第13節 楽園から追放せし者
三年が経った。アクバールは23歳。その頃、度重なる“蛇”、否“エデン”の暗躍により、こんな噂が立っていた。
────『アザリアには死神が住んでいる』──
「……と、まぁそんなこんなでスラムの状況は改善されているようにも思うのだがね」
ある日のこと。仕事の依頼の為にルチアーノを呼び出したアクバール。いつもの様に彼の部屋で、紅茶のティーカップが置かれたテーブルを挟んで二人は相対している。
「どう思うね、この噂」
「どう……と言われても。俺達の噂では?」
「それにしては少々違和感を感じないか?」
「………どの辺りがです」
ルチアーノは首を傾げた。アクバールは答える。
「『アザリアには』、というところだ」
「はぁ……」
「そして少々曖昧だ」
アクバールが想定していたものとは違う噂が立っている。彼は『スラムで悪さをすると命はない』といった趣旨のものを意図的に流していた。……のだが。尾鰭がついたにしても何だかおかしい。
「噂について詳しく住人やボランティア団体に聞いてみたのだがね、確かにワタシが流したものの他にも色々と物騒なネタがあったものだよ。『スラムに近付くと死ぬ』『スラムには人喰らいの化け物が住んでいる』……などなど」
「……“人喰らいの化け物”ってのはあながち間違っちゃいませんけど」
「あぁ。これがこの教会付近で聞いた噂だ」
アクバールは人差し指を立てると、「次に」と続けて中指を立てた。
「アザリアには死神が住んでいる、というのはスラム全域、及び新市街の一部にまで伝わっている噂だ」
「…………広いっすね」
「あぁそうだ。これはリアンに調べて貰ったことだから間違いない」
「あぁ……あいつ元気にしてるンですかね」
「────最近会ってないのかね?」
「えぇ、まあ。必要な時には呼び戻すンですけど。最近は情報集めの為に放浪させてるンです」
「そうか。まぁ、元気そうだったよ」
それはさて置き、とアクバールは話を続ける。
「それで思ったのだが……もしかするとまた別の噂が混ざっているのかもしれない」
「別の噂……ですか」
「あぁ。だからそれからもう少し、リアンに新市街側で探って貰った。すると、子持ちの家庭間でこんな噂があるとの事だ」
「…………子持ちの家庭?」
うむ、とアクバールは頷く。
「『壁に近付いてはいけない。白い怪物がお前の命を食べてしまうよ』」
「子供騙しの迷信じゃないんですか」
「ところがそうでも無さそうなのだ。最近新市街側……特に境界の壁の付近で同一犯による殺しが多発しているらしい。しかも無差別の」
「!」
「それを心配した親達が、子供達にそう言い聞かせているそうでね。そしてどうやら、こちら側でも殺しを働いているようなのだよ。そちらは頼まれてとの事だが。恐らく小遣い稼ぎの為だろうね」
「………それが何なんです」
「まぁ……殺し屋稼業としてスラムで殺しているのはワタシ達と同じようにスラムに害を為す者のようだが、その依頼主もまたそれと同じ立場の者であるらしくてね。いずれワタシ達も狙われるかもしれない。……対策は練るべきだろう」
「強いンですか?その殺し屋」
「殺し屋と言って良いのかは分からないが。恐らくはそれなりの手練れと見た方がいい。何せもういくつもの組織を潰している。………だが所詮はケダモノだろう。新市街ではただの殺人鬼だ」
…………とは言っているが、別に向こうの住人の為にそれをどうにかしようと思っているわけではないようにルチアーノには思えた。ただの要警戒対象……恐らく何もなければ彼は放っておくつもりだ。自称“弱者の味方”は、新市街の人間には味方しないということか。
「さて、それについてはワタシの方でまた調査は進めておこう。では今回の依頼の件だ」
「はい」
アクバールに話を切り替えられそちらに意識を傾けるも、どこかルチアーノはその話が引っかかり、気になった。
(……“白い怪物”……)
思い浮かぶのは、宿敵の幼い顔。
(…………まさかな)
今頃奴は20歳だろう。まだどこかで生きているのか。そう思うと腹立たしくさえ思った。
「───というわけだ。頼めるかね」
「えぇ。分かりました。明後日には片付けます」
「そう急がずとも構わんよ、早いに越したことはないが君達の安全が第一だ」
「この世界に安全も何もありませんよ」
ルチアーノはそう言って困ったように笑うと、ため息を吐いた。変な所で優しいものだ。いや、それともそういう意味ではないのか。
「では。これで」
「あぁ」
頷いたアクバール。ルチアーノは席を立ち、部屋を出て行った。
一人残されたアクバールは、大きなため息を吐いた。
「……さて」
アクバールは立ち上がると、戸棚の引き出しを開ける。その中に入っていた写真を取り出し、また一つため息を吐いた。
「………どうしたものかね」
そこに写っていたのは白フードの男。奇妙な得物を二本手にし、死体の転がる路地に血みどろで立っている。フードから覗く紫色の目はギラギラとしている。
これはあるボランティア団体の人間から譲り受けた写真である。広報の為のカメラ班がたまたま、運良く撮った写真。場所はスラム街のようである。
「……彼らに見せたら飛びつくだろうな」
アクバールはルチアーノから借りてコピーした写真を取り出した。そこに写る笑顔の少年と、顔はあまり見えないがこの写真の男は似ているように思えた。
「…………当たりだと少々まずいな」
彼はため息を吐く。十中八九、写真の二人は同一人物だろうと睨んでいた。────新市街とスラムで暴れているコレは、恐らくウィリアムである。
思ったより早く見つかった事に、アクバールはやや焦っていた。復讐の完了。それは一体何を意味するのか。或いはルチアーノ達が彼と戦った後確実に生き残れるのか……?
一抹の不安。折角手に入れた駒を、ここでむざむざ失うわけにも行かない。……と、そこである案がアクバールの頭に浮かんだ。
「………それならば万事解決ではないか」
すっくと、アクバールは立ち上がった。そして少し考えると、彼もまた部屋の外へと出て行った。
*****
一週間後。“エデン”は教会に集められた。いつになく真剣な面持ちのアクバールと、辺りに漂う妙な緊張感を感じ、ルチアーノ達は息を潜めるように座っていた。
「………さて、今日は大事な話がある」
アクバールの声が、空気を揺らす。その声のトーンにルチアーノはぴくりと反応した。
「……大事な話?」
「あぁ、とても大事な話だ」
と、アクバールは懐から写真を取り出すとルチアーノに渡した。すると、ハッとして彼は目を見開く。
「…………これは」
「ワタシのツテで手に入れた写真だ。……どう思うね?」
「…………」
顔を上げたルチアーノ。その隻眼はアクバールをぎろりと睨みつけていた。
「……それで?」
「ふむ、思っていた反応とは違うな」
「俺だって馬鹿じゃない、アンタが何か企んでる事くらい分かる」
「そうかね、なら話は早い」
悪びれることも無く、アクバールはしれっとして言った。
「ワタシに提案がある」
「……何です」
アクバールは片眉を上げ、顎を撫でる。
「彼をワタシの下へ引き入れる」
「えっ」
「復讐は少し待ちたまえ。何、有能な人材を有効活用してやろうというだけだ。殺すのは、それからでも良いだろう」
「よ、良くなんか………‼︎」
「まぁ待てよルチアーノ」
「!……リアン」
立ち上がったルチアーノを宥めるように、その隣のリアンが彼の袖を引っ張った。
「そーだ。簡単に殺すのは勿体ない」
「そう思うかね」
「散々地獄を味あわせて、絶望の淵で殺す。……そういう風にしてくれるんならいいっすよ、俺は」
リアンの言葉に、アクバールはクスリと笑った。
「そうだね、出来る限りそうしよう。これ以上無い絶望の中で死ねるように。役目を終えた後は煮るなり焼くなり好きにするが良い」
「……良いのかそれで」
ルチアーノは他の仲間に訊いた。するとテオドラがムスッとして答える。
「私は嫌よ」
「テオドラ……」
「私は早くあの人の元へ行きたいの。あいつを殺して」
「それは困る。君にはもう少し働いて貰わねば」
「誰がアンタなんかの為に……」
「やめろ。…………良いでしょうオルラントさん、どうぞあの殺人鬼を扱き使えばいい。俺達みたいに」
「ちょ、ルチアーノ!」
反抗するテオドラを手で制すると、ルチアーノは笑った。
「……それで?彼を引き込む手立てはあるンでしょうね」
「勿論だとも。その辺りの下準備は済ませている」
「成功率は?」
「ほぼ100%。保証しよう」
「随分な自信ですね」
「神の加護さえあれば何でも可能なのだよ」
至って真面目に言うアクバール。他の面々は笑う気にはなれない。
「良いかね。君達はウィリアムについては手出ししない。干渉もしないことだ。姿を見る事も、見せる事もしないこと」
「見てもいけない?」
「あぁ、そうだ」
アクバールは頷き、「次に」と右手の人差し指を立てた。
「この制約解除の条件。それはワタシが「良い」と許可した時、あるいは彼がこちらに牙を剥いた時、そしてワタシが死んだ時だ」
「制圧に失敗してオルラントさんが死んだら?」
「そこではワタシは死なん」
「…………」
当たり前のように言われ、ルチアーノはムッとした。
「過信は危険ですよ」
「求める者には与えられるのだルチアーノ」
と、そう言ってアクバールは笑う。
「ワタシは彼を手に入れる。飼い慣らして見せよう、かの狂犬を」
自信満々。アクバールは失敗する気は毛頭なかった。勝利の算段はついている。この一週間、下調べと下準備はして来た。あとは実行に移すのみ。
「…………俺達は手伝わなくていいンですか?」
「あぁ。ワタシ一人でやろう。言っただろう、君達をウィリアムには干渉させないと」
「………」
「まぁ、神父さんのお手並み拝見と行きましょうや、ね、ルチアーノ」
「お前は気楽だな……」
「神父さんの事だから、きっとウィリアムをぎゃふんと言わせられるようなことしてくれるんでしょ」
「あぁ、そのつもりだよ」
「ハハ、その顔が直接見られないのが残念だ」
「おや、ならば写真でも撮っておこうか」
「そりゃあいい」
にっこりと笑うリアン。アクバールもにこりと笑い返した。
「では今日のところは解散としよう」
*****
教会からの帰り、スラムを歩く五人。
「……本当に良かったんですか」
ラファエルがぼそりとルチアーノにそう言った。彼も成長し、以前よりは随分と口を開くようになった。
「……うん?」
「だって皆んないつも……」
「…………さァな、完全に納得した訳じゃねェけど」
ちらりと後ろのリアンを見た。彼は気怠そうに辺りを見渡しながら歩いていた。
「……まァ……そうだな。“楽しみ”は後に取っとくモンだ」
「…………楽しみ」
「走り続けるにゃァ目標が必要なンだってよ」
空を見上げたルチアーノ。青い空、流れる雲。真上に太陽が燦々と輝いている。
「まだ立ち止まるには早過ぎる」
左手を太陽に翳す。その甲に刻まれた黒い蛇の印。
「……折角救われたンだ。もう少し走り続けたって良い」
「…………そうですね」
「お前もすぐに死のうとか思うんじゃねェぞ」
「……僕はルチアーノさんのためならなんでもしますよ」
「オイオイ、もう少し可愛げってモンを持っても良いンだぜお前は」
手を下ろし、ルチアーノはラファエルを見る。少年は感情の無い顔で首を傾げた。
「…………よく分かりません」
「ハァ……よく喋るようにはなったがなんつーか……」
やれやれとため息を吐いて、そしてふとハルの事を思い出した。後ろ、リアンの横を歩いているハル。振り向いて見ると目が合った。向こうもこっちをじっと見ていたらしい。
「……何だ、何か用か」
「うーん……何て言うかさ、ルチアーノらしくないなぁって」
「そうか? ……お前は何も言わなかったな」
「うん、だって僕には権利無いじゃん」
「………テオドラみたく言っても良いンだぜ……」
「えー」
ハルは口を尖らせる。
「お前はどうしたかったんだ?」
「んー……僕はどっちでも良いんだ。今すぐやったって、後で殺したって」
そして、ハルは困ったような顔をして言う。
「僕はさ……ルチアーノやリアンと違ってそんなに長いことアルヴァーロさんと一緒にいなかったじゃん。……だから、そんなに出しゃばるのもなぁって」
「……そンなの気にしなくて良いンだよ」
初めてハルを見た時を思い出す。ふらりとアルヴァーロが拾って帰って来たのだ。さも犬を拾って来たかのように。それは土砂降りの日で、ずぶ濡れで、ギラギラとした目をしていてまるで狂犬のようだった。初めはロクに口も聞けなかった。獣のように唸り、手を出せば噛み付かれてしまいそうな……。
……そんな彼を恐れず、アルヴァーロは普通に触れていた。時折ハルの方が暴力を振るっていたが、アルヴァーロは簡単にいなしていた。ルチアーノは恐ろしくてとても近付こうとは思わなかった。
────そんなこんなで二週間程、気付けばハルは今の様になっていた。表人格は明るくて無邪気で、裏人格は暗く狂気に満ちた悪の顔。……しかしあの獣のような様相はもうどこにもない。こうなるまでの過程を見ていなかったし、アルヴァーロからも聞いていなかったので何がどうなったのか全く分からない。……そもそも、ハルがどこで拾われたのかも聞いていない。
「……お前、どこでアルヴァーロさんと出会ったんだ」
「え?」
ふと訊いてみた。本人にも訊ねたことはなかった。
ハルは少し考えると、首を傾げた。
「……さぁ。あまりよく覚えてないんだ。だけど、寒かったのは覚えてる」
「…………ふうん?」
「それで、暖かかったんだ。アルヴァーロさんの手が……僕はその時多分、正気じゃなかったと思うんだ。でも、何があったかは全然覚えてなくて……うん、でも覚えてる。アルヴァーロさんの手の温度」
懐かしそうに、目を瞑るハル。……そうか、とルチアーノは頷いて前を向いた。
(……手の温度、か)
ふと、自分の頭に手を置いた。かつて……彼はよく自分を褒めてくれた。些細な事でも、今まで出来なかった事が出来れば、すぐにこの頭を撫でて……。
(…………あれ)
離した手の平を、じっと見た。
(……思い出せねェや…………)
その手に残るのは、最期、血の海に斃れる彼の、冷たく硬い、温度のない手の感触。……それだけだった。
(顔とかは、しっかり覚えてんのに)
確実に、彼についての記憶は薄れて行っている。時が経てば経つ程、もういない者の記憶は失われて行く。
(────忘れるか。忘れるモンかよ)
ウィリアムを殺すその時まで。自分の救世主の顔を、声を、言葉を。自分達の“楽園”の名を。
「……忘れんじゃねェぞ、大事に持っとけ」
「?……うん」
……ここはどこだ。楽園は失われた。そして今、自分達は新たなる楽園を作り出そうとしている。
(…………俺達にとっての“楽園”は終わったのに)
ルチアーノは皮肉げに笑った。アクバールの下に付いた事は、別に後悔していない。だが、彼はどうしてもあの様にはなれない。
(────どう足掻いたって地獄のままさ)
風が吹く。風は砂を巻き上げて、青い空へと吸い込まれて行った。




