【S】 第十話
エルンストの護衛を二人が交代で行っている以上、キーンが抜け出す際にはシェリウスという壁を避けて通ることはどうやっても不可能であったわけだ――が。
壁に凭れかかるようにしながら神経を研ぎ澄ませているシェリウスの傍らには、床で休憩を取っている筈のキーンの姿はなかった。
無論、エルンストから目を離す事が出来ない状況で、シェリウスが休んでいる間にこっそり居なくなるという真似が出来るわけもなく、キーンはシェリウスの目が届くところで外へと出て行くしかない。
そこで当然のように「何処へ行くんだ」という問いが投げかけられるのだが、彼はそれに答えはしないだろう。
「同じことを二回言わせるんじゃねぇ」――とでも言って。
それでもシェリウスがキーンの外出を黙認した理由のうち一つは、今夜中に第二の刺客が送り込まれる可能性は低いだろうという前提があってのこと。仮に新たな敵がやって来たとしても、ツバキのように無茶苦茶なレベルの暗殺者とは考えにくい。――それこそ奴のようなのが二人も三人も居たら、想像したくないがキーンとシェリウスが揃っていても防ぎきれないという話で。
もう一つの理由は、言ってしまえば厄介払いのようなものだった。
窓の下で、シェリウスのすぐ傍で休息を取るキーンの存在は――本人が望もうと望むまいと、いくらそれが己のスタイルだと主張したところで、実際問題シェリウスの集中力を削ぐのにこれ以上ないほどの効果をもたらしてしまっているのだから。
それはシェリウスのメンタル面が甘いというよりは、どう見てもキーンとの相性が致命的に悪いがゆえに起こってしまう事態で、もしもこれをマリノや他の騎士に置き換えてみればシェリウスにとっては然したる問題ではなかったに違いない。――が、やはりこうして寝所まで立ち入る事が出来るのは主たるエルンストが認めた人物でなくてはならないわけで、それがシェリウスとキーンのただ二人だけというのだから困っている。
――しかし、と。シェリウスは、つい数刻前のキーンとツバキの応酬を思い出していた。
ツバキの隙を見い出すため、目を凝らすようにして――見ていた。二人の動きを。
それはシェリウスの流儀とはまるで違う、鍛えてきた過程が全く違うのだろうから当然の事ではあるのだが、思い返すと何となく苦々しい気分になる。
自分が倒れていた間、そして覚醒してから魔術を撃つまでの間、キーンはツバキと互角に渡り合っていた。それが、どれだけの技術や体力や精神力を要するものか。
シェリウスには出来ない事を、彼は何でもなさそうな顔でやってのける。
今、彼が外へ出掛けていったのだってそうだった。おそらく町で、敵の手掛かりを得るために走っているのだろう。行き先は告げなかったが、今までも彼はそうして何処からか情報を持ち帰り、そしてそれはことごとくエルンスト達にとって必要なものだった筈だ。
改めて考えてみれば、シェリウスはいかに自分が城の外を『知らない』のかという事を自覚するだろう。
知識は持っている。だが、そこに流れる風の匂いを、そこで生きる人々の暮らしというものを――知らない。
勿論それだけを見てキーンが優れているという安易な話ではなく、時やら場所やら状況を替えれば逆のケースなどいくらでもあるのだが、現時点のシェリウスにとっては『自分に不完全な部分がある』というのが我慢ならないので、そういった人間の脳内辞書に、相互補完とか適材適所とかいう言葉は最初から載っていないというのが仕様だった。――ともかく、だ。
本来ならば、互いに補い合うべきであるところの、この状況。
シェリウスとキーンという水と油、いやこの場合は冷気と炎か、そんな真逆の属性をもって反発し合う二人の場合は――
窓の外の空が白み出し、夜の気配がそれとすり替わり始めた頃、静けさに紛れて消えてしまいそうな気配がしてシェリウスは顔を上げた。
ほとんどといって良いほど音を立てずに、部屋へとその身を滑り込ませてくるのはやはりキーン。
当然のように難しい表情をして帰って来た彼に、シェリウスは一瞥をくれただけであとはエルンストの方へと視線を戻した。
無言のうちに促すのはただ、彼が持ち帰って来た収獲。
『おかえり』なんて、言う筈がない。




