【S】 第六話
ツバキと名乗った侵入者の殺気が、王子から従者達へと移されたのをこの場に居る誰もがはっきりと感じ取った事だろう。
まずは間合いの近かったキーンへと踏み込む、その手には先刻の飛び道具とは別の――やはり国内では見慣れぬ意匠の、鍔の無い短刀が握られていた。
キーンもナイフを取り出し、それに応戦する。
室内には金属音が絶えず響き渡った。一進一退の攻防を続ける二人の実力は、同程度といったところか――否、仮に互角だとしたら体格の問題でツバキの方が有利に事を運べる可能性が大きかった。更に彼の身のこなしは、キーンと比べたとて劣っているとは到底思えなかった。むしろそう思えたら、どんなに楽だったか。
「キーン・ハスリトス――王族の側仕えとしては異端中の異端であるスラム出身者」
ふと、唐突にツバキが口を開いた。鍔迫り合いの中でも決して乱れぬ、焼けるような陽射しを連想させる肌や、暗い炎のような髪の色とは裏腹の涼しげな口調。
背を向けた格好になっているシェリウスやエルンストからは死角になるが、キーンはハッキリと片眉を上げて不快を露にしたことだろう。
ナイフが振るわれ、そして幾度も繰り返してきたように受け止められる。ツバキの声は止まらない。
「しかしそれゆえに独自のネットワークを持ち、情報収集能力に長ける。加えて、正規の騎士をも遥かに凌ぐ戦闘能力――特筆すべきはその敏捷性である、が……」
そこで寒気を覚えるような笑みがツバキの口元に浮かんだ。
次の瞬間――幾度目かになる攻撃を受け止めたキーンの短剣が、力任せに弾き飛ばされたのが、シェリウスとエルンストも含めた四対の眼に見間違えようもなく映る。
一際高く響く、硬い音色――それでもナイフが宙を舞わずに手元に残ったのはキーンだったからだろう。
「直接的な腕力は“それなり”か。……イイ線いってるとは思うけど。その身長にしてはね」
「……! ――っ殺す!」
どこかで盛大に地雷の踏み抜かれた音がした。……ような気がした。
しかし当の本人であるツバキは、確信犯かつ何も知らぬような笑みで、爆発したキーンの殺気を受け流す事など造作もない。
それどころかこれは、シェリウスの目から見ても明らかに露骨過ぎる――
「馬鹿か、貴様は…!」
舌打ちの後、口の中で小さく毒づいて。シェリウスはエルンストの傍を離れて駆け出した。
空を裂くキーンのナイフを受け止めることなくかわし、無防備となった胴に短刀を捻じ込もうと右腕を突き出すツバキ。
その二人の間に割って入るような形で、シェリウスの剣が短刀を弾く。
間髪入れずにツバキの左から己の顔を狙って振り下ろされる手刀を、止むを得ず翳した肘で受けた。それだけでも、ずしりと重く腕全体に痺れが走り、知らずのうち表情が歪む。
「あの程度の挑発に、易々と乗せられる奴があるか…!」
「お前に言われたくない」
背中越しの相手に告げると案の定、不服そうな声が返って来た。しかし振り返るだけの余裕もなく、立て続けに繰り出される攻撃を、痺れていない右手でやっとの事で防ぎながら。
「おやおや、仲睦まじいことだね。――少し妬けるな」
対するツバキの表情は、最初から全く変わらない人を食ったような笑みで。からかうような言葉が投げかけられるが、二人にしてみれば堪ったものではない。
キーンの素性と能力についても、先に触れられたように的確な情報が叩き込まれているのだ。おそらく二人が不仲であることも、知られていておかしくなかった。――そんな、確信犯的な響きを含んで。
「気色の悪いことを言うな。下種が」
「あはは、酷いな。その見下すような眼――まるで人を人とも思ってないような眼だ」
「当然だろう? 王子のお命を脅かす者は、この場で死に行くのみ。情などかけても仕方あるまい――ッ!」
不快感を隠すつもりも端から皆無で。
キーンに取って代わり、シェリウスの長剣による連撃が放たれる。
「今度は君が相手か! 流石に、さっきとは一撃の重さが違う」
ツバキはそれらをことごとく涼しい顔で受け流し、遣り過ごす。まるでこの状況を、心底楽しんでいるかのように――。
「お喋りが好きなようだな? ならば――私の質問に、答えてはくれまいか」
「へぇ、俺に興味持ってくれた? それとも、お土産持たせてあげなきゃ安心して冥土へ行けないかな」
「抜かせ。賊などに興味はないし冥土へ行く気も無い。貴様の雇い主は誰だ?」
手元が狂わぬよう集中力を総動員しつつ、眼前の敵を睨み上げるシェリウス。
果たしてこのまま、己の実力でこの刺客を撃退する事が出来るのか――100パーセントとは言い難かったがそれでも、出来なければ王子も無事では済まないのだからやるしかない。
そして仮にツバキを倒したとして、それで終わりではない事はシェリウスにも予測のつく事だった。
何者かにエルンストの命が狙われているという事実。
王族に手を出そうというのだから、それが生半可なものでない事だけは必至――そして先のベネディクトの件も含めれば、一度や二度の失敗で簡単に去るような突発的なものでないのも確かだった。
だが解せないのは、ベネディクトとエルンスト、どちらかといえば思想的には対立していた二人を同時に消そうとしているその意図。
これがどちらか片方であったなら、各々の反対勢力によるものと推測を立てるのは容易だったに違いない。
二人を王族という括りで見たとしても――それだけのリスクを冒す意義を、シェリウスには見い出す事ができなかった。
だからこその問いかけ。素直に返って来るとは思えなかったが、ツバキを片付けた後、考えなければならない事は山ほどある筈だから、何らかの取っ掛かりが得られるのならそれに越した事はなかった。
「……」
そして当然といえば当然、ツバキは口を割らない。だんまりを決め込んで淡々と、短刀を打ち込んでくる。
――淡々と。
揶揄するように、手と同時に動き続けていた唇はしっかりと引き結ばれ、いつの間にか彼の顔からは笑みが消えていた。
見下すような――まるで人を人とも思っていないような、温度を失った眼。
そこへ映るシェリウスは、彼にとって、最早ただの『障害物』でしかなかった。
存在していても邪魔なだけの。真っ先に排除されるべき対象。
「下手糞な駆け引きだな。シェリウス・テイラード。話術のみならず、剣捌きも――さ。興醒めだ」
ぞくりと身震いしそうに冷えた声音が、この場を支配する。
次いで甲高い金属音、ほぼ同時に別の鈍い音。それに重なるシェリウスの呻き。
短刀の動きは一瞬消えたように薄闇の中を潜り、シェリウスの左胸目前へ到達する。
紙一重で剣の鍔がそれを受け止めるものの、その裏でツバキのすらりとした脚が迫っていた。
靴底が肋骨へと減り込み、ばきりと嫌な音が鳴る。
シェリウスの体は後方へと吹き飛び、壁にその背を打ちつけて止まった。
これだけ騒がしく事が運ばれれば、見張りの兵の一人や二人駆けつけて来そうではあるが――外は不気味なほど静まり返っていた。




