェスチャーをするグラナート。アクバールはふむ、と頷く。
「続けたまえ」
「それで……他の人からも同じような話を聞いた。最近明らかにスラムの人間じゃない人がうろついてて、でも自分たちには手を出してこなくて。他のチンピラなんかを殴ってるのを見たってさ」
「………」
「あとはそうだね、僕が道すがらとっちめたチンピラがそいつと出会って喧嘩売られたって話も聞いたよ」
「………ただの喧嘩屋かね?」
「そうかもしれないね」
グラナートは肩を竦めた。
「邪魔なら殺すけど。どうする?」
「どうしてそうなる……まぁ接触する価値はありそうだが」
「じゃあ僕が捕まえて来よう。それで目的を吐かせる。拷問は得意だろ? 君」
「得意ではない! まったく、ワタシを何だと思っているのだね」
「憎たらしくて仕方ない僕の友達」
「……本気で言ってるのかよく分からないな」
グラナートはべ、と舌を出した。冗談じゃなさそうだなとアクバールは思う。
「………ともかく。その“悪魔”とやら、もっと人物像は分からないのかね」
「容姿くらいかなー、黒髪に黒い瞳の……身長は190近いって聞いたから……結構な大男かも?」
「大きいな……」
「詳しくは聞けてないや。名前も分からないしね。……僕のことを調べられた君なら分かるかな?」
「ワタシも超能力者ではないからねぇ……。手がかりが少なすぎるよ。直接会った方が早そうだ」
「それはそうだね。じゃあ捕まえよう。……えっと」
「半殺しにするつもりだろう!」
「……ダメか」
やれやれ、とアクバールは首を振る。
「まずは話をする」
「話が通じない奴だったら?」
「その時は君の出番だ」
アクバールは壁にかかる時計を見る。日が西に傾き始めた16時頃。時計を指差し、彼は言う。
「今から行くかね?」
「いいよ、行こう。魔物の時間はこれからだ」
椅子の背もたれからトン、と音を立てて立ち上がるグラナート。その顔はとても楽しそうだった。
*****
夕暮れのスラム街は昼間より少し物騒になる。住人たちは路地や廃墟の影に身を潜め、息を殺して生きている。
グラナートはそんな気配を敏感に感じ取りながら街を歩く。
「変わらないものだね」
彼はぽつりとそんなことを呟く。君は大いに変わったがね、とアクバールは思ったが言わないでおいた。何だか言ってはいけないような気がしたのである。
西日が紅く道を染める。グラナートの白い髪と白衣も同じように染まっていた。変わったとは言え、まだ彼の根底には死神がいる。しかし白衣の彼は確かに医者としての面も持ちつつある。優しく他人に接する心を持ちつつある。それは確かな変化だった。あの死神には考えられないものだった。だからこそ、アクバールは危惧していた。いずれその大きな歪みによって、彼が壊れてしまうのではないかと。
そうなる前に、彼を完全に“医者”としてしまえるように、───エデンともまた別に────新たな“殺し屋”の駒を手に入れられれば。
そんな考えがあった。その噂の“悪魔”をこちらに引き入れられれば大変な利になる。出来れば、の話だが……。
「アクバール」
「!」
前を歩いていたグラナートが足を止める。アクバールも続いて足を止めた。西日の差す道のど真ん中、人影が一人佇んでいる。周りには男が複数人倒れていた。
「当たりかな?」
「そうかもね」
血に汚れたその男へ、アクバールは近づいて行く。短い癖毛の黒い髪。気配に振り向いた瞳は闇のような色をしていた。背はアクバールとグラナートよりずっと高い。ただ、思っていたような大男というよりかは随分と細身だった。
「…………何だお前ら」
その喉から発された声は低く、警戒心に溢れていた。前に出ようとするグラナートを制止して、アクバールは笑って彼に声を掛ける。
「皆んな君が一人で倒したのかね?」
「そうだと言ったら? なんだ、コイツらの親玉か」
「違うよ。彼らを疎ましく思う者だ。君の存在を歓迎したい」
両手を広げるアクバールに、男は正面を向いて舌打ちした。
「宗教勧誘ならお断りだ」
「そうじゃない。まぁ確かにワタシは神父だが。無理に神を信じろとは言わんよ。………ではなく。君の力を貸して欲しい」
「はぁ? やなこった。何でお前らなんかに……」
「君はなぜこんなことを?」
男の言葉を遮って、アクバールは笑顔のまま問う。男は口を閉ざし、少しだけ考えてから答えた。
「……そんなの教えて何になる」
「ワタシは君と交渉がしたい」
「やなこった」
「おやおや」
「大体、胡散臭いんだよお前」
「……胡散臭いとは失礼な」
アクバールは苦笑して────内心ピキリときて、手でグラナートに合図した。やれ、と。
白い影がアクバールの横を通り過ぎる。男が身構えるより先にグラナートの拳が彼の顎を打つ。一撃で脳震盪を起こして気絶した彼を支え、グラナートはアクバールの方を振り向く。
「お見事」
「弱いよ? こいつ」
「君基準で考えてはいけないよグラナート」
ぐた、とグラナートの腕で気絶している男の顔を見る。
「若いね」
「ねぇ、本当にこいつ使うつもり?」
「何だい、不満そうだね」
「だってさ……」
納得いかない、という顔のグラナートにアクバールは笑う。
「さて。ともかく連れて帰ろうじゃないか」
*****
「う……」
彼は固い椅子の上で目を覚ました。どこだここは、と起き上がろうとして手を後ろで縛られていることに気がついた。
「⁈………何だ⁈」
「ようやくお目覚めか“悪魔”君。まさかあれで死んだんじゃないかと思ったよ」
「……! お前は……」
長椅子に横たわらされた男を見下ろすグラナート。彼はクツクツと笑う。
「凄んだって怖くないよ。僕はいつだって君を殺せる。状況分かってる?」
「………!」
男は逃げ出そうと身を捩るが足も縛られているので上手く動けない。
「こらこら、脅かすんじゃないよグラナート」
グラナートの首根っこを掴んでアクバールは彼を引き剥がす。そして下から睨んで来る若い男へ微笑んだ。
「手荒な真似をしてすまないね。話しやすいように運ばせてもらった」
「………どこが話しやすいんだよっ!」
「こういう男なんだ彼は。諦めてくれ」
苦虫を噛み潰したような顔をしてグラナートが肩を竦める。嫌なことを思い出したと言うように。
「まずは聞こう。君の名前は?」
「人に名前を訊く時はまずは自分から名乗れよ」
「……おや、それはそうだな」
すまないね、と神父は笑って続けた。
「ワタシはアクバール。アクバール・オルラントだ。この教会で神父をしている。そっちの彼はグラナート・カテドラル。このスラムで頼れる医者だよ」
「………どっちも嘘っぽいな」
「信用ないねアクバール……」
「君は黙っていたまえ」
おほん、とアクバールは咳をする。男は体を捩ってなんとか椅子に座ることに成功する。
「…………君の名は?」
「……ローエンだ」
男は今度は素直に答えたが、アクバールは首を傾げる。
「それだけ? 君は新市街の人間だろう。家はあるはずだ。ファミリーネームは?」
「それだけだ。それ以上はない。俺に家もない。……新市街には住んじゃいるが出身もアザリアじゃない」
「……そうなのかね」
ふむ、とアクバールは顎を撫でた。
「どうしてスラム街に?」
「…………人を殴っても怒られねえから……」
「その辺のチンピラと同じ言い分だ。よし、殺そうアクバール」
「待ちたまえよグラナート」
「……そっちの本当に医者か? 絶対嘘だろ」
「嘘じゃない。僕は医者だよ。非正規だけど」
「闇医者じゃねェか」
「まぁね」
グラナートはそう言って苦笑した。アクバールはまた訊ねる。
「君の目的は?」
「目的? 目的なんかない。ただ喧嘩しに来てるだけ」
「本当に?」
「本当だ! ただ、強くなりたくて……」
「強く?」
「そう。それだけだ」
ハァ、と一つ大きく息を吐いてローエンは続ける。
「最初は他の街でやってたんだが騒ぎがあると警察が来るだろ? そしたらここの話を聞いたんだ。だから……」
「手当たり次第ガラが悪そうな奴に絡んで喧嘩を売っていた……と」
「……そういうこと…………」
分かった? という顔をするローエン。だから放してくれ、と目で訴えて来る。
「……そうかそうか。なら合格だ」
「は?」
「君をワタシ専属の殺し屋としてスカウトしよう」
ローエンは何を言っているんだ、という目をアクバールに向ける。後ろでグラナートは本当に? と呆れた様子だった。
「君は人を殺したことはあるかね」
「……そりゃ、不可抗力で多少は……」
「ならば問題ない。君はワタシから金を受け取りながら喧嘩が出来る。悪い話ではないだろう?」
「は⁈ 良くねェよ!」
「君、仕事は?」
「……街でバイトはぼちぼち……」
「……意外と真面目なのだね。給料は大したことないだろう。ワタシの下で働いてくれれば君は暮らしに何一つ不自由しない」
「…………嫌だ」
「何故だ」
「アンタみたいなのの下で働きたくない!」
グラナートがうんうん、と頷く。分かるよ、と言いたいようだ。アクバールは立ち上がるとその頭を叩く。何をするんだという抗議の目がグラナートから向けられる。
「……それではこうしようローエン。君は今からこのグラナートと決闘する」
「は?」
「え?」
アクバールの言葉に、グラナートもローエンもきょとんとする。
「そしてこのグラナートに君が勝てれば君は自由だ。話は全て無かったことに。……君がスラム街の住人に手を出さない限りはワタシたちも君にはもう干渉しない」
「……本気で言ってるの?」
「このヒョロメガネに勝てばいいワケ……?」
「…………君、僕に気絶させられたの覚えてる?」
ぴき、とグラナートの頬に青筋が浮かぶ。
「あれは油断してたんだよっ!」
「へぇ、そう。口だけじゃないといいけど」
「〜〜〜〜っ、お前ッぶっ飛ばす!」
「弱い犬はよく吠えるって言うよね。まぁ君の実力は大体あれで測れた。あまり期待はしないけど……」
ふい、とグラナートはアクバールの方を見る。
「ねぇ、痛めつけていい?」
「死なない程度にね。武器はダメだよ」
「武器なんて使ったら死ぬでしょこの子。素手で十分だ」
「お前ら……ナメやがって」
ぎり、と悔しそうに歯軋りをするローエン。グラナートはスッとローエンの隣に立つとしゃがんで足を縛っていた縄を解いた。
「逃げないでよね。逃げたら殺すけど」
「……いちいち物騒だなお前」
「こういう男なんだ彼は。諦めてくれたまえ」
先ほどグラナートがアクバールに言ったことをそっくりそのまま返されてグラナートは顔を顰める。
「君からぶっ飛ばしたっていいんだよアクバール」
「はは。そんな怖い顔はやめてくれたまえ」
変な二人だな、とその様子を見てローエンは思った。どういう関係なのか彼にはよく分からなかった。
グラナートに手の縄も解かれ、解放された手をローエンはブラブラと振る。
「あーったく、痕残ったらどうするんだよ」
「そういうの気にするんだ?」
「気にするよ」
ローエンは立ち上がって、トントンと跳ぶ。
「で? どこでやるんだ」
*****
すっかり日は暮れて辺りは暗かった。スラム街の夜は暗い。新市街の方角が明々としている。
「……夜になってる…」
「これは無理だアクバール。日を改めよう」
「そうかね? 君が言うなら仕方ないな」
教会の屋上。ここは本来何かしらの催し物を行っていたスペースで、それなりのスペースがある。丁度いいと思って出てきたのだが、いつの間にかすっかり夜の帳が下りていた。
「君が早く目覚めないからだローエン」
「無茶言うなよ」
ため息を吐くローエン 。グラナートは隣に立つ彼の顔を見上げる。
「……背が高いね。190cmくらいだと聞いたけど何cmだい?」
「あ? ……あー知らん。計ってない」
「羨ましい。僕もそれくらい背丈が欲しかった」
「………何なんだよ」
「別に。素直な気持ちだ」
見上げた空にはさんざめく星々が溢れていた。新市街の方向へ目を向けると次第に星々は消えて行く。街の明かりによって掻き消されているのだった。
「……折角だ、少し話そう」
グラナートは欄干に向かって歩き出す。ローエンは少し迷ったあとその後をついて行った。アクバールはその様子を見て大丈夫か、と思い下へ降りる。早起きの彼はすでに眠かった。
「君の名前、本当は何て言うの?」
「…………」
グラナートの問いに、ローエンは答えなかった。グラナートは続ける。
「戸籍のないスラムの民でもなきゃ、ファミリーネームが無いなんてあり得ない。意図的に隠してるだろ? どこかやんごとなき家の出身とか?」
「………ローエンはファミリーネーム…」
「え?」
「変わってるだろうと思うけど。………無いのは俺の個人名の方」
「そんなわけないだろう」
「あるんだ。……俺には名前がない」
ローエンは空を見上げた。
「………ただのローエン、それ以外はナシ」
「ふぅん、“名無しのローエン”てワケ」
「そーいうこと」
ふん、とローエンは欄干に頬杖をついた。
「アンタは?」
「ん?」
「何者なんだ。ただの闇医者じゃないだろ」
「まぁね。この姿は僕の本意じゃない」
グラナートは振り返って、そこでようやくアクバールがいないことに気が付いた。やれやれ、と彼はまた外を向く。
「でも……何者かって言うのは今は言わないでおくよ」
「何で」
「君が怖気付くといけない」
グラナートは暗闇の中、にや、と笑った。
「明日になれば分かるさ」
彼は踵を返して下に続く階段へと向かう。
「僕は先に寝るよ。君も今日は教会に泊まりな。寝るところはないけどさ」
「どっ、どこで寝ろってんだよ」
「固い椅子ならいくらでもある。さっき寝てたんだし寝られるだろ」
「寝てたんじゃねーし!」
「おやすみ坊や。明日、楽しみにしてるよ」
「ぼっ……」
白衣をひらめかせ、階段に消えていくグラナート。その後ろ姿に向かってローエンは叫ぶ。
「坊やじゃねーし!」




