第14節 神父と死神
断末魔の残響が、まだ耳にこびり付いている。あぁ、心地良い。白き男は口角を吊り上げる。手には何とも言えない奇妙な刃物。それを二振り携え────足元に転がる大柄の男の死体を踏みつけ、紅い血溜まりの中に立っている。血の匂いを吸い込み、彼は空を仰ぐ。血溜まりの残像が、空の青に溶けて行く。乾いた声が男の喉から湧いた。それはやがて笑い声となる。鴉の群れが何処からかカァカァと飛び立った。笑い声が鴉の嘲笑に紛れる。それは黒い翼と共に、彼方白い雲へ攫われて行った。
*****
「本当に良いンですかい?俺たちは手伝わなくて」
あれから数日して。教会にていつもと違う装いのアクバールを前に、ルチアーノは言った。
詰め襟の白シャツに黒のズボン。足元は動きやすいブーツ。
「あぁ。ワタシ一人で構わない」
「オルラントさん戦えないでしょ?」
「だからこそだ。殺してしまう心配がないからね」
「……プロの俺たちの方が確率は低いっすよ……」
「おや」
「世の中、事故ってものがあるんですよ」
言われて、少しだけアクバールは考えた。
「……確かにそうかもしれないね」
「でしょ?」
「だが君たちの力は今回はいらない」
あまりにも彼が自信ありげに言うので、ルチアーノは眉を顰める。
「何かとっておきの秘策が?」
「あぁ、まぁ成功する確率は100%に近い」
「はぁ……根拠は?」
「神の加護かね」
「…………それ本気で言ってます?」
困った顔をするルチアーノにアクバールはフフと笑う。
「相手は人を喰うことしか考えていない獣だ」
「そういう侮った考え方は感心しませんけどねぇ」
「まぁ任せておきたまえ」
にこりとアクバールは笑う。そして一人で教会を出て行く。
「留守は頼んだよ。多分今日は戻らない」
「……はい」
留守番か、と口を尖らせたルチアーノ。やがてアクバールは外の白い光の中に消えて行った。
*****
スラム街某所。そこは薄暗く湿った細い路地。人がすれ違うことは不可能な狭さのそこで、紅く汚れたフードを被った男が休んでいる。白い衣服に付着した紅色は、酷く鮮やかに映えていた。
じっとして、その淀んだ空気の中に同化していた彼は、何かの気配にピクリと背中を震わせた。
「…………」
ゆっくりと振り向いた。自身の被るフードの陰から現れたのは……どことなく、“異様”な雰囲気を纏った男だった。
「……僕は今“腹がいっぱい”だ。気が変わらないうちに去れ」
すると、その男はフッと笑った。
「知っているとも。君は毎日、五人殺したあとにここに来て休んでいる」
「…………僕に何の用だ?」
「ゲームをしないか死神」
言われて、彼は呆れた様子で笑った。
「僕がどんな人間か分かった上でそう言うんだね」
「勿論────よく知っているとも、“ホワイトリッパー”。────いや、ウィリアムと呼んだ方が良いかね」
「…………」
死神は、ゆらりと立ち上がった。そのフードの下の紫色の瞳は、怪しく光り、そして、明らかな殺意が篭っていた。
「……どこの誰だか知らないけれど、お前は殺した方が良さそうだ」
「少しだけ話を聞いてくれ」
「嫌だよ」
ぬらりと、歪な刃が紅く光る。
「命乞いは聞かないよ」
「……やれやれ」
アクバールは肩を竦める。彼の注意は、こちらへ向いた。
────ゲームスタート。
死神が動いた。アクバールは慌てず隠し持っていた懐中電灯をつけ、彼へと向けた。
「!」
不意を突かれた死神は目を眩ませる。しかし、振った刃がアクバールの肩かどこかを掠めたのを彼は感じた。
「っ…………!」
「クソッ!ふざけやがって‼︎」
暗がりの中にいた死神には、その明かりは相当のダメージだった。視界を奪われ、何も見えない。フラつき、壁にぶつかる。
(……無闇に動くのは危険…………でもあいつは逃がせない……)
気付けば気配が消えている。しかし彼は焦らなかった。
次第に辺りの様子が見えて来る。その視界に映った刃の先に、新しい血が付いている。
「……どういうつもりか知らないが、逃がさないからな」
死神は路地を出る。十字路を見渡すが、逃げて行った男の姿はもう見えない。……しかし、彼は見つけた。赤い血痕が点々と、一筋路地に続いているのを。
彼はニヤリと笑った。馬鹿な奴、と嘲笑った。逃がしはしない。自分が一度殺すと決めた者は、一度たりとも逃がしては来なかった。必ず捕らえてズタズタにしてやる…………と、そう心に決めて白き死神は薄暗い路地を走り始めた。
*****
(……ふぅ、行ったか)
足音が遠ざかって行く。自分がいるのとは反対方向へ。彼の足元の左肩には固く白い布が巻かれ、それは紅く滲んでいた。
(賭けに出たが上手く行ったな。……痛みはどうもならないが)
ほとんど擦り傷のようなものだが、痛いものは痛い。深く斬られなくて良かったと、彼は神に感謝した。
────もっとも、斬られる事は計算の上だったのだが。
(さて)
アクバールは大きくため息を吐くと、包帯の巻かれた左手を見た。
(こうも上手く行くとはな…………)
今頃彼はアクバールが事前に撒いておいた、この左手の血痕を辿って行っている事だろう。普通に逃げて逃げられるなどと初めから考えてはいない。自分はこうして彼から離れ、そして彼が最終的に辿り着く場所まで先回りする。…………本番はそこからだ。まずは誘き寄せる。
(……馬鹿は扱いやすくて助かる)
アクバールは笑う。左手のひらと、左肩の傷の疼きと共に。死神はもう、自分を喰った気でいるのだろう。なんと滑稽か。弄ばれているのはそちらだというのに。
「調教も上手く行くといいがね」
そう呟いて、アクバールはゆっくりと目的地へ歩き出した。
*****
…………何かおかしい、とそう思ったのはそこへ辿り着いてからだった。点々と等間隔に続いていた血痕は、スラムのとある廃倉庫へと続いていた。随分とスラムの奥へと来たものだ。この辺りは彼が根城にしている新市街付近よりも、遥かに治安が悪い。……あんな逃げる事しか能の無さそうな奴がこんな所へ手負いで一人で…………。
…………“逃げる事しか”?
(……逃げ足が速過ぎるだろ、いくらなんでも。僕の足で一度も追いつけないなんて)
この血痕は囮だったんじゃないか────と、ふとそう気付き、舌打ちと共に踵を返そうとした時、倉庫の中から声がした。
「おや、ワタシならここにいるよ」
「!」
倉庫の奥────廃材の山の奥で、アクバールが笑って座っている。一直線。……さっきまでいなかったのに。
「…………お前は超能力者なのか?」
「いいや、ただの非力な神父だよ」
「神父?」
「あぁ」
アクバールは座ったまま話し続ける。
「武器も扱えず、力もない。戦う力は皆無と言っていい」
「じゃあアンタはここへ死にに来たのか」
「そうではないけどね……多少の覚悟はしているよ」
彼の顔に張り付いた笑み。ウィリアムは気味悪くさえ思った。
「君は無力なワタシを殺すかね」
「無力じゃないだろ」
「そうかね」
「じゃなきゃお前はとっくに死んでる」
「……まぁ、そうかもしれない」
「ついでに、絶対無害じゃない」
そう言われて、アクバールは笑う。
「ワタシは君の様な者にとっては毒かもしれないね」
「……正義のヒーロー気取りか?」
「そんなつもりは毛頭無いが、まぁワタシは弱者の味方だ。そういう意味ではそうとも言える」
面倒臭い奴、とウィリアムは思った。
アクバールは立ち上がると、手を広げて言う。
「ワタシの目的を聞かないのかい?」
「別に興味ない」
「……脳筋だね」
言われて、思わずウィリアムはムッとした。
「僕は馬鹿じゃない」
「いや、馬鹿だと思うね。ここまで君は何の疑いも無く来たんだろう」
「お前がここにいたのなら何だっていい」
「…………そうかね」
アクバールは目を細めると、手を下ろした。
「それじゃあゲームの再開と行こうか」
「また逃げるのか?」
「ワタシはここから外には出ないよ」
「とか言ってまた何か囮にして消えるつもりだろ」
「いいや、ここが最終ステージだ」
そして彼は挑発するように、見下した目線を送りニヤリと笑う。
「来たまえ。簡単な事だろう、ワタシを殺すのは」
「上等だ」
ウィリアムは刃を手に、倉庫の中へと飛び込んだ。その時、入り口すぐにキラリと光る細い線を見た。
(!)
何も考えず、切る。すると、両サイドから太い鉄の矢が放たれた。……が、避けるまでもなく矢は彼の背後を通過し、積まれていた古い樽を貫く。中から何かの液体が溢れて地面を浸した。辺りにアルコールの匂いが漂う。ウィリアムは気にせず突き進んだ。足を何かに引っ掛ける。前によろめいた背後をまた、鉄の矢が通り過ぎて樽を穿つ。
「……鬱陶しい!」
「避けるのが上手だねぇ」
「ナメてんの?」
「いいや?」
アクバールが動く。さらに奥へと逃げ出した。木箱から降りて左へ、積まれた廃材の間を駆ける。
「待て!」
ウィリアムがそこへ入った時、正面からまた矢が飛んで来た。彼が避けると、それは木箱を破壊する。ガラスの割れる音がした。中に瓶が入っていたらしい。
アクバールはさらに左に入った。追って、曲がろうとした瞬間積まれていた木箱が崩れた。
「!」
ウィリアムは逃げられなかった。あっという間に下敷きになる。木箱からはさっきと同じガラスの割れる音がし、箱の隙間から何かの液体が漏れ出て来る。…………酒だ。アルコールの匂いがツンと鼻についた。
「…………っ、クソッ!」
木箱をガラガラという音と共に跳ね除け、出て来たウィリアムをアクバールは木箱の山の上に座って見ていた。その顔には笑みが浮かんでいる。
「……やれやれ、タフなものだね」
「…………ムカつく顔だなァ」
「罠も気にせず突っ込んで来る……ふむ、やはり脳筋ではないか」
「あんな陳腐なものを罠とは言わない、当たる訳ないだろう」
「そういう所を脳筋だと言うのだ」
大きなため息を吐くアクバール。ウィリアムは眉をひそめた。
「…………何?」
「ひとつ、ワタシは君の事をよく知っている」
アクバールは右手の人差し指を立て、そう言う。そして、続けて中指も立てた。
「ふたつ。今の所ワタシの作戦に狂いはない」
「……何が言いたい」
「みっつ。……今、君は何故ワタシに襲い掛からない?」
「てめ……挑発か。いい度胸しえん…な……」
その時、呂律が回らなくなってきた事にウィリアムは気付いた。頭がぐらつき、そして視界がうねり始めた。
「…………なに……」
「君の父君は相当な下戸だったらしいな」
「!」
「ワタシの見立ては間違っていなかったようだ」
やがてウィリアムは膝をついた。立っていられない。意識が段々と遠のいて来た。
「よっつだ、ウィリアム。君が当たらないと言った罠はきちんと当たっていたのだ」
「…………」
「君が被ったのはかなり度数の高い酒だ。……まぁ起きてはいられまい」
ウィリアムにはもう半分も言葉は聞こえていなかった。うねる視界の中で、アクバールがこちらを見下し、笑っているのだけは認識出来た。その顔を定まらない視点で睨みつけ、彼は声を絞り出す。
「……ぼ……くを……ど……する……」
「今さら訊くのかね? 聞かないと言ったのは君だというのに」
「うる……さ……」
カランカラン、と刃が地面で音を立てた。バタ、とウィリアムも倒れる。その様子を見て、アクバールは顎を撫でて片眉を上げた。
「…………ふむ。予想以上に弱いな」
ウィリアムはうつ伏せになり、ずぶ濡れで眠ってしまっている。気絶していると言った方が正確だろうか。別に睡眠薬を混ぜていた訳でもない。あまり長くは眠っていないだろう。
アクバールは箱から降りると、一番下の段に一つだけ置いてある木箱を開けた。中に入っているのは重い鎖。その一端を手に持ち、彼は振り向く。
「……さて、もう一仕事だな」




