おすそわけ
10月2回目の出社日。
今日中に片づけなければいけない業務がひと段落したためか、どことなくまったりとした空気がフロア全体に漂う17時30分の定時間際。
例に漏れず、一紗もまた退勤の準備をしながら業務とは別のことを考えていた。
夏の終わりに連絡先を交換してから約2か月。
あの後、約束通り一紗と武田は何度か食事を共にした。
間隔としては2週間に1回くらいなので、まだ片手で数えられる回数でしかないけれども。
誘うのは武田側からが多かったのだが、前回は一紗の方で事前に店を探し「こんな美味しそうなお店がありました」と勇気を出して初めてお誘いをしてみた。
返事が来るまでソワソワと落ち着かなかったのだが、すぐに
「いいっすね。じゃあ次の金曜に行きましょう。予定とか大丈夫っすか? 問題ないなら俺の方で予約しときます」
と返事が返ってきて大いにホッとしたのだった。
食事会の曜日は、翌日を気にしなくていいことから暗黙の了解で自然と金曜日になり、場所も終電を気にしなくていいということから最寄り駅から徒歩圏内の店がお決まりだ。
初回は大衆的な串屋だったが、その後はちょっとお洒落なイタリアン、隠れ家的な居酒屋、少し変わり種のエスニック料理…と様々な雰囲気の店を訪れており、近所にこんな店があったのかと毎回新鮮な驚きがある。
何よりも武田との食事は楽しかった。
いい意味で気を使いすぎなくていいため、居心地がいいのだ。
話題の内容、お互いの聞く量と話す量のバランス、相槌のタイミング…どれも一紗にしっくりくる。
そう思っているのはこちらだけで、武田にめちゃくちゃ気を使わせている可能性もあるにはあるのだが。
だが、そうであれば彼の方から何度かお誘いがきたり、一紗からの誘いを二つ返事で承諾はしてくれないだろうから、武田も同じように思ってくれている…と信じることにする。
そんなこんなで「約2週間に1度の武田との食事会」は一紗の密かな楽しみになりつつあるのだが、1つだけ困りごとがあった。
清算である。
なんだかんだ、毎回武田にかなり多く負担してもらってしまっているのだ。
初回の串屋では一紗がトイレで離席している間に会計を済まされてしまっていたが、2回目以降も同様だった。
串屋とは逆に武田がトイレで離席した際に済ましてしまっていたり、小上がり席で一紗が靴を履いている間に一足先にレジにで済してしまったり。
前回などは予約の段階で決済をされてしまっていた。
スマート過ぎるのである。
こちらの心境も考えてか、流石に初回以外は一紗が後から慌てて「すみません、私も出します!」といった分をいくらか受け取ってくれてはいるのだが、明らかに負担の割合に偏りがある。
(申し訳ないことは申し訳ないけど、向こうがいいと言ってくれてるのに強引に半額受け取らせるのも違う気がするし…)
どうしたもんか…と小さくため息をついたら、背後から急に肩を叩かれた。
「どーしたの末藤ちゃん、ため息なんかついちゃって」
「浅野さん…」
うわっと思ってしまったのが顔に出ないよう、一紗は精一杯の愛想笑いを浮かべた。
引き攣っていなかったかは自信が無かったけども。
「せっかく可愛いんだから笑顔の方がいいよ。はいこれ」
「なんですか? これ…」
一紗は半ば強引に押し付けられた個包装の小さなお菓子を見つめた。
「クッキーだよ。今日客先に行ったんだけど、そこで貰ってさ。末藤ちゃんにだけあげる」
「…」
一方的にそう言って、浅野は何故か上機嫌で去って行った。
仕事内容にはやりがいを感じているし、職場の人間関係もほとんどの社員と問題なくやっていけているのだが、唯一苦手なのがあの浅野だった。
下の名前は知らない。
興味も無い。
大卒8年目だかで、先ほど本人の口からもあったように、仕様の説明など客先に出向くやり取りを任されることもあるようなので、エンジニアとしてのスキルは高いのだろう。
ただ、距離感が少々おかしいのである。
今しがたのやり取りを改めて思い返す。
(そもそも初手からして肩触ってくるとかなんなの!?)
肩に置かれた浅野の手の感触を思い出してしまい、一紗は軽く鳥肌を立てた。
職場で他の社員もいるというのに、わざわざ「君にだけ」と強調して物を寄越してくるのもおかしいし、ちゃんづけで呼んでくるのもおかしい。
(そもそも初対面の時点で変だったもんな…)
昨年、一紗が新人研修を終えて現在の部署に配置され、先輩社員に挨拶した際にも浅野は「うちの女子社員の中では君が一番可愛い」と言い放ったのである。
その瞬間の社内の空気のいたたまれなさといったら。
大体、そんな状況でそんな褒められ方をして喜ぶ人がいると思っているのだろうか。
とにかく、何もかもが絶妙にズレているのである。
(決定的なことはしてこないからまた厄介なんだよなあ…)
仕事終わりや休日に強引に誘ってくるとか、メールやチャットなど文章で残る形で変な言葉をかけてくるとかではないのだ。
そのため、コンプライアンス窓口に相談するほどの内容なのか否かの判断がつきかねている。
幸いなことに、周囲の他の先輩方は、浅野と一紗が仲がいいとか、ましてや付き合っているとかみたいな妙な誤解を一切していない点が救いだった。
一度、一紗の2つ上の先輩が「末藤さん、あの…なんか浅野さんの距離感大丈夫…?」と心配して声をかけてきてくれたこともあったぐらいだ。
年次的にもエンジニアとしてのスキル的にも問題はないのに、役職がついていないのは、まあそういうことなのだろう。
* * *
仕事以外での疲労も抱えて、一紗は自宅マンションにたどり着いた。
(そういえば初めて武田さんとご飯食べに行った時も、今日みたいに浅野さんに消耗させられてたな…)
そんなことを思いながら、郵便ポストを開けると、中に1枚の紙が入っていた。
(不在票だ)
送り主を見ると、実家である。
(そういえばお母さんから、今日あたりに到着するように荷物を送ったって連絡があったっけ)
「宅配ボックスに預けました」とのことだったので、宅配ボックスに行き、不在票に記載されているボックス番号の扉の鍵を開いた。
ちなみに、宅配ボックスの鍵も例のゴミ収集庫と同じ仕様である。
宅配ボックスの中にみちみちの状態で段ボールが格納されており、送り状をみると品名は「野菜」と書かれていた。
一紗の実家は千葉の内房にあり、両親は普段は地元の会社で働き、週末のみ畑仕事をする兼業農家である。
ずっしりと重たい段ボールを自宅まで運び、開けてみると、土の匂いが漂ってきた。
予想通り中身は、日持ちさせるため泥がついたままの大量の里芋、新米2kgが2袋、あとは長ネギと大根が少々。
(お父さんお母さんありがとう…。でも…流石に量が多い…!)
一紗はそこまで自炊に熱心ではない。
加えて特に里芋は下処理に手間がかかるし、使い道も煮物と豚汁くらいしか思いつかない。
大量の里芋を前にしてしばし途方に暮れていた一紗だったが、ふとある案が思いついた。
スマホを手に取り、メッセージアプリを開く。
メッセージアプリの中の、苺がぎっしりデコレーションされたパフェのアイコンをタップした。
顔が思わず綻ぶ。
(武田さん、見た目はあんなに男らしいのに、甘いものが好きなのがギャップあって面白いよなぁ)
何度目かの食事会で、メッセージアプリのアイコンについて聞いてみたのだが、返答が「有名店の1日10個限定のパフェだったから嬉しくて」と少し得意げだったのもまた面白かった。
そういえば、オートロックが故障してカフェに行った時も、コーヒーではなくカフェオレを頼んでおり意外に思ったのだった。
文面をどうするかちょっと考えた末に一紗は
『里芋って興味あります?』
と短く一言だけ送った。
丁寧に経緯とおすそ分けをしたい旨を伝えるか迷ったのだが、以前、武田が「言うことが面白い」と言ってくれたので少しのユーモアと、くだけた親しみやすさを出してみたのだ。
『美味しく食べることには興味ありますよ』
すぐに返事が返ってきたが、どうやら一紗の軽口に乗ってきてくれたようだった。
『実家から配給が届いたんで是非おすそ分けしたいんですけど今って家にいますか?』
『配給って笑 家にいますよ』
『お届けにあがって大丈夫ですか?』
『お待ちしております』
文末にお辞儀をしている絵文字が添えられた返事を確認して、一紗は武田へのおすそ分けのために段ボールの中身の選別を始めた。
(ちょうど食事会のお礼がしたいと思ってたところだったからちょうど良かったな)
* * *
「こんなにいいんすか?」
ビニール袋に入った大量の里芋、2kgの米、長ネギと大根を見て武田が目を丸くする。
「はい。本当にたくさん送られてきたので、貰ってもらえるとかえってこっちも助かります」
「実家千葉で農家やってるんでしたっけ?」
「そうです。久留里なんですけど、あのあたり里芋作ってる人が多いんですよね」
「へぇ…」
「ご飯行った時いつも多く出してもらっちゃってるので、少しでもお礼になればいいんですけど」
「そんなこと全然気にしなくていいのに…」
「里芋、泥つきのままなんです。長持ちさせるにはこの方がいいんで。料理する時にひと手間増えちゃうんですけど」
武田がそれなりに料理をするということは本人から聞いている。
週末や仕事が早めに終わった時などは基本的に自炊しているそうだ。
袋の中身をじっと見つめて武田が何やら考え込んでいる。
「末藤さん、夕飯ってもう食いました?」
「いえ、これからです」
「仕事終わりで腹減ってるところ申し訳ないんすけど、30分くらい待っててもらえますか?」
* * *
スマホがメッセージの着信を知らせる。
『いただいた野菜で豚汁作ったんで今から持って行きます』
武田からのメッセージに「OK」の意図を示す絵文字を返し、一紗は思わず呟いた。
「凄いなあ…」
30分ほど待っていて欲しい、と言われた時点でおすそ分けした野菜で何かしら作ってくれるのだろうと予想はしていたが、豚汁とは。
数種類の野菜と肉を切り、いくつかの調味料で味付けをしないといけないはずだから、手間がかかる料理なはずで。
(それを30分くらいでパパっと作れるんだから「それなり」どころか「かなり」料理をする人なんじゃ?)
そんなことを考えていたら玄関のチャイムが鳴った。
「はーい!」
返事をしながら鍵を開けると、小さめの片手鍋を手にした武田が立っていた。
「お待たせしました。これどうぞ」
爽やかに笑う武田に、一紗は鍋を受け取りながら思わず頭を抱える。
「あああもう! せっかくお礼したのに結局さらに大きなお礼で返ってきちゃった! 本当にすみません。ありがとうございます!」
半ばヤケクソで言った一紗に武田は「ははっ」と笑い返した
「俺が食いたくて作っただけなんで。鍋はいつ返してくれてもいいです。それじゃ」
「あっ…」
去って行った武田に、思わず「うちに上がって一緒に食べませんか」と言おうとしてしまったことに気づき、一紗は慌てて言葉を飲み込んだ。
豚汁のおすそ分けをいただいた嬉しさと一抹の寂しさがないまぜになった感情を抱えて、湯気を立てている豚汁に手をつける。
「美味しい…」
それぞれ食感が異なる新鮮な野菜と、優しい味噌の風味。
温かさがじんわりと身体の芯までしみ込んでいくようだ。
今頃武田も、壁一枚を隔てた隣で同じ豚汁を食べているのだろうか。
(一緒に食べたかったな…)
流石にそれはできない。
女性の一人暮らしの部屋に男性を上げるということがどういうことなのかくらい、一紗も理解している。
だからこそ、自分たちの関係がそこまでではないことに寂しさを覚えてしまう。
(あれ…)
一紗は、はたと自分が今感じている寂しさの理由に思い至った。
(私、武田さんのこと…)
顔が熱くなってきたのは、きっと豚汁の熱さのせいだけではない。




